編みこむ魔法の指
彼女の指は魔法の指だと思う。化粧台の前に立ち、後頭部を編みこんでいる彼女を眺めていた楼麻はそう思った。愛しい恋人という贔屓目を抜きにして。
細く、絡まりやすい柔らかな髪。たまに結び目のできている一本を見かけることのあるそれを、彼女は見えない後頭部であるにも関わらず、器用に編みこんでいた。
「ごめんね楼麻君、あと少しでできるから」
「気合い入ってるやつみたいだし、ゆっくりやってろ」
手持ち無沙汰にソファで待っている楼麻を気遣ってか、彼女──織歌は編んでいる手元を動かしながらでも振り返り声をかけてくる。まだまとめられていない三つ編みが両端で揺れ、その不格好さ、というよりは可愛さか。楼麻は顔には出さないようにして、再び鏡と向き合う彼女の後ろ姿を眺める。
よくもまあ、振り動かしながら編めるものだな。もう少しでハーフアップができるところまで進んでいる編みこみを見ていた楼麻は同じようなことを思った。
そうして一つ、気が付いたことも。
「最近増えたやつか……」
何気なく呟いてしまった一言に反応した織歌。悪事が発覚してしまったような顔でゆっくりと振り向くその頭の横を、毛先がちらついた。
「もしかして……画像見た……?」
「女の後頭部ばっかりで何かと思ってな、悪い」
いつの間にか、先程まで編んでいたらしい部分は片付いたらしく、織歌は一旦頭から両腕を下ろす。悪びれた様子もない楼麻といえば、気が気ではなく困ったような彼女の頭で揺れている毛束たちから、完成形を予想していた。覗き見てしまった画像フォルダ、たまに同じ画像が保存されているという愛嬌の中、その組み合わせを。
「別にいいんだけど、邪魔なら移動するね」
「共用でもお前メインのパソコンなんだしいいだろ」
「んー、そっか……」
まだ困った表情は抜けきっていない織歌だったが、楼麻を待たせたままにはしておけないと、鏡を向き直る。そのまま下ろしてある毛束を耳周辺から掬うと、ハーフアップをするように束ね、中心から二つに割ったその隙間に、外側から結んだ箇所を入れ込み、ねじれさせる。くるりんぱ、というセットだ。
続けて、両端に残されたままの三つ編みをそこに差し入れ、後頭部を直接編みこんでいた束も新たに、全ての毛束を上手く合わせるように縛り直す。
そうして緩いヘアゴムの位置を上げ、織歌は鏡の前でたるみがないかどうかを、頭を左右に振りながら確認し、最後の仕上げを。
「──あ、やってくれるの?」
「一緒に出る時にしかできないからな」
ソファを立っていた楼麻は、化粧台に置いてあったヘアアクセサリーを取る彼女の手を取り、やんわりとだが、その手からアクセサリーを奪い取る。鏡の前に立ったままである織歌の真後ろ、仕上がったハーフアップに目を落とす楼麻は、笑みを漏らさないようにと耐えていた。まるでスタイリストにでもセットしてもらったかのような綺麗な出来栄えのそれは、自分と外出をする時に限るもので。また、毎年季節ごとに変わっていく髪型は、若干の変化が加わる。
そんな特別感からか、どうにもにやけそうになるのを再度堪えるように、楼麻は自身で思い浮かべていた完成形との違いを見つけることと、彼女に意地悪を言ってみることで気を紛らわせることにした。
「俺もお前の後頭部をコレクションしてみるかな」
「え、やめてよ。画像と見比べてこここうしたんだなーとか思うんでしょ?」
「どうだかな」
案の定、鏡の中の彼女は、同じく鏡に映る彼に向かい困ったような顔で抗議をしてくる。楼麻の手が髪に触れているせいか、振り返ったり頭を動かしたりすることは控えたらしい。
楼麻はやっと、アクセサリーをつけるためにヘアピン型のそれを開いた。ピン全体を覆う柔らかな桃色のフェルト生地、上には細かく桜模様の刺繍が施されている。彼女よろしく柔らかな印象のそれを、結び目の真上に上手い事差し込んで留める。
できたぞ、と楼麻は指先で彼女の背中を押すようにして叩く。すると織歌はぱっと振り向き、片手でピンを確かめるように頭へ持っていくと、ありがとうと満面の笑みになる。
「じゃあ行くか」
「うん」
バッグやら念のための上着やらを持ち、先に玄関へと向かう織歌の後ろ姿を眺めていた楼麻は、ついに笑みを漏らした。それこそ、探せばこのくらいできる女はいくらでもいるのだろうが、彼女ばかりは特別な指を持っていると思ってしまうのは、やはり贔屓目が過ぎるのか。楼麻は改めて思い直す。
普段並んで歩くか自分が先導したりと、彼女の頭を見る機会は少ないというのに、仕上がっていく過程を最初から眺めていたからか、ピンをつけるだけという最後の仕上げをやってみたからか、自分と並ぶ時のために編まれた髪共々、彼女への愛しさが増していく。
たまにはその姿を眺めるために、彼女の先導で出歩くのもいいかもしれないと、彼は玄関から自分を呼ぶ声を聞きながらもう一つ、微笑んだ。ああ、これならば彼女の指は魔法の指で間違いない、と。