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 透也の淹れたお茶を飲むと、桔梗に笑顔が戻ってきた。

「秀馬は今でもお花を育ててるのね」

 懐かしむ口調で呟き、寂しげな笑みに変わった。

「あの子は好奇心が旺盛でいろんなことに興味を持つ性格だった。そしてとっても思いやりがあって、泣いている人がいたら放っておけないしわがままも一切なかった。母親の私が言うのもおかしいけれど、本当に頭が良くて心優しい男の子なの。堀井さんも秀馬がどんな人なのか知っているでしょう」

 そうですね、と素直に頷けなかった。この母親は息子の本性を知らないようだ。仮面を被っているのは透也ではなく秀馬の方ではないか。だが違うと言えるわけがない。

「ええ……、知ってますよ……」

「秀馬はよくできた子だっていろいろな人たちに褒められて、私も誇らしかったわ」

 ではなぜ追い出したのだろうと疑問が浮かんだ。とても愛しているのに離れ離れになってしまった理由は何なのか。

「そんな大切な秀馬にあんなことをして、私は最低な母親だわ。透也も裏切って本当に酷いことをして……」

「母さん、落ち着いて」

 透也が声をかけると桔梗は俯いた。すずなは言葉が見つからず、ただ座っているだけだ。

「ごめん、すずなさん。気を遣わせて」

「いえ、あたしは全然構わないので」

 ふるふると首を横に振った。それよりももっと話が聞きたくて仕方ない。

「母さんもお客さんが来てる時に泣いてたら失礼だよ」

 そっと桔梗は顔を上げた。大きな瞳がうるうると濡れている。こんなに会いたがっているのにあの男は何をしているんだといらいらした。

「あの、酷いことって何ですか?聞かせてもらえませんか」

 口走ってしまったが、もう我慢の限界だった。

「秀馬は自分のことについて絶対に話してくれないんです。いつになったらわかるのか、もやもやしてるんです」

 じっと見つめると桔梗は戸惑った表情で考えてからゆっくりと話し始めた。

「……隠しごとがばれるのが怖くなったんです」

「隠しごとって?」

 首を突っ込んではいけないとわかっていたが止められなかった。

英一郎えいいちろうさんが、ずっと海外にいてあまりにも寂しくて」

「英一郎さん?」

 目を丸くすると横から透也が答えた。

「俺たちの父さんだ」

 秀馬と透也の父親の名前は英一郎というのか、と少しどきりとした。

「英一郎さんの仕事場はいつも海外で、もう十五年以上日本に帰って来てないわ。最初は写真やお手紙を送ってくれたけど、忙しくなったのかすぐに途絶えてしまったの。だから透也も秀馬もお父さんにほとんど会っていないのよ。子供を育てるのは私だけ。とても可哀想なことをしたわ」

 意外な事実に驚いた。すずなも父親がいなかったが、二人も同じ環境で育ったのだ。

「だから悲しくなって落ち込んで、自分は孤独だって泣いてしまうの。けれどそんな時は必ず秀馬がとなりにいてくれた。父さんがいなくても俺が一緒にいるじゃないかって励ましてくれた。私が大好きなお花を一生懸命育てて、母さんは笑ってないとだめだって叱られたりね」

 まさか秀馬が誰かを思いやるとは想像できなかった。昔は冷たくなかったのか。花を育てるきっかけも桔梗が泣いている姿を見たくなかったからだ。

「秀馬に何度助けてもらったか数えきれないわ。いつもいつも私に気を遣って護ってくれた。私も秀馬を可愛がって、幸せな日々を過ごしてきた。それなのに私はとてつもない罪を犯してしまった」

 すずなは無意識に体に力を込めていた。次に聞かされることに動揺しないためだ。一旦口を閉じてから桔梗は消えそうな声を出した。

「どうしても寂しくなって、他の男の人と関係を持つようになったの。おかしなことはしていないけど、こっそりと夜に会いに行ったりしているうちに本当に好きになってしまった。子供たちにばれなければ、どれだけ一緒にいても大丈夫だって安心してね」

 要するに不倫のようなことをしてしまったのだと感じた。汚れのない女性が秘密を作ってしまったのが残念でならない。

「でも神様はいるのね。ある日その人と腕を組んで歩いていたら、秀馬とばったり会ってしまった。すぐに逃げ出して、名前を呼んでも一度も振り向かなかった。裏切られていたことを知って傷付いたんだって信じられなかった。もしかして誰かに話すんじゃないか、ものすごく怖くなったわ。今まで幸せだった家庭がばらばらに崩れるなんて絶対に嫌だもの。しばらく子供がいない知人の家に預けて離れることにしたの」

 秀馬を追い出したのは秘密を守るためだったのかと驚いたが、今度は透也が口を開いた。

「でも子供を簡単に家から出せる勇気なんかないだろう。秀馬を追い出そうと決めたのは俺だ。生まれつき秀馬は何においても優秀で俺は足元にも及ばなかったよ。自分の弟がすごい人間だって誇らしかったけど、母さんが佐伯家の自慢の息子は秀馬だって褒めているのを偶然見て、一気に嫉妬に変わった。こいつがいるせいで俺は陰になる。こいつがいなくなれば表に立てるのにって悔しくて叫びそうになった。そこで、もう秀馬は一人でも生きていけるからこの屋敷から出て行っても平気だって母さんに言ってみた。もちろん聞き流されると諦めていたけど、本当に母さんは秀馬を追い出したんだ」

 心の中が凍り付くように冷えていった。たまたま桔梗と透也の想いが一致して、秀馬は何も知らないまま地獄に突き落とされたのだ。 


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