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しばらく三人共石像のように動かなかった。空気も止まっている気がする。周りの人間の声が耳に入って来ない。その沈黙を破ったのは芹奈だった。
「すずな、お久しぶり」
そう言ってから、さっと秀馬の方に目を向けた。
「あの……あなたは」
「お姉ちゃん、マンションに行こう」
勢いよく芹奈の手首を掴むとずんずんと大股で歩き出した。
「待ってよ、あの子」
「いいから。とりあえず帰ろう。疲れてるだろうし」
前を向いたまま秀馬を残してその場から離れた。
「すずな、あの子は?」
繰り返し聞いてきたので、早口で答えた。
「クラスメイト。偶然会ったんだ」
「置いてきちゃってよかったの?」
「いいの。たまたま会っただけだから」
しかし芹奈はすずなの心の中を見透かす目をしていた。姉なのだから妹の考えなど手に取るようにわかるだろう。マンションに着くとすずなの方から口を開いた。
「どうして帰って来たの?」
すぐに芹奈は微笑んだ。
「お誕生日でしょ。無理言ってお仕事お休みさせてもらったの。一人でちゃんとやってるか心配だったし」
妹のためなら何でもする芹奈に感謝する想いではなく、秀馬と出会ってしまったという重大なことが胸に溢れていた。
「ねえ、さっきの男の子って、もしかして」
嫌な予感がした。芹奈の頭の中にある言葉がテレパシーのように伝わった。
「ただのクラスメイトだって」
「本当?彼氏じゃなくて?」
思った通りだ。すずなは首を横に振った。
「彼氏じゃないよ。あたしが恋人作るわけないじゃん。お姉ちゃんも知ってるでしょ。あたしが好きなのは透也くん」
「だけどすずながそんなに可愛い格好してるの初めて見たよ」
はっとして服に目をやった。秀馬に認められたくて着たのが逆に面倒なことの引き金となってしまった。
「デートだったんでしょ。お誕生日デート」
「違うってば。あたしの話聞いてよ」
「聞かなくてもわかるよ。ああ……、すずなに恋人がいたなんて夢にも思ってなかったよ。天国のお父さんとお母さんも喜んでるよ」
完全に舞い上がってしまっている。まるで自分のことのように喜んでくれるのはありがたいが、何とかして事実を伝えなくてはいけない。
すずなの両手を握りしめ、社交ダンスのように踊り出した。
「恥ずかしがらなくてもいいのよ。お姉ちゃんなんだから」
「恥ずかしがってるんじゃないよ。あたしが好きなのは」
「お姉ちゃんは、さっきの男の子の方がすずなとお似合いだと思うよ。背が高くて男らしくて大事に護ってくれそうじゃない」
護ってくれるどころか傷つけられてるんだけど……ともう少しで言いそうになった。このままあの男と付き合っていると勘違いされたくない。
「名前は何ていうの?」
「名前?」
「そうよ。教えてよ」
期待で胸がいっぱいの芹奈の暴走は止まらない。
「えっと……東条秀馬」
「東条秀馬くんね。名前も男らしい」
さらに芹奈はぐっと顔を近づけてきた。すずなが目を逸らせないようにするためだ。
「どっちから告白したの?」
何と答えればいいのか戸惑った。しかし変に嘘をつくのはまずい。
「あたしは東条くんと恋人同士じゃないんだって。それに東条くんって全然優しくないし、口も目つきも悪いし、ありがとうとか言えないんだよ。ちょっと話しかけると不機嫌な顔になって、相性最悪なんだよ」
突然芹奈の目が鋭くなった。掴んでいた手を放し、じっとすずなを見つめた。
「お姉ちゃん言ったよね?人に優しくしなさいって、約束したよね。どうしてそんなに酷いこと言うの?」
秀馬がどんな性格なのか知らない人には悪口のように聞こえるだろう。だが事実なのだから仕方がない。
「……ごめん」
「謝るのはお姉ちゃんじゃなくて東条くんでしょ」
うん、と頷きながら悔しい思いでいっぱいだった。
「でも仲が良くないのは本当。どうして信じてくれないの」
すずなも反抗するように言った。すると芹奈は少し寂しげな表情になった。
「すずなが大切な人と繋がるのがお姉ちゃんの一番の願ってることなの。早くすずなが大好きな人と結婚して子供を作って、笑って暮らしてるところを見たいの」
真っ直ぐな気持ちが届きすずなは感動した。この世でたった一人の家族が芹奈でよかったと改めて感じた。
「すずなが幸せならお姉ちゃんも幸せなのよ」
もう一度言われすずなは大きく頷いた。
「わかってるよ。あたしもお姉ちゃんが幸せなら何もいらない」
「で、東条くんとは恋人同士なんでしょ」
話題が戻って来た。すずなは首を横に振った。
「だから……ただのクラスメイトだってば」
芹奈は残念そうに俯いた。しかしそんな顔をされてもあの男と付き合いたくない。何て厄介なことが起きてしまったのか。恐らく秀馬も動揺しているに違いない。明日学校で何を言われるかと考えるとうんざりした。
翌朝教室に入るとすぐに秀馬が話しかけてきた。
「姉ちゃん、何て言ってた?」
「彼氏だって完全に信じちゃってる。どっちから告白したのとか聞かれたし」
額に手を当て秀馬は唸った。
「やめろよ。お前と付き合うなんて絶対嫌だ」
「あたしだって嫌だよ。何とかしてお姉ちゃんにわかってもらわないと……」
そうするには秀馬の性格を明かさなくてはいけない。だが秀馬が冷血男だとバレてはいけない。そしてなぜか他人に秀馬の本性を見せたくなかった。本当の秀馬を知っているのが自分だけではなくなるのが不満だった。
「これだから女って面倒くせえんだよなあ」
むっとしてすずなは反抗した。
「お姉ちゃんは、あたしが幸せになるのを願ってるんだよ。誰かと結婚して子供を作って、笑って暮らしてるところが見たいって。面倒くさいとか言わないでよ」
「でもお前も困ってるんだろ。勝手に勘違いされて」
確かにそうなのだが、芹奈を悪く思われたくはなかった。
「……じゃあさ、今度あたしの家に来てくれる?あたしが言ってもだめなら秀馬くんが言ってみてよ。少しは何か変わるかもしれないでしょ」
もうだめ元だ。やれることをするしかない。
「付き合ってませんって話せばいいのか」
「うん。ただのクラスメイトですって。ただし冷たい態度は見せないように気を付けてよ。怒鳴ったり睨んだりしないでよ」
はあ……と長いため息を吐きながら秀馬は目を閉じた。




