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駅からの帰り道をとぼとぼと歩く。
頭の中では
香坂の言葉が、声が、表情が
ぐるぐると回りに回る。
『両想いになったんですか?』
なんていう
あたしの馬鹿な問いかけに答える
冷め切った声。
頭を鈍器でなぐられたような
喉から心臓を取り出されたような
厚みのある、衝撃。
「そんなんなぁ。
両想いって言ったって
不倫なんて
スタートから終わってんだよ。
誰かを傷つける上に成り立つ思いなんて
なんの幸せも運んでこないんだよ。
その2人だけのエゴだな。
まあ、渦中にいる時は
そんな当たり前のことにさえ、
気付かないけどさ。」
言い終わった後の香坂の顔は、いつものおふざけ上司ではなく、どこか知らない男の顔で。
きっと、相手の不倫女性にこっぴどくフラれたんだろうな、なんて想像をしたけれど。
その場では、その言葉にそれ以上の追求はできなかったけれど。。
時間が経つにつれて、全ての言葉が毛穴1つ1つから呪いのようにわたしを包み込む。
「まあさ、
お前らに限ってそんなことないと思うけど
そんな悲しい恋愛なんて
可愛い可愛い後輩たちに
して欲しくないってわけよ。」
どこまでわかって言っているのか忠告なのか、それとも警鐘なのか、はたまたただのカンなのか。
そんなことはわからないけれど、昨晩のことを思い起こし、カァッと頬が熱くなるのと同時にサーッと全身の血液の体温が下がっていくのがわかった。
「ただいまー。」
暗い部屋に、自分の声が吸い込まれていく。
夏樹がいなくてよかった。
こんな青白い顔を見たら、さすがに鈍感な彼でさえ何かを感じ取るかもしれない。
感情を読み取られることを嬉しいと感じていた、そんな過去があることさえ忘れてしまうほどに。
わたしの気持ちは、わたしの汚れた気持ちは、すくすくと大きくなってしまったのだろうか。
"誰かを傷つける上に成り立つ恋愛"
そんなのはもはや、
恋愛でもなんでもない。
当たり前の、人間としての倫理的観念。
よく、わかっている。
わかっているつもりだったのに、どうしてこんなにも苦しく、胸がズキズキと痛むのだろう。
息をするたびに、心臓が飛び出そうなほどに苦しくて苦しくて。
寂しく、虚しい。
暗い玄関にしゃがみ込み、気付けば涙が溢れでる。独りよがりの、恋愛とも呼べない、呼んではいけない感情。
「だめだ」
1人でここにいたら心が潰れてしまう。
いつからこんなに、弱くなったのだろう。
いつからこんなに、人に頼れなくなったのだろう。
着の身着のままに家を飛び出し、近所の公園を目指す。少し早足の歩調はわたしの心拍数を表しているようで。
歩道を背にして、ブランコに座る。
29歳独身女が夜の公園で1人ブランコに座りながら、星空を眺める。
あたしの心の成長は、一体いつ止まってしまったのだろうなんて考えながら。
そして小さくスマホが震え、春田からのメッセージを通知する表示が現れる。
たったそれだけのことなのに、どうしようもなく心が掻き乱される。
すぐに見ることなんかできなくて。
このメッセージを見る頃には、どうか私が君を大嫌いになれてればいいなんて思う。
けれど君を嫌いになる方法は一向にわからなくて。結局また、君のことを考えている自分に腹が立つのだ。