アーヘル
翌日の早朝、モナルカは借りていた部屋を引き払うと、王都を後にする。
あの後、ギルドハウスで夜までオグンの帰りを待ったが、結局モナルカが帰るまでにオグンは帰って来なかった。
夜も遅かったのでライテに「泊まっていきませんか?」と提案されたが、それを丁重に断ると、一日お世話になった礼を述べて、オグンに感謝の言葉を伝えてもらうように頼むと、モナルカはギルドハウスを後にしたのだった。
モナルカは王都南部の西門から外へ出ると、一日程そのまま街道に沿って西方へと歩き続けると、北方に進路を変える。
それから北方へ歩き続ける事約五日、王都より気温が下がってきたと肌で感じられる頃に、一つの遺跡が見えてくる。
「あれがキノドンダス遺跡ですね…」
モナルカはそのまま遺跡の中へと入っていく。
そのまま一日と少しを遺跡の調査に費やすと、北東にある森へと進路を変える。
それから更に三日程かけて、獣道らしき道しかない深い森を抜けると、背の高い山々に囲まれた一つの街に辿り着く。
人里離れたその街の名はアーヘル。
モナルカはアーヘルに入るべく歩みを進める。
「ここに来るのも、ずいぶんと久しぶりな感じがしますね」
アーヘルに辿り着くと、街の半分程を囲む堀と頑丈そうな高い壁に、モナルカはそんな感想を抱く。前に来たときは壁も堀も造り始めて間もない頃であった。
「モナルカ様!お帰りなさいませ!」
アーヘルへと続く堀に架けられた橋を渡っていると、門の上に居た見張りの少年がモナルカに気づいて嬉しそうに声を張り上げる。
そんな少年にモナルカは、片手を上げて返事をする。
「モナルカ様!」
「モナルカさん!」
「モナルカ兄ちゃん!」
先ほどの門番の少年の声に反応して、続々と門周辺に集まるアーヘルの人々は、大人よりも少年少女の方が多かった。
モナルカはそんなアーヘルの人達を見回すと、その元気そうな姿に思わず優しい笑みが口元に浮かぶ。
アーヘルは今から四年近く前に、モナルカが偶然通りかかったとある地方で盗賊に攫われていた戦災孤児に出会った事がきっかけで作った街であった。
ペドゥール大陸がラソル王国によって統一されてからというもの、一応は大きな戦争は無くなりはしたが、地方の領主や貴族同士の諍いまでもが無くなった訳ではなく、今でも小競り合い程度の争いはたまに起きているし、その長年続く諍いの影響で、ラソル王国の力は少しずつ弱まってきていた。
そのせいか、近頃は盗賊達の活動も活発になってきており、賊退治の依頼がギルドにも日に日に増えてきていた。
アーヘルは、そんな小競り合いに巻き込まれたり、賊に襲われて家や家族を失った者達が集まって形成されていた。最近では狂化が原因で家族を失ったり、村や街を追い出された者達も増えていた。
そんな行き場の無い人達をモナルカがアーヘルに連れてきたり、噂を聞きつけて集まって来たりした結果、気付けば結構な規模になっていた。
元々、統制やルール作りをしっかりしていたので大きな混乱は無く、小さな言い争い程度はたまに起きるが、それでも大禍なく今までやってこれていた。家族や住んでいた地域が無くなったり、追い出されたりした者達の集まりだというのもあるのかも知れない。
そういう経緯もあって、モナルカはアーヘルの人気者であった。街に名などついてなかった最初の頃は、モナルカがまとめ役のような役割をしていた事も影響しているのだろう。
そんなモナルカがアーヘルに入ると、当然ながら周りに人だかりが出来てしまう。
モナルカはそれを「後日顔を出す」と約束して、慣れた様子で解散させると、アーヘルの中心よりやや奥側、モナルカが入ってきた街の入り口の反対側に聳える山側に位置する、比較的小さな家が密集している地域を訪れる。この地域はモナルカがこの地で最初に作った集落で、ここから徐々に拡がって、今のアーヘルという街が出来ていったのだった。
その、アーヘルの人達に“はじまりの場所”と呼ばれている地域にある、一軒の家にモナルカは入っていく。
「ただいま」
モナルカが家の中に入ると、そこには二人の子どもが居た。
「おかえりなさい、兄ちゃん」
「おかえりなさいませ、兄様。ご無事で何よりです」
「ただいま、イスカとクイナも元気そうでなによりです」
少女と見紛う程に可愛らしい面立ちの少年、イスカと、花のような愛らしさのある少女、クイナの双子の兄妹は、モナルカより年が二つ程下で、この街の最初期の頃からの住人であった。
二人はモナルカの姿を確認すると、満面の笑みでモナルカに抱きついてくる。
この家は、この街でのモナルカの家であった。
最初、モナルカは一人で住んでいたのだが、留守にする事が増えてきた頃、イスカとクイナの兄妹が「兄ちゃん(兄様)が居ない間は自分達が留守番をする(します)」と言い出して、今では家の管理も兼ねて兄妹はこの家に住み着いていた。
モナルカがそんな二人の頭を優しく撫でると、二人は気持ち良さそうに目を細める。しばらくそうしていると、満足したのか二人はほぼ同時にモナルカから離れる。
「兄様、何か食べたいものはありますか?」
「ん〜そうですね、クイナの作る料理は美味しいですからなんでもいいのですが、久しぶりにクイナの作る玉子焼きが食べたいですかね」
「はい、兄様。おまかせください」
そう言ってクイナは可愛らしく気合いをいれると、台所の方へと歩いていく。
「兄ちゃん、旅の話を聞かせてよ」
「ええ、もちろん。何の話をしましょうか」
モナルカとイスカは近く在った食卓に備えられている椅子に座ると、旅の話を始める。
遺跡を探索した時の話や、マスカの大図書館の話、ノヒンや王都の話など、様々な話をモナルカはイスカに聞かせる。
イスカはその一つ一つに面白いくらいに表情を変えると、時間を忘れて聞き入っていた。
「兄様、お待たせしました」
イスカに話を聞かせているうちにクイナの料理が完成したらしく、卓上にご飯に汁物、総菜が二品に、モナルカが頼んだ玉子焼きが並べられる。どれもこれも出来立てで、当たり前だがまだ温かかった。
クイナが料理を並べだすと、イスカもそれを手伝い食事の準備が終わる。
この食事の準備をはじめ、モナルカが家の事を何かしたり手伝おうとすると、イスカとクイナに「兄ちゃん(兄様)はゆっくりしていていいよ(ください)」と、やんわり断られてしまい、何も出来ないのであった。
「それでは、いただきます」
モナルカが手を合わせてそう言うと、モナルカの両隣に座るイスカとクイナもそれに倣う。
専らモナルカのこの家での仕事は、こういうふうに何かを始める時の合図や、終わる時の合図を出したり、仕事に対する評価を下したり、献立等の要望を出すことを求められるぐらいであった。もっとも、モナルカは長い間旅に出てるので、あまりこの家に居る事も少ないのだが。
食事は静かに進んだ。食事中に誰かがしゃべるという事もなく、最初の方で料理を一口食べたモナルカがクイナに微笑みかけて、それを見たクイナが嬉しそうにしたぐらいであった。
「ごちそうさま」
モナルカは、全員が食べ終わったのを見計らって手を合わせる。二人もその後に続いた。
「相変わらずクイナの料理は美味しいですね、更に腕を上げたんじゃないですか?」
食後、食事の感想をわりと細かくクイナに伝えるモナルカ。
クイナはモナルカの感想を真剣に聴いた後、「腕を上げた」と、そう締めくくられたモナルカの言葉に、誇らしげな笑みを浮かべる。
食器はイスカが全員分を流しに持っていって、洗い物もしていた。
普段から役割分担をしているイスカとクイナは、そうやって流れるように家事をしていた。
その後、クイナも交えて旅の話の続きを少ししてから、三人は順番にお風呂に入って就寝した。
寝床は三つ用意されていたが、モナルカの布団にイスカとクイナの二人が潜り込んできて一緒に寝たので、結局一つしか使わなかった。
翌朝、クイナが用意してくれた朝食を食べ終えると、モナルカは外に出る。昨日約束した沢山の人に会いに、家々を回る予定だった。ついでに街の様子も確認しておきたかったのだった。
「モナルカさま〜」
モナルカが家から出ると、すぐに近くで遊んでいた子ども達に囲まれてしまう。
モナルカはその場でしゃがみこみ、一番背丈の小さな子どもに目線の高さを合わせて話しかけると、子ども達は嬉しそうに語りかけてきた。
モナルカは、そんな子ども達と少しの間遊んだ後、大通りの方へと向かう。
「らっしゃい。おお!モナルカの旦那じゃないですか、ゆっくり見てってくだせぃ、お安くしときますよ!」
モナルカは大通りのすぐ近くの路地にある武器屋に顔を出す。ここは昔アーヘルに流れてきた鍛冶屋のオジサンが造った物を売っている店で、武器屋だが、剣や槍なんかの他に普通の包丁や鋏なんかも多数取り扱っていて、武器屋というよりほとんど金物屋状態だった。モナルカが知る限り、アーヘル一の鍛冶の品を置く店である。
「へぇー、更に出来が良くなっていますね、いい鉄でも手に入ったのですか?」
店に置いてある商品を手に取ってみると、以前見た時よりも質が良くなっている事に関心するモナルカ。
「へぇ、鉄だけじゃなくて鍛冶全般…いえ、物資全般の流通量とその質に種類も日増しに良くなっていってまさぁ。これもここアーヘルを訪れる商人が増えたおかげですねぇ」
店主は感慨深げにつぶやく、この店主もアーヘルにきて結構な日が経つだけに、あらゆる物資が不足していた頃を思い出しているのだろう。
「それは喜ばしい事です。ここは豊かな森と山がすぐそこにありますから食料にはあまり困らないのですが、それ以外はどうしても外から持ってくる必要がありましたからね。治安の方はいいみたいですから、あとはここの特産品になりそうな品が欲しいところですね」
そう言って肩をすくめるモナルカ。
「それなら今のところ水が人気らしいですぜ、あとはアーヘルで作られた食べ物とか。他に長持ちする物でいうと、最近ではウチの鍛冶品の注文が増えてるところですかねぇ」
そう言って豪快に笑う店主を微笑ましく思いつつも、目の前の商品を見て、この出来なら納得だな。と、思うモナルカであった。
大通りに出ると、道の脇に露店商が店を構えていたり、玉やナイフやヘビなど色々なものを使って派手な大道芸を見せる者や異国の歌を歌う者に、詩を奏でる者などが並び、たくさんの人で溢れていた。
そんな活気が溢れている大通りをモナルカは観察しながらも静かに歩いていく。
(さすがに王都には負けますが、ノヒン辺りとならいい勝負になりそうですね、…大通りだけですが)
どこへ行っても騒々しいあの街をモナルカは思い出す。騒がしいところを避けるのには苦労したものだ、時間で行き先や通る道を先読みしなくてはならなかったのだから。
大通りでは特に巡回している警備の者が目に止まった。人の数が多いからだろう、脇道や裏道よりも多く配置されているようであった。
(頑張ってるようですね)
そんな警備の者を見て、モナルカはアーヘルの内側の警備を担当しているはずの少年少女の顔を思い出す。互いに忙しくて久しく会えてないが、今では立派に大人の顔になっている事だろう。
そんな彼らの苦労に思いを馳せつつ、モナルカは大通りにある一軒の家を訪ねる。
コンコンとノックをしてしばらくすると、扉の上部に付いている覗き窓がわずかに開き、住人が来客を確認する。来客がモナルカだと分かると、扉は静かに開かれた。
「我が家へようこそ、モナルカ様」
扉が開くと、明るい緑色の髪に、利発そうな整った顔立ちと紅色の瞳を持った長身の青年がモナルカを出迎える。
「こんにちは、ベルンツさん」
ベルンツは挨拶もそこそこに、モナルカを家の中へと招き入れる。
「本日は何用でしょうか?」
ベルンツは相手を安心させるような穏やかな笑みを浮かべて、モナルカに来訪の理由を問いかけるが、
「そんなに警戒しなくても、用件はいつもと変わりませんよ。現在のアーヘルについて教えてほしいのですよ。ベルンツさん」
「なるほど。現在の、と言われましても、何と御答えすればよいのやら…。そうですね、では前回お話した時から変わった出来事について少し」
ベルンツはコホンと小さく咳払いをすると、人差し指を立てて虚空に円を書きながら話を始める。
「まずは前回お話した頃よりも、ここアーヘルに出入りする行商人の数が増えました。おかげで調味料などの生活に必要な物はもちろん、鉱石や薬草などの不足しがちだった物資も比較的安定して供給されるようになってきました」
ベルンツの言葉にうなずくモナルカ。武器屋の店主が話していた内容と同じであった。流通量が増したのは間違いないらしい。
「行商人が増えた一番の要因はおそらく、ここの街の知名度が上がったからだと思われます。元々、ここは王都と北方を繋ぐ最短距離に位置するのですが、なにせ周りを高い山と深い森に囲まれていますので、どうしても途中で補給拠点になる場所がなければ、たとえ王都までまっすぐでも山を越えて、更に深い森を抜ける必要があるこの道よりも、遠回りになっても道なりに山々を迂回するだけの道の方が安全かつ確実だったので、今まではこの道を通る者も少なかったのです。ですが、山と森の間に食糧などの補給が出来、なおかつ安全に休めるこの街が出来たうえに、モナルカ様のご活躍により、付近の盗賊は一掃されて、今ではこの付近で盗賊の影はほとんど見かけなくなりました。迂回する道では、行商人や旅人を狙った盗賊の被害が増えてきていますからね、これもアーヘルに行商人が増えた大きな要因でしょう。これからもアーヘルを訪れる商人は増えていくことでしょう。あとは山と森に道を作れば更に行商人だけではなく旅人も増えることになるでしょうが、現在、山はアーヘルからこちら側の麓付近までしか道が出来ておらず、森は人の通りが増えた事により踏まれて出来た道がなんとか存在するぐらいが現状です。しかし、今は道の整備よりも、アーヘルを囲む堀と壁を完成させて防備を整えるのが先決のようで、道の整備はまだまだ先になりそうですね。まぁ極稀にですが、この付近でアーヘルからだいぶ離れた場所に根城を構えている、迂回道を襲ってる盗賊らしき影が確認されてはいますからね、用心するにこしたことはないのでしょうが。まぁそれでも、アーヘルの人口は増えてきてますからね、防備に道にと、仕事があるのはいい事でしょう。それに行商人達が、街が道を整備してくれるのをおとなしく待っているとも思えませんしね」
手のひらを上に向けた両手を顔の横に持ってくると、肩をすくめてやれやれと首を振るベルンツ。その芝居がかった仕草に、苦笑するモナルカ。
「道、ですか。なるほど、森の方は確かに獣道のようなモノが出来てましたね。山は分かりませんが、アーヘルに来る人が増えているという事は、地図のようなモノぐらいはありそうですね」
「おそらく地図、もしくはそれに近いモノはあるでしょう。実物を見た訳ではないので断言は出来ませんが、そんな話をちらほら聞きましたので。あとは…そうですね、お伝えするような事は特にはないかと。幸い今のところ悪さをするような悪徳商人や、横柄な旅人なんかは来てないようで、治安の方も悪くはなっていないですし」
ベルンツが説明を終え、モナルカが「参考になった、ありがとう」と礼を言うと、「いえいえ、またいつでもいらしてください」と、返してきたベルンツの言葉にモナルカは感謝を込めて軽く頭を下げて、そのままベルンツの家を後にする。
外に出ると、昼飯時になるかならないかという微妙な時間だったが、大通りは相変わらず人で賑わいをみせていた。
時間が時間だからだろう、そんな大通りも飲食店の付近に人が集中しだしているようであった。
モナルカはその人混みを縫うように移動すると、一本の脇道に入る。
大通りから一本道を逸れると、急に人の数が減り、喧騒が遠くに聞こえてくる。そんな脇道を、モナルカは慣れた足並みで歩を進める。
しばらく歩き続けると、人の数もめっきり減って静かな路地に出る。その路地の一角に、目的の小さな家があった。
モナルカがその家の扉を軽く叩くと、すぐに誰何の問いが返ってくる。
モナルカが名乗ると、覗き窓が僅かに開き、すぐに扉が開かれると、モナルカと同い年ぐらいの髪の長い美しい一人の少女が姿を見せる。少女はモナルカの姿を確認するや、勢いよく抱きついてくる。
「おかえりなさい、モナルカさん」
「お久しぶりです、ラブ」
モナルカはその少女――ラブを受けとめると、その頭を優しく撫でる。
しばらくして、ラブは名残惜しそうにモナルカから離れると、はにかみながらモナルカの手を引いて、家の中へと案内する。
モナルカが扉をくぐると、料理をしていたのだろう、お腹が鳴りそうになるいい匂いが鼻腔をくすぐる。
「モナルカさん、お昼はもう食べましたか?」
部屋に到着するなりラブは振り返り、何かを期待するような目でそう聞いてくる。
その問いに、モナルカが首を横に振って「まだです」と答えると、ラブは満面の笑みを浮かべて「今から用意するから食べていって!」と言って、食事の準備をしに台所へと消えていく。
家自体が小さいので、通された部屋はそう広くはなく、机が一つ置かれているだけであった。こうなる事を予想していたモナルカは、慣れた様子で近くの椅子に腰を下ろす。というのもこれは毎度の事で、ラブはモナルカに自分の手料理を食べさせたがるのである。以前に食事を済ませてしまい断った時は、ひどく落ち込まれたものだ。
(あの時は大変でしたね)
何を言ってもこの世の終わりのように落ち込むラブを必死で励ました結果、結局手料理を食べる事になり、反動からかいつも以上の量を出してきたラブの手料理を食べながらモナルカは、食べ過ぎで死ぬかも知れないとはじめて思ったのだった。
(残したら残したで大変ですしね…)
食べ残すと、自分の料理の腕が悪いからだと、不眠不休で何日も料理の研究に没頭しだすのである。元の生活に戻すのには骨が折れた。
(料理自体は凄く美味しいですし、それ以外は本当にいい子なんですがね…)
そんな事を思い出して軽く頭痛がしだしたその時、
「お待たせしました♪」
ラブが料理を運んでくる。
本日の献立は、野菜のスープにパンというシンプルな組み合わせだった…パンがこぼれそうな程かごに山盛りでなければ。
「あぁ、このいい匂いの正体はパンの匂いだったんですね」
モナルカがパンを一つ掴んで口元に持ってくると、家に漂っていたいい匂いが強く香ってくる。
「はい、モナルカさんがいらっしゃる少し前に焼き上がったばっかりなんですよ」
ラブは嬉しそうににこにこしながら答える。
「なるほど」
モナルカはそのパンを一口かじる。途端に口腔内に芳醇な香りが広がり、パンのしっとりとしていて柔らかな食感も加わって自然と口元に笑みが浮かぶ。
「パンもスープもまだまだたくさんありますからね♪」
ラブのその一言に、背筋に軽く冷や汗をかきながらも、別におかわりまでは無理にする必要はないと自分に言い聞かせつつ、食卓の上に並ぶ素朴で優しい味のする温かなスープと美味しいパンに舌鼓をうったのであった。
食事を終え、モナルカは食休みも兼ねてしばらくラブと一緒の時間を過ごす。消化が進み動けるようになった頃、モナルカはラブの家を後にしようと立ち上がる。
「もう行かれるのですか?」
「ええ、そろそろ次の場所に顔を出さないといけませんから。ご飯ごちそうさまでした、とても美味しかったですよ」
モナルカの言葉に、ラブは一瞬幸せそうな笑みを見せるも、
「せっかく久しぶりに会えたのですから、せめて今晩ぐらいは泊まっていってください」
少し拗ねたような瞳でモナルカを見上げてくる。
「それはまたの機会に」
「む〜、イスカくんとクイナちゃんばっかりズルいです!……モナルカさんが家に泊まってくださらないなら、わたしがモナルカさんの家に泊まります!」
「それは私の一存では…」
あの家は名目上はモナルカの家だが、実質の家主はイスカとクイナであるので、モナルカ的には構わなくても、イスカとクイナの意見も聞いておく必要があった。それに、一晩一人増えたぐらいではたかが知れているとはいえ、二人の負担を考えると、やはり即答は出来なかった。
「では、二人に許可を貰いにいきましょう♪」
「え?」
ラブは立ち上がると、モナルカの腕を引いて家を後にするのであった。
「話は分かりました」
ラブはモナルカの家に着くなりすぐに二人に説明を始める。
「今夜はお世話になるね」
可愛らしく微笑むラブに、
「お帰りください」
表情を変えずに突っぱねるクイナ。
「いいじゃん、一晩くらい」
頬を膨らましてそれに抗議するラブ。
「ここは兄様とイスカとわたくしの三人の家です、他の人はいりません。それも他の人ならまだしも、ラブさん、特に貴女はダメです」
「む〜、ならやっぱり私の家にモナルカさんに泊まってもらうしかないね!」
ラブは隣に座るモナルカの腕を取ると、上目遣いで見上げて、可愛らしく微笑む。
「兄様の家はここですので外泊はいたしません。ラブさん、毎度毎度兄様を困らせないでください」
呆れたような、困ったような口調になるクイナ。
「クイナちゃんがそんなこと言えるのは、モナルカさんが帰ってくる度に毎晩一緒に居られるからだよ」
そんなクイナに、心外だというような口調で反論するラブ。
両者が睨み合っていると、
「まぁ、ぼくはいいと思うよ。兄ちゃんも泊まってもいいと思ったから連れてきたんだろうし」
両者の間に入るイスカ。モナルカは連れてきたのではなく、連れてこられたのだが。
「そうなんですか?兄様」
モナルカに顔を向けるクイナ。
「ええ、私はラブが泊まる事に否はないですよ」
モナルカが頷くと、クイナは不満そうな顔をするも、渋々ラブの宿泊を許可する。
「わ〜い♪クイナちゃんよろしくね♪」
途端に笑顔になると、クイナに抱きつくラブ。
「離してください」
それを鬱陶しそうに押し返そうとするクイナ。
「それにしても、ラブさんの持ってきたパンは美味しそうだな」
ラブが家を出る時におみやげに持ってきたかごいっぱいのパンを見て、イスカが独り言のようにつぶやく。
「美味しいですよ、一つ食べてみてはどうですか?」
モナルカの返答に、聞こえていないと思っていたイスカは一瞬驚いた顔をするも、気を取り直してパンを一つ手に取ると、それを食べてみる。
「ホントだ、美味しい。クイナも食べてみる?」
もぐもぐとパンを食べるイスカにパンを差し出されたクイナは、
「晩御飯の時にいただきます」
そう言うと、なんとかラブを引き離して、晩御飯の準備をしに台所へと向かうクイナ。
「手伝おうか?」
ラブの申し出に、クイナは首を左右に振ると、
「ラブさんは一応お客さんですので、寛いでいてください」
その言葉を受けて、ラブは大人しくモナルカの腕に自身の腕を絡める。
「ふふん♪」
上機嫌になるラブと、それを見てちょっと不機嫌になるクイナ。
「晩御飯までちょっと外に出たいんですが…」
くっついてくるラブに困ったようにそう申し出るモナルカ。結局ラブの家からここまで一直線に来たので、他に顔だしが出来ていなかった。必ず今日しなければならない訳ではないが、顔をだすと約束した以上必ず顔をだすつもりで、今日の遅れは滞在期間に響き、結果としてテトラ遺跡に行くのが遅くなってしまうのである。
「う~、今日ぐらい一緒にいようよ」
ラブは離すどころか、いっそうモナルカの腕を強く抱きしめる。
モナルカは頭をかいてどうしたものかと思案するも、結局外に出ることは叶わず、朝まで自宅で四人一緒に過ごすことになったのだった。




