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 その場にいる全員が石になっていた。流れている空気さえ動きを止めた。やはり秀馬が立っていた。目を大きく広げて愕然としている。

「しゅ……秀……」

 桔梗がゆっくりと近づくと一歩後ずさった。

「来るな。まだ母親だと思ってない」

「えっ」

 ダメージを受けたように床に座り込んでしまった。このままもう一度自分の息子になると期待していたのだろう。

「どうして……」

「どうしてじゃない。子供を家から追い出そうと考える奴を母親だなんて素直に呼べないだろ。俺がどんな目に遭ったのかわかるか」

「どんな目?」

 関わってはいけないとわかっているがすずなは口を開いてしまった。秀馬は鋭くきつい目つきで顔を向けてきた。

「理由も知らないまま屋敷には戻って来るなって言われて、会ったこともない夫婦に預けられた。わけがわからないけど頼れるのはその二人だけだから何度も話しかけたのに、一度も会話なんかしてくれなかった。完全に無視されて迷惑な存在としか見てもらえない。まだペットの方が大事にされてたし。飯と服と寝る場所と勉強道具だけしか与えられなくて、一体俺は何のために産まれてきたのかって思いで眠れなかった」

 ふとある記憶が蘇った。マンションに泊まった時、朝まで起きているのは慣れていると言っていたが、あれは徹夜などではなく深刻な現実に毎晩苦しんでいたからだ。秀馬がそれほど悩むのなら相当酷い日々を送ってきたに違いない。

「それでいきなり何の報告もなくアメリカに引っ越して、言葉が通じない世界で毎日家にひきこもってた。英語も教えてくれないから全部独学だよ。何年か頑張ってようやく話せるようになったら、妻が妊娠したから日本に帰れってあっさり切り捨てられた。屋敷に戻れるのかと思ってたらまた他人の家だよ。いい加減うんざりして誰とも口を聞かないって決めた。そうしたら向こうも嫌気が差してきてマンションを借りてやるからそこで一人で暮らしてくれだって。屋敷を出てから人間ってそういう生き物なのかっていろいろと学んだよ。食う物と住む場所があれば生きていけるんだってな」

 あまりの衝撃に言葉を失った。やはりすずなと同じく秀馬も穴に落とされたのだ。それもかなり深い穴だ。明かりなんか差し込んでこない場所で彷徨ってきたのだ。屋敷から追い出されただけでも怖いし不安なのに、助けてくれる人もいないままたらい回しにされ、自分の思いも聞いてもらえない。明日はどんなことが起きるのか怯えながら十年以上歩いてきたのだろう。それでは性格が歪んでしまうのも当然だ。

 桔梗も透也も指一本動かせない状態だ。しばらく誰も声を出さなかった。全身に雷が落ちてきて黙りこくっていた。

「……ごめんなさい……」

 桔梗は両手で顔を覆いながら震える口調で謝った。

「全部私のせいです。人として許されない最低なことを犯してしまった。今さら母親になんかなれない……」

「屋敷から追い出せって言ったのは俺だ。母さんは悪くない」

 すかさず透也が遮った。俯いて目を逸らしたまま話した。

「まさか高校で再会するとは考えてなかった。また屋敷に戻ってこないように母さんには一切教えなかった。完全に弟だと思ってなかったし。会話をする時は電話で、周りに誰かがいる時はばれないように顔を合わせるなと言って、絶対に帰って来るなって願ってた。もし他人に兄弟だって言ったら無理矢理退学させるつもりだった」

 だんだん頭がこんがらがってきた。置いていかれないようにあわてて声を出した。

「じゃあどうするんですか?これからは一緒に暮らすんですか。秀馬もこうして戻ってきたし」

「一緒に暮らす?」

 三人同時に聞き返した。こういうところで血が繋がっていると感じる。秀馬の顔を覗き込みながら繰り返した。

「お母さんたちも秀馬と同じで辛かったんだよ。秀馬だけが不幸だったんじゃないんだよ。もう過去のことなんか忘れて、またやり直せばいいじゃない。それに」

 一旦口を閉じてからはっきりと言い切った。

「人は一人で生きていけないってわかったんでしょ。家族と繋がれるなんて、両親がいないあたしにはとっても羨ましいことだよ」

 明らかに動揺していた。答えが見つからず戸惑っていた。さらにすずなは透也にも真剣な眼差しを向けた。

「透也先輩も、表とか陰とか考えるのやめませんか。血の繋がった弟が不幸な人生を歩むのが楽しいんですか。そうやって卑怯な手を使ってたら全然かっこよくないし、むしろもっと半人前に見えます」

 悔し気に拳を作ったが言い返す力はなかったようだ。確かにその通りだと気が付いたのだろう。最後に桔梗のそばに近寄った。

「昔は何の問題もなく過ごしてきたんですよね。また元に戻れますよ。あたしはお父さんもお母さんもいなかったけど寂しい思いをしていません。愛されてるって信じてるから。遠く離れていても家族なんですから。人は一人じゃ生きていけないんです」

「一人じゃ生きていけない……」

 呟きながら桔梗は小さく頷いた。瞼に涙が溢れ、頬を伝って零れ落ちる。

「……そうね。人は一人で生きていけないわよね……。一人ぼっちでいることがどれだけ悲しくて寂しくて辛いのかは、私が一番わかっていたのに……」

 海外で仕事をしていて帰って来ない英一郎が恋しくて泣いていた。すずなが秀馬と一緒にいないと生きていけないのと同じく、桔梗も英一郎がいないとだめなのだろう。だがそんな時いつもそばにいてくれたのは追い出してしまった秀馬だったのだ。

 

 

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