古の英雄
その日、夢を見た
見たことない景色だった。
後ろと左右の三方を壁で囲まれていて、前方には大きな建物があった。
大きさや形からして、どこかの城だろうか…。
建物が大きすぎて見えないが、左右から続いていく壁はおそらくこの建物を囲む様に続いているのだろう。
そんな場所のおそらく庭に、二人の男が居た。
一人は金色の甲冑を身に纏った男で、もう一人は緑色の甲冑を身に纏っていた。
「―――」
「―――」
二人は何やら言い争っているようだが、声が一切聞こえず、何を言い争ってるのかは分からない。
彼らの声だけではない、この世界は音が何もない世界だった。
「―――」
「―――」
相変わらず何かを言い争う二人だが、おそらくワタシの存在は見えてないか、元よりワタシという存在はこの世界には存在しないのだろう。
その証拠に、二人は唾でも飛んできそうな程近くに寄ったワタシに全く目もくれない。
言い争う二人の目の前に手を翳したり、その手を振ったりするも、二人は気にする素振りさえも見せなかった。
「―――」
「―――」
何かを言い争う二人…というよりも、金色の甲冑を身に纏った男の方が、緑色の甲冑を身に纏った男の方に、興奮した様子で何かを怒鳴りつけているのを、緑色の甲冑を身に纏った男の方が宥めるように何かを言っている様に見えた。
「―――」
しばらく言い合っていた二人だったが、金色の甲冑を身に纏った男の方が緑色の甲冑を身に纏った男の方に何かを言い捨てて去っていった。
「―――兄さん」
金色の甲冑を身に纏った男が見えなくなったあと、緑色の甲冑を身に纏った男が金色の甲冑を身に纏った男が去っていった方を見ながら首をゆっくり数回左右に振ると、ため息混じりに何かを呟いた様に見えた。
その際、最後の言葉だけが何故だかワタシの耳にも届いた。
この夢を見はじめてまだそう長くは経っていない筈なのに、その何でもない言葉が、凄く久し振りに聞いた音の様に懐かしく響いたのだった。
◆
「……夢…か?」
シャルロッタが目を覚ますと、そこは見馴れた自室の天井だった。
「…あれは誰で、どこだったんだろう。それとも、本当にワタシが見た単なる夢にすぎないのだろうか…」
昨夜に続き現実感のある夢に、頭が混乱しそうになる。
「今日も見廻りがある。こんな事をいつまでもうじうじ考えてたら、また昨日の様に皆に心配をかけてしまうな」
シャルロッタは皆が心配そうに自分を見てくる様子を思い浮かべると、一人ベッドの上で苦笑する。
「起きるか」
まだ空が白み始めたばかりの朝、シャルロッタはゆっくりとベッドから這い出ると、大きく伸びをする。
「さて、今日も張り切っていこうか!」
「……今の感じは…」
建物の高さも色もバラバラな街の中心地よりやや外れた場所にある二階建ての宿屋の一室で、痩せこけた老人はベッドの上で上半身を起こすと、窓の外に目を向ける。
外はまだ空が白み始めたばかりで、朝と夜が入り交じる時間、老人は窓の外を普段とは違う鋭い目付きで見つめながら、先程感じた違和感について考える。
「…何か俺の頭の中に入って来た…いや、違うな。あれは入って来たというよりも、繋がったと表現するべきか…。しかし、誰がいつの間に」
普段とは、皆からはファンと呼ばれている老人とは、目付きだけでなく、口調や雰囲気も違う老人は、窓の外を見つめたまま暫し思案顔をすると、痩せこけた老人にはおよそ似つかわしくない好戦的な顔になる。
「可能性としては幾つかあるが、今の段階ではまだ特定は難しいか。だが、俺の頭と繋がるとは、面白い事をしてくれる。この前の盗み聞きの仕置きを邪魔してくれたやつといい、まだまだこの時代も捨てたもんじゃないな。これが同一人物の仕業なら是非とも会ってみたいものだ」
老人は少しの間窓の外に向けた睨む様な鋭い視線を何かを探す様に動かすと、糸が切れたかの様にそのまま枕元に倒れる。
「………」
起きる上がる前の体勢に戻った老人の顔は穏やかな顔に、ファンと呼ばれている老人の顔に戻っていた。
暫くすると、静かに寝息をたて始め、ファンは再度眠りについたのだった。
「候補は大分絞り込めました。もう少しで元凶さんにお会い出来そうですね」
太陽が中天に差し掛かるまでまだ少し必要な時間帯、そこかしこから昼食を作る良い匂いが漂う住宅街の一角で、旅人は疲れからか、安堵からか一つ息を吐き出す。
「しかし、気がかりもありますね。もう少しだけ何事も起こらなければいいのですが…」
旅人は空を仰ぎ見ながら、一人の少女の事を思い浮かべる。
その少女は、宿を借りている宿屋の主人の娘らしく、名をシャルロッタと言った。
昨夜の晩飯時に、宿屋の主人と話をしたのを旅人は思い出した。
『やぁ、旅人さん。うちの宿はどうだい?いい宿屋だろう』
宿屋の一階にある酒場。
宿屋に酒場が併設されているのは珍しくなく、そこでは酒だけでなく食事も提供されており、宿泊客の食事もそこで一緒に供されていた。
旅人は酒場の隅の一人から(呑むだけなら)二人掛けの小さな席に座り、運ばれてきた食事を食べ始めた頃だった。
まだ時間が早いからか客の入りが少なく、ガヤガヤとする程度で、前日までよりもまだまだ静な店内で、近くのテーブルに酒を運んできた主人が、旅人に人懐っこい笑みを浮かべて話しかけてきたのだった。
『…ええ、居心地の良い宿屋だと思います』
旅人は咀嚼していた食べ物を飲み込むと、優しい笑みを僅かに浮かべて主人に答えた。
『そうだろう、そうだろう。その若さで旅人さんは分かってるね』
ガハハと豪快に笑うと、旅人の背中をバシバシと平手で叩く主人。
『旅人さんはうちの娘は知ってるだろう?シャルロッタって言うんだが、ほら、旅人さんが来た時に受付してた娘で、ここで少しの時間だが給事してたりする娘だ』
こくりと頷く旅人。
『旅人さんはあの娘とたいして歳は変わらないだろうに、その若さで落ち着いていて、立派だね〜』
しみじみと語る主人。
『あの娘はね、この街の子どもを集めて自警団の真似ごとの様な事をしているんだけど、最近は特に熱心に取り組んでる様で。まぁ、街の平和に一役買ってはいるんだがね、親としては危ない事に首を突っ込んでもらいたくないし、それにそろそろ浮いた話の一つや二つあってもいいんじゃないかとも思うんだがね。親馬鹿かも知れんが、器量の方は良いと思うんだよ。でも、やっぱりあんなお転婆じゃ誰も相手にしてくれないみたいでね』
主人はやれやれと肩を竦めると、首を左右に振る。
『浮いた話があったらあったで寂しいんじゃないですか?』
旅人は笑みを崩さずに答える。
『まぁな。だけどやっぱり早く跡継ぎというか、孫の顔が見たいんだよ。この辺の知り合いに孫が産まれたり、産まれる予定やつが割りと多くてね、この歳になると、他人の孫でもかわいいのなんの。他人の孫でそうなんだから、自分の孫だったら…って想像するとなおのこと思う――』
そんな他愛のない話が、件の娘が止めに入るまで延々と続いたのであった。
「最近特に熱心にするようになった見廻りに、この前の宿屋での元凶の魔力と同質の魔力による干渉…ね」
旅人はシャルロッタが一連の騒動の一端を知っていると推測する。
「本当に急がないといけませんね、せめて関わった人間に何事も起こらないうちに…」
旅人は今度こそ疲れから息を吐き出すと、次の目的地へと歩き出すのだった。
「……今日はここまでとする。明日も見廻りはするからな、しっかり身体を休めとけよ。では、今日は解散」
本日もこれといった成果もなく終わった見廻りに、シャルロッタは苦い顔でそう告げる。
「そういじけなくても、平和が一番ではありませんか」
イーハは宥めるように優しい口調でシャルロッタにそう話す。
「平時ならそうなんだがな。だが、今は起こるか起こらないか分からない普段の争い事ではなく、確実に起こっている危機に対しての見廻りだ。必ず異常があるのに異常が見当たらないのだ、そんな恐怖はさっさと取り除きたいだろ」
シャルロッタの声に若干の苛立ちが混じる。
「それは、…気持ちは分かりますけど、ですが、昨日ウィルさんが仰ったとおり焦っては駄目ですよ」
イーハは悲しげに目を伏せる。
「それは昨日言ったとおり分かってはいる。だが、理性と感情が必ずしも同じ方向を向いているとは限らないんだよ」
シャルロッタから苛立ちの色が薄れると、諭す様にイーハ達に語りかけた。
「だからといって…」
イーハは反論しようとするも、そこで口を閉じる。
「理解したならそれでいい。それでは、今度こそ本日は解散!また明日な」
そう言うと、シャルロッタは自宅に向けて歩き出した。
「………」
その後ろ姿を見ながら、残った四人はシャルロッタに気づかれない様に目配せし合うのだった。
シャルロッタの姿が見えなくなった後、四人は中央広場の端に移動していた。
「どう思いますか?」
移動後、微妙な空気の中、アドルフが他の三人に問いかける形で口火を切った。
「“昨日と今日で別人”、姫が言ってた事だな」
「では、今日のシャルロッタさんは偽物という事でしょうか?」
「そうとは言いきれないけど、普段とは違ったな」
「オイラもそれを感じたんだな」
「結局のところ、人格乗っ取りではなく、記憶改竄だったはずでは?」
「じゃ、姫は何か記憶を弄られたって事?」
「今回の一連の騒動の原因が記憶改竄だったなら、その可能性が一番高いかと」
「シャルロッタさんが目をつけられた。という事ですか」
「知りすぎた、という点では十分過ぎるほど可能性があるかと」
「…明日からどうしましょう?」
「変わらず見廻りは続けた方がいいのでは?ただ単に心身共に疲労が溜まってるだけかも知れませんし、まだ姫が変わったという確証はない訳ですし、監視の意味も込めて傍に居た方がいい。と私は思いますけど」
「それでこっちまで危険な目に遭うかも知れないじゃん」
「それこそ今更、かと思いますが?」
「フフフ、そうですね。普段何事もないですが、見廻りとはそういう危険な目に遭うのも覚悟してないといけませんものね」
「オイラはアドルフに賛成なんだな」
「わかったよ、じゃ明日からも変わらず見廻りすればいいんだろ」
「姫の動向も気にしながらですがね」
「そうですね、シャルロッタさんは大事な仲間ですからね。例え記憶改竄で人格が変わってたとしても、見捨てずに助けたいですものね」
「記憶改竄なんてそんなとんでもないもん治せるのかよ」
「それは…今の段階では分かりませんので、方法を模索するしかないかと」
「そんなの出来るなら、狂化だって治せるじゃねぇかよ」
「そうですね。こんな時、あの方さえ居てくだされば…」
「あの方?」
「はい、前にお話した私がこの街に来る前に居た街で起こった狂化を治してくださった旅の方です」
「そういえばそんな話したな」
「したんだな」
「モナルカ様と仰るのですが、その方に相談出来れば解決の糸口が見つかるのですけど…」
「そのモナルカさんは今どこにいらっしゃるかは分からないのですか?」
「…各地を回ってるぐらいしか」
「結局、解決策なしだな」
「お役に立てずすいません」
「そんな、イーハさんが謝る事ではありませんよ」
「まぁ、とにかく明日も見廻りに参加して、姫を監視するしかやれる事はないって事だな」
「そうですね」
その後もあれこれ話し合った四人だったが、結局これといった解決策は見つからず、重苦しい空気の中解散した四人であった。
今日も夢を見た。
昨日の夢と場所は違うが、主な登場人物は変わらない様だった。
今日はどこかの城の城壁の上だった。
ワタシの目の前には昨夜の夢にでてきた緑色の甲冑を身に纏った男と、その部下だろうか、同じ緑色でも光沢の無いやや暗い緑色の甲冑を身に纏った男が緑色の甲冑を身に纏った男の両脇に一人ずつ控えていた。
周りを見ると、城壁の上には緑色の甲冑を身に纏った男とその部下二人以外にも沢山の人が待機していた。
その人達は皆が手に弓と矢を持ち、つがえこそしてないものの、合図一つで直ぐにでも矢を射れる状態だった。
「―――」
緑色の甲冑を身に纏った男は、城壁の上から外に向かって何かを叫んでいた。
城壁の外、離れた場所に昨日の夢のもう一人の登場人物である金色の甲冑を身に纏った男が馬に跨がっていた。
「―――」
そのままこちらに何かを叫び返す。
金色の甲冑を身に纏った男の後方にも、沢山の人が待機していた。
実物は見たことないが、あれが軍隊というやつだろうか。手に手に剣や槍、弓に更には盾をと様々な物が握られていた。
「―――」
「―――」
緑色の甲冑を身に纏った男と、金色の甲冑を身に纏った男の言い合いはまだ続いていたが、ふいに金色の甲冑を身に纏った男の方が、後方に控えていた軍隊に合流する。
「―――」
緑色の甲冑を身に纏った男は、金色の甲冑を身に纏った男が下がったのを見ると、おもむろに振り返り城内の様子を視界に収める。
そこには、城壁の外側に居る軍隊にも見劣りしない装備に身を固めた人達が沢山待機していた。
緑色の甲冑を身に纏った男が何かを叫ぶと、皆武器を振り上げ雄叫びを上げている様に見えた。
緑色の甲冑を身に纏った男は再び城の外側に目をやる。
そこには、今にも突撃してきそうな軍隊がいた。
場所も、登場人物も、原因も、何もかもが不明なままだが、一つだけはっきりしていた。
もうすぐ戦争が始まろうとしている。という事だった。
「………」
気づけばまた、見慣れた自室の天井だった。
「あれは本当に夢…なのか?」
シャルロッタはゆっくりまばたきを二度、三度とすると、夢から覚めた事を確認するかの様に視線を部屋中にさ迷わせる。
「……そろそろ起きるか」
シャルロッタは緩慢な動きでベッドから起き上がると、顔を洗いに部屋を出ていく。
「あれ?」
顔を洗い終わり、自室に戻ろうと廊下を歩いていた時、視界の隅で人影を捉えた気がした。
「旅人さん?」
人影の方に意識を向けると、最近すっかり見慣れた気がする人物だった。
旅人は宿の出入口に向かっていた。
「今日もこんな朝早くからどこかに行くのかな」
シャルロッタはこの間偶然自室の窓から朝早くに目撃したのを思い出す。
「毎日朝食と夕食時以外はどこかに行ってるみたいだけど」
旅人が毎日どこに行っているのか興味を惹かれたシャルロッタだったが、
「この格好のままじゃ外には出られないな」
自分が寝間着のままだった事を思い出し、ついていく事を諦める。
「見廻りの前に一仕事しなきゃならんし、着替えてくるか」
シャルロッタは最後まで毎日どこに行っているのか、と旅人に直接訊くという方法を思いつかないまま、着替えの為に部屋に戻るのだった。
「見つけた」
建物の高さも色もバラバラな街の中心地よりやや外れた場所にある二階建ての宿屋で、痩せこけた老人は思い通りに獲物が罠にかかった時の様な笑みを浮かべる。
「まさかあの盗み聞きの小娘が犯人とは。これは偶然か、はたまた誰かが仕組んだ事か…」
老人は普段の好好爺然とした穏やかな顔ではなく、狩人の様な鋭い表情でしばらく思案に耽る。
「まぁ、どちらにしろ小娘には興味は無いが、犯人がこの前仕置きの邪魔をしてくれた奴ならば話は別だ。わざわざ邪魔をしたんだ、小娘を餌にすれば釣れるかも知れないな」
その後も老人はぶつぶつと何事か呟くと、
「少し小娘に会いに行くか」
まだ外が薄暗い中ベッドから起き上がると、行動を起こすべく準備を始めるのだった。
「今日も見廻りを始めるぞ」
朝と昼の間ぐらいの時間、シャルロッタ達はいつも通りに見廻りを始めた。
「………」
先頭を行くシャルロッタの後ろで、静かに目配せする四人。
「いつも同じ道で成果がないし、たまには違う道でも見廻ってみるか」
そんな四人には気づかず、普段とは違う道を進むシャルロッタ。
「今日はどの道を行くのですか?」
視線を忙しなく動かし周囲を警戒しつつシャルロッタに問いかけるアドルフ。
「いつもは中心地とその周囲を見廻りしてたからな、今日はその更に外側を見廻ろうかと思っている」
シャルロッタは言葉通りにいつもの順路を越えて、更に先へと移動する。
「よし、ここらでいいかな。こっからぐるっといつもの順路に沿って見廻り、いつも通りに中心地に戻って、解散と行こうか」
「分かりました」
シャルロッタの説明にアドルフは頷く。
見廻りは何事もなく進んだ。ただ、いつもよりも見廻る距離が長い為に時間が掛かっていた。
途中適当なところで昼食を摂り、再び見廻りを再開する。
「!見つけた!!」
見廻りを再開してほどなく、先頭を行くシャルロッタは何かを見つけると、声を潜めて歩みを止める。
「どうしました?」
突然立ち止まったシャルロッタに困惑しつつも、先を静かに覗き込むアドルフ。
「あれは、姫が話していた三人組ですか?」
アドルフが覗いたその先には、派手な色の服を着た痩せこけた老人と、冷たい印象の女性は確かに美人だったが、それがかえってより冷たい印象を抱かせていた。
最後はシャルロッタの話通りの長身の大男で、まるで熊の様だった。
「確かに姫の言う通りの人達で、実在もしてましたが、これは迂闊には――」
近づかない方がいい。その言葉がアドルフの口から出る前に、シャルロッタが口を開く。
「相手はまだこちらに気づいていない、それでは静かに後をつけるとしようか」
シャルロッタは三人組が歩いて行った方を目指して静かに歩き出す。
「あっ、姫…」
アドルフ達は顔を見合わせてため息を吐くと、先行したシャルロッタの後を慎重に追いかける。
「やっとだ、やっと見つけたぞ」
シャルロッタは逸る気持ちを必死で抑え、三人組の後をゆっくり、慎重についていく。
「どうやらちゃんと釣れた様ですね」
シャルロッタ達に後をつけられている三人組の一人、痩せこけた老人は正面を向いたまま答える。
「おまけもついてるけどねぇ」
大男が普段よりも小さい声で、だけど変わらず楽しそうな調子で答えた。
「あの程度なら問題ありません。拘束の手間が多少増しただけで、戦力的にはさして変わりはしませんので」
大男の言葉に、女性が事務的な返答を寄越す。
「そうだねぇ、非力な子どもが四人増えただけだもんねぇ」
そう言うと大男は意味ありげな視線を老人に向ける。
「力はほぼ戻ったとはいえ、途中で邪魔が入ったので、暗示程度にしか効き目がないんですよ。その後も邪魔が入って上手くいきませんでしたし」
老人は大男の視線を受けて、この真面目な老人にしては珍しく楽しげに失敗談を語る。
「それは楽しみだねぇ」
大男は老人のそんな様子に老人の本心を察する。
「あぁ、まったくその通りだよ」
老人は正面を向いたまま三度頷くと、
「では、そろそろ頃合いですかね」
そう言って足を止めた。
「止まれ、やつらこんな場所で止まってどうしたんだ?」
ノヒンの北西部に存在する工業区画。
現在シャルロッタ達はその工業区画に南側から少し入った場所に居た。
「これは…あまりよろしくない状況ですね」
物陰から三人組の様子を窺っているシャルロッタの傍らで、周りを見回してアドルフは呟く。
「どういう事ですか?」
アドルフの呟きに、近くでアドルフと同じように周りを見回していたイーハが反応する。
「ここは工業区画なので、基本的にこの区画で仕事に従事してる人以外はいないのですよ。そして、その従事者さえこの工業区画にはそこまで居ません。更に、夕方が近いとはいえ、まだこの時間帯では工業区画の道を歩いている人はほぼ皆無と言っても過言ではありません。つまりは…」
アドルフが疲れた様に紡ぐ言葉をイーハが引き継ぐ。
「誘い込まれた。という事でしょうか」
「可能性としては、結構高いと思いますよ。先ほど言いましたが、この区画には用の無い者は立ち入らないのですから」
アドルフが物陰からこっそりと三人組の方に視線を向ける。
「関係者…には見えませんね。用があるとも思えませんが…」
イーハが苦い口調で答える。
「ええ。ですから、誘い込まれた可能性が高い、と」
「どうするんだな」
ジークフリートは心配と不安の混ざった眼差しでアドルフを見つめる。
「とりあえず、一旦退くべきかと」
「それは出来ない」
アドルフの提案を、即座に拒否するシャルロッタ。
「何故です。ただでさえ無謀な追跡なのに、罠の可能性が高い場所に足を踏み入れろなんて…」
「やっと見つけて、ここまで追い詰めたんだ、今更退けはしないよ。それに、無茶しなきゃ手に入らん物もある」
シャルロッタは目線を三人組から外さず答える。
「………」
そんなシャルロッタを見ながら唇を噛むアドルフ。
「…今は退く時です。おそらく尾行も気づかれてます。むざむざ命を危険に晒す必要はないです」
普段よりも強い口調で進言するアドルフを、
「次があるとは限らない」
シャルロッタは変わらぬ口調で切り捨てる。
アドルフは何かを耐える様に拳を握り、どう説得すればいいか、或いは強引に連れて帰るべきかを考えていた時、
「まぁ、退くには遅すぎるんだけどねぇ」
真横からそんな聞き慣れない声がした。
「ッ!!」
一同は飛び退きながらもその声の主に注目する、
「何故お前がここに居る、さっきまで確かにそこに!」
シャルロッタは悲鳴の様な強い口調でその声の主の大男に問いかける。
「この程度の距離は離れてるとは呼ばないよぉ」
おどけた口調でシャルロッタに答える大男。
「くっ」
シャルロッタは他の二人を視界の端で確認する。
二人は先ほどと同じ場所に居たが、こちらを向いていた。
「……」
シャルロッタは次に仲間の方を見る。仲間は大男を警戒しながらも、少しずつ後退していた。
(どうすれば)
シャルロッタは考える、仲間だけでも逃がす方法を。
しかし、
「まぁ、どう足掻いても無駄なんだけどねぇ」
大男はシャルロッタの考えを見透かして嘲笑うかの様な口調でそう言うと、ゆっくりと立ち上がる。
「くそっ」
ウィルは悪態をつくと手元に剣を顕現させる。
「ウィル、戦うより逃げる事を優先しろよ」
シャルロッタが両手に短剣を顕現させて忠告する。
「わかってる」
ウィルは剣を構えると、戦闘体勢に入る。
「援護します」
「私も」
銃を顕現させたアドルフと、イーハがそれぞれ構える。
「オイラも頑張るんだな」
大槌を顕現させてそれを構えるジークフリート。
「おぉ、恐いねぇ。あっちの二人は手出ししないから気にせず頑張ってねぇ」
大男は観戦者の様な気楽な口調でそう話すと、シャルロッタ一行に襲いかかってきた。
「はぁ」
ノヒン西部、旅人は北へと移動している途中で疲れた様なため息を溢す。
「もう少し大人しくしていて欲しかったのですが」
旅人は北側のここからでは見えない遠くに視線を向ける。
「捕まった…、みたいですね。シャルロッタさんと一緒に行動していた方々も同じですか」
旅人は再度ため息を吐くと、移動する速度を上げる。
「さて、どうしましょうか」
これから相手にするのは三人。
どれも手練ればかりだが、旅人にとっては大した障害ではなかった。
「ただ倒すのと、救出では面倒くささが違いますね」
旅人にとってはどちらも簡単な事だが、救出は救出後まで色々と手間がかかるので、出来れば遠慮したかった。
「でも、お世話になっているのでそういうワケにはいかないですよね」
旅人は三度目となるため息を吐くと、移動速度を更に上げるのだった。
「クソッ、離せ」
ノヒン工業区画の一画、人通りの無い場所で、シャルロッタ達五人は拘束されていた。
「少々手こずりましたね」
拘束されているシャルロッタ達を見ながら女性が独り言の様に言葉を漏らす。
「あの銃は予想外だったんだなぁ」
先ほどの戦闘を思い出したのか、イーハに視線を向けると、いつもの人を馬鹿にした様な表情ではなく、感心した表情に変わる大男。
「あれだけ大見得切っての失態は中々に滑稽でしたよ、レギンさん」
女性がレギンに冷たい視線を送る。
「ならば笑えばいいんだなぁ。シグルちゃん」
レギンは直ぐにいつもの人を馬鹿にした様な表情に戻る。
「これでも笑っているのですがね、大雑把な貴方には理解出来ない様で」
シグルは変わらず冷たい視線のままレギンに答えると、
「まぁまぁ、そんな言い合いは今はいいじゃないか」
老人がにこやかにそんな二人の間に入る。
「さて、これで餌の準備は出来たね。後は気づいてくれるかどうかだが―」
「ファン様が気になさる相手ならば、それは大丈夫かと」
ファンが言い終わる前に返答するシグル。
「そうだね、私の邪魔が出来るぐらいだからね、これぐらいはどうという事ではないか」
シグルの答えに、穏やかに笑うファン。
「餌だと?」
先ほどの気になる言葉に、鋭い視線でファンを見つめるシャルロッタ。
「あぁ、君たちには…いや、君にはとある人物を釣る為の餌になってもらったんだよ」
ファンは穏やかな笑顔のまま答える。
「とある人物とは誰だ?」
「さぁ?誰なんだろうね、私も楽しみだよ」
「ワタシだけが必要なら、他の四人は解放してはくれないか」
「解放するのはもう少し待ってくれたまえ、その時は君も一緒に解放するから」
挑む様にファンを睨んでいたシャルロッタは、僅かに視線を逸らし舌打ちをする。
「ファン様、南よりこちらに急速に近づく者を感知しました」
「そうか」
シグルの報告に、シャルロッタに興味をなくし、南側に顔を向けるファン。
「いよいよか」
そう言うファンの顔は、先ほどまでの穏やかな顔ではなくなっていた。
(今の状況でこれだけ急に近づけばさすがにバレてるでしょうね。かといって、急に気配を消すのは分かりやす過ぎますし)
旅人はシャルロッタ達の居る場所に近づくと、右手に50cmにも満たない長さの一本の棒を顕現させる。
(まぁ、ちょうど試作品を試運転させたかった所ですし)
そんな事を考えてるうちに、旅人は工業区画に侵入した。
バタリと、突然糸が切れた様に倒れるシグル。
「お客さんの到着かね」
ファンはそれを静かに確認する。
「そこだねぇ」
レギンが瞬時に顕現させた剣で、自分の背後を攻撃する。
「……ふむ、こんなものですか」
レギンの剣を棒で受けた旅人は、退屈そうに呟くと、
「はい、どうぞ」
自らが手にする棒に魔力を込める。
「あばばばばば」
レギンは急に全身をガクガクと震わせるとバタリと倒れた。
「ふむ、もう少し出力を下げた方がいいですね。しかし、貴方には少々興味があったのですがね、この程度とは拍子抜けですね」
旅人は一度つまらなさそうにレギンを見つめると、
「さて、では貴方で最後ですね。最強と謳われる9人の内1人のファンさん…それとも、古の英雄デヒトさんと言えばよろしいでしょうか?」
デヒトという名が旅人の口から出た事に驚くファン。
「ほぅ、何故その名を知っているのですかな」
「とある遺跡に残ってたんですよ、デヒトの妻、メディアの日記が」
「そうですか、メディアが…」
ファンの表情が一緒柔らかくなる。
「しかし、私は過去の者ではありませんよ」
旅人に挑発的な笑みを向けるファン。
「正直、貴方が何者でも私は構わないのですよ、狂化の元凶であれば」
「そうですか、そこまで知っていてその程度の反応ですか」
可笑しそうに笑うファン。
「今更ですが、一応訊いておきますね、貴方の名は?」
「私はモナルカと言います。それでは私も一応訊いておきますが、貴方の名は?」
「ハハハ、いいですね。貴方…モナルカさんでしたか、貴方の様な面白い人に会ったのはいつぶりでしょうか。褒美に教えましょう。私の名は貴方が言った通り、デヒトです」
そう名乗ると、デヒトの纏う空気が変わる。
「いい話も聞けたし、楽しい雑談は終わりにしようか」
そう言うと、好戦的な表情になるデヒト。
「はぁ、やはり古の英雄といえどこの程度ですか」
対して興が醒めた表情になるモナルカ。
「ハッ、つまらん挑発だな」
「事実ですよ。私の本来の敵を考えれば、貴方では相手にならないのはわかってましたが、いざ現実を目の当たりにすると拍子抜けしますね」
そう言ってため息を吐くモナルカに、
「舐めるなよ」
襲いかかるデヒト。
「遅いですよ。勝負はとっくに終わってます」
モナルカは襲いかかるデヒトを無視してシャルロッタ達の方へ歩き出す。
「な、に…」
デヒトはモナルカに襲いかかる途中で固まると、そのまま崩れ落ちる。
「なにが…」
「そこの女性の洗脳を解いた時に、ついでに貴方とファンさんとを分離させる作業を始めていたんですよ」
モナルカはデヒトを一瞥もせずにそう告げる。
「ば、かな―」
何かを言いかけてこと切れるデヒト。
「………」
数瞬後に静かに寝息を立て、いつもの穏やかなファンの表情に戻っていた。
「一応シャルロッタさんの頭の中も戻しておきましたので」
シャルロッタ達の拘束を解いた後にそう告げるモナルカ。
「いまいち理解が追いついてないが、ありがとう、と言えばいいのかな。助かったよ。しかし、アンタ凄かったんだな」
安心した笑顔でモナルカを見つめるシャルロッタ。
「モナルカ様、またお助けいただきありがとうございます」
お辞儀をしながらキラキラした瞳で礼を言うイーハ。
「あぁ、確かエモヨ街のイーハさんでしたか、お久しぶりですね」
「覚えていて下さったのですか!」
「記憶力は良い方ですので」
感激するイーハに、さらりと答えるモナルカ。
「貴方がイーハさんが話してた…」
そんなモナルカを興味深そうに眺めるアドルフ。
「ありがとよ」
「ありがとうなんだな」
そう言って嬉しそうにモナルカの背中を叩くウィルと、礼儀正しく頭を下げるジークフリート。
「色々感謝するが、とりあえず幾つか訊いときたい事がある。結局コイツらはなんだったんだ?」
倒れている三人組を視界に納めながらモナルカに質問するシャルロッタ。
「なんだったんだと言われましても、なんと答えればいいか…」
微かに困った顔をするモナルカだったが、
「それでは、そうですね」
少しの間考えると、知っている事を話始めるのだった。




