歴史と病気
「……世界は一度滅んでいる…?」
ラソル王国の王都サピオから北へ3日ほどの位置にある遺跡の奥でモナルカは碑文をみつけると、所々掠れたり、潰れたりしている文字に悪戦苦闘しながらも解読を試みていたが、結果として解った事は要約するとそういう事であった。
(他の遺跡や文献などにも確かに世界が滅びたらしき事は書いてありましたが…)
モナルカは今まで調べた事を頭の中に思い浮かべると、難しい顔になる。
(情報が足りませんね。今解ってる事は世界が昔最低でも一度は滅びたかも知れないという事だけ。何故滅びたのか、それまでの経緯も背景もなにかもが分からない。なにより滅びたのが事実だとして、そこからどうやって今に至るのか、ですが…)
モナルカはそこまで考えるとひとつ息を吐き出した。
(今はまだ情報が足らなすぎます。分かりようがないことをいつまでも考えていても無意味ですね)
その後遺跡をもう少し調べ外に出ると、そこは一面銀世界だった。
レーシ地方、ラソル王国北部に位置するここは、雪と氷の世界と呼ばれる極寒の地。それは北へいくほど実感するが、モナルカが現在居るのはレーシ地方の南部。短いとはいえ夏が存在する程度には暖かい場所ではあるが、現在は春。それも暦の上では、である。
(ここからマスカまでは寄り道をしなければあと7日くらいですかね)
頭の中に地図を開き、現在地から目的地に着くまでの日数を計算するが、途中幾つかの遺跡がある事を思いだし、調査に係る日数をそれに上乗せする。
(10日ぐらいで着ければいいのですが…)
吐く息は白く、月は隠れているのか空は濃い藍色をしていて余計に寒々しかった。
◆
あれから5日が経った。
道のりは順調過ぎるほど順調で、遺跡の調査をしっかりしても予定よりも速く進んでいたが、眼前に広がるのは変わらぬ銀世界であった。
(雪が降ってないだけマシですかね…まぁ雪が降ってないから寒くないというわけではないのですが…)
はぁと吐くため息も白く染まる。
(息が白いだけまだまだいい方なんですかね?聞くところによるともっと北へいくと寒すぎて息さえ白くならないらしいですが)
あまりの寒さに空の淡い青色さえ温度を下げてるとしか思えなかったが、それでも魔法で寒さを遮断はしなかった。
魔法にばかり頼りたくはなかったからである。
◆
(マスカに到着ですね。予定より1日早く着けました)
更に4日が経ち、やっとマスカに到着したモナルカだった。
(寒いのに賑やかですね)
マスカの街は一辺30kmほどの正方形の街である。その中央を十字に大通りが通り、そこから区切られた4つの区画に向けて道が建物と建物を整然と区切るように通っていた。
現在モナルカが居るのはマスカ南側入り口から北へまっすぐ伸びる中央通りを少し進んだ場所。
道の両脇には露店がところ狭しと軒を連ねていた。
「南部のキレイから取り寄せた珍しい果物だ!どうだいそこのお姉さん?安くしとくよ」
「兄ちゃんいい品あるよ!見てかないか」
「災難から身を守ってくれる御守りはいかがかね?」
売り子や客の喧騒を聞きながら、人と人の間を縫うように歩くモナルカ。そのまま歩くと十字路の中心、縦と横の大通りが交わる場所に出る。
そこは広場になっていた。
広場には歩き疲れたのかベンチで休む人が多かった。だからなのか、ベンチが数多く設置されていた。
モナルカは道を折れ東へと進路を変えるとマスカ北東に位置する第2区画へと歩みを進めた。
(ここですね)
マスカ第2区画の南側にある第2区画のほぼ半分を占める大きな建物。
レーシ大図書館。
第2区画は南半分を占める本館と北半分を幾つかの別館で占める大図書館だけの区画。故に別名“大図書区画”と呼ばれている。
レーシ地方最大の図書館であるこの場所がモナルカのマスカでの目的地であった。
◆
(………)
ぺらりぺらりと紙を捲る小さな音が図書館内に鳴り響く。
レーシ大図書館本館の奥、遺跡などにあった碑文や書物等の写し、噂や伝承をまとめた書物等々。現在モナルカが居る場所はそういった類いの書物が集められた区画だった。
(世界の滅亡や再興、そもそも前の世界とはどんな世界だったのかについては……収穫は無さそうです、かね)
モナルカが座る机の上にはモナルカが隠れるほど高く本が積まれている。
今ので何冊目、いや何十冊目だったか。
普段モナルカは本を読むのが非常に速い。所謂速読というやつであるが、モナルカ自身、興味のある本はじっくり時間をかけて読むのを好む。だが今は“読む”為にではなく“確認”もしくは“調査”の為に来ているので普段のそれよりも更に速く、机の上に積み重なる本も次々と消化されていく。
(英雄ヌバックですか。実在はしたのでしょうが、伝承や伝説を調べる限りでは、2人居た気がするんですよね…)
英雄物語という本を手に取るとそんな事を思い出すモナルカ。
英雄ヌバック。
ラソル王国で知らぬ者は居ないとされる建国の英雄。子供に読み聞かせる定番の物語の1つである。
昔々、世界は争いに満ちていた。
国々は毎日の様に争い、未だペドゥール大陸を統一出来た国はなく、人々は平和を知らなかった。
そんな時代、マルグト王国という国に1人の青年が居た。名をヌバックといった。
ヌバックは若くして一軍を任されるほどに文武両道で人望厚くとても優秀な青年だった。
ヌバックの率いる軍は精強で知られ、戦えば無敵無敗を誇り、どんな相手でもどんな状況でも勝利を手にした。
やがてペドゥール大陸に存在する国は減り、それに反してマルグト王国が支配する地域はだんだんと拡がっていった。
しかし、統一まであと一歩というところで、マルグト王国の王はヌバックのその強さを恐れた。
王はヌバックを除こうと画策するも失敗し、逆に倒されてしまう。
ヌバックは仕方がなかったとはいえ、王に刃を向けた事を悔いて王国を去ろうとしたが、周りからそれを止められ、そればかりか王へと望まれた。
ヌバックは悩んだ末に周りの要請に応じ王となり、国名をラソル王国と改めた。
その後ヌバックは残りの国を下し、ペドゥール大陸はラソル王国の名の下に統一された。
(この統一までの戦いでヌバックは幾度も二ヶ所同時に戦ってるんですよね。英雄と呼ばれるような人物だからそれが可能な魔法が使えてもおかしくはないですが…)
次の本を手に取る、ヌバックの活躍していた頃のもののようだった。
(そもそもこの二ヶ所同時に居るヌバックの性格や性能が違う気が――)
と、そこで本に書かれていた一文が目に飛び込む。
(精神操作…完璧ではないようですが…この記述は狂化の病気の症状に似てる気が…使っていたのはデヒトという方ですか。ふむ、どこかで…)
ページを捲っていた手を止めて天井を見上げると、頭の中の図書館をあさる。
(ああ、確かメディアという女性の婚約者の名前でしたね)
頭の中の図書館で見つけた本を広げてそれを確認すると、関連したことも一緒に思い出す。
(メディアは正史ではヌバックの副官を務めた女性で、ペドゥール大陸統一後にしばらくして行方不明になってましたね。そしてヌバックの妻の1人だったはず…確かデヒトとの婚約の話はテルル村近くにある遺跡の中の書物で見かけたのでしたね。あの書物は特殊な魔法で保管・隠蔽されてましたし、思えばあの書物が英雄ヌバックに興味をもったきっかけでしたね)
一瞬懐かしむように目を細めるも、すぐに目の前の本に意識を戻す。
(これ以上は書いてないですか。まぁこれだけ分かっただけでも上々ですが)
その後閉館まで調べるも、それ以上の成果は得られなかった。
◆
「ふぅ」
マスカに着いて5日目、大図書館から出てきたモナルカは宿屋に向けて夜の街を歩く。
あれから5日、毎日大図書館通いをして調べたい事は粗方調べたが、世界の滅亡関連については有力な情報は得られなかった。
(まぁ、朧気ながら少し輪郭は見えてきたような気がしますが…)
しかし、ここに来た本来の目的は世界の滅亡について調べる事ではなく、5年前から確認され始めた病気について調べる事が本来の目的であった。
(こちらについてはわかってきましたが…まだ決定打が足りないですね)
ため息を吐きたくなるが、ここに来る前よりは大分進展していると思うとなんとか抑えられた。
“狂化”そう呼ばれている病気は5年前に突如として世界中で確認された。
症状は色々あるが、一番多く確認されているのが狂暴化する事であった。
狂暴化するのにその人の性格や人格は関係なく、善人だろうが悪人だろうが関係なくいきなり暴れだす。家族が恋人が友人が親しい人が突然暴れだし自分に危害を加えてくる。それも殺意をもって、である。その恐怖がどれだけのものか想像するのも恐ろしい。
だが原因は分かっている。魔力が脳内の神経や魔力経路に張りついていることである。つまりは精神系魔法の一種だと考えられている。
治療法もある。張りついている魔力よりも強力な魔力を神経や魔力経路を通じて送り込み、原因の魔力をそれ以上の魔力で包み込み魔力を相殺していき、原因を取り除いたら送った魔力を戻せば終わりという方法だ。
しかしこれには難点がある。それは神経や魔力経路に魔力を通すのが針の穴に糸を通すどころか、目隠しして針の穴に糸を通す方がはるかに簡単なほどに難しい事である。
それでも非常に成功率が低いが成功例がないわけではないのだが、今回の病気(病気ではないが一般にはそう呼ばれている)に限っていえばその成功率は0%であった。それは単純に原因の魔力が大きく、それに対処出来る人間が居ないからである。
そもそも、人体に直接影響を与える魔法は難易度が高く、そのなかでも精神に影響を与える魔法の難易度はずば抜けて高い。確認されている案件の数自体も少なく、更に魔力を多く使った精神魔法は魔力量に比例してより難易度が上がり、結果として確認されている精神魔法は魔力量の小さい魔法だけであり、数も少ないのである。
更にその魔法の魔力より被害者の保有魔力が多いと効きづらいという事も数が少ない一因であり、危機感もあまり抱かれてなかった原因でもあった。
現在有効な対処法は狂化した患者を殺すか拘束するしかないが、暴れ続ける患者を拘束し続けるのは中々に難しい話であった。つまりは現状殺す事が最も有効な手なのであった。
(世間一般的には、だけど)
モナルカはその病気を現在治療可能な唯一の人間であり、実際に幾度も治療をしている。
(残念ながら善意からではないのですが、患者にとってはその辺は治ればどうでもいいみたいですね)
モナルカが治療する目的は犯人を探すためである。
魔法は術者から離れれば離れるほどに効きが悪くなる。
今回の場合は距離が遠いほど原因の魔力量が変わるらしく、同時期にかけられたその魔法の量の多さでもって術者との距離を測っているのである。
(それが全てではありませんが)
そんな事を考えていたら結構距離を稼いでいたらしく、気がつくと宿屋に着いていた。
(明日の予定は…)
部屋に入ると、頭の中で明日の予定を確認すると、食事と入浴をさっさと済ませ床に入り眠りにつくモナルカ。
窓の外では引き締まった冷たい空気の中、夜空には星が優しく瞬いていた。