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 自室がすっぽりと三つほど入れそうな広い和室に通され、高級な卓袱台の前に立った。「座っていいよ」と言われたので、緊張しながら正座をすると、透也が座布団を持ってきた。

「これ使って」

 すずなは首を横に振った。綺麗な模様の座布団を下に敷く勇気がなかった。

「いいです。あたし、何もいりませんから」

 すると透也がじっと見つめてきた。

「だから遠慮しないで。自分の家だと思って、くつろいでほしい」

 そんなことはできなかった。この大きな屋敷と安物のマンションは雲泥の差だ。

「それに、緊張されるとこっちも困るんだよ。おかしな真似は絶対にしないから、安心して」

 はっと透也の顔を見つめ返した。はい、と呟き頭を下げた。罪悪感が胸の中に溢れてくる。

 透也が台所に行き、すずなは張りつめていた緊張の糸を緩めた。ほっと安堵の息が出る。今起こっている出来事が夢のようで、さらに優越感の波が一気に襲いかかってきた。王子様にお城に招待されたのだ。きっと誰も経験していないはずだ。大声で叫んでじたばた暴れたい衝動に駆られたが、もちろんやめた。深呼吸してから、和室の中をぐるりと眺めた。ホコリ一つ落ちていない新しい畳に、卓袱台と同じ素材でできているような和ダンスが置いてある。さすがに押し入れの中を覗くことはできなかった。つい先ほどまで出口の見えない迷路の中を彷徨っていたのに、いきなり楽園にやってきた気がした。将来結婚してどこかに住むとしたら、この屋敷がいいと考えていた。

 卓袱台の上にも和ダンスの上にも、骨董品の花瓶が置かれ、綺麗な花がさしてあった。庭の花もすごかった。きっと母親がとても花を愛する人なのだろう。

 ふと亡くなった母親のことを思い出した。すずなの母親は撫子なでしこという名前だと叔母が教えてくれた。

「もし子どもが生まれて、女の子だったら、お花の名前にするって決めてたんだよ」

 それを聞いてすぐに『すずな』とはどんな花なのか調べた。そして春の七草の一つ、カブだと知った。もちろん芹奈の『芹』も春の七草の一つだ。

「でもすずなって花の名前じゃないよ」

 そう言うと叔母はもう一度教えてくれた。

「最初はお花の名前だったんだけど、二人共春生まれだったから、春の七草の中から取ることにしたの。すずなちゃんも芹奈ちゃんも、とっても可愛い名前でしょ。だからすぐに決まったんだよ」

 ちなみに撫子は秋の七草の一つらしい。その時はまだ幼くてよくわからなかったが、成長するにつれてすずなという名前が愛しいものになった。

「ごめん、待たせちゃって」

 さっと襖が開き、透也がお盆を持って入ってきた。突然だったので心臓がどくんと跳ねた。お盆には湯呑みとちょっとした和菓子が乗っている。お茶だけだと思っていたので、何て気が利くのだろうと感動した。普通だったらそこまで考えないだろう。透也は卓袱台にお茶と和菓子を置くと、すずなと向かい合わせに座った。

「熱いから気を付けて」

 じっと見つめられて指が小刻みに震えてしまう。

「あ……あれ?お茶、飲まないんですか?」

 卓袱台に置かれている湯呑みは一つだ。ああ、と透也はにっこり微笑んだ。

「俺は、君の顔見てるだけで充分だから」

 ぼんっとすずなの中で何かが弾けた。全身の血液が沸騰したような感じだ。

「ところでまだ名前を聞いてなかったね」

 おどおどしながらすずなは口を開いた。

「えっと……堀井です……」

「堀井さんか。下の名前は?」

 覗き込むように顔を近づけてくる。もう限界だった。口と目を閉じ俯いた。透也はしばらくすずなの答えを待っていたが、諦めて話題を変えた。

「菱本の一年生なんだね」

「えっ」

 驚いて目を見開いた。どうして知っているのか。

「俺の後ろ歩いてた時、菱本の制服だったから」

 ぎくりとした。まさかバレていたとは。すぐに頭を下げた。

「ごめんなさい。あたし、佐伯先輩に迷惑をかけて……」

「迷惑じゃないよ。それに、透也の方で呼んでいいから。佐伯って言いづらいだろ」

 あの言葉まで聞かれていたのか。さらに深く頭を下げた。

「ごめんなさい……」

「いいよいいよ。それに君みたいな女の子に呼ばれると嬉しくなるよ」

 それは可愛いという意味だろうか。こうして二人きりでお茶を飲むのなら、もっとおしゃれな服を着てメイクもバッチリ決めてくればよかったとこっそり嘆いた。

「もし学校で会ったらよろしくね」

 どきどきしながら頷いた。優越感に浸っている自分の姿が頭に浮かんだ。

 お茶で喉を潤してから、すずなはそっと質問してみた。

「透也先輩のお母さんは、とってもお花が好きなんですね」

 透也は腕を組み、少し首を傾げた。

「うーん。まあまあかな。見るのは好きなんだけど、育てるのはちょっとね」

「えっ、でも、お庭すごかったじゃないですか。この部屋だってたくさん飾ってあるし」

 予想していた答えではなく驚いた。

「……じゃあ誰がお花を育てているんですか?」

 もう一度聞くと、透也は目を閉じて首を横に振った。

「花なんかどうだっていい。もっと違う話をしよう」

 簡単に流されてしまった。わざと変えたような気がした。 

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