その4
「ハハハ、やっぱり来てくれたんですね。それじゃあ、まずはお茶でも……」
「余計な気遣いはいいよ。アタシ等は仕事に来たんだ。客じゃないことは重々承知さ」
「でも、せっかく綺麗どころが二人も揃って我が家を訪れたんだから、まずはゆっくりと……」
「おっ、お気遣いは無用です!さあ、さっさと悪霊を退治しますよ!」
聞いていた鬼龍院邸へと向かった私達が見た物は、確かに豪邸と呼べるものだった。室内も豪華であるし、庭の草木も手入れが行き届いている。でも、規模だけで言えば緋色さんの実家のほうが遥かに広いし大きい。
まあ、あれは山の中ゆえの、さらに特殊な建物ならではなんだろうけど。造りの豪華さや庭の整い方などは、口惜しいがこちらのほうが遥かに上だ。
だけど、お金さえかければいいってもんじゃない。結局はそこに住まう人の質の問題だ!相変わらずわけのわからない対抗心で憤慨する私だったが、リルさんはさすがに冷静だった。
「で、これが例の鏡ってわけかい。どいつに悪霊が住み着いてるのかは知らないけど、それにしちゃあ随分と無用心だねぇ。いや、アンタの図太い性格なら、そんなものは怖くないってことかい?」
「え?」
頭に血が上っていた私は、たしかに少しばかり妙だと気付いた。いくらこの人が無神経で図太く、女性にだらしない(たぶんだけど)とは言っても、自らに危害を加えるかもわからない、正体のわからないものをそばに置いておくだろうか。それとも、問題の鏡だけを遠ざけているのか……。
いや、違う。その時になって、彼の話を思い出す。あの時の話では、『家中の鏡に現れるようになった』と言っていたはずだ。とすれば……。
私とリルさんの視線に、なぜか彼は臆したように目を逸らす。いや、臆したというよりも、私にはまるで嘘を吐いた子供が、気まずさから視線を逸らすようにも見えた。
ほんの一瞬だが、不思議とその時、私は鬼龍院という男の本当の性格を垣間見た気がした。
あの自信ありげな態度は、大財閥の跡取りとして生まれた彼が求められている立ち居振る舞い。そしてそれに応えるための、精一杯の虚勢でもあるのではないか。本当の彼は、今のように繊細で、どこかまだ子供じみた部分を、多分に残した人ではないかと。
だが、今はそれとこれとは別問題だ。相手は正体のわからぬ怪異。間違った情報は生死に関わる事だってある。
「鬼龍院さん!?」
やがて、私達の視線に耐え切れなくなったのだろう。それまでの態度が嘘のように、鬼龍院さんは肩を落とした。
「すみません……。決してあなた達を危険にさらそうとか、そういったつもりは無かったんです。ただ、あいつを救ってやりたくて……」
「あいつ?」
「はい、ちゃんとお話します。鏡の中にいるのは……、僕の……、妹なんです」
☆ ☆ ☆
「ふ~ん、いい紅茶じゃないかい」
「ええ、昔から両親が紅茶には煩かったものですから。茶葉の選び方だけじゃなくて、煎れ方まで厳しく教えられましたからね」
15分ほど後、私達は客間に通され、出された紅茶を飲んでいた。口惜しいが、リルさんの言うとおりたしかに美味しい紅茶だ。でも、緋色さんの入れてくれるコーヒーだって、それ以上に美味しいんだから!
「で、鏡の中の悪霊がアンタの妹ってのは、どういうわけだい?」
だが、余計な対抗心もリルさんの言葉で打ち消される。そうだ、今はそんなくだらないことを考えている時ではない。
「あ、悪霊なんかじゃありません!瑠璃は……、瑠璃は鏡の中に閉じ込められているだけなんです!だから、だからそれを助けてもらおうと……」
「鏡に閉じ込められた……?なるほど、だったら、今度こそ正直に全てを話してもらおうか。それができないなら、この依頼は無しだよ」
「わ、わかりました。お話します……」
☆ ☆ ☆
今から10年ほど前、とても仲の良い兄妹がいたという。兄は12歳、妹はまだ5歳だった。歳は離れていても、兄は妹をとても可愛がったし、両親が仕事で忙しい分、父親替わりの存在でもあったのだろう。妹も良く兄に懐いており、家の中のどこへ行くにも、兄に付いて回るような子だった。
そのくらいの年齢の男の子であれば、普通は同世代の男の子達との遊びに夢中となり、幼い妹の相手などどこか気恥ずかしくて、多くは自然に離れていくものだろう。
だが、兄は家の都合上、外で泥だらけになって友人と遊ぶということも無かったし、学校が終われば自宅で習い事をするのがほとんどであった。
妹も、まだ幼いというのもあるだろうが、幼稚園から帰れば家の中にいるというのが主であった。
それゆえに、数少ない友人のような関係だったのかもしれないが、とにかくはたから見ても仲の良い兄妹であった。
周りからすれば、そんな面白くも無い生活を送っていた男の子だったが、一つだけ夢中になれるものがあった。それは、『鏡』である。
幸いにと言おうか、裕福な家庭である。部屋のほとんどには、装飾の施された豪華な鏡が備え付けられている。
少年はいつしかそれに夢中になり、インテリア関連の本を読み漁り、日曜大工の真似事をして自分でも鏡に装飾をするようになった。
もちろんそれは、子供の作る拙いものであったが、キラキラと光る鏡を見た妹は大はしゃぎし、兄を尊敬の目で見つめた。そしてその視線を受けた少年は、妹を喜ばせるのが嬉しくて、ますますのめり込んでいったのだ。将来それが、自らの生計を立てるものとなることも知らずに。
だが、そんな生活にある時変化が訪れる。それは、妹の一言だった。
『かがみのなかに、だれかいるよ』
もちろん、そんなことがあるはずはないし、子供の嘘、あるいは遊びだと誰もが思った。もちろん、兄とてそうであった。
だが、妹の様子がおかしくなったのはその頃からだった。相変わらず兄にくっついて行動するのは変わりないのだが、やたらと鏡を気にするようになったのだ。
そして、不思議に思った兄が聞けば、必ずこう答えるのだ。
『だって、いっしょにあそぼうってよんでるから』
そして、間もなく事件は起きた。妹は、忽然と屋敷から姿を消したのである。
もちろん、屋敷中をくまなく探したし、警察へも連絡した。財界の大物の娘ということもあり、誘拐事件も視野に入れ、秘密裏にではあったが大々的な捜査が行なわれた。しかしながら、妹の行方はまるで掴めなかったのである。
残された痕跡はといえば、屋敷で一番大きい鏡の前に落ちていた、いつも抱いていたお気に入りのぬいぐるみだけであった……。
☆ ☆ ☆
「なるほどね。つまりは、鏡に憑いた妹を成仏させてやりたいってわけかい」
「なっ!ち、違います。妹は死んでなんかいない!ただ、鏡に囚われているだけなんだ。その証拠に、妖怪を連れてこればって……」
「鏡に……?それに、妖怪を連れてこればって、どういう意味だい?」
「あ、いや……」
リルさんの言葉に、なぜか鬼龍院さんは口篭る。
「アンタ、アタシ等をハメたのかい?」
「ちっ、違います!決して危害を加えようというつもりでは無く、少しだけ協力してもらおうかと……」
必死になって言い訳をする鬼龍院さんだったが、私はなんだか自分の体がおかしいことに気が付いた。
必死で説明をする鬼龍院さんの声が、なんだか途切れ途切れに聞こえるし、随分と頭がボーッとする。
そして、同時にリルさんの様子もおかしいことに気付く。
「これは……。アン……タ……、盛った……ね……」
「す、すみ……せん。で……が、騙し……わけ……じゃ。け……て、……た達に、危害……」
途切れ途切れに聞こえる声の中で、私の意識はしだいに遠のいて行った……。