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 すずなは今まで一度も男子の部屋に入ったことがない。もっと言えば、父親の部屋だって知らない。秀馬の部屋は、広すぎず狭すぎず家具も一通り揃っている快適そうな空間だった。また色が統一されていておしゃれにも見える。秀馬の好きな色は黒と白のようだ。二人三脚のように歩き、柔らかそうなベッドに寝かせると、バッグからハンカチを出し、秀馬の汗を拭った。

「大丈夫?気持ち悪いの?」

 聞くと秀馬は目をそらしながら言った。

「何回も同じこと聞くな。うるせえ」

「……人が心配してるっていうのに……」

 持っていたハンカチを投げつけてやりたかったが、もちろんやめておいた。

「心配なんかしなくていい。早く帰れ」

 相変わらず不機嫌な口調だ。風邪をひいていても、この男は冷血なままだ。

「帰れないよ。こんな酷い状態なのに。放っておけない」

「そんなに酷くない。お前がいなくても一人で平気だから」

「誰がここまで運んでくれたか知ってる?」

 怒鳴るように言うと、秀馬はすずなの顔をじっと見つめた。

「うるせえ。近くで大声出すな。ただでさえ頭痛いんだ。お前のせいでもっと悪くなる」

 すずなは口を閉じた。これ以上言っても無駄だと思った。ハンカチを持って立ち上がり台所に行くと、水に濡らした。ぎゅっと絞ってから、また秀馬の元に戻る。そっと額に乗せるとじろりと睨む目が飛んできた。

「余計なことすんな。こんなもんいらねえ」

 すずなも同じように睨み返すと、冷たい口調で言った。

「うるさい。近くで大声出さないでよ」

 ふいっと秀馬は横を向いてしまった。乗せたハンカチは枕に落ちた。

「余計なことじゃないよ。普通の人だったら、こんなに苦しそうな人を放っておいたりしないよ。見捨ててそのまま帰るなんて絶対にできないよ」

 ハンカチを手に取ると、今度は首筋に乗せた。冷たいハンカチはすぐにぬるくなる。

「……人は一人で生きていけないから?」

 聞いてきたので、すずなは頷いた。

「そうだよ。こういう時、一人でいると心細いでしょ。誰かがそばにいてくれるだけで安心するじゃない」

 すると秀馬はハンカチを握り、すずなに投げつけた。

「どこが。迷惑なだけだろ。後になって、あの時助けてやったのにみたいなこと言われるなんてイラつく。もういい。お前帰れよ」

 その言葉を無視して、すずなはもう一度ハンカチを濡らしに立ち上がった。どうしてそんな考えになってしまうのか。昔、すずなが風邪をひいてしまった時、芹奈は学校を休んで介抱してくれた。自分だって勉強や家事で忙しいのに、おいしいおかゆを作ってくれたり薬を買いに行ったりしてくれた。その芹奈を見ながら、いつか自分もこうして誰かを助けてあげようと心の中で誓った。それが人間の生き方だ。そうやって人は幸せに暮らしていくのだ。

「家族は、あんたが風邪だってこと知ってるの?あたしはずっとここにはいられないから、代わりに来てもらおうよ。電話番号は……」

 突然秀馬は起き上がった。ベッドから出て歩き出した。

「寝てなきゃだめだってば」

 腕を掴んだが振り払われた。ずんずんと台所に向かい、足元に置いてあったものを手に取った。どこにでも売っている、普通のジョウロだった。台所で満杯になるまで水を入れる。

「え……」

 すずなが戸惑っていると、秀馬はぼそぼそと言った。

「昨日の朝から水やってなかった。ベランダのにもやらないと……」

 どうやら独り言のようだ。わけがわからず立ち尽くしていると、ちらりとすずなを見てから奥の部屋のドアを開けた。

 部屋の中には、たくさんの花の植木鉢が並んでいた。秀馬が花を育てているなんて意外すぎる。

「待って。あたしがやるから」

 手を伸ばしジョウロを掴むと、苦しそうな顔を横に振った。

「いい。俺がやる」

「水やるくらい、あたしにもできるよ。お願いだから寝てて。これ以上悪くなるとまずいよ」

 すずなの真っ直ぐな思いに気付いたのか、秀馬はそっとジョウロを手渡した。

 花はどれも綺麗に咲いている。名前を知らない花もあった。水をやりながら秀馬に質問してみた。

「この部屋は何なの?」

 しかし秀馬は答えてはくれなかった。

「別に知らなくたっていいだろ。お前に関係ない」

 確かにその通りだった。秀馬の部屋に植木鉢が置いてあることについて、すずながいちいち聞くことはない。

 全ての植木鉢に水をやると、すかさず秀馬が聞いてきた。

「ベランダのにもやったか」

 そうだった、とすずなは台所に行くと、もう一度ジョウロに水を入れた。ベランダの花も見事に咲いていた。同じように水をかけて秀馬の元へ戻った。

「他にやってほしいことは?」

 そう言ったが秀馬は面倒くさそうに手を振った。

「ない。もう帰れ」

「家族に電話した方がいいよ。一人で寝てたってよくならないよ」

「家族なんかいねえし」

 どくんと心臓が跳ねた。まさか秀馬もすずなと同じく両親を亡くしてしまったのか。

「もしかして……亡くなった?事故とかで……」

「違う」

「病気とか……」

「違うって言ってんだろ」

 ではどこか遠くに住んでいるのか。そういえば秀馬はアメリカに住んでいたことがあると聞いていた。もしかして国内にいないからそう言ったのか。

「どうしよう。あたし、ずっとここにいられないし……。でも頼める人なんか……」

「一人で平気だって。もう放っておいてくれ」

 またこの失礼な態度。むっとしてすずなはバッグを手に取った。

「わかった。じゃあ、あたし帰るから。絶対に外に出ちゃだめだよ」

 秀馬が小さく頷くのを確認してから、玄関に向かった。


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