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「すずちゃん、どうしちゃったの?」
有架の声が聞こえ、びくっと体を動かした。
「えっ、なに?」
「さっきからずっと話しかけてるのに……。すずちゃん、最近おかしいよ」
困った顔の有架を見て、すずなは作り笑いをした。
秀馬とはもう付き合えないと言ってから二週間が経っている。毎日自分が何をしているのかわからない。完全に無意識で行動している。頭の中が空っぽなので、ついさっきやったことも思い出せない状態だ。秀馬とは初めて会った時と同じように何も話さず目も合わせずにいる。これではいけないとはわかっているが手段など見つからない。とにかく自分の気持ちをしっかりさせるのが一番だと考えた。
そんなすずなを目覚めさせたのは進級だった。いつの間にか二年生になっていて驚いた。光陰矢の如しとはよく言ったものだ。菱本高校では毎年クラス替えが行われる。二年生も有架と秀馬と同じクラスになったが、席が離れてしまった。秀馬の本性を他人に知らせるわけにはいかない。冷血男だということがバレるのは絶対によくない。そして何より自分以外の人間に本当の秀馬を見せたくなかった。
もやもやしながら過ごしていたある日、有架がにっこりと微笑んでやって来た。
「すずちゃん、東条くんのことが好きなんでしょ」
「えっ」
「だって東条くんがとなりにいた時と今のすずちゃん、全然違うんだもん。いつもぼうっとしてるっていうか、寂しそうに見える」
言葉の一つ一つが胸に刺さる。確かにおかしいのは否定できないが、それが秀馬への恋心でそうなっているのかはすずな本人もわからない。
「ないない。あたしが好きなのは透也くん」
「本当?気が付いてないだけじゃないの?」
あんなに冷たい男と恋愛をするなんて絶対にごめんだ。外見がよくても中身があれでは一生恋愛経験などできないだろう。女よりも花の方が興味があるのだ。だいいちすずなも秀馬もお互いに嫌い合っている。
「やめてよ、どうして信じてくれないのよ」
すると有架は申し訳なさそうな表情になった。
「信じてないんじゃないの。ただ、すずちゃんがもし東条くんのこと好きだったら、応援しようと思って……」
「応援なんていらないよ。友だちですらないんだから」
そっか、と有架は残念そうに俯いた。
友だちでもない。好きな人でもない。秀馬はすずなにあてはまる言葉がないと言っていたが、すずなも秀馬がどんな存在なのか知らない。なぜとなりにいないだけでこんな気持ちになるのだろうか……。
不安定なすずなを支えたのは秀馬本人だった。放課後に突然近づいてきた。どきりとして逃げようとしたが捕まえられてしまった。
「なに?用なんか……」
「七草がゆが食いたい」
「七草がゆ?」
目を丸くすると秀馬は大きく頷いた。
「……あたしに作りに来いって?」
本当に思考回路が難解すぎて怖くなる。七草がゆが食べたくなったからという理由でケンカ別れしたすずなに話しかけてこれるのが不思議だ。
「もうあの部屋には行かないって言ったじゃん」
ふいっと横を向いたが、無理矢理秀馬に引きずられながら連れて行かれてしまった。こうやって人をぐるぐる振り回すのがこの男の得意技だ。
材料を買うと言ったが、既に用意してあるらしい。
「じゃあ自分で作ればよかったじゃない」
「それができないから頼んでるんだろ」
頼んでるという言葉に反応した。秀馬は誰にも頼らずに生きてきたと言っていた。ということはすずなを少しは特別扱いしているということか。かといって優しくしたりはしない。むしろ酷い仕打ちばかりで何度泣かされたか。すずなはもともとあまり泣かない性格なのだ。
「はい、どうぞ」
七草がゆの皿を秀馬の前に置き、ちらりと顔を見つめた。なぜか黙ったまま手を動かさない。
「あの……できたよ」
心配してもう一度言うと、秀馬は首を横にゆっくりと振った。
「……いらない」
「いらない?」
驚いた。せっかく作ったのに食べないのか。
「じゃあ何で作らせたのよ。あたしに嫌がらせしたかったから?もうわけわかんないよっ」
怒鳴るように言い切ると秀馬はテーブルの上に肘をつき手の甲に顎を乗せた。
「またここに来る気は?」
「えっ?」
目を逸らしながら秀馬は続けた。
「お前がいなくなって、毎日暇で暇でしょうがない。学校に行く意味がねえ」
どくんと心臓が跳ねた。秀馬が学校に通うのはすずなに会うためだということか。
「仲良くするわけじゃない。お前の顔見るのが当たり前だったから、いきなり消えると落ち着かないんだよ」
「そばにいたいってこと?」
上目遣いで聞くと首を横に振った。
「そうじゃない。いつもとなりにいるのは嫌だ」
どれだけ気まぐれで勝手な奴だろう。しかしすずなはじわじわと胸の中が熱くなった。心の中に希望の光が射し込み周りがきらきらと輝いている。何か言いたいが言葉が見つからない。
「誤解するなよ。友だちになりたいって言ってるんじゃねえ。しつこくて迷惑でお前のことなんか大っ嫌いだ」
「あたしだって冷血男と友だちになりたくないし、あんたのことなんか大っ嫌いだよ」
こんなに相性が最悪なのに、離れると一気にぐらつくのはなぜだろう。嫌いな人とそばにいると落ち着くなんておかしい。
ようやく秀馬は七草がゆを食べ始めた。その姿をすずなは向かい合わせに座って見つめていた。
「これからは秀馬って呼べよ」
「もう呼んでるじゃん」
「呼び捨てでいいって言ってるんだよ」
どきどきした。友だちではないけれどやはり以前よりすずなのことをよく思っていると感じた。
「じゃあ、秀馬もあたしのことすずなって呼んでよ。いつまで経ってもお前だけど、今度はすずなってね」
「すずなね……」
ちらりと笑っているのが見えた。透也とそっくりだったが口には出さなかった。




