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 屋敷の前に透也が立っていたので佐伯家はすぐに見つけられた。

「すずなさん……」

 驚いて目を見開いた透也を睨みながら、すずなは冷たいナイフを投げた。

「やっぱり秀馬と兄弟だったんですね。嘘ついてたんですね」

 叱られた子供のように下を向いた。完全にすずなの方が立場が上だった。

「悪かった。酷いことをして」

 黙ったまますずなは見つめた。許すつもりはないが今はそれよりも重大なことがあるのだ。

「秀馬はどこにいるんだ?どうして来ないんだ」

 そっと顔を上げて聞いてきたので、ため息を吐いてからすずなは口を開いた。

「行きたくないって拗ねてるんです。だから代わりにあたしが来ました。意味がないのはわかってるんですけど」

 やはりそうかという顔で透也も息を吐いた。

「秀馬、バカですよね。せっかく帰ってこれるのに、ずっとマンションで暮らしていくなんて。何であんなに後ろ向きなんだろう……」

 突然バタンと音がし、はっとして口を閉ざした。屋敷の扉から紅い花模様の和服を着た女性が出てきた。以前屋敷に泊まらせてもらった時にすずなが着た和服だった。

「あの人は……」

 言ったが透也の耳には入らなかったらしい。すぐにそばに行くと何か小声で話しかけた。女性は目を丸くしすずなの方へ顔を向けてきた。そしてゆっくりと近づいてくる。女性の肌は雪のように白く髪は艶やかな黒で大きな瞳が特徴的だ。秀馬と透也の瞳と一緒だ。和服の着こなしも立ち姿も美しい。

「あの、空港でお会いしませんでしたか」

 澄んだ水がさらさらと流れる声だった。緊張の糸が全身に絡みついた。

「え……?空港?」

 アメリカに戻る芹奈の見送りに空港に行った時、背後から来た女性にぶつかって倒れてしまった。確か芹奈はお金持ちのお嬢様みたいと言っていた。

「ごめんなさいね。お怪我しませんでしたか?」

 とてつもない圧力に耐えきれず首を横に振ることしかできなかった。まさか既に出会っていたとは。

「そう、それならよかった」

 にっこりと微笑み、すずなは一歩後ずさった。あまりにも美しすぎて何もかもが完璧で、まともに会話をすることができない。こんなに素敵な人が秀馬と透也の母親なのか。秀馬の彼女の理想が高いのもこのせいだ。すずなとは雲泥の差で無意識に目を逸らしてしまった。

「あなたが堀井すずなさんね。秀馬とお付き合いしているそうね」

 あれがお付き合いといえるのだろうかとぐるぐると考えた。まだ彼女には認めていないし、恋人同士のデートだってしていない。はっきりと好きだと言ってもらっていないし、可愛いと褒められたこともない。

「そ……そうです……」

 消えそうな声で答えると、ぎゅっと手を握られた。柔らかくて瑞々しい肌に触れてどくどくと鼓動が速くなっていく。どう見ても高校生の息子が二人もいる母親には思えない。すずなよりも若々しいと感じた。だが化粧などで若作りしているようでもなく、女として羨ましくて仕方ない。

「どうもありがとう。可愛いあなたが秀馬の恋人なんて嬉しいわ」

 これまで可愛いと言ってくれたのは有架一人だけだった。感激で涙が出そうになった。

「……ありがとうございます……」

 頭を深く下げて感謝すると、そっと抱きしめられた。暖かくて甘い香りがしてなぜか眠くなる。すずなは母親に抱かれたことがない。あったとしても赤ん坊の頃に起きた出来事など覚えていない。

「とりあえず中に入りましょう。透也、お茶の用意をしておいて」

 わかったと答えて透也は大股で屋敷に入った。たった一言であの透也を動かせるとは、やはり母親はすごい。

「自分の家だと思ってゆっくりしてね」

「いえ、そんな……」

 言いかけたがくるりと後ろを向いてしまった。

 自分の着ている服を見て恥ずかしくなった。もっときちんとした格好でメイクもしっかりしてくればよかったと嘆いた。今までずっと秀馬に女扱いされてこなかった理由がはっきりとわかった。


 以前も入ったことのある広すぎる和室に通され、卓袱台の前に座った。透也は台所でお茶を淹れている。

「まだ名前を言っていなかったわね」

 ごくりと唾を飲み込み拳を作った。戦うわけでもないのに力んでしまう。

「桔梗といいます。桔梗ってお花の名前なんだけど、知ってるかしら」

 はい、と頷きながら、やはり予想が当たったと考えていた。秀馬の一番好きな花が桔梗なのは、母親の名前だからだ。離れ離れになった母親が恋しくて会いたいと願っているのだ。

「花言葉は永遠の愛ですよね」

 そう言うと桔梗は嬉しそうに微笑んだ。

「そうなの。素敵な花言葉でとても気に入ってるの」

「あたしのお母さんの名前もお花の名前なんです。撫子っていうんです」

 勝手に口から言葉が飛び出してしまった。すぐに桔梗の目は大きくなった。

「そうなの?是非ともお話したいわ」

 にっこりと笑う桔梗を見つめながら、すずなは申し訳ない気持ちで首を横に振った。

「それは無理なんです。もう死んじゃったから……」

「えっ」

 桔梗は驚いた後に悲しげな表情に変わった。

「あたしが二歳の時に、お父さんもお母さんも死んでしまいました。あたしは姉と二人で生きてきたんです」

 話さなければよかったと後悔した。余計に気を遣わせるだけだ。

「でも寂しくはありません。たくさんの人たちと繋がっているから。そばに優しい人がいてくれるなら全然辛くないんです」

 秀馬とも繋がっていると言いそうになってあわてて口を閉じた。桔梗は秀馬に会いたくて仕方がないのだ。ここで名前を出すのはよくない。

「堀井さんは、しっかりと前を向いていて立派ね。私なんかすぐに泣いて落ち込んでしまうから尊敬するわ」

 そう言うと俯きながら弱弱しい声で呟いた。

「秀馬に会いたい。秀馬にごめんねって謝りたい。許してくれないのはわかっているけど、それでもあの子の顔が見たい……」

「母さんっ」

 透也が勢いよく駆け寄ってきて、桔梗の肩を掴み抱きしめた。

「大丈夫だよ。心配しなくても帰って来るから。日本にいるってわかって安心したって言ってたじゃないか」

「えっ、どういう意味ですか?」

 すずなが関わることではないが思わず聞いてしまった。ほんの少しでも秀馬について知りたい。

「秀馬はアメリカにいるってずっと考えてたんだよ。だから母さんは何年間もアメリカに住んで探してたんだ」

「何年間も?」

 アメリカに行くにはかなりの準備が必要だ。英語だって話せなくてはいけないし、住む場所も決めなくてはいけない。それほど桔梗は秀馬を想っていたのだ。

「だけど来てくれないじゃない。私のことを母親だと思っていないんだわ」

 産んでも育てないのは親失格だと秀馬は言っていた。励まそうとすずなも桔梗に話しかけた。

「頑張って産んでくれた人をお母さんじゃないなんていう子供はいません。必ず秀馬はここへ来てくれますよ。それに秀馬が一番好きな花は桔梗なんですよ。今も大切に育ててるんですから。桔梗の花言葉が永遠の愛だって教えてくれたのも秀馬ですよ」

 はっと桔梗は顔を上げすずなを見つめた。衝撃を受けたように指が小刻みに震えていた。

「この屋敷の中のお花は、全部秀馬が育てたんですよね。初めて秀馬のマンションに行った時にびっくりしました。男の子がお花を育てるなんて普通考えませんから」

 桔梗も透也も固まっていた。力を込めてもう一度はっきりと言った。

「秀馬もお母さんに会いたいって願ってるんですよ。今は少し勇気が出ないだけです。時間はかかるかもしれませんが、待っていれば必ずここへ来ます」

 もしいつまで経っても行かないなら無理矢理連れてこようと決めた。絶対に二人は繋がれるはずだと確信していた。

 

 

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