第47話 なぜ?の嵐(解決編1)
一週間後。十二月十四日。
「あれはすべて夢だったんじゃろおか……」
病院の夕食を終えた望美は、白いベッドの上でぽつりと呟いた。
岡山市内の総合病院の個室。そこが彼女の入院先だ。
細い体に身に纏っているのは、淡いピンクの病院着と下着。他は栄養剤の点滴チューブが一本だけ。
既に、包帯も生命維持装置の類も取れている。
奇跡的な回復力だと、主治医も驚愕していた。
体に痛みもまるでない。まるですべてが嘘だったかのように。
そう、嘘。冥土の土産屋まほろば堂も、死神との契約も。真幌も、忍も、黒猫の存在も。
すべては誤って駅のホームから転落し、生死の境を彷徨っていた自分が見た夢の中の物語だったのだろうか。
ここまでハナシを引っ張っておいて、今更そんな夢オチがありえるのだろうか。
望美は疑問に思った。
絶縁状態の母は、相変わらず見舞いには来てくれない。
最期は母が涙ながらに病院に駆け付けて、そして自分は母に看取られながら天国へと旅立つ。そんな感動的なエンディングも、予想が外れてしまったようだ。
派遣切りにも合った。もう契約期限も過ぎている。つまりは無職だ。
おまけに継父の連帯保証人として数百万の借金塗れ。
ぼっちで崖っぷちな状態も、事故の前とまるで変わりはない。
その上、ここの入院代をどうやって支払っていけばよいのかを考えると頭が痛い。
いきなり夢の世界から、辛辣な現実に引き戻された望美だった。
ぼんやりと窓の外を見る。辺りは日も沈みかけて薄暗い。
そろそろブラインドを閉めようかと、立ち上がろうとした矢先。
扉をノックする音が聴こえた。
「はい、どなたですか?」
扉が開く。同時に、耳に覚えのある声が聴こえた。
「フッフッフッ。残念ながら夢オチじゃないんだよね」
「そっ、その声は!」
現れたのは小学校高学年生ぐらいの児童だった。
黒いパーカーを羽織ったファンキーファッション。
フードとサングラスを頭に被せ、ヘッドフォンを首にぶら下げている。子供にしては洒落た様相だ。
少年と目が合う。微笑む少年。澄んだ蒼色の瞳をしている。
ハーフかクォーターのように肌の色が白い。
まつげが長くて円らな瞳。幼いながらに、なかなか将来有望な美少年である。
「やあ。元気してるかい、のーぞみちゃん?」
「ま、マホくん……」
そう。真幌に憑依した黒猫マホが、少年の姿で病室へと訪れたのだ。
「だいたい、さっきから黙って心の声を聞いてたらさ。夢オチだの、薄幸ヒロイン死亡でお涙ちょうだいだのって。そんな安っぽくてくだらないありがちなエンディングを、このボクが用意しているわけないじゃん?」
相変わらずの上から目線な怠慢さだ。
「ねえ、ボクは神だよ? 神さま仏さまこのボクさまを、見くびってもらっちゃあ困るんだよね」
――って神は神でも、死神のくせに……。
望美はベッドの上から、少年に向かって叫んだ。
「じゃあ、どういうことか教えてよ! どうしてあたし生きてるのよ?」
何時もの調子で、しれっと答える少年。
「そんなの決まってんじゃん? ボクが神の力で奇跡を起こしたからだよ」
「だから、どうして? だって黒猫くん、あたしが死ぬことをあんなに望んでたのに?」
「フッフッフッ」
「ねえ、どうしてあたしの命を救ったの? 死者はけっして冥界から甦らない筈じゃなかったの? それとも以前言ってたみたいに……一旦助けておいて、今度は別の方法で死んでもらうって魂胆なの?」
以前の黒猫とのやりとりを回想する望美。
【「願いをひとつだけ叶えてくれるんでしょ? じゃあ、奇跡を起こしてよ。あたしの大怪我、きれいさっぱり元通りに治してよ」
「まあ、そんなのお安い御用だけどさ。でもさ、それでいいの?」
「いいに決まってるでしょ。勝手に殺さないでよ。こんなんじゃ、惨めすぎて死んでも死にきれないわよ」
「願いを叶えるんだから、のぞみちゃんの魂は頂くよ」
「……え?」
「そういう契約だからね。手に入れた魂は当然、冥土に送りつける。つまり怪我は治すけど、今度は別の方法で死んでもらうから」】
「なに言ってんだよ。だから違うって。だいたいのぞみちゃん、契約書に『あたしの大怪我、きれいさっぱり元通りに治してね♪』なんてヒトコトも書いてないじゃん?」
おちゃらけて望美の口真似をする少年。どこまでも人を食った怠惰な態度だ。
「それはそうだけど……」
「でしょ? 一旦殺して、やっぱり助けて、またまた殺す。なんで誰にも頼まれてないのに、そんなめんどくさいことしなきゃなんないのさ?」
「確かに……」
では、何故。死神の少年は魔力で奇跡を起こし、絶命寸前の望美の命を救ったのだろうか。
一連の少年の行動は、実に不可解で意味不明である。
「フッ、のぞみちゃん。じゃあ、そろそろ解答編と行こうか?」
望美は眉をひそめた。
「え、ええ」
ごくりと生唾を飲み込み身構える。
少年はパーカーのポケットから一枚の和紙を取り出し、望美に手渡した。
「これが奇跡の理由だよ」
怪訝そうな顔で、折り畳まれた和紙を開く望美。
「あっ、これは!」
望美が叫ぶ。冥土の土産の契約書だ。
おそらく自分が先日サインをした書類だろう。
「そう。しっかりと眼を見開いて、よーく文面を読んでごらんよ」
書類を受け取った望美は、まじまじと契約書に目を通した。
望美の目がぴたりと止まる。
「!」
仰天する望美。
書類を持つ手がわなわなと震える。
「そう、それがすべての答えさ」
「そんな……ありえない……そんなバカなことって……」
すべての謎が氷解した。
そこには彼女の想像を遥かに凌駕する、驚愕の真相があった。