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 夜の八時が少し過ぎた頃、携帯が鳴った。有架だと思ったが透也の番号だった。ごくりと唾を飲み込んでから耳に当てた。

「よかった、もう眠ってると思ってたよ」

「まだ八時ですから寝ませんよ」

 以前とは話している時の心の動きがすっかり変わっていた。ときめきもないし緊張もしないし二人きりで会話ができるという優越感も消えている。こんなにも一気に冷めるとは自分でも驚きだ。

「何の用ですか」

 そう言うと透也の声が少し低くなった。

「すずなさんは、東条秀馬とどんな関係なのか知りたくて」

「えっ、どんな関係?」

 動揺してどくんと心臓が跳ねた。

「関係っていうか、どう思ってるのかなって」

 仮面を被っているように感じた。携帯を握りしめだまされないようにと自分に言い聞かせた。

「どうしてそんなことを知りたいんですか。透也先輩、東条秀馬のこと嫌ってましたよね」

「それはそうなんだけど」

 はっきり答えないのが不愉快だったらしくイラついている口調になった。

「また襲われたりしてたら危ないじゃないか」

 電話では顔が見えないので本心が掴みにくい。背筋をぴんと伸ばして小さく深呼吸した。

「大丈夫です。心配いりません」

「……そうか。それならいいんだ」

 明らかに声が鋭く尖っていた。冷たい表情が頭の中に蘇ってきた。

「じゃあ、これで」

 会話を終わらせようとすずなが言いかけると、あわてて透也は大声を出した。

「待ってくれ。簡単でもいいから教えてくれないか」

 自分でも怖くなるほど気持ちが落ち着いていた。感情のこもっていない言葉を返した。

「それを知って得でもあるんですか。おかしな妄想でも考えてるんですか?あたしをその妄想に巻き込まないでください。迷惑です」

 一気に吐き出すと電話を切ってしまった。もう透也との恋愛は終わっている。仮面を被って嘘をつく人より仮面など被らずにそのままぶつかってくる人の方が自分には合っていると気付いた。心の中も頭の中も秀馬で溢れているのだ。大っ嫌いなはずなのになぜこんな想いになるのか。冷血男で血も涙もなくて気まぐれで自分勝手で相性最悪でぶんぶん振り回されているのにそばにいたいなんておかしい。ようやく自分の気持ちが見えかけてきたが秀馬に伝える方法が見つからない。告白しても本気ととってもらえなかったり、不機嫌な顔でバカにされたりしたらどうすればいいのか。俺は一人で生きていけるからすずなはいらないと言ってくるかもしれない。今まで大嫌いだった人といきなり繋がってくれるほど優しい性格ではないのだ。

 もう透也からかかってこないようにと電話番号もメールアドレスも削除してしまった。なぜすずなと秀馬の関係を聞いてきたのだろう。まさか二人を引き裂こうとでも企んでいるのか。透也のせいで秀馬と繋がれなかったらと嫌な予感がしていた。

 

 翌日も秀馬のマンションに寄った。芹奈がアメリカに帰ってから約一カ月が経っていた。

「最近暑くなって嫌だよねえ。熱中症とか怖い」

 独り言を漏らすと秀馬が話しかけてきた。

「でも撫子は咲くぞ。お前の好きな撫子」

 秀馬には絶対に言えないが、こうしてマンションに通っているのは花を育てるためではなくただ秀馬と同じ空間にいたいからだ。もちろん花が咲くのも楽しみだが、本当の目的は秀馬だ。

「すずなの花言葉は慈愛だよね。親が子供を慈しみ可愛がるような深い愛。あたし、もし子供を産んだら嫌がられそうなくらい愛してあげようって決めたんだ。自分の命よりも大事にしてあげるんだ。だから取り返しのつかないことをしても幸せになれる人と結婚しなきゃいけないね」

 秀馬は黙ったまま小さく頷いた。自分も同じ気持ちだと伝わってきた。

「もう透也くんのこと何とも思ってないんだ。やっと答えが出た。有架が好きだったからあたしもって錯覚してたみたい。ただの憧れの人ってだけで、恋人になりたいわけじゃない。バンスクリップも付けない」

 関係のない人からもらったものは必要ない。少し申し訳ない気もするが別にどうでもいい。

「後悔しないのか」

 固い声で聞かれ、大きく首を縦に振った。

「彼氏なんかいなくても構わない。始めから男の子に興味ないし」

「へえ……。じゃあどうやって子供産むんだよ」

 秀馬がそんな質問をするとは思わなかった。ぐるぐると答えを探してみたが見つからなかった。

「まあ……いつかいい人と出会ってから決めるよ」

 何か言いたそうだったが秀馬は口を閉ざして俯いていた。

「恋愛は一度きりじゃないし、諦める気はないよ。まだ青春真っ盛りだしね」

 拳を固め力強く言うと、ちらりと秀馬の穏やかな笑顔が見えた。

 このまま片想いで終わってしまうのか怖くなった。来年は三年生で秀馬のマンションに行く時間は消える。さらに高校を卒業したら別れてしまう。

「秀馬は卒業したら大学に行くの?なんていう大学?」

 さり気なく聞いてみると望んでいない答えが返ってきた。

「決めてない。来年になってから考える」

 残念ながら詳しいことは教えてもらえないようだ。もし大学に行くなら同じ大学に通いたい。しかしすずなと秀馬の頭の出来はかなりの差があるので必ず合格できるとは思えない。

「すずなはどうしたいんだ」

 逆に聞かれはっとした。自分はどうするのか考えていなかった。もう一度ぐるぐると答えを探してみた。

「あたしは結婚して子供を産んでお母さんになりたいな。お姉ちゃんの願いを叶えてあげたい。でも相手を卒業する前に見つけられるかが大変だよね」

 目の前にいるとは言えなかった。秀馬がすずなを心の底から愛してくれる奇跡は起こるのだろうか。



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