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高校生活の始まりは、とても幸先がよかった。有架とは同じクラスになれたし担任も優しそうな女性教師で、何もかも順調と思えた。
しかし、ただ一つだけ残念なことがあった。となりの席になった男子だ。
すずなのとなりに座る男子は東条秀馬といった。背が高く、高校一年生には見えない。あまりしゃべりたがらない性格のようで、少し根暗なイメージだった。ちらちらと東条の横顔を見ながら、何を考えているのか探った。特に、今まで男子と無縁だったすずなにとって、東条は未知の生き物だった。
「東条くん、これからよろしく」
一応挨拶してみたが、東条は、ああ、と目を合わせずにぶっきらぼうに言っただけだった。人に話しかけられるのが嫌なのだろうか。それとも、女子だからこんな態度なのか。
男の子って、みんなこうなのか……。だが聞ける人はいない。とりあえず、普通のクラスメイトとして付き合っていけばいいかと決めた。
マンションに帰ると、芹奈の作った夕飯が冷蔵庫の中に入っていた。制服を脱ぎながら、もうここには自分以外誰も帰ってこないと改めて感じた。ただいまと言ってもお帰りという声は返ってこない。家事だって全部自分でやるのだ。そう考えると、一人暮らしはとても寂しい生活だと思えてくる。
そっと芹奈の部屋を覗いてみた。もしかしたらアメリカには行かず、ベッドで眠っているかもしれない。しかし、しんと静まり返った空気が漂っているだけで、芹奈の姿はない。
すずなは、芹奈が期待に満ちているのを見るのが嬉しかった。初めてのやりたかった職業、立派な成人になれたという自分を褒める気持ち、アメリカでの新しい生活。広い空へ羽ばたこうとしている芹奈に、寂しいなんてわがままを言ってはいけないと強く言い聞かせた。芹奈を安心させるには、何もかも一人でやっていかなくてはいけない。落ち込んでいる暇などない。
まだ小学生だった頃、芹奈にあることを聞かれた。
「すずなは、たくさんお金を持っている人と、たくさんお友だちがいる人、どっちが幸せだと思う?」
突然だったので答えられなかった。
「お姉ちゃんはどう思うの?」
逆に言ってみると、芹奈は即答した。
「たくさんお友だちがいる人の方が幸せな人だよ」
「どうして?お金がたくさんあれば、いろんなことができるのに……」
芹奈は首を横に振り、しっかりとした口調で話した。
「よく考えてごらん。お金は、使ったらいつか必ず消えちゃうでしょ?でも、お友だちはずっとそばにいてくれるよ。すずなは、いつか消えちゃうお金とずっとそばにいてくれるお友だち、どっちが欲しい?」
「お友だちがいい」
すぐに答えると芹奈は、よし、というように頷きもう一度話した。
「人はねえ、家族や友だちや仲間がいるから暮らしていけるんだよ。誰かに頼ったり頼られたりしながら生きていくの。ずっと一人ぼっちでいることなんかできないんだよ。たくさんの愛する人と繋がっていられるのって、とっても幸せなんだよ。だからすずな、お友だちと仲良くしてね。いっぱい、いろんな人と仲良くなって、お友だち作ってね。すずなが優しくしたら、お友だちもすずなに優しくしてくれるからね」
うん、とすずなは言い、その日からこの言葉は胸の中にいつも浮かんでいる。
芹奈はすずなにたくさんの話をしてくれた。すずなが寂しくならないように、常にそばにいてくれるのだ。芹奈がいるから、すずなはここまで真っ直ぐな道を歩いて来れた。
芹奈が仕事をしている姿を想像しながら眠りについた。
翌朝、教室のドアを開けると緊張しながら自分の席に着いた。まだ東条は来ていない。またおはようと声をかけてみようと考えていた。昨日は失敗してしまったが、今日は返事をしてくれるかもしれない。
「おはよう、東条くん」
となりに座った東条を見ながら言ってみたが、やはり何も言ってくれない。また残念な結果になってしまった。
だが、まだ出会って二日しか経っていない。すぐそばにいれば、必ずいつかは会話することができるだろう。
すずなは、男の子とはどんな性格で、いつも何を考えているのか想像してみた。クラスにはいろんなタイプの男子がいる。いつも友人と一緒に笑っている男子、にこにこして優しそうな男子、頭がよく冷静沈着な大人っぽい男子、動くのが大好きな元気いっぱいの男子……。当たり前だが、この世には本当にいろんな男子がいる。彼らの頭の中を覗いてみたくなった。
いつだったか。芹奈がうんざりした顔ですずなに愚痴を吐いた。学校で同じクラスの男子から好きだと告白され、柔らかい口調で断ったがしつこく毎日話しかけられると言っていた。
「もっとびしっと言えばよかったかな……。あたしが照れてOKしなかったって勘違いしてるらしいの。いい加減にしてほしいよ……」
芹奈は愚痴など吐かない性格だったので助けてあげたかったが、すずなにはどうすることもできない。
「ス、ストーカーとかじゃないよね?」
「まあね。でも、エスカレートしたら……」
「嫌だよ!そんなの!」
大声を出して芹奈に抱きついた。大切なたった一人の姉を傷つける男が憎らしくて堪らなかった。
「大丈夫だから。すずなは何も気にしなくていいんだよ」
すずなは答えず、もし最悪の事態となったら警察を呼ぼうと本気で考えていた。
幸いなことに、その男は他に好きな女の子ができたらしく、芹奈から離れていった。
「よかった……。お姉ちゃんが襲われたらって、毎日不安だったよ……」
緊張の糸が緩み、すずなは安堵の涙を流した。
それから、完全に男子に興味がなくなった。テレビでイケメンと言われるアイドルを見ても、どこがいいのか不思議な気持ちだった。その男だってもしかしたらストーカーになったりするかもしれないじゃないか。芹奈も同じく彼氏なんかいらないと決めたようだった。そのため、どうして自分が透也に惚れたのかわからなかった。有架が好きだという男子は信じてもいいと思ったのかもしれない。
東条秀馬はどんな男なのだろう……。もっともっとこの男子のことが知りたくなった。
すずなには男の友だちがいない。東条はとっつきにくそうだが、せっかくとなり同士になったのだから仲良くなりたいと思った。まだおはようも言ってくれないが、東条と友だちになれるチャンスを探し、近づく努力をした。
そのおかげで、ついに東条の口から「おはよう」という言葉が出た。たった四文字だが、とてつもなく嬉しかった。また、動揺しておかしなことを口走ってしまった。
「あ、あの、東条くんって右利きなんだね……」
しまったと思ったが遅かった。驚いた顔で東条はすずなを見た。
「いや、大抵右利きだろ」
恥ずかしくて全身から炎が出そうだ。穴があったら入りたい気持ちで何とか続けた。
「あたし、東条くんは左利きっぽい感じがしてたんだよ。だから、ちょっとびっくりして……」
タイミングよく、チャイムが鳴った。どきどきして東条の方に目を向けられない。帰りの時間になると、有架を待たずに逃げるように教室を出た。
呆れられたかもしれない。それでもすずなは東条と友だちになりたいと考えていた。