22
やはり佐伯家の風呂は広かった。温泉旅館のようだ。すずなは大の字になり湯船に浸かった。置いてあるシャンプーやトリートメントなども外国製ばかりだ。疲れていた体がじわじわと癒されていく。今夜だけはお嬢様気分が味わえるのに感動した。芹奈が帰ってきたら自慢しようとも思っていた。
頭を洗いながら、透也と秀馬について考えた。双子のように似ている二人。しかし住む場所も姓も違う。そういえばすずなが透也は自分の親戚だと嘘をついた時、秀馬は全く動揺しなかった。そんな奴に会ったこともないし名前も知らないと言っていた。透也本人に聞けばいいのはわかっているが、またあの冷めた別人に変わってしまったらという不安な気持ちがあった。秀馬もきちんと答えてくれないに決まっている。
じっと考えているとのぼせそうになった。あわてて出ると透也が用意してくれた母親の服が置いてあった。こんな屋敷に住んでいるからか、普通のパジャマではなく着物だった。一人で着れるか心配だったが、何とかうまくいった。
廊下を歩いていると迎えに来たらしく、透也がこちらに近づいてきた。
「気持ちよかった?」
「はい、とっても」
そうか、と透也は笑顔になった。
「じゃあ、部屋に案内するよ。ついてきて」
すずなも笑いながら頷いた。
見たことがない絵や置物などがたくさん置かれていて、すずなはどきどきしていた。いったいどれほどの値段なのか見当もつかないものばかりだ。そしてやはり花がところどころに飾られている。別にどうでもないことなのに、やけに気になってしまう。
二階にはいくつもドアが並び迷いそうになる。その中で廊下の突き当りにある大きなドアから不思議な雰囲気が感じられた。暗く沈んでいて、まるで牢獄のようだ。まさか骸骨でも転がっているのか。そこだけが違う場所に見えた。心臓の鼓動が速くなり、息が詰まりそうになる。あの部屋の中には何が置かれているのだろう……。
「堀井さん?」
はっと我に返り、首を傾げている透也に目を向けた。
「どうかした?」
「いえ……」
手を振ると透也は安心した顔になった。
「ここが母さんの部屋だよ。この部屋で休んで」
透也が指を差したドアの前に進み、取っ手に手をかけた。そっと開くと映画でしか見たことがない美しい光景が現れ、全身が雷が落ちてきたように震えた。お嬢様が眠る場所のすごさに驚いた。
「好きなように使っていいから」
すずなは頷いたが、もちろんそれはできないと心の中で伝えた。
風呂に入ってくると言う透也を見送ってから、部屋の家具を観察してみた。和風な鏡台や机や椅子があり、どれもが触れることさえ許されないような高級品だった。次に生まれるなら、こんな屋敷で育ちたいと羨ましくなった。
家族写真も飾られていた。美しい女性と小さな男の子が二人で並んでいる写真があった。母親と幼い頃の透也だとすぐにわかった。父親は撮る側なのか写っていない。そっと持ち上げて、もう二度と会えない母親の顔と見比べた。きっと事故なんか起きなければ、こうして一緒に写真を撮れたのに……。
「堀井さん」
とんとんとドアを叩く音がして、飛び上がりそうになった。あわてて写真を元に戻すと、もう一度透也が声をかけてきた。
「入ってもいいかな」
「ど……どうぞ……」
そう答えると、ゆっくりとドアが開いた。
「もうすぐ夕食ができるから、居間に来て」
「えっ?夕食ですか?」
「そうだよ。お腹空いてるだろう?」
確かに朝から何も食べていない。今になって自分がとてつもなく空腹だったことに気が付いた。
「透也先輩、ご飯作れるんですね。すごいですね」
すずなが尊敬しながら言うと、ははは、と軽く笑いながら首を縦に動かした。
「まあね。簡単なものしか作れないけど。一人暮らしした時大変だろう。こういうこともきちんと勉強しないとね」
ふと秀馬を思い出した。秀馬は普段何を食べているのだろうか。自炊しているには見えない。
「堀井さんは一人暮らし?」
「あ、あたしは、姉がいて、二人暮らししてるんです」
「へえ……。大学生?」
「はい。アメリカで仕事をしてます。だから今は一人暮らしです」
「そうか……。アメリカか……」
呟くと口を閉じた。一体どうしたのだろうか。
「兄弟がいるのっていいよね。勉強の時とか一緒にやったり。特にお兄さんやお姉さんがいる人を見ると羨ましくなるよ。まあ自分が兄の立場であってもいいけど。弟や妹が慕ってくれるのも嬉しいし」
すずなはもう少しで秀馬の名前を出すところだった。あなたには兄弟がいるじゃないか。秀馬という一歳年下の弟が……。
「じゃあ寂しいね」
すずなはすぐに首を横に振った。
「いいえ。全然寂しくありません」
「どうして?アメリカにいるんだろう?」
ぎゅっと拳を固め、しっかりと透也を見つめた。
「どんなに遠くにいても、あたしはお姉ちゃんと繋がっているからです。あたしはお姉ちゃんがいてくれるから生きていけるんです。それに学校に行けば親友が話しかけてくれるし、寂しいなんて一度も思っていません」
すずなの声を聞き、また透也は黙った。
「……人は、一人で生きていけないって信じてるから。誰かと繋がっているから、幸せに暮らしていけるから……」
さらに付け加えた。どんな答えが返ってくるのかわからず、身を構えて待っていると、透也は先ほどと同じように冷たい口調で言った。
「もうこの話はやめて、夕食を食べよう。それに早く寝た方がいいと思うし」
なぜ流してしまうのか。はっきりと気持ちを伝えてくれないのか。こうして自分の話を一切しないところも秀馬とそっくりだ。
すずなは諦めて俯き、居間に向かった。




