ことのはじまり その1
宝くじが当たった。その額、なんと八億円。
某国民的ロールプレイングゲームのやんごとなき血筋と同じ名前をもつ宝くじの、そのキャリーうんちゃらというやつである。
正直言って実感はぜんぜんないのだ。まったく意味がわからない。
とりあえず何度も繰り返して当選の数字を見比べていたウェブブラウザの画面を閉じて、私は毎日それなりの時間を費やしているネットワークゲーム、〈ノドゥス・セクンドゥス・オンライン〉を起動する。多人数同時参加型オンラインRPG、いわゆるMMOというやつである。
〈ノドゥス・セクンドゥス・オンライン〉、通称〈ノセド〉は定番のファンタジー世界を舞台にしたRPG。ファミコン時代に数多く作られたさほど人気でもなかったRPGの一つがまさかのネットワークゲーム化という事もあっ、リリース当時は少し騒がれたものの、それ以降は大きく話題になる事もない地味なゲームだ。作りは丁寧ではあるとは思うのだけれど、プレイヤー数も同ジャンルのゲームの中では中の下といったところだろう。
しかしここにさえ行けば適度に近く、そして適度に関係の遠い仲間がいる。それも普通に生活していては出会わないような多彩な経歴をもつ変な仲間たちが。
地方から東京の大学を受験し、そのまま都内で就職。
学生時代から何度か恋愛などはしたものの、最後の彼氏とは数年の付き合いのうちにだんだんと距離が離れ、フェードアウトのように契約解消となってしまった。どうも私は恋愛関係に対する熱量が高くないようなのだ。継続的にパートナーの気を使い、定期的に訪れるイベントに対して労力を払うということが面倒くさくなってしまう。
というわけでなんとなーくコンピューター系の技術職として働きながら、なんとなーく過ごしていたらいつの間にかに私の年齢は既に二十代も中盤をすぎていた。
この歳になると、学生時代の知り合いの半数以上は結婚し、子供を育てている友達も多い。卒業後の数年はよく行われていた同窓会なんてものも開催されることが少なくなる。
まあ恋愛と同じですぐいろいろなものが面倒くさくなってしまう私は、そういうイベントへの参加はあまり積極的ではなかった。だから諦められて連絡が届かなくなってしまっただけかもしれないけれど。
というわけで、私の持っている人のつながりというのは、毎日の糧を得るために続けているシゴトの職場を除くと、この〈ノドゥス・セクンドゥス・オンライン〉の世界が大半になってしまうのだ。
「あら、ミズキちゃん、こんばんわ~。今日はインが遅めじゃない?」
ゲームの画面が立ち上がるとほぼ同時にチャットを繋いできたのはドグラマグラ。通称ドグ姐さん。
名前はあれだけれど、ゲーム内でのキャラクターは見目麗しいエルフの〈 精霊術師にして祈祷師〉。すこしウェーブのかかった長い金髪とすらりと長い手足が印象的だ。服や装備のチョイスも見た目重視かつハイセンスで、どこか妖艶な雰囲気を漂わせている。
しかし中の人はしゃべり方にもにじみ出ているが、漢女心あふれる男性。
ちなみに私の方のゲーム内での姿は、小柄で痩せ気味のいたって普通なもの。 〈格闘家にして付与術師〉という職業とゲーム特有の露出度たかめな装備のせいでへそ出しパンツルックという風な見た目ではあるが、我ながらなんとも色気がない。
「ばんわ。いやちょっと、なんか非現実的な事態が起きて。なんか意味不明で混乱してフリーズしてた」
「あらら、何が起きてもいつも血圧低めで動じないミズキちゃんが混乱とか何があったのかしら?」
このドグ姐さんは喋り口調こそアレだが、とても面倒見の良い気遣いの人だ。
私の所属するギルド、ゲーム内での仲間の集まりでも細々とした資産の管理やイベントで人を集めるときのスケジュール調整なんてことを率先してやってくれている。仲間どうしでちょっとトラブルがおきたときなんかも仲裁してくれるのは専らこの姐さんだったりする。
そんな姐さんが相手だったから、私も警戒せずにぽろっと口にしてしまったのだ。
「ああええと、なんか宝くじが当たったん」
「アタシそんな話、知り合いから初めて聞いたわ! あれって本当に当たるのねえ。で何等? 幾ら当たったのかしら?」
「八億」
「えっ」
「一等、八億円」
「えっ」
「…………」
「…………」
普段であれば喋り出したら結構エンドレスなドグ姐さんの口が止まる。さすがの姐さんでも理解の範疇外の出来事だったらしい。
PCに繋いでいるヘッドセットのスピーカーから聞こえてくるのが、街にいることを示すBGMだけになってからもう数分は経っただろうか。
直立したまま動かなかったドグ姐さんのアバターが、片膝をついて私の手を取った。
「ミズキ、今まで言えなかったけれど君のことを愛している。結婚しよう」
そしていつもとは違う低音のイケメンハスキーボイスで、そんなことをのたまった。
「やだ。ドグ姐、身の方はあれだけれど心は乙女じゃん。性別的に私はどう考えてもドグ姐の恋愛対象じゃないし」
「法律的には何の問題もないわ! それにミズキちゃんサバサバしててすごく男らしいし。頼りになるし。アタシたちきっと上手く行くと思うのよ!」
「それぜんぜん褒められてる気がしない。仮面夫婦とか嫌だから却下」
「よよよ、アタシ振られちゃったわぁ。人生初めてのプロポーズだったのに……」
ドグ姐さんは両膝をあわせた横座りで、その場に崩れ落ちる。そして両手で顔を隠し肩を震わせる。
このゲーム、なんでこんな変なモーションとか実装されているんだろうか。
「とまあ、これは冗談として」
「冗談かよ」
一瞬にしてスイッチが切り替わったかのように真顔に戻ったドグ姐さんに、私は思わずツッコミのモーションを入れる。
一応本格的なクエストや戦闘、アイテム生産が売りなゲームなのだけれど、何故にこう変なモーションが多いのだろうか。
「あたりまえじゃない。お金なんてツマラナイことで友達失いたくないもの。そりゃあミズキちゃんがアタシの店に出資してくれたらあれやこれや出来るかしらとか考えないわけじゃないけど」
そして、そんなことを言ってドグ姐さんは笑う。そういえば姐さんの中の人はジュエリーデザイナーだ。長年勤めていた某ブランドの工房から一年ほど前に独立し、まだ無名ながら都内のデパート内に自分の店舗をいくつか構えている。
何度か姐さんが居るタイミングに合わせて店に顔を出したことはあるのだけれど、現実世界の姐さんは物腰の柔らかい中性的なイケメンだった。
あ、よく考えたら結婚相手がドグ姐さんっていうのはアリかもしれない。冗談って言われちゃったけれど。
「でもミズキちゃん、ちょっと迂闊よ。アタシだったから良いけれど、あんまり誰それ構わず言うことじゃないわよ? オカネって怖いんだから。ほら、知らない親戚が急に湧いてくるとかよく聞く話じゃない?」
「うー、たしかに。でもさ、なんか誰にも言わずにいると本当に変になりそうで。ドグ姐の顔を見たら思わず……」
そうなのだ。誰にも話さずにいるには私のキャパシティーを超えすぎている事態だなのだ。宝くじを買うときには当たったらあれしてこれしてなんていろいろ取らぬ狸のなんとやらを妄想はしていたのだが、実際にそうなってしまうと全く頭が働かない。
職場や現実世界の友人に話すのは悪手であろうというところまでは思いついたものの、それ以外といっても私の両親はともに他界しており兄弟も居ない。付き合いの浅い親戚なんていうのはドグ姐さんの話じゃないがありえないだろう。
となると私が頼れるのは、ドグ姐さんをはじめとするこのゲーム内の友人たちとなってしまうのだ。
「あら、ありがと。頼りにしてくれて嬉しいわぁ。そうねえ、アタシ以外に相談してもよさそうなのって言ったら…… ギルマスちゃんと、それからタマちゃんくらいかしらねえ」
ドグ姐さんは顎に指を当て首を傾げながら一時考えたあと、仲間のうちから二人の名前をあげる。
ギルマスというのはギルドマスターの略。その名前の通り、ゲーム内でのユーザーグループであるキルドのリーダーという意味だ。
要するに私たちのリーダーである何故か平日の昼間でもゲームにインしていることが多いニートのくせに、日々の会話から垣間見える生活がやたらおハイソで、言葉の端々に造詣の深さを感じさせるドSでチートなサド野郎のことである。
そしてもう一人のタマちゃんは、正確にはタマスカンという。タマという名前から連想する猫ではなく犬。ゲーム内ではオオカミの血を宿す獣人という種族だ。
このタマもギルマスと同じく一日中ゲーム中に居る引きこもりだ。しかし無職というわけではなく、どうやら在宅でできる仕事をしているらしい。おまけに不動産を複数所持していて不労収入だけでも生きていけるとか、デイトレードで日に数十万稼いだであるとか、そういう噂のある訳のわからない奴でもある。
「ああ、あいつらかあ。まあ確かにうちの変なメンバーの中でも常識からの乖離具合を考えるとあいつらだよなあ……」
「まあ、性格はアレだけれど有能なのは間違いないわ。いま二人とも狩りに出てるから、もう少ししたら集まるように言っておいてあげる。それまで私たちもどこか出かけない? アタシ新しいドレスの素材が欲しいのよ」
ドグ姐も相当ですという言葉を飲み込んで、とりあえず私は頷く。
この程度の会話でいつものペースを取り戻してしまう私は、なんてちょろいんだろうかとか、そんなことを考えながら。