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有架にはこの新たな気持ちを伝えられなかった。透也のことが好きな有架に、もう愛が冷め男子の興味も失せたと話したら絶対に傷ついてしまう。かといってこのまま誤魔化していけるのかという不安もあった。
土曜日になりすずながぶらぶらと外を歩いていると偶然秀馬に出会った。
「あれ、お買い物?」
秀馬は少し目を丸くしてから小さく頷いた。
「買い物っていうか花を見に行きたくて」
「また育てるのね。あたしも一緒に行っていい?」
嫌だと言われると思っていたが、すぐに秀馬は答えた。
「もし何か欲しいものがあったら自分で金出せよ」
「あたしの家には植木鉢とか置いてないから、ただ見るだけだよ」
すずなの言葉を無視して秀馬は歩き出した。いつも通りぶっきらぼうだがそこがいいと感じていた。
店には苗やプランターや肥料などいろいろなものが並んでいる。
「こんなお店入ったことないよ」
きょろきょろと周りを見回し不思議な気持ちになった。
「どんな花を育てるの?」
聞いたが秀馬は首を傾げて曖昧に答えた。
「決めてない。それにお前に言っても無駄だし」
またバカにされたとむっとしたが、視界にある文字が飛び込んできた。
「あっ、撫子だ」
「撫子?」
「ほら、あそこに」
すずなが指を差すと秀馬は振り向いた。
「撫子がどうしたんだよ」
そういえば以前両親が亡くなったことを話したが名前までは言っていなかった。
「あたしのお母さん、撫子っていう名前なんだ。素敵でしょ。名前がお花の女の子って心が綺麗な感じがしない?大和撫子って言葉があるくらいだし」
秀馬はじっと撫子を見つめていた。一体何を考えているのかわからない。
「……俺は、もし誰かと恋愛をするなら、名前が花や植物だといいって決めてるんだ」
「えっ、そうなの」
驚いて目を見開いた。同時に頭の中でいろいろな花の名前を探してみた。
「ユリちゃんとかアヤメちゃんとかスミレちゃんとかいっぱいあるね。確かに可愛いもんね。でも名前で決めるのはおかしくない?」
「もちろん性格とかも大事だよ。できればそういう名前だといいなって話」
本当に不思議だと改めて思った。女より花が好きだと言っていて恋愛には無縁なはずなのに、すずなよりも細かく考えている。
「花言葉って知ってるか」
突然話題が変わって戸惑った。いきなり質問して相手を動揺させるのもこの男の得意技だ。
「聞いたことはあるけど詳しくは知らないよ。撫子の花言葉は何ていうの?」
「撫子の花言葉は純愛だ。邪な気持ちがないひたむきな愛って意味だ。その人のためなら命だって惜しくない。死んでもその人を愛し続けるんだ」
死んでしまった撫子の顔が心の中に浮かんだ。もう二度と会えないのに寂しいと感じないのは、ずっと空の上ですずなを愛してくれているからだ。
「よく知ってるね。さすが植物魔王」
「何だよ植物魔王って。変なあだ名作るな」
不機嫌な表情を見ながらふと思いついた。
「すずなの花言葉は?」
すずなは春の七草の一つでカブのことだ。七草がゆが好きならわかるはずだ。どきどきして待っていると自信がなさそうに答えた。
「確か……慈愛だったかな」
「ジアイ?どういう意味?」
初めて聞いた言葉だった。呆れたようにもう一度秀馬は言った。
「携帯があるだろ。自分で調べろよ。俺は歩く辞書じゃねえんだから」
こうして急に突き放してくるのも謎だ。花言葉は教えてくれるのに慈愛の意味は教えないのはなぜだろう。バッグから携帯を取り出し『ジアイ』と打つとすぐに画面が変わった。
「親が子供を慈しみ、可愛がるような深い愛……」
今度は透也の母親が浮かんだ。とても綺麗で上品で優しそうな女性だった。幼い透也を抱きしめ輝くように微笑んでいた。秀馬は母親に邪魔だと言われて追い出されたと言っていたが、あんなに美しい人が残酷な行為をするとは信じられない。絶対に何か事情があったはずだ。
「決めた。撫子にしよう」
秀馬の独り言で我に返った。すかさずすずなは言った。
「あたしも撫子育てたい。お手伝いしたいな」
「面倒なことするなよ。もし迷惑かけたらマンションに入れないからな」
「言われなくてもわかってるよ」
全然優しくないがもう慣れてしまった。秀馬と撫子が育てられると嬉しい気持ちになっていた。
店の前で二人は別れた。まだ一緒にいたかったがいつでもどこでも会えると我慢した。帰り道の間はずっと花言葉が心の中に響いていた。撫子は純愛。その人のためなら死んだって構わない。邪のないひたむきな愛。そしてすずなは慈愛。親が子供を慈しみ可愛がる深い愛。もし子供を産んだら思い切り可愛がって、たとえ死んで離れ離れになったとしても愛し続けると決めた。人は一人では生きていけないのだから。誰かと繋がって幸せになれるのだ。一人きりで生きていける人なんていない。
マンションに着き自分の部屋に入ると、机の上の写真をじっと見つめた。たった二年間しか一緒にいられなかったが、ずっと愛し続けてくれているのだとしっかりと感じた。
ベッドに横たわると、秀馬が言っていたもう一つの言葉を思い出した。誰かと恋愛をするなら花や植物の名前がいいということは、すずなもその中に含まれているのではないか。興奮してじたばたと暴れた。佐伯家の屋敷に行った時も同じ気持ちになったが、今回の方が激しかった。もちろん違うかもしれないが距離が一気に縮んだと思った。
仲良くなりたいわけではない。恋人になりたいわけでもない。大嫌いだと言われてもいい。ただそばにいてくれればそれだけで充分なのだ。




