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七草がゆを作ってからすずなは驚くほど元気になった。ある日学校の昼休みに二人で購買のパンを食べた。すずなが弁当を忘れたのと有架が休んだからだ。もちろん誰にも見られないように食べる場所は空き教室だ。
もうすぐゴールデンウィークだな、という秀馬の呟きにすずなはあることに気が付いた。五月一日に十七歳になる。
「あたし、今度の土曜日誕生日だ」
ちらりと顔を見ながら言ってみた。特に期待などしていないが、どんな反応をするのか知りたくなった。
「へえ……」
「へえ……って……。おめでとうとか言ってくれないの?」
「どうして俺が言わなきゃいけないんだよ」
やはりそうか。この男はおめでとうもありがとうも言えないのだ。
「だいたい年をとることを祝うっておかしくねえか。どんどん老いていくのが嬉しいのか。俺は逆に悲しくなるけど」
「若いのに老いるとか言わないでよ。まだあたしたち高二なのに。青春真っ盛りの楽しい時にそんなこと考えてたらもったいないよ」
言いながらすずなはもやもやした。せっかくの青春をこの男のせいで無駄にしている気がする。
「青春ってどういう意味なのかよくわかんねえんだよな」
独り言を漏らす秀馬を見つめながらすずなも考えた。確かにみんな青春青春と言っているが、はっきりいってどういうものなのか。
「好きな人と出会って、毎日楽しく過ごすことって意味じゃないの?人生の中で一番恋愛経験ができる時期ってこと」
ふと透也の顔が頭に浮かんだ。別人となった時の冷たい表情だ。今までは穏やかな笑顔だったのに、急に透也を違う目で見るようになっていた。もしかして透也は冷たい人なのか。優しい王子様ではなかったのか……。
「すずな、どうした」
はっと我に返った。すずなと下の名前で呼ばれたことにも驚いた。
「……何でもない……」
「そうか?悩みごとでもあるんじゃねえの?」
すぐにすずなは手を振った。この疑惑がバレてはいけない。
「悩みごとなんかないし、あったとしても相談に乗ってくれないでしょ」
まあな、と秀馬はにっと笑った。
「誕生日プレゼントとか欲しいなあ……」
さり気なく言うと秀馬は反応した。
「プレゼント?」
「うん。お花の形のバンスクリップ」
「バンスクリップって何だ?」
すぐに携帯を取り出し画像を探した。
「真ん中が蝶つがいになってる髪留めだよ。長くて量が多くても一気にまとめられるから便利なんだ。二個持ってるんだけど、どっちもシンプルだし色もあんまりよくなくって。可愛いのが欲しいんだ」
秀馬は黙ったまま画像を見つめていた。
「もしかしてプレゼントしてくれるの?」
すずなが甘える声で聞くと呆れた顔になった。
「どうしてそうなるんだよ。するわけないだろ」
「前は携帯とか買ってくれたのに……」
拗ねたが秀馬は腕を組んですずなを見下ろした。
「俺は男だからどれがいいのかわかんねえ。そういうのは脇田に頼めよ」
こう言われるのは既にわかっていたので落ち込まなかった。両肘を机に乗せ手の平に顎を乗せた。
「どうしようかなあ……。去年は有架と一緒に買い物に行ったけど、今年は何しよう……」
ふうっと息を吐くと秀馬が口を開いた。
「じゃあ俺がどっかに連れて行ってやろうか?」
「えっ、秀馬が?」
驚いた。まさかこんなことを言われるとは。
「ただし金は自分で払えよ」
「誕生日なんだから優しくしてよ」
「嫌だね。そういうのは友人同士がすることだろ」
むっとしたが言い返さなかった。胸が少し暖かくなっていた。
「付き合ってくれるなら……まあいいや……」
目を閉じるともう一度息を吐いた。
五月一日の十二時に駅前の喫茶店の前で待ち合わせ、とすずなが言うと秀馬は頷いた。
「寝坊したら置いていくからな」
「ちゃんと守るよ」
嫌味な態度だがもう慣れっこだ。とても自分は強くなったと感じた。
最近の秀馬は怖くなるほどすずなに話しかけてくる。お互いの電話番号とメールアドレスも登録した。
「必ず返信しろよ。無視したら許さねえからな」
「で、秀馬は気まぐれに返すんでしょ。面倒だったら全部放っておくんだよね」
すずなが言うとにやりと笑った。
「よく知ってるじゃねえか。少しは頭がよくなったってことだな」
優しくはないので仲良くなったわけではない。まだまだ道は長いが、いつか心の壁が開くかもしれないと思っていた。
遅れないように前日の夜はかなり早い時間に眠った。そのおかげで待ち合わせにはまだ秀馬は来ていなかった。以前のように可愛い服を着てメイクもばっちり整えてきた。一番値段の高いバッグで靴も普段は履かないようなおしゃれなものだ。これなら少しは女の子扱いしてくれるかもしれない。
三十分ほど経ってから秀馬は現れた。秀馬はいつも通りのラフな服装だ。
「よし、きちんと起きられたんだな」
「バカにしないでよ。もう十七歳なんだから」
心の中がじわじわと熱くなっていく。もう十七歳。無事にここまで来れたのは、繋がっている大切な人たちのおかげだ。そっと空を見上げ、天国の父と母にこの幸せな気持ちを伝えた。
「早く行くぞ」
秀馬に軽く肩を叩かれ足を踏み出した。
どこに向かっているのかわからないまま、二人はぶらぶらと歩いていた。
「行きたいところは?」
質問されても答えが見つからない。有架とならケーキを食べに行ったりできるが、秀馬は甘いものが嫌いだ。
「いや……決まってない……」
「決まってない?じゃあこうして会ったの意味ねえだろ」
「秀馬は行きたいところあるの?」
逆に聞いてみると呆れた声が返ってきた。
「自分の誕生日なのに俺が決めたらおかしいだろ」
ため息を吐いて腕を組んだ。秀馬と二人で行ける場所はどこだろう……。
「しょうがない。俺の部屋に来るか?」
「……うん」
仕方なく頷いた。せっかくの誕生日なのに残念だ。これではいつもと同じではないかと嘆いた。
その時だった。背後から聞きなれた声が飛んできた。
「すずな?」
ばっと振り返ると信じられない光景が目の前に広がった。キャリーバッグを持ち、きょとんとした顔の芹奈が立っていた。足元からぴきぴきと凍り付いていく。秀馬も後ろをくるりと振り向いた。
「誰だ?知り合いか?」
「……お姉ちゃん……」
「えっ、姉ちゃん?」
驚いた口調で言うとすずなと同じように固まった。




