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私ではない私  作者: 竹下舞
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3章 奈菜と宗助

 六月二十八日木曜日です。

 目を覚ますと、奈菜は時計を見ました。六時四十七分です。それから何をするでもなく、寝ころんでいました。そうしていると、さきほど見ていた夢を思いだし――岸辺に鯉がたくさんいて、人差し指をさしだすと、鯉に噛みつかれた、という夢を思いだし――それをもとにまた小説を書いてみようかと思いました。しかしすぐに、それは馬鹿げた考えであることに気づきました。

 そのうちミヨのことを考えていました。奈菜はミヨのことをそれなりに知っていますが、ミヨは奈菜のことを何も知りません。ミヨからすれば、名取奈菜という人物は存在していないも同じです。奈菜はミヨのことを考え、ミヨの将来を心配しました。そうしていると、ふと落とし物の封筒のことが思い浮かびました。ただ寝起きなので、思考はとりとめなく、すぐに別のことを考えていました。

 次に時計を見たときには、七時六分になっていました。奈菜はそれでも起き上がることはありません。居間からはテレビの音がかすかに聞こえています。奈菜の父はもうスーツに着替えていて、テレビのニュース番組を見ているか、あるいは朝食の支度をしているかもしれません。朝食の支度といっても、食パンをトースターで焼くだけです。飲み物は各自で用意するのです。

 奈菜は七時十分を確認すると、寝ころんだまま父から呼ばれるのを待ちました。父はいつも七時十分から二十分までのあいだに奈菜を呼ぶのですが、奈菜はそれを多少の緊張とともに待つのです。それはここ五年間――あるいはここ十年間――変わらないことです。この日は七時十三分でした。

「ごはん、できたぞ」と父は扉越しに言いました。

「はい」

 奈菜はすぐに起き上がり、洗面所に向かいました。そこで顔を洗い、台所に向かいしまた。そして冷蔵庫からオレンジジュースとマーガリンをとりだし、〈おはよう〉と言うこともなく、席につきました。父の方も無言です。

 二人はいつものように朝食を始めました。すなわち、二人とも〈いただきます〉と言うこともなく、パンに自分の好きなものをぬり――奈菜はマーガリンをぬり、その上に砂糖をふりかけ、父はイチゴジャムをぬり――食べ始めました。

 奈菜と父が食事中に交わす言葉は、天気の話題か、季節の話題か、近所の話題か、あるいは父の残業の予定くらいです。これらの言葉はいつも父の口から始まります。父がしゃべり、奈菜はそれに答えるだけです。だから会話が続くことはありません。二人はもう長いあいだそういう関係を維持しているのです。

 奈菜は父のことを軽蔑しています。父は奈菜に〈お前のためだ〉という言葉を何度も使い、そのたびに奈菜は〈どうして私のためになるの?〉と思いました。もし奈菜が父に反論していれば二人の関係はまた変わったものになったでしょうが、そうはしなかったので、そのうちに奈菜の中に軽蔑心がめばえたのです。

 中学三年生の春に、奈菜は父に〈一人暮らしをしたいから、高校卒業する年齢まで生活費を出してほしい。そのあとのことは自分でなんとかするし、迷惑はかけない〉と頼みました。奈菜はそれが許可されることはないと思っていました。父の偽善を確かめるために、そういう要求をしたのです。結果、奈菜の思惑通り、父は奈菜の申し出を拒否しました。それにより奈菜の軽蔑心は深まりました。

 奈菜が二十歳になった今では、その要求をしたことが大きな意味を持っています。奈菜は〈もしあのとき一人暮らしをさせてもらえていれば、今では父に生活費を払ってもらってはいない〉と言い訳ができるのです。すなわち学校にも仕事にも行っていない現状を肯定できるのです。しかし、父は父で別の考えを持っています。それは〈娘の生活費を出しているのは、娘が家事をしているからであり、それはおかしなことではない〉というものです。だから二人は金銭面に関しては衝突することはありません。

 それでも先週の奈菜の二十歳の誕生日に、ちょっとした衝突がありました。それ以来、二人の仲はいつも以上に静かなものになりました。

 だからこの日も、二人は静かに朝食をとっています。部屋にはテレビの音があるだけです。二人ともテレビの画面を見ることはありません。音を聞いているだけです。

 父はパンを食べ終えると、テレビを消し、新聞を開きました。奈菜はゆっくりと食べているので、まだ半分近く残っています。新聞もそうそうに、父はトイレに行き、それから〈じゃあ、行ってくるから〉と言いました。奈菜は〈行ってらっしゃい〉と返しました。二人はその挨拶だけはするのです。〈おはよう〉も〈いただきます〉も言いませんが、昔からの惰性のために、その挨拶だけはするのです。それでも二人の声には明るさはありません。

 父がいなくなると、奈菜はテレビをつけ、ソファーの上でパンを食べました。朝食はすぐに終わり、食器を洗いました。それから少し休憩したあと、服を着替え、外に出ました。宗助の家に行くつもりです。


 奈菜には友達が二人います。一人は千絵で、もう一人は宗助です。宗助は奈菜の恋人でもあります。

 宗助は社交性があって友達も多く、容姿端麗のために異性からの好感度も高く、それでいて女たらしではなく、裕福な家庭で育ったために正統的なマナーを習得している、そんな素晴らしい人です。しかし欠点が二つあります。一つ目は〈お金さえあれば人生は必ずうまくいく。少なからず僕の人生はそうだ〉という信念を持っていることです。そういう人は他人を見下す傾向にあります。宗助はその傾向が著しく、自分以外のすべての人を見下していると言っても過言ではありません。二つ目は、これは人生を左右する致命的な欠点ですが、これについては今は置いておきましょう。

 この二つの欠点は表面的には見えないものです。特に一つ目の欠点は、内部と外部で正反対の性質を持つものです。宗助はすべての人を見下していますが、だからこそ人に対して平等に接します。もし何人か尊敬している人がいれば、人に対して平等ではいられないでしょうが、すべての人を一律に見下しているので、自然と平等でいられるのです。もちろんこれは誇張です。宗助も完全に平等に接するわけではありません。ただ、おおまかに見ればそうなります。

 宗助が小学生の頃、教室内でいじめが起こりました。ある男子生徒の文房具が紛失したり教科書がゴミ箱に捨てられたり、という類のいじめです。宗助はそれを見かけると、いじめられっ子に積極的に話しかけました。そうすることにより、いじめられっ子もいじめっ子も見下すことができるのです。〈見下す〉という表現では下品な印象があるので、〈優越感を覚える〉という表現の方がいいかもしれません。宗助は正義感のために人助けをしたのではなく、優越感のために人助けをしたのです。結果として、幸運にもいじめはなくなり、宗助は先生や女子生徒から好感を得ました。

 中学生の頃にはこんなことがありました。宗助の家では血統書付きの大型犬を飼っていたのですが、その犬は他界しました。そのあと宗助は、両親と相談した上で、保健所の猫を四匹もらい受けました。そうすることにより、血統書付きの犬を買った両親を見下すことができるのです。しかし両親はそうとは知らず、そのことをたいへん喜びました。母は近所の人に息子の功績を風潮しました。父は医者なのですが、心優しい息子の話を患者にまでする始末でした。

 このように、たいていの人は宗助のことを人格者だと思っています。もし宗助のことを悪く思う人がいるとすれば、その動機は嫉妬でしょう。

 奈菜が宗助と会ったのは、千絵の紹介です。

 奈菜は千絵の友達を何人か紹介されましたが、宗助以外には友達になることはありませんでした。それは奈菜が携帯電話を持っていないためでしょう。今の時代には携帯電話を持っていないと友達になることは難しいのですね。逆に言えば、千絵と宗助が友達でいるのも携帯電話を持っているためです。宗助は千絵の同級生の兄の友達です。千絵と宗助は〈動物に対する関心が強い〉という共通点のために、それだけの距離があっても交流するようになったのですが、その交流は一時的なもので、二人はすぐに疎遠になりました。しかし携帯電話があったために、関係がとぎれることはなかったのです。そして千絵の気まぐれにより、奈菜は宗助と会うことになったのです。

 奈菜はどうして宗助と仲良くなれたのかわかりません。あるいは、どうして宗助から選ばれたのかわかりません。それは宗助の二つ目の欠点のためですが、奈菜は確信を持つことができません。


 上には強い光があり、下にはくっきりとした影がのびています。時刻は朝の九時です。住宅街は、朝の八時には騒がしさがありますが、九時になれば静かなものです。子供は学校へ行き、社会人は会社へ行き、大学生が騒ぐ時間ではないからです。

 奈菜は宗助の家に向かう道すがら、母について考えました。

 幼い頃は優しい母を想像していましたが、そのうち自由奔放な母を想像するようになりました。すなわち〈母はアバズレだったのではないか。病死したのではなく、男と心中したのではないか〉と思うようになりました。それは推測というより願望です。奈菜はそういう母を好みました。家庭的で社会に抑圧されている母より、情熱的で自由奔放に生きている母を好みました。しかしその一方で、自分は家庭的で正しい女性になりたいと思っています。それは、たとえば宗助の母のような女性です。

 宗助の母は、大学在学中に外科医と出会い、卒業を機に結婚しました。そして家政婦のいる家で暮らすようになり、すぐに子供を授かりました。だからこれまでに一度も仕事に就いた経験はなく――アルバイトの経験さえなく――一人暮らしをしたこともなく、家庭という小さな世界で生きてきました。

 奈菜は宗助からその話を聞かされたとき、その人は自分よりも仕事経験のない人だと思いました。奈菜には少なからずアルバイト経験があるのです。

 奈菜はいつしか宗助との結婚生活を想像するようになりました。宗助の母のような正しい女性として生きることを――子供を産むという最大の社会貢献をして、それ以外は社会と関わらないで生きる人生を――想像するようになりました。もしそれが叶えば、不登校や高校中退などの汚点を帳消しにできるのです。それどころか、今のように怠慢にあふれた生活をずっと続けることができるのです。

 やがて宗助の家に着きました。そこは小さなアパートです。大学進学にあたり、宗助の両親は息子にオートロック付きのマンションを選んでやりましたが、宗助はこじんまりとしたアパートを探し、両親に頼んで、そこに住むことにしたのです。それもやはり保健所の猫を飼うことにしたのと同じ理由です。

 奈菜はインターフォンを二度押し、待ちました。しかしいつまで経っても返事がないので、いつものように扉を開けて〈おじゃまします〉と言いました。玄関には靴が三足並んでいます。宗助は靴を三足しか持っていないので、家にはいます。ただ、よく居留守を使うのです。

 奈菜は靴を脱ぎ、奥の部屋に行きました。宗助はパソコンの前に座り、大学のレポートを書いていました。奈菜の姿を認めると、ひとこと挨拶をして、またパソコンに向かいました。

 奈菜はベッドに座りました。そのまま一分ほどキーボードを叩く音だけになりましたが、宗助はパソコンに向かったまま、こう言いました。

「そういえば、隣人が失踪して」

「シッソウ?」

「きのう大家さんが来て、〈霜月さんがどこにいるか知りませんか?〉と聞かれて。でも少し待ってて。もう終わるから」

 奈菜は本棚に手をのばし、適当にいくつかの本を手にとり、その中で表紙が最もシンプルなものを選びました。その本は動物の文化について書かれたものです。奈菜がその本に興味を示し始めたとき、宗助はレポートを書き終え、隣人が失踪した経緯について話し始めました。それは次のようなものです。

 隣人の名前は霜月理紗子です。家賃が滞納されていたので、大家さんは理紗子の部屋に催促に行きました。しかし理紗子はいませんでした。大家さんは次の日にも催促に行きましたが、またしても不在でした。結局、三日続けて不在だったので、隣に住んでいる宗助に理紗子の消息をたずねた、というわけです。

 宗助は理紗子と友達です。理紗子から〈老人ホームにボランティアに行きませんか?〉と誘いかけられたことから交流が始まりました。

 じつは奈菜は翌日に理紗子と会うのですが――しかもその出会いは仕組まれた必然なのですが――このときの奈菜はそんなことを知るはずもありません。その話はのちのちするとして、今は今のことについて話しましょう。

 宗助は奈菜に携帯電話の画面を見せました。そこには宗助と理紗子の笑顔の写真があります。奈菜はその写真を見ても、嫉妬することはありません。普通の恋人なら少しは嫉妬するでしょうが、二人は普通の恋人ではないのです。奈菜は〈隣人と交流しているなんて、映画みたいだ。しかもその隣人が失踪したんだから〉と思ったくらいで、特に嫉妬心は起きませんでした。

「部屋には荷物は残されてたの?」と奈菜はたずねました。

「残されてる。でも音信不通で、今頃は海の底かもしれない」

「海の底?」

「たとえばね。それか土の中かもしれないし、灰になってるかもしれないし、ホームレスかネットカフェ難民になってるかもしれない。年間の失踪者は十万人近くいて、その大半は一年以内に見つかるようだけど、数千人は見つからない。死んでいるか、本名のない生活をしているか、人身売買されたか」

「人身売買なんて映画や小説の中にしかないんじゃない?」

「本当にそう思う? 子供がいなくなれば懸命に探されるけど、多額の借金をかかえてる人がいなくなった場合には、自発的に失踪したと思われて探されることはない。げんに行方知れずの人が数千人もいるわけだし」

「その人は借金があったの?」

「借金はすぐにでも作れるものだし、家賃滞納は事実だから。でもそんなケースは稀だし、実際はインドかカンボジアあたりを旅行してるだけかもしれない」

「インド?」

「それかシンガポールか」

「シンガポールってどこだっけ?」と奈菜は話題を変えました。

「東南アジア」

「そうじゃなくて、どこの国の首都なの?」

「これだから中卒は」と宗助はあきれました。

「でも高卒の人に〈シンガポールはどこの国の首都でしょう?〉と問題を出したら、正解率は半分くらいじゃない?」と奈菜は弁解をしました。

 宗助は本棚から世界地図が載っている本をとりだし、奈菜の隣に座りました。

 奈菜はシンガポールが国名であることを知らされ、驚きました。そしてシンガポール人は英語だけでなく中国語やマレー語などもしゃべれることを知らされ、さらに驚きました。二ヵ国語しゃべれるだけでもすごいのに、三ヵ国語しゃべれることが当たり前な国があるとは思いもしなかったのです。

 話が一段落つくと、宗助は老人ホームにボランティアに行ったときの話をしました。そこで戦争の話をする老人に会ったのですが――一九四〇年代に東南アジアで戦争に参加して、二人の敵兵を殺した、という自慢話をする老人に会ったのですが――宗助はその老人の話をしました。ただ、奈菜には退屈な話でした。

 奈菜はふと、千絵の話を思いだしました。その話とは〈なぜ太平洋戦争が起きたのかという質問に答えられる日本人は少ない。それが日本の教育の実態だよ。歴史の授業では戦争に向かった構造を教えることはなく、ただ自国を中心とした出来事だけを教える。でも大事なのは歴史から学ぶことだよね、歴史を暗記することじゃなくて〉というものです。千絵はその話を得意げにしていたのですが、奈菜には退屈でした。しかし今、それをふと思いだしたのです。退屈な話でも記憶に残っていることはあるのですね。それでも奈菜は特に何かを思うことはありませんでした。

「腰は曲がってはなかったけど」と宗助は言いました。「手首はこれくらいの細さで、身長だって僕よりも十センチは低い。そんなお年寄りが人を二人も殺したことがあるんだから、とにかく驚きだった」

「老人ホームの人たちは何を話してるのかな?」と奈菜は話題を変えました。「いつも同じところで生活していて、話すことなんてあるのかな?」

「〈このあいだ来た青年がいたでしょう? ほらっ、ボランティアの人で、男前の人がいたじゃない?〉〈ああ、いたわ、気前がよくて、紳士的で〉〈そうそう、男前だったわよね、あの人〉みたいな感じじゃない? 年をとったからって人は変わるわけじゃないし、女子高生の話もおばあさんの話もだいたい同じだと思う」

「おばあさんになっても若い男をカッコいいと思うの?」

「おじいさんになっても若い女が好きな人はいる。〈あの娘のケツはたまらん〉とか」

 奈菜は笑いましたが、宗助がまた戦争の話を続けたので、また退屈になりました。奈菜にとって戦争は別世界のことなのです。動物園にいるパンダやホッキョクグマは同じ世界のものですが、老人ホームにいる老人は違う世界のものなのです。奈菜は同じ世界の話を聞きたいと思い、宗助に頼みました。

 宗助はゴリラの習性について話しました。

「ゴリラの群れは、一頭のオスと数頭のメスから成り立っている。だから必然的に多くのオスは余る。余ったオスは一頭で暮らすか、オス同士で集団を作って暮らすんだけど、ゴリラは同性愛をすることもある。その条件をふまえて、ゴリラに生まれるならオスとメスどっちがいい?」

「えっと、うーん」と奈菜は考えました。「というか、ゴリラ自体が嫌だな。それよりクマの方がいい」

「たしかに、ゴリラはいろいろと大変だよ。知能が高いんだけど、そのぶん神経質で、よく下痢をしたりする」

「ゴリラとかクマとか、そういう動物はなんのために生きてるの?」

「ただ生きてるだけだよ。〈俺はなんのために生きてるのか?〉なんて考えることはないし、習性に従って生きてるだけ。それは自我がないからではなくて。人間と動物の決定的な違いはなんだと思う?」

「なにかな。言葉を使うことかな」

「違う。イルカやクジラなんかだと音声によるコミュニケーションをとってるみたいだし。昔は道具を使うのは人間だけだと言われてたけど、チンパンジーも道具を使う。人間と動物の最も大きな違いは、差異を認識する能力だと思う」

「どういうこと?」

「簡単に言えば、動物は数をかぞえる能力がすごく低い。こんな実験があって。鳥の巣に卵が10あるとする。親鳥が見てない隙をねらって卵を1つ取り去り、親鳥が卵がなくなったことに気づくかどうか観察する。親鳥が気づかないなら、もう1つ取り去り、観察する。まだ気づかないなら、さらにもう1つ取り去る。それを親鳥が気づくまで行う。そうすることで、その鳥がどれくらいの数を認識しているかがわかる。6つ目を取り去ったときには気づかなかったのが、5つ目を取り去ったときに気づいたなら、5までの数を認識できることになる。その実験結果がどうだかは知らないけど、鳥はほんの少ししか数を認識できない。動物も同じだし、もっと言うなら、人間も社会がなければ同じだよ。日本で生まれた子供をアフリカの僻地(へきち)に連れていって、そこで育てたら、数をかぞえられない人間になる」

「人間は本能的には数はかぞえられない、というわけ?」

「先天的にはね。大昔の人間は農耕や牧畜はしていなかった。つまり食料生産することなく、食料採集していた。食料生産するようになったのは一万年前で、まあ、氷河期が終わって、動植物が増えて、農耕とか牧畜とかをするようになった。そこが人類最大の分岐点で、いわゆる新石器革命というやつだよ。それまでの人間はみんな数をかぞえられなかった。でも所有を始めた途端、みんな数をかぞえられえるようになった。それは脳が発達したというより、規律ができたからだよ。習性に従って生きていたのが、規律に従って生きるようになった」

「ふーん。じゃあ、人間と動物の違いって、規律じゃない? 規律ってルールのことだよね?」

「そうだね」

 そのようにして奈菜と宗助はベッドに座り、ゆったりとした時間をすごしました。二人は恋人同士ですが、口づけを交わしたことは一度しかありませんし、肉体関係は一度もありません。だから本質的には恋人同士ではないのかもしれません。それでも実際的には恋人同士です。

 宗助は同性愛者です。それが宗助の二つ目の欠点で、そのことを知っているのは奈菜だけです。宗助は大学に進学してから初めのうちは、友達に〈地元に恋人がいて、遠距離恋愛をしている〉とごまかしていました。しかし一生ごまかし続けるわけにはいかないので、奈菜を選んだのです。

 宗助が大学に行くと言うので、奈菜は駅まで送ってもらうことにしました。

 駅までは二人は何も話しませんでした。バイクに乗っていたからです。奈菜は宗助のバイクを降りたとき、人々から注目されているように感じ、優越感に包まれました。だからか、景色が輝いて見え、愉快な気分のまま歩いていきました。

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