11
待ち合わせに行くと、既に秀馬はいた。早めに出たつもりだったが、また待たせてしまった。
「ごめん、遅れて……」
昨日と同じく苦笑すると、秀馬はすたすたと図書館の中に入ってしまった。
「あ、ちょっと」
あわててすずなもついていった。
教科書とノートを広げ、テスト勉強に取りかかった。秀馬は向かい合わせに座り、腕を組んで目を閉じている。どうやら眠っているようだ。昨日ずっと家庭教師をしていたから疲れてしまったのかもしれない。すずなは起こさないように椅子から立ち上がる時も気を付けた。
始めはきちんと勉強していたが、だんだん目線が秀馬の方に移動していった。いつも横顔ばかり見ているせいか、正面だと少しどきりとする。やはり誰かに似ているような……。
突然目がばしっと開き、すずなは声が出るほど驚いた。
「ね……寝てたんじゃないの……」
心臓がどくどくと速い。ずっと顔を見つめていたのもばれていたのかと思い恥ずかしくなった。
「俺じゃなくて教科書見ろよ。テスト明日なんだぞ」
「ごめん。わかってるよ」
ノートに目を戻し、問題に集中する。だがどうしても秀馬のことが頭に浮かんでしまう。誰かに似ているが思い出せない……。
「秀馬くん、聞きたいんだけど」
恐る恐る聞いてみた。何だ、というように秀馬は顔を上げた。
「誰かに似てるねって言われたことない?芸能人とか」
「勉強の質問じゃねえのか」
呆れたように呟くと、面倒くさそうに答えた。
「ないな。会う奴ほとんど俺のこと避けてるし」
心の中が冷たくなった。本当の性格をわかってもらえないのが可哀相になった。こうやってテスト勉強にも付き合ってくれたりする優しい人なのに、みんな勘違いしている。見た目だけで判断するのは絶対にしてはいけない。
「聞きたいのってそれだけか」
「う……うん……」
「じゃあさっさと続きやれよ」
秀馬の目つきが鋭くなりぎくりとした。なぜか冷や汗が滲み出る。不安な気持ちでペンを動かしていると、解けない問題が出てきた。
「ねえ、ここわかんない。教えて」
指を差しながらそう言うと、秀馬はふいっと横を向いてしまった。
「英語なんてちょっと考えればわかる」
昨日とはまるで態度が違う。戸惑いながらもう一度言った。
「え……でも」
「お前、言ったよな。そばにいてくれるだけでいいって。教えてくれなくてもいいって」
「えっ」
すずなは金曜日にあったことを思い出した。確かにそばにいてくれるだけでいいと言った。教えてやらなくてもいいから、秀馬はこうしてせっかくの休日をすずなのテスト勉強で使っているのだ。
「そうだけど……いいじゃない。秀馬くん、アメリカに住んでたんでしょ。少しくらい」
「昨日教えてもらったから調子乗ってんだな」
「ちょ、調子になんか乗ってないよ」
おろおろしながら何とか答えると、秀馬は少し黙ってから身を乗り出した。しかしとなりには来てくれない。秀馬の話を聞きながら「わかった」「そうなんだ」など頷いていたが、内容はほぼ頭に入ってこなかった。それより秀馬のことが知りたい。
「意味わかったな」
うん、と笑ったが全く聞いていなかったので冷や汗が流れていた。完全に頭の中は空っぽだ。
「もう一つ質問してもいい?」
すずなはじっと秀馬を見つめると、胸の中に浮かぶ疑問を一気に吐いた。
「どうして自分の名前が嫌いなの?名前って、お父さんとお母さんがいろいろと考えてくれた大事なものでしょ。それなのに……」
突然、がたんっと大きな音を立てて、秀馬が立ち上がった。すずなを見ずに後ろを振り返る。
「待って、どこに行くの」
あわててすずなも立ち上がり、秀馬の手を掴んだ。
「帰るんだよ」
前を向いたまま秀馬は言い、すずなの心の中に黒いもやが一気に溢れた。
「えっ……、まだテスト勉強終わってな」
「テスト勉強?どこが」
すずなの言葉が鋭く尖ったナイフに遮られた。秀馬はすずなを睨みつけながら言った。
「ほとんど話聞いてねえだろ。俺はお前が英語の勉強したいって言うから付き合ってやったんだよ。お前が知りたいのは英語じゃなくて俺のことだろ」
息が苦しくなり、指が小刻みに震える。さらに秀馬は続けた。
「今日だけじゃない。いつもいつも顔を見れば、くだらねえことばっか聞いてくる。毎日馴れ馴れしく話しかけられるこっちの身にもなれよ。俺に嫌がらせしてんのか」
重くて太い槍が胸にぐさりと刺さる。力を入れていないと床に倒れてしまいそうだ。
「……そんな……そんなこと……してないもん……」
瞼に涙が溢れ、頬を伝って図書館の絨毯に落ちていく。
「あたしは……、ただ秀馬くんと……仲良く……」
「帰る。あとは一人でやれ」
そう言うと秀馬は大股で歩き出した。
「待って。行かないで」
もう一度手を掴もうとしたが、思い切り振り払われてしまった。
「いい加減にしろ。しつこい奴だな。もう話しかけんな。迷惑だ」
短いがきつい一言だった。もう返す言葉がなかった。秀馬は足早に図書館から出て行き、すぐに姿は見えなくなった。すずなはその場に立ち尽くしていた。追いかける気力なんてない。ぽろぽろと涙を流すことしかできない。
周りにいた数人が、すずなをちらちらと見ていた。「どうしたんだろうね」「あの子大丈夫かな」という囁きも聞こえる。恥ずかしくて惨めで、消えてしまいたかった。
しばらくしてゆっくりと動き、教科書とノートをバッグにしまった。勉強などできる状態ではなかった。もうテストなんかどうでもいい。
しつこい奴……。馴れ馴れしい……。迷惑……。嫌がらせ……。秀馬の言葉の一つ一つが、鉛のように心の中にのしかかった。