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有架は習い事が多く、あまり遊べる日がない。そのためすずなは大抵一人で出かけている。土曜日の朝、早起きすると、特に当てもなくぶらぶら歩くことにした。いつもは何事もなく楽しい時間を過ごせるのだが、運悪く秀馬と出会ってしまった。私服の秀馬を見たのは二回目だ。夏休みに、まだこんな冷血男だと知らなかった時に、図書館で本を探した。
最初に気が付いたのは秀馬だった。あっ、と短い声が聞こえ、すずながそちらを向くとコンビニのビニール袋を持っている秀馬が立っていた。気付かなかったフリをしてその場から離れようとしたが、なぜか近づいてきた。
「買い物する暇があるなら、家で勉強しろよ」
「いちいちうるさいっ」
胸をどんと突くと、腕を掴んできた。
「外にいる時は一人なんだな。やっぱり脇田に嫌われてるんじゃねえの」
「有架は塾とかピアノとか習い事たくさんあるから、外に出られないの。本当は一緒に出かけたいって思ってるよ」
ちらりとビニール袋の中が見えた。ちょっとしたお菓子とペットボトルが二本入っているだけだった。
「……そういえば、あんた、ご飯作れるの?」
秀馬が家事をこなしている姿を想像できなかった。
「ていうか、一人暮らししてるの?」
もう一度聞くと、秀馬は目を閉じて答えた。
「お前に関係ねえだろ」
その一言で、何となく気が付いた。無意識に口が動いていた。
「お弁当とか食べてるんじゃないの?絶対体壊すから、やめた方がいいよ」
ふとあることを思い付いた。
「恋人でも作ればいいのに。その性格治したら、意外と女の子にモテるんじゃないの。彼女にご飯作ってもらえばいいじゃん」
秀馬はうんざりした顔つきになった。
「恋人なんか欲しくねえよ。好きなものたくさん買わされて、食事にも連れてやって、必死に貢いだら急に他に好きな男ができたから別れてくださいって裏切られるんだぜ。本当、そんなの始めからわかってんのに、どうしてみんなだまされてんのか気が知れねえな」
聞きながらすずなは、まだ透也と出会う前の自分を思い出した。恋愛なんて面倒だし、彼氏なんかいらないと決めていた。どんなに素敵と言われる人だって、もしかしたらストーカーに豹変するかもしれない。誰かを愛することなんかできない。けれど今は透也を愛している。ということは、秀馬も好きな子ができたら、一途に相手を想うのではないか。
「それに」
秀馬の口調が固くなった。すずなもどくんと緊張した。
「俺は、好きとか愛してるっていう言葉が嫌いだ」
「嫌い?どうして?」
すずなが見つめると、秀馬も見つめ返してきた。
「そんなもん必要ねえからだ。どれだけ口で好きだ、愛してるだ言ってても本当かどうかわかんねえだろ。嘘かもしれない。本当に自分のものにしたいんだったら、口じゃなくて体で伝えるんだよ。取り返しのつかないことしてみろって思う」
「取り返しのつかないこと?」
想像してみたがもやもやして形にできない。すずなの思いに気が付いたのか、秀馬はもう一度言った。
「キスは誰とでもできるからセーフ。でも結婚したり子供が産まれたりしたら、一生その相手と生きていかなきゃいけない。取り返しのつかないことだろ。それでも幸せになれるのが運命の人だよ。やっぱり違う人がいいっていうのは、ただ恋愛ごっこがしたかっただけ」
目から鱗が落ちた。確かにキスは誰としても怒られる程度で済むが、結婚や出産は簡単には離れられないし、最悪の場合犯罪も起きることだってある。一生そばにいてもいいという人が運命の人だ。
「よくわかる。あたしも、取り返しのつかないことしてもいい人と結婚したい。子供産みたい。……何か、今すっごくすっきりしてる……」
「だろ。だから、そういう人が現れるまで、誰とも恋愛なんかしない。可愛いとかかっこいいとか、綺麗だとか素敵だとかそんなものただのオマケだよ。好きだとか愛してるとか言われても、テストで百点とった時と同じ気持ちになるだけ。本当に幸せを感じるのは、もっともっと後になってからだ」
秀馬の口からは絶対に出てこないような話だった。あまりにも意外すぎて、すずなは放心状態になっていた。
「おい、ぼんやりすんな」
軽く頭を叩かれ我に返った。
「……まさか、恋愛と無関係のあんたがそんな風に考えてたなんて、ちょっとびっくりしちゃって……。でも、あんたの言う通りかも。人を愛するのって、すっごく奥が深いんだね……」
「何で俺が恋愛に無関係なんだよ。俺だって運命の相手が目の前に現れたら、自分のものにするよ。後悔しないように手に入れる」
「へえ……」
言いながら少しどきどきしていた。秀馬が手に入れたくなる女の子が、この世に存在するのか。もしいるとしたら、その子はとても苦労な人生を送るだろう。秀馬にぐるぐる振り回されながら過ごしていくのがどれほど辛いのかは、いつもとなりにいるすずなにはわかる。
「お前もあんまり佐伯透也にばっかり目を向けてないで、他の男も見た方がいいぞ。もしかしたらすぐそばにいるかもしれないだろ。大事なのは外じゃなくて中だよ。ただの恋愛ごっこじゃなくて、本気の恋愛をしたかったら、周りも見るのが大事。絶対もったいないことすんなよ」
すずなは動揺で体が震えそうになっていた。秀馬がとても穏やかで優しい目をしていたからだ。そしてやはり……どこかでよく似た人を見た……。
「秀馬くん、あの……」
「じゃ、俺はもう行くから」
すずなの声を遮り、秀馬は歩いて行ってしまった。
家に帰ってからも、秀馬の顔が頭に浮かんでいた。なぜか忘れられない。というか忘れたくない。
もっと他の男も見た方がいいぞ。もしかしたらすぐそばにいるかもしれないだろ……。
でもクラスに好きなタイプの男子なんかいない。自分の運命の相手は絶対に佐伯透也しかありえない。ずっと、何年も前から惚れているのだ。これはただの恋愛ごっこではないのだ。




