12
「すずちゃん、目が真っ赤だよ」
翌朝有架が一番に言った言葉だった。
「大丈夫。何でもない」
「どうしたの?昨日泣いてたの?」
有架の心配そうな顔を見ていたくなかったので、すずなは無理矢理笑った。
「ドラマ観てたら感動して泣いちゃって」
「それならいいんだけど……」
まだ困った目をしていたが、ほっとしたように息を吐いた。
テストはほぼ空欄のまま出した。これはもう仕方がないと割り切った。真面目に問題を解けられるわけがない。
……あたしは何か間違えていたんだろうか……。確かにテスト勉強と言っていたのに秀馬のことばかり考えていたし、全然集中していなかったのも認める。毎日質問攻めにしていたのも悪いと思っている。けれどそうしないと友だちになるなんて夢のまた夢だ。向こうが心を閉ざしているなら、力ずくでこじ開けなければいけない。ただ近づきたいだけなのだ。嫌がらせをする気も、迷惑をかける気もない。
放課後クラスメイトがいなくなった教室でぼんやりと空を見ていると、誰かの目線を感じた。
「テストはどうした?」
聞き慣れた声が飛んできたが、振り返らずに呟いた。
「……三問だけしか解けなかった。あと、名前書き忘れた……」
「じゃあ追試だな」
感情が全くこもっていなかった。そんなに気に障ったのか。
「問題は解けなくても、名前は書け」
冷たい言葉が襲い掛かる。また涙が出てきた。
「名前……」
亡くなった両親を思い出し、寂しいという気持ちでいっぱいになった。今は芹奈もいない。
「……秀馬くんは、自分の名前が嫌いって言ってたけど、あたしは好きだよ。お父さんとお母さんが、あたしのためだけに贈ってくれた宝物だもん。すずなって名前があるから、あたしはこの世に存在できるの」
じっと秀馬が聞いているのが感じられた。何を考えているかはわからない。
「人は、一人じゃ生きていけない。誰かに頼ったり頼られたりして幸せに暮らすの」
「持ちつ持たれつってやつだな」
はっと後ろを振り返った。秀馬と目線がぶつかり合う。
「何それ……」
すずなが言うと、秀馬は呆れた顔になった。
「もう高校生なのに意味知らねえのか。お互いに助けたり助けられたりするってこと」
「え……」
いつの間にか涙が止まっていた。秀馬がこんな言葉を知っているとは驚きだった。
うん、と小さく頷くと続けるようにすずなは言った。
「そう。人は持ちつ持たれつで生きていくの。いろんな人と繋がれるのってとっても嬉しいことなんだよ」
そこで一旦口を閉じ、緊張しながら話した。
「あたし、秀馬くんと繋がりたい。お友だちになりたい。仲良くなりたい。今までしつこくしてきて本当にごめんなさい。だけどそれは秀馬くんが全然自分の話をしてくれないからなの。秀馬くんのこともっと知りたい。もっと頼って頼られたい」
そして目をぎゅっとつぶった。どんな答えが返されるか怖くなった。しばらく秀馬は黙っていたが、腕を組むと口を開いた。
「俺はお前と繋がりたくねえな。ちょっと勉強教えてやっただけでもう仲良しのお友だち。何勘違いしてんだよ」
「えっ?」
体が足元から冷えていくのがわかった。
「だいたい頼るって言ってるけど、ただ面倒くさいこと他人に押し付けてるだけだろ。俺はお前みたいな自分で努力しない奴が大っ嫌いなんだよ。見てるといらいらする。お願いしますって言ったら必ず誰かが助けてくれて、何かまずいことがあったらごめんなさいの一言で全部許されると思ってる。こっちが優しくすれば相手も優しくしてくれるとか本気で信じてんのか。それに俺はお前に頼ったことなんか一度もねえよ。お前がやってんのは迷惑なおせっかいだよ」
返せる言葉が見つからない。冷たくなった体が一気に炎が立ちそうなほど熱くなった。頭の中は驚くほど静まり返っている。
「人は一人でも生きていける。俺はずっと一人きりだけど、ちゃんとこうして生きてる。一人で生きていけないなんてただの弱虫の言葉。誰かに頼ったり頼られたりして幸せに暮らすなんて綺麗ごとなんだよ」
そう言うと手に持っていたものを見せた。すずなの携帯だった。机の上に置きっぱなしにして忘れていた。
「ちょっとそれっ、あたしの……」
取り返そうと手を伸ばしたが、秀馬のにやりとした笑みで体が固まってしまった。
「人間は平気で裏切る。自分のことしか考えてない。他人なんかどうだっていい。だから佐伯透也も脇田有架もいらない。誰もいらない。何もいらない」
そして携帯をそのまま床に落とした。一瞬にしてそれは目の前で粉々になった。こんなにも簡単に消え去った。かっこいい透也の画像も、可愛い有架のメールも、すずなが大切にしていたものがばらばらに砕け散った。
愕然として指一つ動かせないすずなに、トドメを刺すように秀馬は続けた。
「じゃあ悪いけど、甘っちょろい考えの人間と繋がる気はさらっさらないんで。お前と一緒にいるとろくなことないし、バカがうつりそうだし」
吐き捨てるように言うと、すたすたと歩いて行った。
すずなは、とてつもなく自分がいらついているのがわかった。こんな思いになったのは生まれて初めてだ。秀馬の腕を力強く掴み、睨みつけながら叫んだ。
「あたし、あんたがそんなクズ男だとは思ってなかった!誰かと繋がる喜びを知らずに、そうやってグチグチひねくれて、一人で寂しく死んじゃえ!言っておくけど、あんたの方がずっとバカだから!あたしもあんたみたいな最低最悪男大っ嫌い!あんたなんか大っ嫌い!」
自分が何を言っているのかわからなくなっていた。怒鳴り散らすと後ろを振り返り、気が失いそうな勢いで走った。追いかけてくると思っていたが、その心配はなかった。
足を止めると目からぼろぼろと涙が溢れているのに気が付いた。怒りで体が爆発しそうなのに、どうして泣いているのか。はあはあと肩で息をしながらその場にしゃがみ込んだ。
人間は平気で裏切る。自分のことしか考えてない。他人なんかどうだっていい。
一人で生きていけないなんてただの弱虫の言葉。
誰かに頼ったり頼られたりして幸せに暮らすなんて綺麗ごとなんだよ……。
秀馬の言葉が頭の中で回る。胸が張り裂けそうにずきずきと痛む。今まで自分が信じてきたことは間違いだったのか。
「お……お姉ちゃん……」
涙が溢れて止まらず、すずなは両手で顔を覆った。