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 本当はそのまま帰るつもりだったが、結局あがらせてもらうことになった。最近は自宅にいるより秀馬のマンションにいる時の方が多くなった。すずなと恋人同士だと噂されてもいいというのは、ただ面倒くさいだけなのかと聞きたかったが、これ以上余計なことを言うと絶対に不機嫌になるのは既にわかっている。台所に行きジョウロに水を入れると奥の部屋のドアを開けた。

「今日は夜ご飯どうする?」

 水をやりながら質問すると、すぐに答えが返ってきた。

「別にいい。水やりが終わったら帰っていいぞ」

 ちくりと胸に針が刺さった。水やりが終わってもそばにいてほしいと秀馬は思っていないのだ。すずなはまだ離れたくなかった。

「ねえ、秀馬っていつから花を育ててるの?」

 ジョウロをしまいながら話しかけた。首を傾げながら秀馬は答えた。

「よく覚えてねえな」

「きっかけとかはあるの?」

 さらに続けた。こうして話をしていれば、まだ一緒にいられるからだ。

「特にねえな。暇だから何となく始めただけ」

 自分のことになると必ず曖昧になってしまう。今回も収穫はなしだ。

「暇だから花ね……。普通の男の子だったら、もっと他のこと考えるとあたしは思うけどな」

 独り言のように言うと、秀馬は目だけ向けてきた。

「もっと他のこと?」

 うんと頷いてから、すずなは話した。

「好きな人のこととか。可愛い女の子探したり……。男の子はそういうことしないのかな」

「さあな。とりあえず俺は好きな奴を探そうだなんて思わねえな。時間の無駄だし」

「どうして無駄だっていうのよ」

 自分も異性に興味がないが、なぜかむっとした。

「もしこのまま運命の相手が現れなかったら、一生独身で死んじゃうよ。空しくないの?」

「そういう人生だったんだってことだよ。お前だって彼氏はいらないとか言ってるくせに突っかかってくんな」

 不機嫌な表情を見てふとあることを思い出した。

「そういえば、もう運命の相手と出会ってるかもしれないって言ってたけど、どういう意味なの?本当は好きな女の子がいるの?」

 じっと秀馬は睨みつけてきた。

「いるって言ったらどうするんだよ。俺に彼女ができたら、このマンションにも行かないしおしゃべりもやめるんだろ」

 確かにそう決めた。だが実際は自分でもわからない。秀馬がとなりにいない生活をしっかりと送れるのだろうか。

「やめ……るよ……。もう関係を断つよ……」

 弱弱しい口調で誓った。そのすずなを見て秀馬は小さくため息を吐いた。

「勝手にしろ。今は好きな奴はいないから、また水やりと飯作り頼むぞ」

「秀馬があたしをマンションに連れてくるのって、水やりとご飯作りのためだけ?」

 口走ったと後悔したがもう遅い。しっかりと耳に入ってしまった。

「水やりとご飯を作ってくれる人だったら、あたしじゃなくてもいいの?」

 秀馬は驚いた表情になっていた。目を逸らして何かを考えている。一体どうしたのかすずなは心配になった。しばらくしてようやく口を開いた。

「お前しか頼める奴がいないんだよ。俺に怒鳴り返してきたのもお前だけだ。まさか女で言い返すとは、すげえ度胸だなって正直びっくりした」

「えっ、そうなの?」

 意外な言葉にすずなも驚いた。

「最初はしつこくて迷惑だったけど、はっきり言って俺にぶつかってくる奴なんか一人もいなかったから、マンションに連れてきてもいいかなって思ったんだよ」

 残念だが惚れているからではないらしい。それでも胸の中がいっぱいになっていた。

「そうなのかあ……。あたしも時々、冷血男と一緒にいられる自分はすごい人間だって考えたりするよ」

 はははと笑ったが、秀馬は真顔でまた黙っていた。ぎくりとしてすずなも固まってしまった。

「どうしたの?」

 不安になって聞いてみると、真剣な眼差しで口を開いた。

「お前にはいろいろと教えられた。感謝してる。ありがとな」

「は?」

 意味がわからなかった。魂が抜けたように目が丸くなった。

「え……?ありがとう……?」

「またぼけっとしてる。いい加減にしろよ」

 じわじわと感動がしみ渡ってきた。まさかこの男が「ありがとう」と言うとは。しかもすずなに向かってだ。

「や、だって、あんたからありがとうなんて絶対にないと思ってたから」

 無意識に顔が火照ってしまう。隠そうとしても無理だ。

「いきなりどうしたのよ。熱でもあるんじゃないの?」

 苦笑しながら秀馬の額に手を当てようとしたが、その手を掴まれてしまった。

「熱があるのはお前の方だろ。さっきから変だぞ」

 覗き込まれて、さっと横を向いた。二人の距離が縮まっていくのに焦っていた。

「気のせいだよ。全然変じゃない……」

「こっちに来い。寝た方がいい」

 ぐいっと肩を掴まれバランスを崩した。床に勢いよく倒れ、同時に秀馬もすずなの体の上に覆い被さった。

「どいてよ」

 消えそうな声で言ったが、秀馬は首を横に振った。

「疲れて起き上がれねえ」

「疲れた?買い物に行っただけじゃない」

「そうじゃない。お前と話してるとすごく疲れるんだよ」

 意味がわからなかったが、とにかくこの体勢はまずいと直感した。

 ふと耳元で秀馬が囁いた。はっとしてすずなも声を出した。

「今なんか言ったよね」

 そっと顔を上げて、秀馬はもう一度囁いた。

「だから、マンションに泊まっていけよ」

 全身に雷が落ちてきた。一瞬心臓が止まった。決して起きてはいけないことだと嫌な予感の波が押し寄せてきた。



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