その1
「まったくアンタは……。いつまで怒ってるんだい?」
「だ、だって、あんな失礼なうえに不誠実な人……。そっ、それにあんなの、セ、セクハラじゃない!」
「別にあれくらいいいだろ?世の中にゃいろんなタイプの奴がいるんだし、見方によっちゃあモテるってのも男の甲斐性だよ。それに、セクハラったって可愛いもんじゃないか。成田だって似たようなもんだろ。それに、アンタにはなるべく会わせないようにしてたけど、なかには体目当ての、ホントに依頼に来たのかっていうような酷い狒々爺だっているんだからね」
「成田さんは全然違うよ!そりゃあ態度はアレだけど、ホントは奥さんと凛子ちゃん一筋だし。そっ、それに、リルさんが昔からそういうことに気を使ってくれてたのは、なんとなくわかってるよ。目つきがいやらしい人とかが来ると、さり気なく私を席から外してくれてたし……」
「ま、過保護にしすぎて、それが裏目に出たってことかね。普通の男に対する免疫ができなかったってことかい」
「そっ、そんなことないよ!そもそも、あんなのが普通のわけないでしょ。だって、世の中には緋色さんみたいな優しくて、紳士的な男の人だっているんだから。絶対あの人が嫌な人なだけなんだから!」
私の名は『犬神 狗巫女』。19歳だ。年齢の割におばあちゃんみたいに白いものが混じった灰色の髪の毛、引っ込み思案な性格、お洒落は……、昔よりちょっとばかりするようになった。あとは、周りの女の人達と比べて随分と大きい胸が特徴の、ごく普通の女の子だ。
そう考えると、私は14歳の頃からほとんど変わっていない。いや、身長が伸びた分、多少胸が目立たなくなって、体のバランスは少しは良くなったのだろう。ただし、精神的な部分が成長したかと言われれば、それは自分でも口篭ってしまうところなのだが……。
とは言ったものの、やっぱり私はごく普通の女の子ではないのだろう。
私が普通の女の子とは決定的に違うもの。それは、頭上に生えた犬の耳と、お尻の辺りから生えている大きな尻尾である。誰がどう見たって、一目で人間では無いとわかるだろう。
そう、私は怪、『犬神』なのだ。
もちろん怪だからといって、世の中から隠れてひっそりと生きているわけではない。そもそも、人もそうでないモノも、皆法律の下に平等に扱われるという『生物平等基本法』のおかげで、私達は普通に人間社会で暮らしている。
すでに法律が出来て、15年くらいにはなるのだろうか。全てが平等で偏見がない世界だとは言わないけど、それでも私自身は、それほど嫌な思いをしたことはない。それはきっと、リルさんを初めとして、出会った人達に恵まれたからだろう。
もっとも、私は物心付いた時から怪が集められた施設にいたし、法律が出来た当初のこともよく覚えていない。だから口には出さないだけで、きっとリルさんは私よりも、もっと苦労をしてきたんだと思う。
「やれやれ、何かと言えば緋色緋色って……。最初にあんな出来すぎなのに出会っちまったのが、あんたの不幸か……。そんなにアイツが忘れられないんなら、いっそのことあの馬鹿猫から奪っちまえばいいだろ?そんでアイツも、うちで働きゃいいさ。そうすりゃあの馬鹿んトコに行く仕事も、バンバンうちにくるだろうし。略奪愛ってのもいいんじゃないかい?」
「りゃ!?りゃりゃりゃ……、略奪愛って……。そそそ、そんなことするわけないでしょ!なに考えてるの!?」
涼しい顔で私にとんでもない提案をしてきたのは、リルさん。もちろん私がそう呼んでいるだけで、本名ではない。名を『フェンリル』といい、わたしより6つばかり年上の25歳だ。地味な私と違って、長い黒髪と褐色の肌、セクシーな着こなしとナイスバディが特徴の、美人でお洒落な大人の女性である。そしてその正体は怪、『人狼』だ。さらには、私が働いているこのオフィス、『黒狼探偵社』の社長でもある。私は、その一番助手を務めているのだ。
などと偉そうなことを言っても、私一人しか助手はいないのだから、一番も二番もないんだけど……。
そして探偵社の名が示すとおり、ここに持ち込まれる様々な難事件から、時には探し物なんかをするお仕事だ。ただし、ちょっとばかり変わっているのは、ここは人間以外のモノが起こす怪事件を専門としている。
界隈ではリルさんの優秀さは知れ渡っているし、あちこちで引っ張りだこだ。でも、ここのところ少しばかり仕事量が減っているのだ。なぜかといえば、その原因は向かいのビルにあった。
『猫猫飯店』。向かいにあるビルに掲げられた看板である。一見すると中華料理屋さんみたいな名前だし、私だって最初に見た時はラーメン屋さんを想像したものだ。
でも、そうではないのだ。ここの店主は『銀華』さんといって、れっきとした猫又さんである。さらには、銀華さんが生業としているもの……。それは、私達と同じ探偵業なのだ。それも、怪異事件を対象とした……。
それがどういうことかといえば、早い話が同業他社、商売敵、ライバル同士なのである。
そして、目下のところ猫猫飯店はひっきりなしに依頼が舞い込み、満員御礼商売繁盛笹もってこい状態なのだ。そしてそれとは反対に、黒狼探偵社への依頼は少しばかり減っているのである。5年前とは反対に……。
なぜそんなことが起きているかといえば、ひとえに銀華さんの実力……、というわけでは無い。いや、けっして銀華さんをけなしてるんじゃない。ちゃんとお仕事をするし、私なんかとは比べ物にならないくらい可愛くて明るくて、商店街の人気者だ。
ただ、探偵としての能力からしたら、リルさんのがちょっとばかり……、いや、正直に言ってしまえば、ちょっと×5倍くらい上かもしれない。
そんな猫猫飯店になぜお客さんが流れているかといえば、それはひとえに銀華さんの助手の存在が大きいのだろう。ううん、もう助手なんて言ってしまっては失礼か。そう、その人は、今や立派な銀華さんの旦那さんなのだ。
彼の名は、『御門 緋色』さん。銀華さんの夫にして、日本一の怪異調伏集団、『御門家』の跡取り息子であり、本人の実力も歴代御門で一、二を争うと言われるほど。さらには、神仙と謳われる伝説の怪、『空狐』を式神として扱う実力者であるうえに、優しくて、カッコよくて、誠実で、正義感が溢れて、精悍な瞳で、まるで王子様みたいで……。
コ、コホン。後半はちょっと私の個人的な感想が漏れちゃったけど、とにかくそんな凄い人なのだ。そんな人がいるのだから、皆が猫猫飯店に依頼に行くのは当然だろう。私だって助手の差を比べたら、こんなポンコツ犬神がいる黒狼探偵社よりも、緋色さんのいる猫猫飯店を選ぶからだ。
でも、猫猫飯店は数年前から仕事量を減らしている。それは、風太君と風華ちゃんっていう、可愛い赤ちゃんが産まれたからだ。断る理由として、生まれてきた子やお母さんである銀華さんに配慮してのことだという。
けれど、正直それは建前だって思ってる。なぜなら、本当はほとんどの事件ならば、緋色さんと空狐である、『クーコ』ちゃんで解決できてしまうからだ。でも、そのおかげでウチに来る仕事はまた徐々に増えている。
きっと二人は、私とリルさんに気を使ってくれたのだろう。それに、銀華さんが育児で手が離せない時は、こちらに気を使わせないようさも困ったように助けを求めてくるし、報酬もちゃんと半分ずつに分けてくれるのだ。それこそが銀華さんと緋色さんの優しさである。
リルさんだって、『馬鹿猫んトコのおこぼれなんかいらないよ!』って毒づいてるけど、内心は感謝してると思う。
まったく、そんな優しいことばかりしてくれるから、いつまでも緋色さんが気になってしまうのだ。そもそも、私達はすでにフラレているのだし、私だって今更そんなことをする気もない。それに、さっき私が言ったとおり緋色さんは誠実な人だ。銀華さんを裏切るようなことは絶対にしない。
「いやいや、緋色だって男だよ。あの馬鹿猫には無い、アンタの武器を使って迫られたら……。それに、家事だってほとんど緋色がやってんだよ。家庭的なアンタの魅力にコロリと……、ってこともあるんじゃないかい?」
私の考えることなどお見通しなのか、リルさんはニヤニヤしながらこっちを見ている。
確かに……、銀華さんには無い武器。あのペッタンコ……、いや、慎ましやかなお胸と違って、私のおっぱいは……。一瞬頭によぎった邪な思いを、慌てて振り払う。
「もう!別に私は、今さら緋色さんとどうこうなりたいわけじゃないんだから。それに、もしもそんなふうになれたとしても、今は銀華さんや、風太君と風華ちゃんに普通に会えなくなっちゃうことほうのが辛いから。それはリルさんだってそうでしょ?」
そう、もしも奇跡のようなことが起きて、緋色さんが私に振り向いてくれたとしても、やっぱり私は突っ走ることなどできないだろう。
なぜなら、私を「わんわん」と呼んで懐いてくれているあの可愛らしい子達や、親友である銀華さんを裏切るような真似だけは、絶対にしてはならないからだ。
「ハッ、アタシはあの馬鹿猫の顔を見ないで済むと思うと、せいせいするけどね」
「またそんなこと言って……」
リルさんと銀華さんは、相変わらず顔を合わせれば口喧嘩ばっかりしている。でも、本当は二人がお互いをどう思っているのか、私にはわかっている。それは、5年前に確かに二人が口にしたのだから……。
「さて、それよりもどうすんだい?アンタがどうしても嫌だってんなら、断ってもいいんだよ。それに、緋色も気にしてたけど今回の犯人はおそらく……。アンタにとってもトラウマがあるだろうしね」
「う……。で、でも、せっかく緋色さんが仕事を回してくれたのに……」
「ま、それほど危険じゃないって踏んだから、こっちに回したってのもあるだろうけど、それでもアンタのことは気にしてたんだ。無理せずに、断ってくれてもいいって」
「でっ、でも……」
正直、依頼者のことも好きになれないし、話を聞くかぎりは私にとっては嫌な思い出のある事件に近い。だが、緋色さんの好意を無駄にすることはしたくないし、なによりここで断れば、黒狼探偵社の……、リルさんの名前に傷が付く。私が馬鹿にされるのは一向に構わないが、それだけは避けなければならない。
「だっ、大丈夫!この依頼、受けます」
「アンタ……。ハッ、それでこそアタシの片腕だね」
私を心配しながらも、一人前の助手として見てくれるリルさんの視線は暖かく、勇気が湧いてくる。
「そ、それじゃあ、不思議、怪し、妖怪、幽霊、この世の不可思議困り事、黒狼探偵社社長『フェンリル』の一番助手、『狗巫女』の名にかけて、万事解決してみせまひゅ!」
「アンタねぇ……。カッコつけたところで噛むんじゃないよ」
やっぱり、私に銀華さんの真似はまだ早かったようだった……。