第37話 店長の過去(4)
『なにやってんのよ真幌』
それは真幌の死んだ妻である美咲の姉だった。
『心配してずっと後を付けてきたのよ。馬鹿な真似は止めなさい』
美咲の死後、彼女の両親には拒絶された真幌だったが、姉だけは違った。
年の離れた実の妹を交え、幼い頃から姉弟同然で育ったご近所の坊や。今では義理の弟だ。
そんな真幌を、彼女はどうしても放って置けなかったのだ。唯一の理解者と言ってもいい。
高校卒業後は都会に移り、妹夫婦とは離れ離れになった姉だったが。
帰省したときなどは、こうして頻繁に様子を伺ったりしていたのだ。
突然引き止められた真幌は、一瞬驚いた顔をした。
しかし、すぐに無粋な表情を浮かべ義姉に言葉を放った。
『僕の事はほっといてよ……その手を離してよ……』
義姉はしっかりと真幌の肩をつかんで離さない。
病弱で繊細だった亡き妹と正反対で、姉は背が高くスポーツ万能で筋肉質。腕力も男勝りだ。
幼い頃は、よくプロレスごっこやヒーローごっこなどで泣かされていた真幌だった。
睨みを効かせて義姉が説得する。鋭い眼光だ。
『まったく、何時までもウジウジメソメソしててどうすんのよ。そんなんじゃあ、前に進めないわよ?』
『だからほっといてよ。前に進んだからって、なんになるのさ?』
真幌が義姉を睨み返す。
『大切な人はみんな死んだ。まほろば堂も借金まみれで閉店目前。こんな調子で前に進んだって、意味なんかないじゃないか。僕にはもう居場所はない。生きている意味なんてどこにもないんだ』
『ううん』
ゆっくりと頭を振る義姉。
『まほろば堂は大丈夫。そして真幌は死なない。これからも、まほろば堂を守ってしっかりと生きていくの。それが美咲の望む未来であり、真幌の宿命でもあるのよ』
『なんだよそれ。そんなことを彼女が望んでいるなんて……僕には到底思えない……』
悲痛な声。搾り出すように真幌が言う。
『だって美咲は、まほろば堂に……旦那で店主の僕に、過労死させられたようなもんじゃないか……』
美咲の姉は、切なそうな表情で義理の弟を見つめている。
『体の弱い彼女に、あんなに無理をさせて……それに最期の言葉も交わせなくて……僕や店のことを、きっと怨んで死んで行ったに決まってるんだ……』
『最期の言葉なら、ここにあるわよ』
義姉はレザージャケットのポケットから、一枚の紙を取り出した。
彼女の長いストレートの黒髪が吹雪と共に宙を舞う。
『……それは?』
『渡すの遅くなったけど、クリスマスプレゼントよ』
『クリスマスプレゼント?』
現在は二月半ばだ。妻の美咲が死んでもうすぐ二ヶ月になる。
バレンタインプレゼントの間違いではと真幌は思った。
『先日、ある人物から受け取ったの。真幌に読ませてくれってね』
『ある人物って?』
怪訝そうに聞く真幌。
『ええ、最初はとても信じられなかったんだけど……』
義姉は彼に紙を渡した。
『ちょっとひとことでは説明できないんだけど。ここには間違いなく、美咲の最期のメッセージが書かれてある。読んでごらん』
受け取る真幌。
和紙に書かれた書類だ。言われるがままに目を配る。
おもわず目が止まり、彼は驚愕の表情を浮かべた。
『こっ、これは!』
【契約書】
『そう、奥さんからのクリスマスプレゼント。ラブレターよ』
その契約書と称された書類には、真幌と義姉の見慣れた筆跡の黒い文字で、こう記し刻まれていた。
【契約書 私の魂と引き換えに、まほろば堂と主人の危機を救ってください。この店がいつまでも、彼にとってのまほろばでありますように。 20XX年12月24日 蒼月美咲】
『そ、そんなバカな……』
美咲の命日は十二月二十六日。倒れて意識不明で病院に運ばれたのは四日前の二十二日だ。
しかし筆跡は間違いなく美咲のもの。どう考えても不可解だ。こん睡状態で書いたというのだろうか。
呆然とする真幌に向かって、義姉が事情を説明する。
『美咲はね、死神と契約したの。そして、この契約書をアタシに渡した「ある人物」ってのは――真幌、アンタ自身よ』
『僕が……僕に……?』
*
そこまで聞くと望美は口を挟んだ。
「そうか。黒猫くんが店長に憑依して、店長に事情を説明するよう、美咲さんのお姉さんに託したんですね」
「そういうこと」
「そして……その店長の義理のお姉さんっていうのは……」
「そう」
中邑忍は視線を望美に向けて答えた。
「彼女の旧姓は中邑。美咲はアタシの実の妹よ」