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事件が起きたのは土曜日の朝早くだった。夜更かしで昼まで眠る予定だったが携帯が鳴り出した。必ず出るようにと言われているので仕方なく耳に当てた。
「なに?」
眠気でうつらうつらしている。ぼんやりした状態でまともに話ができるだろうか。
「今日何か用事はあるか」
「えっ、今日?」
「そうだ。用事があるならいつ空いてるか教えろ」
特に気にせずゆっくりと答えた。
「何もないけど」
「そうか。じゃあ今すぐマンションに来い。詳しくはこっちで話すから。わかったな」
やけに固い口調だ。すずなが返事をする前にぶちっと電話は切れてしまった。
一体どうしたのだろうか。仕方なく起き上がると適当な服に着替え、メイクも手抜きで終わらせた。朝食は秀馬のマンションでとればいい。まだ頭がすっきりしていないが何度も行っているので迷子にはならなかった。インターホンを押す前にドアが勢いよく開いた。
「来たか。早く入れ」
顔が強張って緊張していた。こんな秀馬は初めてだ。
「どうしたの?焦ってるよね」
そうだとも違うとも言わずに秀馬は近くにあった椅子に座り考え込んでいた。すずなもベッドに座った。
「まずいことでもあったの?隠さないで話してよ」
もう一度聞くと秀馬は下を向いたまま答えた。
「帰って来いって言われたんだよ」
「帰って来い?」
どくんと心臓が跳ねた。鼓動も速くなっていく。
「それってお母さんから?」
希望の光が射し込んできたがまだ秀馬は俯いていた。
「いや……」
そこまで言って口を閉ざしてしまった。透也だと言いたくなかったのかもしれない。
「よかったじゃない。またお母さんと一緒に暮らせるんだ」
にっこりと笑ったがすずなの方を見ない。石像のように固まっている。
「早く行こう。もう狭いマンションから出よう。ほら、立って」
手を掴んだが振り払われてしまった。むっとして少し声を大きくした。
「どうして行かないの?お母さんが待ってるのに」
すると冷たく凍った言葉を投げかけてきた。
「前に言っただろ。産んでも育てない奴は親失格だって。今さら会ったって他人にしか思えない」
「バカじゃないの?秀馬に会いたいから帰って来いって言ったんでしょ。子供に会いたくないお母さんなんかいないよ」
きっと睨み付けてきたが負けじとすずなも睨み返した。
「うるせえな。変な妄想やめろ」
「妄想じゃないもん。追い出したのだって絶対に事情があったからだよ。お腹を痛めて産んだ子を邪魔だなんていう親はいないの」
素早く後ろを振り向き玄関に向かった。
「おい、どこに行くんだよ」
あわてて秀馬が追いかけてきたが足を止めなかった。
「秀馬が行かないならあたしが行く。秀馬はここにいますよって教えてあげる」
「やめろ。どうせ行ったって無駄だ」
前を向いたまますずなは言った。
「それにずっと聞きたかったの。あんなに優しそうな人が大切な息子を追い出すなんて信じられないもん。秀馬は来なくていいよ。でもあたしは会いたい。秀馬の過去の話全部聞きたい」
そしてドアを開けると外に出た。また迷わないように祈りながら佐伯家を目指して歩いて行った。
本当は母親に会う勇気などなかったがこれを逃すわけにはいかない。ようやく秀馬の全てが明らかになる。心の中に浮かんでいる疑問が消える。体中に強く力を込めて、動揺しないように自分に言い聞かせた。




