ことのはじまり その2
「さて、ではミズキの相談というのを聞くとしようか」
イカダの上に仁王立ちしたギルマスが、腕を組みながら眼光を鋭くする。
そんな禍々しいギルマスとは対照的に海は優しく凪いでいて、ゆりかごのように私たちをふわりと揺らす。
私の部屋の目覚まし時計が指す時刻は午前一時半。窓の外では梅雨時のしとしととした雨が夜空から幕のように降り注いでいるけれど、液晶ディスプレイに映るのは真夏のような強い日差しと雲ひとつない真っ青な空。それからその空の青さを映した、四方の水平線までどこまでも続く海。ぜんぶ海。
いつもどおりの地味なパンツルックの私と、この海の景色にふさわしい真っ白なワンピースに麦わら帽子という姿のドグラマグラ。
黒を基調とはしているものの、なぜか縁取りの装飾が蛍光ピンクという、全く潜む気がゼロな忍者装束に身を包むイヌミミの〈暗殺者にして陰陽師〉、タマスカン。
そして、どこか西洋風の全身鎧を彷彿させるような銀色に輝く和鎧に、黒のマントを翻す〈戦士にして剣士〉。戦国時代に名を轟かす、かの第六天魔王の鎧姿のようなといえばご理解いただけるだろうか。そんな見た目も中身も魔王モドキな変人が私たちのギルドマスター、名前もギルマスである。
そんな私たち四人は、なぜか丸太を適当に結い合わせただけという感じの畳六畳分ほどのイカダに乗って、大海原の只中に居た。
「ちょっとまって。その前にとりあえずここどこ? これ何なん?」
「どこって海だろう?」
「いや、そういうことじゃなく!」
そのまま何もなかったかのように話を続けようとするギルマスを遮って、私は思わず声をはりあげる。
あれから後、私とドグ姐さんは二人でパーティーを組んで、姐さんのドレスの素材を集めるために森に入り、上半身が女性で下半身が蜘蛛というキモい見た目のアラクネというモンスターを狩っていた。なんか糸っぽいアイテムを落とすらしい。
ちなみにパーティーというのはゲーム内での戦闘時に組む一時的なチームのこと。細かい説明はめんどくさいのでしないが、これを組んでおくと戦闘時にいろいろ便利になる何かだ。
そうしてるうちに残りの二人から手が空いたという連絡をうけ、パーティーへの参加申請を受理した途端にこの光景。
こいつらが非常識な存在であることは重々承知ではあるが、残念ながら私は常識ある一般人なのだ。もう少し説明とかフォローとかがあってしかるべきだと思う。
「ドグから誰にも聞かれるわけにはいかない相談事と聞きましたからね、それもミズキさんの。ここは正念場と判断し、全力を尽くさせて頂いた次第」
タマはそう言うと、両足を揃えて直立し、片手を胸に当てて頭を下げる。
その口元は面頬に隠れて見えないが、額当ての奥に光る目がどこか自慢げだ。
「タマ、あいかわらず無駄にアクティブすぎるだろ……」
「いやあ、照れます」
「ぜんぜん褒めてないから」
このゲームではパーティー全員を特定のフィールドまで転移させるアイテムというものが存在する。それは特殊なクエストの仕掛けとして提供されるものか、もしくは特殊な条件下においてのみ購入できる課金アイテムで、どちらにしたって簡単に手に入るものではないが。どれだけ手間やらリアルマネーやらをかけたのだろうか。馬鹿じゃないだろうか。
「ほんと、常識疑っちゃうわよねえ」
突然ふわりと吹いた風に、つばの広い麦わら帽子とワンピースのスカートの裾をおさえながら、ドグ姐さんが呟く。
申し訳ないけれど、この景色を見た途端に夏休みのお嬢様ルックに着替えた姐さんも大概だと思います。
「ふむ。ではミズキも納得したところで話を進めようか。ほれ、相談とやらを話せ」
「納得なんかぜんぜんしてないけど諦めた。あとギルマスが横柄なのはいつもだから諦めてるけどムカツク……」
とはいえこいつらのペースに付き合っているといつまで経っても話が進まない。
まあ説明しろと言われても、そんなに複雑な話でもない。宝くじが当たったというだけのことだ。その額が変なことになっているだけで。
まあ、そんなで手短に説明すると、私以外の三人は少しの間、何かを考えるかのように沈黙する。
「なるほど、理解した。これは前から言っているがミズキはとりあえずまず、いまの会社やめろ」
「へ? なんでそうなるん?」
最初に言葉を発したのは、ギルマスだった。
しかしそれは、一見今回の話とは関連のなさそうな内容。
「ミズキ、お前いま名刺何種類持ってる?」
「うーん、二種類かな。勤めてる会社のと、派遣元って事になってる会社のと。さすがに派遣先の会社のは持ってない」
「人それを二重派遣という。立派な職業安定法違反だ」
「うん。そうじゃないかと薄々は感じてた……」
私の務める会社はいろいろな会社の開発案件に、その案件に適した技術者を派遣するという人材派遣業を主に行っている。まあ実体はとりあえず教育と称してそこらの本屋で買ってきた入門書を一ヶ月ほど読ませて、業務経歴に下駄を履かせて現場に放り出すとかそういう感じなのだが。
まあそれでも運が良ければそれなりの現場に派遣されてそれなりに働けばそれなりの給料をもらえる。
まあ、確かに就職後の最初の職場に派遣された時の職務経歴書に「VB開発歴二年」とか書いてあったり、知らない会社の名刺を渡されてその会社の社員を名乗れとか言われたりはしたけれど、銀行系のシステム開発に一山いくらでドナドナされて体を壊して辞めていった同期たちに比べれば、私は相当運が良かったといえるだろう。
「それから残業代な。前ちらっと聞いた話だとだいぶ愉快なことになってたような気がしたが」
「残業代? 出てるよ。勤務地の社員と一緒にタイムカード切ってるし。まあどれだけ残業しても給料明細だと何故か毎月十五だけど」
「それも労働基準法違反だ。多分派遣のたらいまわしの途中で抜かれてるぞ」
「デスヨネー」
これもまあ、そうなんじゃないかとは思っていた。
今では疎遠になってしまった大学の時の同期で私と同じくIT系に就職した友人は、よく「残業ばっかで金はたまるけど時間がねえ」とか言っていた。私も数年前くらいに派遣先のシゴトが火を吹いて、月に二百時間とかの残業が半年以上続いたことがあったけれど、あまり懐が暖かくなった覚えがない。
「あと有給休暇。どれだけ取れてるんだ?」
「あー、申請して運が良ければ通る。具体的に言うと半年に一回くらい?」
「…………」
「…………」
「…………」
ふたたびの沈黙。
やわらかく揺れる水面がイカダにあたる水音だけが、定期的なリズムで小さく響く。
どこからか飛んできたカモメがイカダの端にとまり、首をかくかくと振りながら私たち四人を交互に眺めた後、ぐわーと濁声で鳴く。
「聞いてるこっちの目からハイライト消えるわ!」
「なによソレ! 加えて趣味がネトゲだけとかなんでそんな人生終了風味なのよ!」
「思った以上ですね。ミズキさん社畜ですか、マゾですか? ドMなんですか!?」
「うええ、ほら…… だってさあ……」
「だってもあさってもねえ!!」
急に大声を上げた三人に驚いて、カモメが飛び去っていく。
いや、私だってこのままは良くないかなあとかは思っていたのだ。ただ、転職とかちょっとめんどくさいなあと思っていたら、いつの間にかに任される業務も増えてしまっていて、なんか辞めるとかも言いづらいなあとかそんな風になってしまっただけなのだ。
「どっちにしてもだ。オレとしては親友がそんなブラックな企業に搾取されている状況は我慢ならん。もう金に困ってるわけじゃねえんだから辞めてしまえ。まだ働きたいって言うんだったらマシな企業への紹介状くらい書いてやる」
「そうねえ。なんならうちで働かない? ミズキちゃん小さいし素材は良いし、ちゃんとすれば可愛い思うのよね。アクセのモデルさんとかしてもらおうかしら?」
「そうですね。資産運用を任せて頂けるのでしたら倍とはいいませんが、それなりに増やしてみせますよ。あと私がお世話になっている会計士も紹介しましょう。税金周りは面倒ですが、疎かにするともったいないですからね」
「うえ、うえええ……」
すごい勢いで詰め寄る三人の迫力に、私は数歩後ろにあとずさる。しかしここはもうイカダの端だ。これ以上後ろに下がれば海の中にドボンである。
さらに圧力を増す三人の前に、私はその場に座り込んでしまう。
「で、ミズキ。お前は何がしたい? どうなりたい?」
両手を腰にあて、私を見下ろして、ギルマスが言う。
普段から言動は唐突で、だいぶ強引。ゲームの中でそれに困らされたことは数え切れないほどある。
ただ、いま見上げるギルマスの顔は真剣なものだ。私の身を案じてくれているということは嫌ってほど伝わってくる。
「ああ、そうだなあ……」
見上げるギルマスのその先には青い空。周囲にはどこまでも広がる青い海。
私は昔からのろまだ。それは走るのが遅いとか、動くのがゆったりだとかそういう事ではなくて、物事をちゃんと理解したり、咀嚼して自分のものにするのに時間がとてもかかるのだ。
でも外の世界はそんな私ののろまさに合わせてはくれない。
だから私は今まで色々なことを諦めてしまってきた。そして、なんとなくで流してきてしまい過ぎたのだろう。
今となっては、昔は持っていたはずのやりたいことも、守りたいと思っていた筈の大事なものも思い出すことができない。
この三人のような心の芯となる何かが、私からは欠けてしまっているのだと思う。まあこの三人は特殊すぎるとも思うが。
「こんな青い海と空があるところに、ちょっと住んでみたいかなあ……」
だからみんなが羨ましいと思った。そしてゆっくりと考える時間がほしいと思ったのだ。
「まあミズキらしいっちゃらしいか」
「そうね。少しお休みってのも、悪くない選択かもしれないわね」
ギルマスがため息をつき、ドグ姐がちょっと呆れたというふうに肩をすくめる。
とはいえ、先程まで三人から感じていた圧力のようなものはもう消えている。
「……ふむ。投機目的で購入しているリゾートマンションのどれかを提供して、税金対策は適当に事業者申請を。業務の実体は……」
タマはひとりぶつぶつと何か呟いているが、あれは一度なにかを考えだすと人の話が聞こえなくなる。あのモードに入ったら数分は帰ってこないだろう。
私はさっきまでの緊張で縮こまってしまっていた身体を、ぐっと伸びをしてほぐす。
さて、辞表を出すとか何とかというのはそれなりに大変に違いない。明日からはちょっと頑張ろう。
そう思った時、いままでずっと穏やかだった水面が、突然ちいさな山ができたかのように盛り上がる。
どごーんと轟く水飛沫の中から現れたのは、ちょっとした建物ほどの大きさがありそうな白い鯨のモンスターの姿。その体表には大小数多くの傷があり、背中にはたくさんの銛かなにかが剣山のように刺さっているのが見える。
「ちょ、ちょっと! なに? これなに!?」
その巨大な白鯨が身体を捻らせることにによって発生した巨大な波で、大きく揺れるイカダに必至につかまりながら、私は叫ぶ。
「ああ、これイベントボスの〈モビィ・ディック〉ですね。ここに転移するときに使ったのが、このイベント用のアイテムだったので」
「ちょっ! それって私たちのレベルと人数で倒せるやつなの!? なんかすごく強そうなんだけど!!」
「無理だな。あれは最新パッチで追加されたエンドコンテンツの一つだ。百人単位で人を集めてやるやつ。ちなみにまだ誰も倒していない」
「あらあら、まあまあ」
その直後、大きなトラックほどはありそうな鯨の尾鰭が、私たちの乗るイカダめがけて振り下ろされる。
ただでさえ木材をとりあえず繋げただけといった感じだったみすぼらしいイカダは、その一撃で木端微塵に砕け散り、私たちは宙へと投げ出される。
「うわー、やっぱりこうなるのか~!!」
そうだった。忘れていた。
あの三人が揃うと、いつも禄でもないトラブルが起きるのだ。
私の液晶ディスプレイに最後に映ったのは、水中に沈みゆく私のキャラクターと、大きな口を開けて迫る巨大な鯨の姿だったのだ。