第32話 あたしはそれでいいんです
「そこまでよ望美。暴走するのもいい加減になさい」
それは忍だった。
黒いヘルメットを脇に抱えたまま、望美に言う。
「話は店の外から全部聞かせてもらったわよ。ったく本当に困った子なんだから」
「……随分と耳がいいんですね」
まるで忍者だ。
望美と忍が互いに詰め寄る。
そんな最中、忍と対面している望美の背後から白い閃光が放たれた。
忍と対面している望美は、テーブル席の真幌の方へと振り返った。
「じゃあボクが教えてあげるよ」
真幌が少年の姿に変身している。髪が黒く、瞳は蒼い。あやかしの黒猫に憑依されたのだ。
「アンタは黙っときな」
ぴしゃりと言う忍。
少年がしれっとした態度で言い返す。
「別にいいじゃん、それでのぞみちゃん本人が納得するんだったら。お安い御用じゃーん?」
席から立ち上がる少年。円らな瞳でにこにこしながら、望美と忍に歩み寄る。とびきりの笑顔だ。
「ねー、のーぞみちゃん?」
ぶかぶかの藍染着流し姿。ちいさな手には、和紙の書類と万年筆がちゃっかりと握られてある。
少年は望美の顔を見上げながら、それらを差し出した。
「マホロの秘密。ボクが包み隠さず、ぜーんぶ教えてあげるからさ。さあさあ、だからこの契約書にサインを――」
望美が受け取ろうと手を伸ばす。
刹那。シュッっと風を切る音と共に、望美の脇を何かが掠めた。
「ぷしゃあ!」
猫のような奇声を上げながら、もんどり打って倒れる少年。
「えっ!」っと驚く望美。脇を見る。
ブラックレザーのロングブーツとパンツに包まれた長い脚だ。
忍のハイキックが、少年の顔面を捉えたのだ。
まさに疾風怒濤の早業である。
「なに勝手なことホザいてんのよ、このクソガキが!」
忍が睨みを利かせて倒れた少年を罵倒する。凄みがハンパない。
「黒猫くん、しっかりして!」
望美は慌てて彼に駆け寄り、しゃがみ込んだ。少年を抱きかかえる。
彼の目の前で、星や火花がちかちかと飛び交っている。どうやら失神した模様だ。
カウンター席にメットを置き、腕組をする忍。
「知らぬが仏よって、あれだけ釘を刺しておいたのに」
はあとため息を付いて、望美たちを見下ろす。
「まさか本人に直談判するなんて。随分と思い切った行動だわね」
「だって、どうしても聞かなきゃって思ったから……」
呆れた口調で忍が返す。
「それ聞いてどうすんのよ? 真相を知れば、それでアンタ幸せになって成仏できるっていうの?」
「あたしの幸せなんて、どうでもいいんです!」
少年の姿をした真幌を抱きかかえたまま、望美が強い視線で忍を見上げる。
「死神との契約代理店。こんな悪魔な業務を夜な夜なこなして。きっと店長、ひとりで色々と抱え込んでいる筈なのに……そんな店長の背中を見過ごして、あたし成仏なんてできません」
望美が首を横に振る。
「望美、アンタ……」
「心の内を誰かに打ち明けることで、店長の心の負担が少しでも軽くなれば……店長がすこしでも救われれば、あたしはそれでいいんです」
しばらくの沈黙の後、忍が重い口を開く。
「アンタ、そんなに真幌のことを……」
忍がまじまじと、望美を顔を見つめている。
「――アタシの負けね。そこまで言うなら、分かったわ」
根負けした忍は、意を決して言った。
「真幌の生い立ち、冥土の土産にアタシが教えてあげる」