ノヒンを冒す影
「おかしい、やっぱりおかしいぞ」
高さも色も統一性のないごちゃごちゃした街の中、少女はそう呟く。
「ん〜、私にはよくわからないですけど」
そんな少女の呟きに少女の後ろを歩くもう一人の少女が答える。
「ぼくもイーハさんと同じですね、まぁ微かに違和感はありますが、それも姫に言われたからもしかして?ぐらいの違和感ですし」
姫と呼ばれた少女の後ろ、イーハの隣を歩く少年は、肩を竦めてそう答える。
「確かに、ここ一週間程で狂化する人が急に増えたけど、でも本当に人格が変わってしまった人なんて居るのかな?」
イーハ達のその後ろを歩く少年が眼鏡を持ち上げそう質問する。
「甘いぞウィル!それにイーハとアドルフもだ!今このノヒンは正体不明の敵から攻撃を受けている。確かに狂化も問題だ、出来る事ならこちらも対処したいが人手が足りない。しかし、あれは分かりやすい事例だ、狂化は五年前から世間を騒がせている。だから、狂化は狂化を調べてる他の誰かが対処するさ。今我らが対処すべき問題は水面下で人知れず静かに進行しているもう1つの方だ!何度も言ってるが、人格の乗っ取りだ。昨日まで普通だった人間が次の日には別人になってるんだ。あれは人格を乗っ取ったんじゃないなら入れ替わったぐらいしか考えられない。お前なら私の話が分かるだろう、ゴットフリート?」
「う〜ん、姫の話はオイラには難しいんだな。そもそもオイラはここに居るみんな以外に親しい人といえば家族ぐらいだしな。他の人の変化なんて分からないんだな」
列の最後尾、ウィルの隣を歩くゴットフリートはのんびりした口調でそう答えた。
「くっ、どいつもこいつも鈍いな、鈍すぎる。危機感がまるで足りてないぞ!このままでは我らの故郷であるノヒンが何者かに乗っ取られるか、崩壊しかねないというのに」
右手を頭に置き、緩慢な動きで首を左右に振る少女。
「あの〜、私はノヒンに越して来たばかりなんですが」
そんな少女に対して、小さく手を上げると、申し訳なさそうに答えるイーハ。
「はっ、生まれや育ちなど関係ない、今のお前はワタシの仲間だ。つまりはワタシの家族も同然だ!ならば今のお前の故郷はノヒンだ!他に故郷があると言うならそれは第二の故郷とかそういう感じのやつだ!」
「分かったか」という言葉とともにイーハを指差す少女。
「ん〜、そういうものなのですか?」
イーハは先頭を行く少女以外のみんなを見回すと、そう尋ねた。
「まぁ、姫がそう言うのならそういう事にしておけば宜しいかと」
「面倒だからそういう事にしておいて」
「生まれ育った場所は大事なんだな、でもイーハはオイラ達の仲間なんだな」
アドルフ、ウィル、ゴットフリートは順番にそう答える。
「おい、ウィル!面倒とはなんだ面倒とは!そしてゴットフリート!お前は誰の味方なんだよ、この良い子ちゃんめ!」
ウィルとゴットフリートの回答に不満の声を漏らす少女。
「えへへ、オイラ良い子なんだな」
「喜ぶな!そして最後だけしか聞いてないのかお前は…まったくもう」
少女はため息を吐いてゴットフリートを見つめるが、その瞳は優しかった。
「フフフ」
そんな様子を見て嬉しそうに、楽しそうに笑うイーハ。
「何がおかしい?」
そんなイーハを少女は不満気に見つめる。
「気に障ったならごめんなさい。でも、変な意味じゃないのよ。ただ、温かいなと思ったから」
イーハは幸せそうな笑顔で少女にそう答える。
「ふん、当たり前だ。ワタシの家族なんだからな!そしてお前もその家族の一員だ、イーハ。差し詰めワタシが親でお前は一番上の長女だ、その下の長男がアドルフで次男がウィルで、末弟がゴットフリートといったところか!」
不敵に笑う少女は各人を指差しながらそう告げる。
「色々言いたい事はありますが…、まぁいいでしょう」
「え〜、おれ次男かよ〜!」
「えへへ、みんな家族なんだな」
そんな三者三様の答えを変わらず幸せそうな笑顔で聞いているイーハ。
そんな話をしていた一行は、気づけば見廻りの最終目的地であるノヒン中央広場に到着していた。
「はぁ、もういい。今日の見廻りはここまで、各自明日までしっかり身体を休めとく事。では、解散!」
少女が高らかにそう宣言すると、彼女らの本日の見廻りは終了したのだった。
◆
「思ってたよりも力の戻りが遅いですね」
建物の高さも色もバラバラな街の中心地よりやや外れた場所にある二階建ての宿屋で、老人は悲しそうにそう呟いた。
「大丈夫ですか?ファン様」
そんな老人に美しい女性が無機質な声で語りかける。
「大丈夫だよシグル君、まだまだこれぐらいは想定の範囲内だからね」
ファンはシグルににこやかに笑いかける。
「ノヒンは今、色々大変みたいだなぁ」
二メートルは越えてるであろう大男が、椅子に腰掛けて新聞を読みながらそう他人事のように呟く。
「はぁ、私は悲しいよ。私の力が足りないばかりに狂化が蔓延してしまって。被験者には悪い事をしてしまったな、私の大切な国民だというのに」
「しかし、彼らの協力のおかげでよいデータが取れました」
ファンの懺悔に変わらず無機質な声で答えるシグル。
「そうだな、直接触れればある程度までだが記憶の書き換えが可能なまでには、私の力が戻っていると解ったしな」
シグルの言葉に頷きながらそう答えるファンに、
「まぁ、記憶の書き換えどころか、洗脳の成功例が目の前に居るけどなぁ」
大男、レギンは暢気な口調でそう言うと、楽しそうにシグルを見つめる。
「なにか?」
そんなレギンに冷ややかな視線を返すシグル。
「彼女の場合は成功と呼んで良いのかは微妙だがね。敢えて言うならば、半分成功といったところか。当時の全力でこの結果なのだから、力の戻りの遅さを痛感するよ」
レギンの話に残念そうな口調でそう答えるファン。
「感情の殆どが喪われちゃってるからねぇ。でもまぁ、端から観てる分には愉しいけどねぇ」
シグルを見つめたまま面白そうに答えるレギン。
「………」
そんな二人の会話を気にする事もなく、変わらぬ無表情で聞いているシグル。
「彼女は優秀なだけに実に残念だよ」
そんなシグルを見て、ため息を吐くファン。
「まぁ、優秀だからこうなったとも言えるんだけどねぇ。もう少し鈍かったら、感情を喪った人形に成らずに済んだだろうにねぇ」
レギンはそんな二人を喜劇でも観るかの様に愉しそうに眺めていた。
◆
「シャルロッタ、ちょっと買い出しに行ってくるから少しの間店番を頼むよ」
ノヒン中心地に程近いとある宿屋、そこの主人が自分の娘にそう声をかける。
「母さんは?」
普段は買い出しなどの用は母親がやっていたので、店の奥から出てきたシャルロッタは父親にそう尋ねる。
「寄り合いさ。最近は色々物騒だからな、その事についての対策と確認だとさ。対策たって俺逹には大した事は出来やしないのにな。まぁそうだな、母さんは昼過ぎか、遅くとも夕方までには帰ってくるだろうさ」
「そう、ならワタシが買い出しに行こうか?」
「量が有るからな、俺が行った方が早く済む」
「分かった。じゃ店番してるからさっさと行ってきて」
シャルロッタはさっさと父親を追い出すと、店番を始めた。
「ふぅ、流石に狂化が広まってる地域に好き好んで来るやつはそうそう居やしないか」
狂化が流行りだしてからめっきり減った客足に、暇をもて余すシャルロッタ。
「どうしたものか…」
思い出すのはここ二週間程の出来事。
シャルロッタは仲間逹とともに街の見廻りをしている。仲間内では姫なんて呼ばれているが、何故そう呼ばれるようになったかはいまいち覚えていない。
二週間程前からノヒンでは狂化が流行りだした。暴れる人が増えたのである。今まで何人が治療という名の下に殺害されたかなんて数えたくもなかった。
時を同じくしてシャルロッタはある異変を感じ始める。それは性格の変貌である。
家が宿屋を営んでいる関係で今までいろんな人と話をしてきたし、見てきた事で鍛えられたその観察眼でもってはじめて感じられた違和感、僅かにではあるが、性格が変わった人物が幾人か居るのである。
最初は気のせいだろうと思っていたのだが、数日前に怪しい三人組と遭遇した事で、今では疑惑は確信に変わりつつある。
その三人組とは、痩せこけた老人と、美人だが冷たい印象の女性、二メートルを越える大男の三人組であった。その三人組は人通りの少ない路地でなにやら話をしている様であった。
『……』
何故かひどくその三人組の事が気になったシャルロッタは、慎重に三人組に近づくと、耳をそば立てる。
『それで、観察経過はどうだね?』
老人がそう女性に質問をする。
『順調かと。現在、記憶を改竄された事に気づいた者は、本人及び観察対象周辺には確認されていません』
女性は老人の問いにそう事務的に答える。
『そうか、そうか。では、引き続き観察の方は任せたよ。私の方も引き続き実験をしていくからね』
『かしこまりました』
にこやかに語る老人と、それに無表情で頷く女性。そして、それを愉しそうに眺めがらも、周りを警戒している大男。
『……記憶の改竄?それって…』
全てではないが、今必要そうな事だけは聞けた気がしたシャルロッタは、近づいた時と同じく、慎重にその場を後にした。
どこまで信じて良いかは分からないが、おそらくは三人組の女性が言っていた記憶改竄とやらが性格が変わった原因なのだろう。
その後は、更に用心深く周りを観察した。もちろん、記憶改竄の結果を観察しているであろう三人組を警戒しながらである。
見廻りも強化したが、あれ以来三人組を見かける事はなかった。
「イーハは大丈夫かな…」
イーハは半年程前に家族でノヒンに越してきた。
物静かで、美しく、気品のある立ち居振舞いのイーハの第一印象は、まさにお嬢様といった風情の少女だった。
そんなイーハとシャルロッタ逹は割りと直ぐに仲良くなった。
きっかけは単純なもので、仲間の一人のアドルフの家がイーハの家に近かった事と、その周辺に同年代の子が少なかった事だった。
イーハは話してみると、親しみやく、活動的で、意外と強情な面を持っていた。
シャルロッタ逹がイーハがノヒンに越してきた理由を知ったのは、仲良くなってから一ヶ月程経ってからだった。
『前に住んでいた街で急に狂化する人が増えた事がありまして、その時にお母様も狂化してしまって…』
イーハはその時の事を思い出したのか、瞳に恐怖の色が浮かぶ。
『あれ?でもイーハのお母さんって今は普通にしてるよね?』
狂化は治せない。それは半ば世界の常識になっていたので、シャルロッタの疑問も当然のものだった。
『ええ、私もお父様も諦めていましたが、旅の方がお母様の狂化を治してくださったんです。お母様だけでなく、街の人も大勢治してもらってました』
先程の恐怖は見間違いだったのかと思う程に綺麗に消え去り、代わりに喜びの様な憧れの様な光を帯びていた。
『狂化を治した!!そんな話聞いた事がないぞ。っていうかそれが本当なら、世界中が望んでいた大ニュースじゃないか!』
シャルロッタの驚きに、他の三人も次々に同意の言葉を口にする。
『これは驚きです』
『ほ、本当に!?冗談じゃなくて!?』
『それはすごいんだな』
そんな四人の反応を見て、可笑しそうに笑うイーハ。
『はい、本当に本当の話ですよ。なんでしたらお父様にも聞いてみますか?お母様は狂化した時とその前後の記憶が曖昧みたいですが』
『いや、いい。驚きはしたが、お前の言葉は信じるさ。まぁ、興味はあるから、機会があったらその時の話を聞かせてくれ。それにしても狂化をね…』
シャルロッタはその驚きを受け入れると、
『じゃあ、なんでこの街に?』
その疑問が浮かんできた。
『私にとっても、お父様とお母様にとっても思い出のある街でしたが、あの街に居ては、ふいにお母様が狂化で暴れだした時の姿を思い出してしまうので、家族で話し合って引っ越す事に決めたのです。私達以外にも、街を出ていった人は結構いたみたいですよ』
『そうなんだ。ごめんな、辛い事を思い出させて』
イーハに頭を下げるシャルロッタ。
『そんな、私は別に気にしてませんから』
突然シャルロッタに頭を下げられて、あたふたとするイーハだった。
「また狂化の蔓延に出会すとはな」
ため息とともに困った様に頭を掻くシャルロッタ。
「今のところはいつも通りに見えるが、当時の事を思い出したりしてなきゃいいが…」
心配から再度ため息を吐くシャルロッタ。
「しかし…」
記憶改竄にシャルロッタが気づいたのは、ちょうど狂化が蔓延しだした頃と重なる。
「狂化は精神干渉魔法だと聞いた事がある。安易に結びつけるのは良くないが、記憶改竄は分類的には狂化と同系統の魔法なんじゃないか?だとしたら…、もしも、もしもだ、この二つの根っこが同じものだとしたら、犯人は…」
本来ならば辿り着けなかったはずの結論に、辿り着いてはいけなかった結論に辿り着いてしまったシャルロッタは、カランカランというドアベルの音で我にかえる。
「―ッ、いらっしゃい」
習慣とは偉大なもので、こんな時でも反射的に挨拶をする事は出来たが、声がやや上擦り、早口気味のその挨拶に、心の中で苦笑するシャルロッタ。
「部屋は空いていますか?」
入って来たのは旅人であった。
年はシャルロッタより2つか3つ程上だろうか。薄汚れた外套に身を包み、小さな子どもなら一人ぐらいは入りそうなバッグを持った少年だった。
「あぁ、空いてるよ。何泊予定だ?ウチは宿泊費は先払いだからな、一泊分の料金はワタシの後ろの壁に書いてあるだろ。一応説明しとくが、後日予定を変更しても先払いした代金の払い戻しには応じないからな。ただし、先払いすれば延長は可能だ。まだ予定が決まってないなら、毎日更新すれば無駄に払わなくて済むぜ。更新は毎朝可能だが、朝食が済むまでに頼むぞ。こっちにも予定や準備があるんでね」
「五日、部屋をお借りします」
そう言うと、旅人はカウンターに五泊分の料金を置く。
「あいよ、確かに五泊分のお代は頂いた。これが鍵だ、そこの階段登って、廊下を真っ直ぐ行った突き当たりがお客さんの部屋だよ」
シャルロッタは馴れた手つきで代金を数えると、カウンターの下から鍵を一つ取りだし、カウンターの上に置く。
「ありがとうございます」
旅人は鍵を受け取り軽く頭を下げると、シャルロッタが指差した階段を登って行く。
「こんな時期に来るとは、変わった旅人だな。まぁ、こっちとしては客人が来てくれた方が助かるけどさ」
旅人の姿が消えた階段を見ながらそう呟くシャルロッタ。
黒髪に目元近くまである前髪のせいか、もしくは表情が乏しいせいか、どことなく陰気に見える旅人だったが、落ち着いていて、旅なれてはいるようだった。
「はぁ、ここまでくるのに結構苦労しましたね」
旅人はシャルロッタに渡された鍵で部屋に入ると、そう独りごちる。
「しかし、やっと、やっと捉えましたよ。あとは元凶を捜しだして叩くだけですね。出来ることならさっさと終わらせて、王都に行きたいところですが」
旅人は、狭い場所から解放されたかの様に大きく伸びをすると、部屋の窓から外を眺めた。
この部屋はノヒンの中心地側らしく、窓からは僅かだが中心地が見えた。
(…中心地にはあまり顔を出していないみたいですね。その周辺では遊んでいるようですけど)
旅人は遠くを見つめる様な目をすると、辺りの魔力の痕跡を視る。
(ふむ、狂化以外にも何かをやっているみたいですね)
旅人は視線を窓の外に戻すと、微かに笑った…様な気がした。
◆
「さぁ、今日も張り切って見廻りを始めようじゃないか!」
シャルロッタが店番を頼まれた翌日。
今日もシャルロッタ一行は見廻りを始めた。
「昨日は各々用があって見廻り出来なかったからな、今日は昨日の分も張り切っていくとしよう!」
シャルロッタが腕を上げて高らかにそう宣言すると、一行は見廻りを始めた。
「特に異常はありませんね」
朝に張り切って見廻りを始めたものの、これといって収穫が無いまま昼が過ぎようとしていた。
「お腹空いたんだな」
自分のお腹に手をあててゴットフリートがそう言うと、ゴットフリートの腹の虫が「ぐぅ〜〜〜」と、盛大に鳴いた。
「ふむ、もうそんな時間か。ならば少し遅いが昼食にするとしよう」
シャルロッタは、近くにあった公園を指差す。
「あそこでいいだろう。各自ちゃんと昼食は持参してきたな?」
皆を振り返るシャルロッタに、頷いたり、弁当を掲げたりと、様々な応答をするも、全員忘れずにちゃんと持参しているようであった。
「いつ見てもイーハの弁当は凄いな」
シャルロッタ一行は公園の端、屋根付きの休憩所に設置されているテーブルと、それを囲む様に設置されている椅子を利用して昼食を摂る。
「そうですか?皆さんのお弁当も毎日とても美味しそうですけど?」
イーハの持参した弁当を見るシャルロッタに、イーハは笑顔でそう答えた。
「いや、ワタシ逹のは昨夜の晩飯か、今朝の朝食の残りを詰め込んだだけで、そんなに手の込んだ物ではない。それが、お前のそれこそが弁当ならば、ワタシ逹のは残飯みたいなものだ。それぐらいの差はあるぞ」
「残飯…ですか?ん〜、私のも皆さんのお弁当と似たようなものだと思いますけど」
シャルロッタの熱弁に、イーハは笑顔を崩さず答える。
「とりあえず、何かくれ…いや、交換しよう。しょぼいおかずしかないが、イーハの好きなのと何かを交換してくれ」
弁当を差し出して懇願するシャルロッタ。
「何でもよろしいんですか?ええと、それではこれとこれをっと」
「あ、あのぼくとも」
「おれとも交換しようぜ」
「オイラも交換したいんだな」
シャルロッタとイーハのやり取りをじっと見守っていた三人は、我も我もとイーハに交換を申し込む。
「ええ、いいですよ」
イーハはその申し出を笑顔で受け入れ、各々とおかずを交換していくのだった。
「ふぅ、食べた、食べた。ごちそうさま」
皆の昼食が済んだ頃、アドルフは食べ終わった自分の弁当を片付けているシャルロッタに質問をする。
「姫、改めて訊きたいのですが、姫が見たという三人組というのはどんな人たちだったんですか?」
「ふむ、一人は痩せこけた老人で、派手な色の服を着ていたな。もう一人は女性で、美人だったが、無表情で声にも感情らしい感情がなかった気がする。最後は大男だったな。体格もよくて、正直関わりたくない感じだが、こいつだけ他の二人と雰囲気が違ったな。どこがどうとはうまく言えないけど、とにかく異質だった…、悪い意味で」
記憶の糸を手繰り寄せるも、時間が経っているという事もあり、所々が朧気になる。
「前に聞いた話とあまり変わらないですね。新しく何か思い出したりはしませんか?」
「いや、何とか思い出せないかと頑張ってみてはいるんだがな、さっきの情報以上の事は思い出せないんだよ。…見れば直ぐに分かると思うんだがな」
そう言うと、軽く肩を竦めるシャルロッタ。
「では、変わらず地道に見廻りをするしかないですね」
重たそうに椅子から立ち上がるアドルフ。
「今はそれしかないな。では、見廻りを再開するぞ」
そのシャルロッタの一言で食後の休憩を切り上げると、一行は見廻りを再開するのだった。
「今日はここまで!明日もいつも通りに見廻りするからな、今日も明日の為にしっかり身体を休めておけよ」
結局、午後の見廻りもこれといった収穫もなく、シャルロッタの言葉とともに無事に終了した。
「今日は子どもの喧嘩があっただけか、危機が迫ってるわりには平和だったな」
自室に戻ってきたシャルロッタは、扉を閉めるなり今日の見廻りの結果を思い浮かべる。
平和だと喜ぶべきなのだろうが、状況が状況なだけに、ついついため息を漏らしてしまうシャルロッタ。
「全てとは言わないが、真実の一端くらいは知ってしまったんだ。誰に言っても信じちゃくれないが、どうにか出来るのかも知らないが、それでも、ただ指をくわえて観てるだけなんてのは嫌なんだがな。はぁ、…無力だな、つくづく自分の力の無さが情けないよ」
シャルロッタは自室のベッドに寝転がると、目元を腕で隠してそう呟く。
目元を腕で隠した事により目の前に広がる闇の中、あの三人組の姿が浮かび上がる。
三人は、無力なシャルロッタを嘲笑うかの様にこちらを見ていた。
しかし、それも直ぐに消え去り、今度はイーハ達が出てくる。イーハ達はシャルロッタの方を見るとため息を吐き、哀れむ様な視線を向けると、どこかに歩き去っていく。
次から次に現れては消える知り合い達からの責める様な、哀れむ様な態度に、無力な自分を思い知らされる様で、どんどん落ち込んでいくシャルロッタ。
最後に闇の中に浮かび上がったのは、何故か前日から宿泊しているあの旅人だった。旅人は他の人達とは違う何かを訴えるかの様な視線を少しの間無言でシャルロッタに送ると、イーハ達とは違う方へと歩き去る。
シャルロッタは腕をどかすと、そこにはいつもの天井があった。しかし、見慣れた天井も、今は色褪せて見えた。
◆
「………」
気がつけば朝だった。あのまま眠ってしまったらしい。
「疲れてたのかな…」
寝る前に見たものを思いだし、気が重くなるシャルロッタ。
「朝の準備をするか」
ゆっくりとベッドから降りたシャルロッタは、何の気なしに窓の外を見る。
「あれはこの前の旅人さん?こんな朝早くからどこに行くんだろ」
空が明るくなり始め、人々が動き始めたばかりの街をどこかへ歩いていく旅人。
「どこかへ用事かな?」
旅人の迷いのない足取りは、目的地があるのだろう。来てまだ3日目だ、ずっと街を見て回っていたとしても1日半位しか時間が無かっただろうが、もしかしたら以前にもノヒンを訪れた事があるのかも知れない。
そんな事を思いながら部屋を出るシャルロッタだった。
人通りの少ない静かな街を歩く一人の旅人。
まだ早朝と呼ばれる時間なだけに、開いている店もほとんど無い通りを旅人は一人歩き続ける。
(これは、思ってたよりも面倒かも知れません)
辺りを見回すと、旅人は小さくため息を漏らす。
(ここまで狂化が蔓延してるのもですが、洗脳されてる人達が索敵の邪魔ですね)
旅人はキョロキョロと目線だけで辺りを見回すと、街の地形を記憶する。
(さすがに1日で把握しきれる程この街は狭くはないですね。しかし、街の外に出た跡はないですから、この街のどこかには居るんでしょうが…、また巧く隠れられましたね。私の存在は知られてないはずですから、おそらくは偶然でしょうが)
再度ため息を吐くと、油断なく辺りを窺っていた旅人は急に足を止め、来た道を振り返る。
(そういえば、昨夜の宿屋でした魔力の気配は大丈夫でしたでしょうか。介入してみましたが、宿屋の主人とそのご家族が無事だといいんですけど…)
旅人は、他の建物で視界を塞がれ今居る場所からは見えない宿屋を心配そうに見つめるのだった。
「今日も平和そのものか…」
空が茜色に染まる少し前、もうすぐ見廻りの終着点に到達する頃に、シャルロッタは疲れた様に呟く。
「平和でいいじゃん、焦ったって上手くいかないよ」
シャルロッタの呟きに、ウィルが答える。
「それはわかってるんだがな。真相の一端を掴んでからというもの、どうもこう、気が急いてしまってな」
ため息混じりにそう答えると、力なく笑うシャルロッタ。
その疲れた様子に、
「シャルロッタさん、大丈夫ですか?」
いつもの仲間内では唯一シャルロッタを姫ではなく名前で呼ぶイーハが、顔を覗き込み心配そうに問いかける。
「大丈夫だ、昨夜の寝つきが悪かっただけだ」
そう言った後に、「心配ない」と、イーハに笑いかけるシャルロッタだったが、その笑顔は精彩を欠いていて、逆にもっと心配にさせただけであった。
「今日はここまで。明日も同じように見廻りをするからな、用事があるやつは早目に言っとけよ。では解散、明日に備えて身体を休めとけよ」
いつもの力強い宣誓の様な声ではなく、語りかける様な、よく言えば優しい、端的に言えば覇気のないその声に、
「明日の見廻りはお休みにされてはどうですか?」
小さく手を上げると、イーハがそう提案する。
「大丈夫だ、今日はしっかり寝れるだろうから心配ないさ。それに、今は出来るだけ見廻りは欠かしたくないんだ」
シャルロッタは心配そうに見つめる一行に力なく笑いながら答える。
「…分かりました」
シャルロッタと一番付き合いが長く、言い出したら聞かない強情さをよく知っているアドルフが、ため息を吐いて呆れた様に諦める。
「すまないな」
そんなアドルフに申し訳なさそうに謝るシャルロッタ。
「いえ、いつもの事ですから」
肩を竦めて答えるアドルフ。
「ん〜、でもやっぱり休んだ方が…」
話が終わった様な雰囲気の中、それでも諦めずに休息を提案するイーハ。
「気遣いは感謝するが――」
だけど大丈夫だ。と、言おうとするも、イーハのシャルロッタを心底心配している眼差しに若干言い淀むと、
「まぁ、明日もこんな調子だったら、見廻りは休みにするから、それでいいだろ」
視線を逸らし、言いにくそうにそう言うと、
「…分かりました」
まだ何か言いたそうにするイーハだったが、大人しくシャルロッタの提案を受け入れる。
「それじゃ、今度こそ解散。また明日な」
こうして、無事に本日の見廻りは終わったのだった。
パタンと扉を閉める音が静かな部屋に響く。
「はぁ」
シャルロッタは部屋に入るなりため息を零すと、晩御飯の手伝いの為に着替え始める。
「昨夜のあれは夢…だったのかな、妙にリアルで、おかげで精神的な疲れで元気がでなくて皆に心配される始末だし」
思い出しただけで気が重くなってきて、慌てて頭を振るシャルロッタ。
「いかんな、いつまでも引きずっていては、気分を切り替えねば。今日はよく寝れればいいな」
着替えを終えて、衣装箪笥を閉めると、そう願いつつ部屋を出ていくシャルロッタだった。




