19
なぜいつも邪魔をされるのだろう……。すずなはもう一度あの住宅地に行ってみることにした。羨ましいほど美しい屋敷を眺めていると違う世界に来たように感じる。佐伯家はどこにあるのだろう……。
昨日と同じ道を進んでいると、近くの屋敷から怒鳴っているような声が聞こえた。なんと言っているかはわからないが、男が二人で言い争っているようだ。気分が悪くなりすぐにその家から離れた。
知らない場所を当てもなく歩いていたら、迷ってしまうのは当然だ。すずなは住宅地から出られなくなり、途方に暮れていた。何時間も足を動かしていてもう棒のようになっている。それでも立ち止まっていては意味がないので、とにかく前を見て進んでいた。だんだん日も落ちていく。マンションに戻れない不安が心の中に漂う。そしてついにすずなは足を止めた。ただ疲れるだけだと考えた。しゃがみ込み膝を抱えた。どうしようと思っても助けてくれる人はいない。自力でここから出なくてはいけない。涙が瞼に溢れ、寂しくて心細くて怖かった。
突然背後に人の気配を感じた。ゆっくりと近づいてくる。あわてて立ち上がり逃げようとしたが、その前に腕を掴まれてしまった。
「や……やめ……」
「どうしたんだ」
はっとして体が固まった。とても穏やかで優しい口調だった。
「どうしたんだ。具合でも悪いのか?」
そっと振り返り、目を見開いた。声の主は透也だった。
「い……いえ」
手を横に振り後ずさった。まさか憧れの透也に話しかけられるなど夢にも思わなかった。
「具合が悪いんじゃなくて……」
高校生なのに迷子になったなんて恥ずかしくて言えない。逃げたいのに足に力が入らない。
「もしかして迷った?」
全身が炎が上がりそうなほど熱くなった。違うと言いたいが頷いてしまった。
「そうか。仕方ないよ。ここは同じような家が何軒も、ばらばらに建ってるからね。目印になるものもないし。俺も時々迷ったりするよ」
ははは、と軽く笑う透也を見て、どきんばくんどくんと心臓がおかしな動きをしていた。こんなに近くで透也と会話しているなんて奇跡としかいいようがない。
「よかったら俺の家に来ない?」
「えっ」
驚いて変な声を出してしまった。
「お茶でも飲んでいきなよ。歩き疲れてるだろうし。少し休んだ方がいいよ」
熱かった体が急に冷えていった。手を放そうとしたが透也の力は強かった。
「せっかくこうして会えたんだし。ちょっと話をしようよ」
いいです、とすずなが言う前に、強引に連れていかれてしまった。
佐伯家はかなり大きな屋敷だった。特に庭が広い。たくさんの花がところ狭しと綺麗に咲き並んでいる。母親が花好きなのだろうか。すずなが見ていると、苦笑しながら透也が言った。
「花畑みたいだろ。手入れが大変なのに、どんどん植えるんだよ」
じわじわと胸の中が暖かくなる。透也はそれほど花は好きではないのかもしれないと考えた。
重そうな扉を開くと、目の前に大理石でできた広い玄関が現れた。安物の靴で入っていいのかと一瞬考えたが、促されて足を踏み出した。先に透也が行き靴を脱いで、すずなの方に振り返った。どうぞ、というように手を差し出してきたが、やはりすずなは動けなかった。自分が佐伯家にあがってもいい人間ではないと思った。
「あたし、帰ります」
小声で言うと扉の取っ手に手をかけた。しかしその直前に透也が腕を掴んでいた。
「遠慮なんかしなくていいよ」
「いいんです。あたし一人で帰れますから」
「でも迷子なんだろう?」
「だけど……こんな大きなお屋敷にあがるなんて……」
もう一度言うと、透也はため息を吐いた。
「やっぱり男の家に入るなんて怖いか……」
諦めたような口調だった。好きな人に告白して、断られたような表情だった。
「そうだよな。女の子が知らない男の家に平気であがれるわけないもんな……」
知らなくない、と言葉が飛び出しかけた。中学二年生からずっと惚れている人なのだ。むしろありがたくそうさせてほしいくらいだ。
すずなが黙っていると、透也は真顔になった。
「だけど、俺は女の子に変なことなんか絶対にしない。そんなバカな真似をして犯罪者になるなんて嫌だからね。ただ一緒にお茶を飲むだけだ。それでもだめかな」
誓うように言った。透也の真剣な思いがしっかりと伝わった。緊張の糸が緩み、すずなは無意識に頷いていた。
「よかった。ゆっくりしていって」
すずなを見つめながら嬉しそうに微笑んだ。




