その2
「へぇ~、優秀な探偵と助手がいるからって紹介されて来たんですけど、たしかに向かいのオンボロビルと比べて、随分と綺麗なトコっすねぇ。お二人とも美人ですし」
いきなり失礼なことを言いながらオフィスに入ってきたのは、私より2つ3つばかり年上の男の人だった。背も高く身なりも綺麗で、顔立ちも悪くない。いや、世間一般からすればイケメンという部類に入るのだろう。もちろん、全然私の好みではないが。
それよりも、どことなく自信満々なその態度や、いきなり失礼なことを言いながら入って来たことに、嫌悪感のほうが先に立ってしまった。
別に、私達のことやオフィスを褒めていたのだし、何を言っているのだと思われるかもしれない。だが許せないのは、私の大切な銀華さんや緋色さんのいる、猫猫飯店を馬鹿にされたことである。そりゃあたしかに少しばかり……、いや、かなりオンボロかもしれないけど……。
ムッスリとした私の表情を察したのか、リルさんは大人の対応でその人にお茶を出し、ソファへと腰掛けるよう勧めた。
「しっかし、美人ですねぇ~。向かいの探偵社の人も美人だったけど、お姉さんはそれ以上にセクシーっすね」
「ハッ、別にそんな当たり前のこと言ったって、依頼料はまけないよ。だいたい、アンタまだ大学生じゃないのかい。うちの依頼料は安くないよ」
「心配いりませんよ。こう見えてもちゃんと働いてますんで」
そう言ってチラリと私を見たかと思うと、驚いたように目を見開いた。
「でかっ!」
それが何を意味するか……。その視線から明白にわかった。男の目線は、間違いなく私の胸に釘付けになっていたからだ。
「はわっ!?ち、ちょっとあなた、しし、失礼で……」
いつもなら黙って下を向いてしまう私だったが、なぜかその時は頭に血が上り、言い返さずにはいられなかったのだ。
「だろ?この子は昔から巨乳でね。んで、肝心の依頼内容ってのは?猫猫飯店からおおよそのことは聞いてるけど、直接聞いたほうが間違いはないし、もう一度話してくれるかい」
そんな私を見かねたのか、リルさんは場をとりなすように話を進める。男はそんな私の感情に気付いたのか気付かないのか、何事もなかったように話を進める。そしてそれがまた、私の感にさわるのだ。
「ま、なんて言ったらいいのか……、正直信じてもらえるかどうか、夢だって言われちゃえばそれまでなんですけどね……」
そう言うと、少しばかり真面目な顔付きになり、男は語り始めた。
☆ ☆ ☆
それは、少し前から始まったのだという。初めは、ただの空耳かと思っていたそうだ。だが、男……、名を『鬼龍院 光一』といい、歳は23歳らしい。は、真夜中にふと目を覚ますと、確かに自分を呼ぶ声を聞いたのだそうだ。いや、はっきりと自分の名を聞いたわけではないが、なんとなくそう感じたらしい。
『……ゃん、……ちゃん』
だが、周りを見渡しても誰もいない。もしかしたら家族の誰かが声をかけているのかと、部屋のドアを開けてみても、やはりそこには誰もいない。目の前には、誰もいない薄暗い廊下が続いているだけだ。
そもそも両親は仕事で海外に行って留守だし、二人の妹も現在は大学近くのマンションに住んでおり、家には誰もいないはずだ。それに、庭付きの一軒家である以上、隣家の声がこんな間近で聞こえるはずもない。部屋の中には、自分の作品であるアートミラーがところ狭しと並んでいるだけだ。そして、その鏡に映るのも自分の姿だけである。
やはり気のせいだったかと思い、その日は再び眠りについたのだが……。
「ああ、アートミラーってのは、いわゆる鏡の飾り付けや、機能以外に美術品的な要素を付加したもので、僕はその作品作りを仕事にしてるものですから」
「ん?ちょっと待ちな。鬼龍院って名前で鏡職人って……、ア、アンタまさか、鬼龍院グループの……」
「リルさん?この人を知ってるの?」
「知ってるもなにも、コイツは世界規模で様々な事業を展開してる、鬼龍院グループの御曹司だよ!何を思ったか知らないけど、一人息子は鏡職人になったって。作品だって、世界中で高い評価で売れてるっていうし」
「はわっ!?こ、この人が……」
私はさすがに驚き、あらためて目の前のいけ好かない男の人を見る。よく見れば確かに、テレビとかで見たことのある顔だ。け、けど、どんなにお金持ちだろうが人格には関係ない。なんだったら、銀華さんのお母さんだって世界規模の大富豪なんだし、負けないだから!
よくわからないことで憤慨して勝負する私の気持ちなど、当然知る由もないだろう。涼しい顔で男は話を続ける。
「ハハハ、確かに僕は鬼龍院の人間ですけど、それは関係ありませんよ。僕はあくまで一介のアーティストのつもりですから。もっとも、環境に恵まれなければこんな仕事は出来なかったかもしれませんがね」
意外に謙虚な答えに、私はこの人を少しばかり見直した。私と少ししか年齢が違わないのに、すでに自立して頑張っているのだ。ちょっとばかり先ほどの態度を反省する。
「ま、僕の実力あってのことですから、遅かれ早かれ世界に羽ばたいていただろうし、家は関係ないんですけどね」
前言撤回!やっぱり自信家の嫌なヤツ!
「んで?話を元に戻そうか。その後の話だよ」
「ああ、そうっすね……」
私はこの時、もっと依頼者を冷静に見るべきだったのかもしれない。蛭にとり憑かれた弘美ちゃんの状態を見抜いた、緋色さんのように。
だが、私は気付かなかった。男の表情に混じっていた、焦りとも喜びともつかぬ微妙なものに……。