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部屋に戻ると魂が抜けたような芹奈が立っていた。
「……東条くんは?」
「帰っちゃった。大切な用があったらしくて」
そう、と芹奈は頷いてから、少し俯いた。
「何か……怒ってたけど、いきなりどうしちゃったのかな。悪いことしたのかな……」
すずなは頭の中でぐるぐると言い訳を探した。
「いつも大げさなんだよ。変に取り乱すっていうか……」
残念そうにさらに下を向いた。申し訳ない気持ちでいっぱいなのだろう。
「そっか。じゃあ代わりに謝っておいてくれる?」
うん、とすぐに頷いた。胸に手を当てると心臓がどくどくと速かった。何とか秀馬の本性はバレなかったようだ。
「クラスメイトか……。恋人だって思ってたんだけどなあ……」
芹奈は勢いよく顔を上げると、がばっとすずなの肩を掴み前後に揺らした。
「絶対すずなと東条くん仲良くなれるよ。すずなが東条くんと恋人同士になったらすっごく嬉しいし安心する。あんなにかっこいい男の子いないもん。すずな、東条くんのことどう思ってる?」
「ええ……」
こんなことを言われるとは思っていなかった。またぐるぐると言い訳を探し、そっと呟いた。はっきりと嫌いとは言いづらかった。
「まあ別に……外見はいいとは思うよ……」
「好きなんでしょ、本当は。このまま何もしなかったら、他の女の子に取られちゃうよ。早く告白した方がいいよ」
誰にも取られる心配はないのだが、すずなは頷いた。
「じゃあ携帯かけてみるよ」
そう言うと後ろを振り返り自室に逃げ込んだ。
一体どう話したらいいのだろう……。じっとベッドの上に寝っ転がって考えたが答えが見つからない。仕方なくそのまま正直に伝えることにした。
「何だよ」
ぶっきらぼうな口調はいつもと変わらない。どきどきしながら話し始めた。
「お姉ちゃんが、東条くんと恋人同士になってくれたら嬉しいって言ってね……。アメリカに戻るまで、彼氏のフリしてくれないかな」
「ふざけんなよ!」
鬼のような形相の秀馬が頭に浮かんだ。怒りたくもなるだろう。大嫌いな人と付き合っているフリなんて面倒だしやりたくない。
「ずっとじゃないよ。アメリカに行ったらまた元に戻れるよ。とりあえずお姉ちゃんを喜ばせるためってことで。あたしが大切な人と繋がるのがお姉ちゃんの一番の願いだから」
少し黙ってから、あからさまに不機嫌な声を出した。
「本当に元に戻るんだな」
「戻るよ。あたしだって秀馬の彼女になりたくないし」
ぱっと電話が切られた。何も言わないということはどうやら了承してくれたようだ。ふう、と長い息を吐きこれからの生活を想像した。彼女にどんな顔でどんな言葉を使うのか。仮とはいえ恋人なのだ。冷たく睨んだり大声で怒鳴ったりはしないはずだ。もちろん芹奈がいない学校では恋人同士のフリなどしても意味がないので、学校内では普段と同じだ。
「お姉ちゃんって、アメリカにいつ帰るの?」
さり気なく聞くと芹奈は首を傾げた。
「うーん……。だいたい二週間くらいかな」
秀馬に言ったら絶対に文句を言われるので黙っていようと決めた。
「大変だね。毎日英語で疲れるでしょ」
「まあね。でもわかりやすく話してくれるし友だちもたくさんできたし、けっこう楽しいよ」
充実しているのだと嬉しくなった。頑張っている芹奈を佐伯家の風呂に入れてあげたいと思った。
最近の秀馬はなぜかすぐそばにいて、以前よりはすずなを悪くは思っていないから、頼みを聞いてくれたのかもしれない。だいぶイメージが変わってきている。そして同じように透也の見方も変わった。優しい王子様だと信じていたのに、あんなに冷たいナイフを持っていたとは。
「何ぼうっとしてるの?」
芹奈が不思議なものを見るような目を向けてきて、はっと我に返った。
「じゃあこれからよろしく」
もう一度電話をかけるとイラついた声が返ってきた。
「何がよろしくだよ。嫌がらせにもほどがある」
「いいじゃん。いっつもご飯作ってあげてるんだから」
そう言うと、ちっと舌打ちの音が聞こえた。




