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三日鷺~ミカサギ~  作者: 帝 真
第1章 紅蓮の三日鷺
9/80

紅蓮の三日鷺・8

 連絡を取り合った後、斗真はターゲットから外れている朱飛を灯乃の命令で一足先に緋鷺分家へ向かわせた。

 残った雄二と春明を仲間達とその場で待機させ、自分達は道薛が戻り次第、残党の三日鷺を倒しに出る。

 そしてその後で合流を考えたが、予想は外れ、すでに影達は撤退していたのかいくら動き回っても遭遇することはなかった。

 灯乃達はそのまま合流し、ちょうど夜が明ける頃に全員が分家へと到着した。

 朱飛の伝達で、しっかりとした出迎えを受ける。


 「お待ちしておりました、斗真様、春明様。お帰りなさいませ、仁内様。灯乃様、雄二様のことも承っております。どうぞこちらへ、亜樹様がお待ちです」


 たくさんの使用人が頭を下げ、五人は奥へと通された。 

 もちろん春明の別宅よりも大きい数奇屋造りの純和風豪邸で、人の気配も多く、活気がまったく違っていた。

 玄関ホールから広い中庭が見え、それを一望出来るように大きなガラス戸がはられた長い廊下を皆でぞろぞろと進み、灯乃は斗真の隣を歩きながら辺りを見回す。

 思っていたより気難しい様子もなく、旅の疲れを癒す老舗旅館のようなホッとする雰囲気が広がっていた。

 ここが仁内の家、しかし彼は一人苦い顔をして最後尾を歩いている。


 ――帰って来たくなかったのかな?


 そんなことを灯乃は思っていると、床の間の襖が開かれ、浅葱色の着物を纏った女性が側に朱飛をおき、上座で待ち構えているのが見えた。

 彼女が緋鷺(ひさぎ) 亜樹(あき)、斗真と春明の叔母にあたり、仁内の母。

 すると次の瞬間、亜樹は勢い良く駆け寄ってくるや否や、隠れるように身を潜めていた仁内を問答無用で引っ張り出し、廊下へ投げ飛ばした。


 「んがっ!」

 「この恥さらしが!」


 仁内の首が床にめり込み、穴があく。


 「ごめんなさいね、斗真さん。ウチの馬鹿息子が迷惑かけちゃって」

 「いえ、叔母上。お久しぶりです」


 亜樹は申し訳なさそうに斗真へ苦笑すると、起き上がろうとする仁内の頭を足で踏みつけ、再び穴へ押し込んだ。

 (むご)い。灯乃と雄二は恐れ戦くが、どうやら日常的なことなのか斗真達は平然としている。

 それどころか、春明に至っては嬉しそうに亜樹へ抱きつく。


 「叔母様、久しぶり。元気そうで何よりだわ」

 「春明ちゃん、聞いたわよ。足、大丈夫なの? あなたの綺麗な肌が傷付くと、叔母様悲しいわ」


 亜樹は我が子よりも春明を可愛がっているのか、足に巻かれた包帯を労わる目で眺めていた。

 こうして見ると、親族との仲はそれ程悪いものではないように灯乃は思った。


 ――三日鷺を狙っていたのは、仁内だけだったのかも


 そんなことを灯乃は考えホッとしていると、急に斗真の手が彼女の腕を掴む。


 「斗真?」

 「油断するな。叔母上は何を考えているか分からない人だ」

 「え?」


 小さく囁かれた彼の声に灯乃は亜樹を見ると、ちょうど目が合い亜樹がクスッと笑った。

 灯乃はゴクリと息を飲み、背筋を震わせる。


 「あいにく今は、主人が外出中なの。積もる話もあるでしょうけど、今はゆっくり休んで。主人が戻ったら、今後のことについてお話しましょう」


 亜樹はそう言うと、すぐさまそれぞれが別の客間へ通され、斗真と雄二は南側の二部屋を、灯乃と春明は東側の二部屋をあてがわれた。


 「春明さん、足の具合はどう? また傷口、開いたりしてない?」


 灯乃が襖からちょこんと顔を出し、隣の部屋の春明に話しかける。

 彼は足を伸ばして座り、自身で包帯を取り換えていた。


 「平気よ。見た目が酷いだけで大したことないって、言ってるでしょ?」

 「なら、いいんだけど」


 灯乃はじっと彼を見る。

 影達との戦闘はだいぶ苦戦していたと、雄二からこっそり灯乃は聞いていた。

 もしかしたら春明は強がっているだけで、本当はつらいのかもしれない。

 そう思うとどうしても心配が顔に表れてしまうようで、そんな彼女を見た春明は呆れて目を細めた。


 「私のことなんかより、あなたはどうなの? あの火事、灯乃ちゃん家だったんでしょ?」

 「……うん。もう一つは雄二の家だったんだよね?」

 「えぇ。でもご両親は救出されてなんとか一命を取り留めたらしいわ。あなたのお母様は?」

 「それが……」


 灯乃は昨晩のことを思い出す。

 自宅へ向かわせた道薛がなかなか戻って来ず、ようやく帰ってきた彼に灯乃は逸早く詰め寄り、トキ子の安否を訊ねていた。

 しかし彼の答えは――分からない、だった。

 

 「救出された様子もなかったみたいで、でも……遺体も出てきてないって」

 「行方不明ってこと? 朱飛が確かに送り届けた筈だけど」


 春明はうーんと唸って腕組みすると、幾つかの可能性を考えた。

 一つは、トキ子自身が自力で脱出した可能性。

 しかし心身共に疲弊し、あれだけ動き回っても目覚める気配すら見せなかった彼女が、運良く目覚めて外へ逃げ出せたとは考え難い。

 と、すれば……


 「誰かに連れ去られた、か」

 「誰に!?」


 灯乃はくわっと春明に言い寄り、肩を何度も揺らした。

 そのあまりの気持ち悪さに、春明は目が回りそうになりながらも何とか灯乃を止めると、へとへとになった身体をそのまま倒し、天井を眺めた状態で口を開く。


 「知らないわよ。放火した犯人とかなんじゃないの?」

 「放火した犯人……」

 「もしくはただ単に道薛が見逃していただけで、実は救出されていたとかね」

 「それが一番理想だけど」


 灯乃は複雑な思いを持ちつつも、とりあえず気持ちを落ち着かせた。

 放火犯の素性も気になるが、今は道薛の見逃しを願わずにはいられなかった。

 ただ道薛は、本家に仕え斗真からの信頼もあつい人物と見ている。

 そんな人がこんな単純なミスをするとは思えないが。


 「何はともあれ、叔父様が帰ってくるまでは何も出来ないわ。せっかくなんだからのんびりしましょうよ」

 「うん……こんなことで、明日学校行けるのかな?」

 「え」


 灯乃の呟きに、春明は目を丸めて答える。


 「行ける訳ないじゃない、こんな状況で」

 「やっぱ、そうだよね」

 「そんなに学校行きたいの?」

 「私は別に構わないんだけど、雄二が困るんじゃないかなって」

 「あぁ、大会近いんだっけ」


 春明は再び考え込むと、次の瞬間、何故かニタリとほくそ笑んだ。


 「えっ、そこでどうして笑うの!?」

 「これは好感度を上げるチャンス! 今こそ、私の実力が試される時よ!!」

 「え゛!?」


 春明は途端に力強く立ち上がると、ぐっと拳を握り締め、計り知れない闘志の炎をその目に宿した。

 そのあまりの熱気に灯乃は気負けして、屈するように下手から訊ねる。


 「春明さん、何をしようとしてるの?」

 「ふふ、見てなさい。この私が、雄二君をきっちり学校へ通わせてあげるわ!」

 「……春明さんって、本気で雄二のこと狙ってるの?」


 恋愛に関してだと、どうして春明はこんなにも生き生きとするのか。

 灯乃はそんな彼を見て、足の心配をしていたのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。


 *


 その頃。仁内は、亜樹に頭をめり込まれたことで出来た穴を塞ぐ作業におわれていた。

 バキバキに割れた板をはがし、新しいものに取り替えトンカチで叩く。

 その手際の良さはもはや職人技で、日頃から同じようなことが行われているのが見て取れた。


 「くっそぉ。俺だって疲れてんだぞ、こんな時くらい休ませろって」

 「日頃の行いが悪いからいけないんだろ?」


 愚痴をこぼしながらも健気に修復作業をしていると、中庭をはさんだ南の廊下から眺めていた斗真が口を開く。


 「お前のその様子だと、あの時ついてきた者達もそれなりの処分を受けている様だな?」

 「ちっ、そうだよ。暫く謹慎だとよ」

 「だろうな。そうでないと、こんなに静かな筈がない」

 「あ?」


 斗真が穏やかに流れる屋敷内の空気をよむように辺りを見て、小さく呟いた。

 何のことを言っているのか、仁内には分からなかったが、そんな時、斗真を越えた先の部屋にちらつく人影を見て、眉を吊り上げる。


 「んなことより。あいつ、どうにか何ねぇのか?」


 その一言に斗真もそちらを振り返ると、そこには特に何をする訳でもなくただ胡座をかいて俯く雄二の姿があった。

 火事のことで気持ちが沈んでしまっているのだろう。

 今はそっとしておくのがいいと、斗真はそう思って声をかけていないのだが、どうやら仁内は気に入らないようだった。

 トンカチを打つ音が若干強くなる。


 「気になるのか?」

 「うっせぇ、なんか目障りなんだよ。一人だけ暗い顔しやがって」


 灯乃と比べているのか、仁内は不機嫌な口調で言葉を吐き捨てた。

 すると、そんな彼に賛同するように、別の声がふってくる。


 「同感です、迷惑極まりない」


 斗真のもとへ朱飛が幾人かの使用人と共にやってきて、仁内同様雄二のことが気になるのか、厳しい顔つきで彼を見ていた。

 それが斗真には珍しい光景のように見え、ふと訊ねる。


 「お前がそんなことを言うなんて、心配しているのか?」

 「私が、ではありません。唯朝 灯乃が彼を心配しているのです。それが彼女の三日鷺となった我々にも多少なりとも影響しているのでしょう」

 「影響?」

 「それより斗真様、湯殿をご用意させて頂きました。ご案内致しますので、どうぞこちらへ」


 流石に本家の次期当主をくたくたのままにしておく訳にはいかないのか、朱飛が使用人達と頭を下げ促すと、斗真は仕方なしに案内を受け入れ浴場へと足を踏み出した。


 ――三日鷺が主の心に影響する


 以前、紅蓮の三日鷺も似たようなことを言っていた。

 斗真はそれを思い起こすと、無意識に灯乃の姿も脳裏に浮かばせる。


 ――なら、俺の心情はあいつにも伝わってしまうのか……?


 急に気恥ずかしい気持ちになって、斗真は首を振った。


 「ところで朱飛」

 「はい?」


 斗真はふと足を止め、朱飛を一瞥する。


 「火事がおこったあの時、お前も雄二と一緒に現場へ向かったそうだな? ――何かあったのか?」

 「……いえ、何も」

 「……そうか」


 探りを入れるような質問に朱飛は動じることなく返すと、その様子に斗真はそれ以上の追求はせず、使用人達とその場を離れていった。

 確かに帰る家もなく、両親も瀕死であれば気持ちが沈むのも当然だが、どうも雄二の様子は沈むというより悩んでいるように斗真には見えた。

 ただ放火犯を突き止めようと考えているだけかもしれないが。

 斗真が去っていくと、仁内もぶつぶつと文句を言いながら作業に戻り、朱飛はその足で雄二の部屋へ向かった。


 「いい加減、その顔は何とかならないのですか?」


 確認もとらず朱飛は勝手に中へ入ると、雄二を上から見下ろし告げる。


 「怪しまれていますよ? 斗真様に」


 半ば呆れたようなその声に、雄二は少し不貞腐れた様子でボソッと呟いた。


 「陽子のことは言うなよ、誰にも。灯乃の奴、顔には出さねぇけどボロボロなんだから」

 「仁内様はともかく、斗真様はそのくらいお分かりになられていると思いますが。何にせよ、そう思うならふさぎ込むようなその態度は止めるべきです」

 「分かってんだけど考えちまうんだよ。何で死んだ筈のあいつが、生きてあそこにいたのか」


 雄二はあの時の陽子を思い出す。

 昔から知っている穏やかな表情とは違い、陰鬱な笑みを浮かべていた彼女。

 二年前に亡くなっているのだから出会す筈がないのだが、それにしても再会した陽子の雰囲気はガラリと変わっていたように雄二は思った。


 「今は考えても仕方がないことです。とにかくあなたも湯につかり、疲れを取って来て下さい。唯朝 陽子については、もう一度調べ直してみますので」

 「えっ」


 朱飛は当たり前のようにそう言うと、そんな彼女を見た雄二がぼんやりと呟く。


 「……お前って、いい奴だな」

 「勘違いしないで下さい。彼女のことはこちらも無関係ではないだけです」


 朱飛は何食わぬ顔でそう言うが、今まで言われたことがないのか、少し照れたように彼から目を逸らした。

 彼女自身は気づいていないみたいだが、バラされたくないことを自ずと察して黙っていたり、頼んでもいないのに進んで調べ直そうとしたりと、かなり気遣いの出来る優しい子であると、雄二は感じた。

 そして普段あまり表情を変えない彼女だからこそ、時折別の一面が見えると愛おしい。

 どこか放っておけない、仲間達もそんな気持ちで助けにやって来たのかもしれない。

 そう思うと、心の中でほっこりと温かいものがこみ上げて来て、雄二はついふき出した。


 「急に何ですか?」

 「いや。朱飛って、意外と可愛いんだなって」

 「なっ!?」


 雄二としては褒めた筈なのだが、どうも朱飛はそれを馬鹿にされたと取ったらしく、途端に顔を真っ赤にさせて憤怒する。


 「私を愚弄するかっ!」

 「えっ!? んなこと言ってねぇだろっ」

 「問答無用」

 「……え?」


 朱飛はすぐさまクナイを構えると、殺気と共にそれを投げ放った。

 雄二は慌てて部屋から逃げ出す。

 

 「何でだよ!? 俺、そんな怒るようなこと言ったか!?」


 彼女の逆鱗に触れたことに理不尽さを感じながらも、とにかく誰かに止めて貰おうと、雄二はたまたま目に付いた仁内のところへ走った。

 すると丁度良く修復を終えたのか、仁内がふぅと息を吐き、滲み出る汗をキラキラと光り散らしながら上体を起こす。

 そこへ雄二が飛び込み、直後に朱飛の足蹴りが大きく床板を突き抜けた。


 ――バキバキバキッ!!!!


 「ぎゃあぁぁっ!! てめぇ、何してくれてんだぁっ!!!!」


 修復した床に再び穴が開き、仁内の達成感に満ちていたドヤ顔が一瞬にして驚愕の色に変わる。


 「また開けやがって! 俺のせいになるんだぞ! 俺のせいじゃねぇのに、俺のせいになるんだぞぉっ!」

 「知るかよっ! 開けたの、俺じゃねぇし!」


 仁内に勢いよく胸倉を掴まれ、男二人で言い争っていると、そこへゆらゆらと負のオーラを醸し出す朱飛が床板から足を引っこ抜き再び襲いかかった。

 雄二が仁内の手から逃れ、紙一重でそれを避けると、その攻撃は次に襖を突き破り、仁内は蒼白する。

 今までの苦労が水の泡と化したどころでは済まされない。


 「やっやめろぉぉっ!!!!」


 彼の雄叫びが響き渡った。



 「ねぇ、何処行くの?」


 灯乃が春明の背を追いかけついて行くと、浮き足立つ春明は進む先を指差す。


 「茶室よ。叔母様はだいたいあそこにいらっしゃるの」

 「もしかして、亜樹様に雄二のこと頼みに行くの? 無理なんじゃ……」

 「大丈夫よ、ちゃんと貢ぎ物はあるんだし」

 「貢ぎ物?」


 春明はある一室の前に止まると、二枚の障子が立つ貴人口から声をかけ中に入った。

 亜樹に贈る物とは何なのだろう?

 見る限り、手には何も持っていないようだが、ポケットにでも入れているのだろうか?

 そんなことを灯乃は考えながら、春明と共に入り中を覗くと、茶炉の前に座る亜樹がこちらを振り向いた。


 「春明ちゃん、いらっしゃい。それと灯乃ちゃん、だったわね? どうしたのかしら?」

 「叔母様、お願いがあるの。ちょっと聞いて貰えないかしら?」


 春明はそう言って正客に座り、話をすぐに切り出す。

 灯乃も続いて次客に座ると、亜樹は気軽に菓子鉢を差し出しながら姿勢良く綺麗な佇まいで聞いていたが、彼の話が終わると、困ったように眉をハの字に垂らした。


 「……うーん、大会にねぇ。それはちょっと無理があるわ」

 「そこを何とかならないかしら、叔母様の力で」

 「リスクが大きすぎるわよ。学校に通うだけならまだしも、大会に出るとなると、揉め事を起こした時点で出場停止は必至よ。火事の件も解決していないし、難しいわね」


 亜樹の最もな返答に、灯乃も春明もうなだれて落ち込む。

 しかしそんな時、二人の様子を見ていた亜樹が両手をパチンと合わせて弾んだ声を上げる。


 「――とまぁ、それが正論なんだろうけど」

 「え?」

 「可愛い春明ちゃんの頼みだもの、叔母様だって頑張っちゃうわ」

 「え……それじゃあ!」

 「えぇ、叔母様に任せなさい!」


 亜樹がドンと自信満々に胸をはり笑顔で答えた。

 きっと良い対策案に心当たりがあるのだろう。

 二人は大喜びでハイタッチすると、その時、亜樹の瞳が一瞬あやしくキラリと光った。


 「ところで春明ちゃん――分かってると思うけど」

 「もちろん。分かってるわ、叔母様」

 「え?」


 春明は亜樹に目配せし、灯乃が首を傾げていると、そんな彼女の両肩を唐突に春明がポンと押した。


 「わっ! なっ何!?」

 「お好きなだけどうぞっ」

 「え? え?」

 「ありがとう、春明ちゃん!」


 灯乃の身体を亜樹は受け止めると、満面の笑みでギューっと抱きしめた。

 その力といったら、背骨が砕けてしまうのではないかと思う程に強い。

 灯乃は何とかもがいて呼吸だけでも確保すると、企みを含んだ微笑みを浮かべる春明が一瞬垣間見えた。


 「叔母様はね。可愛い子に色んな服を着せて遊ぶのが趣味なの」

 「え゛」

 「タダという訳にもいかないでしょ? これも雄二君の為、私は涙を飲んであなたを送り出します。そういう訳で、後よろしく」

 「えぇぇっ!!」


 そう言って素早く部屋を出て行く春明に、灯乃はしてやられたと思った。

 貢ぎ物とは灯乃自身、春明に頼り過ぎていたのを今になって後悔する。


 「ちょっと待って! 春明さぁぁ――ん!!!!」


 しかし幾ら叫んでも彼が戻ってくることもなく、亜樹の嬉しそうな笑い声が耳を擽る。


 「うふふ、それじゃ早速着てもらうかしら♪」

 「えぇっと、何を……?」

 「色々揃ってるわよ。でも、それよりもやっぱりまずはお風呂かしら? その埃まみれの身体を綺麗にしましょ」


 亜樹はその怪力で灯乃の腕をぐいっと引っ張ると、ウキウキとした様子で茶室を後にした。

 一方、雄二のいる南部屋へ春明が向かっていると、それを使用人達が寄宿している離れから出てきた道薛が見かける。


 「おや、春明様はお元気になられたようだな。よかった、よかった」


 まるで子を見る親のような目で眺め、道薛は空へと背伸びした。

 ここに来るまでに溜め込んだ疲労感が彼にも色濃く表れているが、身分によって自身のことは二の次、彼は自然に溜息を漏らす。


 「風呂にも浸かりたいところだが、使用人如きの私が先に浸かる訳にはいかん。ここは我慢、我慢」


 仁内のせいで謹慎となった者達に代わり、暫く分家の使用人として留まることになった道薛達は、今まで寄宿舎の整理をしていたのだった。

 そしてその目処が立ち、道薛は休憩に出てきたのだが、くたびれた服や髪を見てふと悩み出す。


 「しかしながら、いつまでも見苦しい格好のままではなぁ。ここでの新しい着物も頂いたことだし、湯につかれずとも身形は整えておくべきかもしれん」


 道薛はそう独り言をぼやきつつも、手は髪を労わる。

 何だかんだと建前を並べても、彼が一番気にしているのはどうやら髪のようだ。

 するとその時、何処からか慌しい足音が聞こえて来て、道薛が振り向くと、目を見開き必死の形相で駆けてくる雄二を見つけた。


 「おや、雄二殿。そんなに慌てて、如何なされ……」


 かける言葉が言い終わる前に雄二の足が庭へと飛び込み、思いのほか勢いよく舞い散った土が道薛の全身に降りかかった。


 ――ぐちゃっ!

 「わりぃ! オッサン!」


 本当に悪いと思っているのか、いないのか。

 軽く謝って去っていく雄二に、返す言葉もなく、ただ茫然と立ち尽くす道薛。

 そこを素早く朱飛も通り抜けていくが、彼は気づいているだろうか。

 そんなところへ少し遅れて春明が現れ、入れ違ったのか、雄二のことを訊ねて来る。


 「ねぇ、道薛。雄二君見なかった?」


 キョロキョロしながら探す春明だが、彼に危機が迫っているのを感じ取ってか、若干そわそわしていた。

 しかし今の道薛には、そんなことに気づく筈もなく、自分自身の現状から来るショックで、ただ訊ねられた質問に答えることしか出来なかった。


 「……雄二殿なら、今し方あちらに……」


 普段とは違い、反応がおかしい彼に漸く春明も気づいて、その変わり果てた姿を見る。

 頭からつま先までまだら模様に土がぐちゃっとこびりついた、居た堪れないその姿。


 「大丈夫……?」


 *


 その頃灯乃は、亜樹に腕を引かれたまま脱衣所に来ていた。

 まるで大浴場のロッカールームのように広いそこは、洗面台やメイクスペース、そしてたくさんのタオルや籠などが仕舞われている大収納スペースがあったが、それ以上に亜樹の趣味となる衣服が大量にハンガーにかけられているのを見て、灯乃は顔を引きつらせる。


 「あっあの、亜樹様……」

 「灯乃ちゃんのサイズに合ったものを幾つか持って来させたの。さぁ、綺麗にして来なさい。その間に着て貰うもの、選んでおくから」


 そう言って、亜樹は手際よく灯乃が着ている物全てを剥ぎ取り、白いバスタオルでその裸体を巻くと、押し出すように浴場へと追いやった。


 「あのっちょっとぉ!」


 パシャリとガラス戸が閉められ、やれやれと諦めたように灯乃は伸ばす手を引き戻す。

 辺り一面に広がった真っ白な湯気が快晴の空へ上っていくーー露天風呂だった。

 曇った戸の向こうは亜樹のシルエットが忙しなく動いているのだけが映り、いったい何を着せられるのかと灯乃はゾクッと身震いしながらも、とにかく露天風呂の縁から入り、湯に浸かった。

 

 「……はぁ、気持ちいい」


 徐々に身体が温まって、疲れがじんわり取れていく。

 後のことはさておき、今はゆっくりするのも良いかと、灯乃は縁の岩に背を預け、瞼を閉じた。


 ――ここ数日で、ガラリと変わってしまった日常。

 朝から学校へ通い、授業が終われば家で母と過ごす。

 そんな平凡な日々だった筈なのに。


 瞼の裏側に、柔かに微笑むトキ子の顔が浮かぶ。


 ――今は何処にいるのかさえ分からない。 帰る家も、もう無い。

 そもそも、私は私なの?

 私は誰? これからどうしたらいい?

 

 ――私は、誰に頼ればいい……?


 唇が震えていた。

 怖い。先のことを考えるのに、灯乃は恐怖を感じた。

 泣きたくて、叫びたくて仕方がない。

 

 ――誰か、助けて……!


 「誰かいるのか?」


 ハッと、その時灯乃は目を見開いた。

 今の声は、よく知っている。

 視界いっぱいの湯気の向こう側から一つの人影が近づいて来た。

 

 ――この声は……


 「斗真?」

 「灯乃!?」


 ぼんやりと灯乃が振り向く反面、斗真は頬を紅潮させてすぐさま背を向けた。

 そんな彼の様子に、灯乃も現状を思い出して真っ赤になった顔を逸らす。


 「ごっごめん! えっと私、斗真がいるなんて知らなくて……」

 「いい。俺はもう、出るところだから」


 そう言ってお互い見ないようにして、斗真はさっさと脱衣所の方へ歩いていく。

 しかしそんな時、ガラス戸の向こうから亜樹の楽しそうな声が聞こえてくると、途端に斗真の進む足が止まった。


 「何で叔母上が……!?」

 「えっと、亜樹様が入って来いって、私をここに」

 「なっ!?」


 事情はどうあれ、彼にとって亜樹は苦手の部類に入るのか、出るに出れない様子で再び湯船に沈んだ。

 そんな斗真をちらっと横目で見ながら、灯乃は呟く。


 「もしかして、斗真も遊ばれたことがあるの?」

 「変な言い方をするな。……昔の話だ」


 どうやら図星のようで、亜樹の迷惑な趣味の餌食になっているのは女の子だけではなさそうだった。

 可愛い子、と言っていたから、幼い頃の斗真はきっと可愛かったに違いない。


 「まったく。油断するなと忠告しておいたのに」


 やむを得ず斗真はその場に留まり、愚痴をこぼす。

 二人とも気まずそうに背中合わせで浸かりながらも、とりあえず湯気のおかげで視界が悪く、互いが見えにくいことだけには内心ホッとしていた。

 しかしそれでも、バクバクと心臓の音が聞こえてしまうのではないかと、二人は気が気でない。


 「だって、雄二を学校に行かせてあげたくて。亜樹様にお願いしたら、何とかしてくれるんじゃないかなって」


 灯乃はぶくぶくと水面で唇を震わせ、申し訳なさそうに身体を縮こませた。


 ――雄二の為、か。


 斗真は心の中で何かがチクリと刺さる感覚を覚えた。

 雄二の為だったら、灯乃は簡単に忠告も忘れてしまうのだろうか。


 ――俺の言葉は、届かないのか……?


 「なぁ、灯乃。雄二とは幼馴染みと言ったな?」

 「え? うん、そうだけど?」


 斗真の鼓動が高鳴っていく。

 

 「……それだけなのか?」

 「え……?」


 *


 「やれやれ、とんだ災難だった」


 道薛は頂いたばかりの紺色の着物にやむを得ず着替え、水道水で髪の汚れを洗い流し、白のフェイスタオルで丁寧に拭いて乾かしていた。

 彼の黒い短髪は、少し太くかたい。

 最近は密かに抜毛を気にしているようで、タオルで乾かす手がより慎重に動いている。

 するとその時、またもや先程と同じ慌しい足音が道薛の方へと近づいて来た。


 「ふふ。二度も同じ手に引っかかる道薛ではありませんぞ!」


 自信満々の笑みで、道薛は荒々しく走ってくる雄二を見定めると、探している春明のことを考えて撒き散らす土埃を避わすだけでなく、直接彼の腕を掴み上げて止めた。


 「オッオッサン!?」

 「雄二殿。先程から春明様がお探しになってま……」


 しかし。


 ――ドカッ!!


 その瞬間、道薛の後頭部を朱飛の足が蹴り上げた。

 どうやら彼女は雄二を狙ったつもりだったようだが、間が悪いことにそこへ道薛がたまたま割り込んでしまったのだ。

 そして更に間が悪いことに、道薛は程良くして池に飛び込む羽目になった。


 「ちっ、外しましたか。申し訳ありません、道薛殿」


 雄二以上に心のこもらない謝罪を吐き捨て、朱飛はその隙に逃げ去った雄二を追いかける。

 数秒後、遺棄された者のように底から静かに浮き上がってくる道薛を気にかけたのは、池でのんびり泳いでいた鯉達だけかもしれない。


 「雄二君、何処へ行ったのかしら?」


 そして、またも行き違いになった春明が通り過ぎようとしていたところでそれを発見し、吃驚する。


 「アンタ、さっきから何やってんの?」


 彼がどうしてこうなったか分からないが、春明は辺りを見回して更に頭を悩ませた。

 ひびが入り今にも折れそうな柱に、幾つもの穴が開いた床。襖は破れ、ガラス戸もわれているのがある。

 敵襲かとも思ってしまうが、そんな気配は感じられない。

 けれど雄二に危機が迫っているような気配は感じ、春明は捜索を急ぎ、その場を離れた。

 もちろん、道薛は放ったまま。

 するとその後でやって来た仁内が、その惨状を見て拳を震わせた。


 「……あいつら、ひとん家で……!」


 そしてそれは邸内でも騒ぎになり、脱衣所にいた亜樹にも報らせが走る。


 「亜樹様っ、大変でございます! 邸内が!」

 「何事なの?」

 「仁内様がお連れになったーー」


 そこまで使用人が言うのを聞くと、亜樹は最後まで聞かずに怒りを沸騰させ、ドスッと重みのある音で立ち上がった。


 「あの馬鹿息子がまた何かやらかしたのっ!!」

 「えっ、いえっあのっ」

 「何処なの!? 早く案内なさい!」


 亜樹は荒ぶった声を上げると、使用人を引っ張って走っていった。

 バタバタと騒ぎ立てるその音をガラス戸の向こうで灯乃は聞き、視線がそちらを向く。


 「何かあったのかな?」

 「えっ……あぁ……何だろうな」


 灯乃の気が亜樹の様子に逸れたことで、斗真はハッとした。


 ――俺は今、何を訊こうとした……?


 どうかしている。

 余計に恥ずかしさが増して、斗真は真っ赤な顔を俯かせた。

 灯乃と雄二の関係なんてどうでもいい筈なのに、突発的なこの状況に対処出来なくて、調子が狂ってしまう。


 女性の、灯乃の肌を見てしまうと……

 

 斗真は自身が見た光景を忘れようときつく目を閉じた。

 しかしそんな思いとは裏腹に、たった一瞬見ただけなのに瞼の裏側で思い描いてしまう。

 彼女の白い肌を。思った以上に華奢なその肩を。


 ――何を考えているんだ、俺は……っ!


 「先に出るぞっ」


 居た堪れなくなって、斗真はザバッと湯船から勢い良く立ち上がった。

 亜樹がいなくなり、出て行くなら今がチャンス。

 そう思ったのだがそれは灯乃も同じで、互いに立ち上がった瞬間に身体がぶつかり、体重の軽い灯乃の方が弾かれた。


 「わっ!」

 「灯乃っ」


 斗真は咄嗟に手を伸ばして彼女を引き寄せると、自らが下敷きになるよう身を挺して湯の中に倒れていった。

 バシャンという音と共に、一斉にたくさんの空気の泡が立ち上り、二人の身体が重なる。

 すると、灯乃の目の前に斗真の鍛え上げられた胸板が現われ、まるで火を噴く程の赤い顔で、彼女は思わず悲鳴をあげた。


 「きっ……きゃぁぁぁっ!!!!」


 それは邸内に響き渡り、雄二が逸早くビクッと反応する。


 「――灯乃?」


 しかしその瞬間、まさに朱飛が地面を強く蹴って高く飛び上がり、上から雄二を狙っていた時だった。

 それに気づくのが僅かに遅れて、雄二は回避出来ずに目を瞑る。


 ――もう駄目だ、終った……


 朱飛の殺気がビリビリと頬に刺さり、次にやって来るであろう激痛に備えて彼は覚悟を決めた。

 が、その時。


 「――朱飛」


 ギリギリのところで春明が雄二の前に立ちはだかり、朱飛は瞬時に角度を変えて二人から攻撃を逸らした。


 「春明様……!?」

 「何をしてるの? らしくもなく暴れちゃって」

 「これはそのっ……申し訳ありません」


 睨んでくる春明の目に強い威圧感を感じて、朱飛は思わず頭を下げる。

 まるで悪戯を怒られた子供のようにシュンとして俯く朱飛を見て、雄二はホッと肩を撫で下ろし座り込んだ。

 春明が一緒なら、もう攻撃はして来ないだろう。

 

 「春明さん、助かったぜ。いや、それよりも今灯乃の声が!」


 先程耳にした悲鳴を思い出して、雄二は急いで声のした方へ走り出す。

 春明と朱飛も続いて追いかけるが、そんな時、怒りを露にした仁内もその場に合流する。


 「テメェら、いい加減にしろよぉっ!」


 所々破壊された箇所を目にして文句をぶちまけてやろうと思っていたが、見向きもせずに走り去っていく三人と入れ違いに全力疾走してくる亜樹(はは)を見つけて、仁内は凍りついた。


 「仁――っ!!!! また家をメチャクチャにしてぇぇっ!!」

 「俺じゃねぇぇぇっ!!!!」


 悲痛の思いで叫ぶ仁内だったが、亜樹は聞き入れることなく般若顔で彼に突進していく。

 この状態になったら、もう何を言っても無駄だ。

 仁内は意を決して戦斧を構えるが、すでに気合い負けし腰が引けている彼に、勝てる要素は一つもなかった。

 素早く亜樹に腕を掴まれると、まるでハンマー投げのようにぐるぐると回され、空の彼方へ仁内は放り投げられた。

 するとそこへ、たまたま一人の男性が通りかかる。


 「まったく。一度とならず二度までも酷い目に遭うとは」


 再び着替えを終えた道薛が何も知らずにゆったりと歩き、更に髪をタオルで丁寧に拭って乾かすことに集中していた。

 タオルに数本毛が抜け落ち、彼から一層深い溜息がもれる。

 そんなところへ、仁内の手から離れた斧が弧を描きながら飛んで来て、道薛の頭上ギリギリを掠めるようにして通過していった。

 それはまるで髪の稲刈り――ちょうど頭部の真ん中の髪を刈り取っていき、道薛は何が起こったかすぐに理解出来ず立ち止まる。


 「……頭の上が、急に涼しくなった?」


 彼にとても優しい風が吹いた。


 *


 「待て、灯乃! 落ち着け!」


 一方、露天風呂では、突然のことに驚いた灯乃が興奮して斗真に猛攻撃を仕掛けていた。

 目をギュッとつぶり、悲鳴をあげながら繰り出すパンチの威力は、普通の女の子のそれではない。

 三日鷺と同化したせいでその力が上乗せされ、斗真であっても避けるのは容易ではなかった。


 「っ……まずいな」


 彼女の髪の色が心情に合わせてどんどん紅く変わっていく。

 このままでは、本格的な格闘戦になりかねない。

 そう思った斗真は、仕方なく本気を出して灯乃の両手首を掴み上げると、ガラス戸の壁に力強く押し付けた。

 彼にも三日鷺の制止がありこれが限度ではあるが、元より危害を加えるつもりもない為、これ以上抵抗されると対処に困る。


 「灯乃、頼むから落ち着いてくれないか」


 最悪、命令で止めるしかないと頭に過ぎる。

 するとそう考えた瞬間、彼に魔が差す思考が浮かび上がった。


 ――命令……そうだ、命令すれば灯乃は何でもいうことをきく。そう、何でも……


 目の前で恥ずかしがって真っ赤になっている彼女を見て、斗真に悪魔が囁いた。

 ドクドクと音を立てて、心臓から熱いものが溢れる。


 ――命令すれば、こいつは俺の言葉を忘れない。雄二のことなんかよりも俺を優先する。

 ――命令すれば、灯乃のすべては……


 「……灯乃、命令だ」


 気づけば、勝手に口が動いていた。

 しかしその時。


 ――ガラッ!

 「灯乃!」


 扉が開くと同時に雄二達が飛び込んで来て、斗真の肩がビクッと跳ね上がった。

 まさに斗真が灯乃に迫っている光景が三人の目に映り驚くが、そんな時、何処からともなく仁内が絶叫しながら降って来て、灯乃と斗真の間へ割り込むようにドサッと落ちた。

 どうやら亜樹に吹っ飛ばされた勢いのまま来てしまったようだ。

 思わぬ遭遇に、斗真の手が灯乃から離れると、次の瞬間、灯乃の身体に巻かれていたタオルがバサリと落ちた。

 皆の目が一斉にそちらへ向く。


 「…………いっ、いやああぁぁっ!!!!」


 その後、真っ赤な紅蓮の三日鷺が暴走し、護ってくれる者がいない仁内が皆の代表として被害を被ったことは言うまでもない。


 *


 日が高く昇る十二時を過ぎた頃、広い客間に皆の昼食が運ばれてきた。

 斗真が来たことで豪勢な馳走が振る舞われるが、朝っぱらから破壊活動を行った罰で何故か仁内が修理をさせられる羽目になり、補佐に朱飛がつき、食事どころではなくなっていた。

 そもそも仁内の身体は、亜樹に吹っ飛ばされたり灯乃に殴られたりで昨日以上にボロボロだ。

 仁内は納得がいかずずっとグチグチと朱飛に文句を言うが、彼女の耳には一切入っては居らず、春明に叱られたショックで一層無口になっていた。

 しかし、仄々とした日差しに包まれた中庭の池の前で、彼女以上に立ち直れていない者が静かに三角座りをしている。

 大切な髪を刈り取られ翳りを見せる道薛だったが、残念なことにそれを知る者は誰もいない。

 更に追いうちをかけるように、すぐ側の部屋から亜樹と春明の黄色い声がきゃっきゃと聞こえ、灯乃に色んな服を着せて楽しんでいるようだった。

 灯乃は亜樹から逃げようと思えば出来なくもなかったのだが、何せ亜樹の息子である仁内を殴ってしまったことでちょっとした罪悪感がうまれ、彼女に引き目を感じてしまったのだ。

 それにたとえ逃げたとしても、全身の肌を晒してしまった斗真達に会わす顔がなく、寧ろ亜樹よりも彼らから逃げたくなったというのが灯乃の本心だった。

 ということで、今はたくさんの和の馳走が並べられた広い客間に斗真と雄二の二人だけが座り、静まり返った気まずい空間が出来上がっていたのだった。


 「……おい、どうすんだよこれ」

 「食べればいいんじゃないか?」


 とりあえず雄二は箸に手をつけ刺身を一口もぐもぐ、斗真は汁物をズズッと一口含む。

 本当なら掻き消される筈のその音が虚しく響き、美味の満足感が得られているのかどうかもよく分からなかった。

 その上、二人共が露天風呂での灯乃の姿を脳裏から消すことが出来ず、何度も思い出してはこっそり頬を赤らめる。

 しかしそれが互いに知れると、鋭い視線を向け合い、凍りつくような張り詰めた空気を作った。


 「おい、斗真さんよ。今、変なこと考えてただろ?」

 「それはお前の方じゃないのか?」

 「……さっき、灯乃に何しようとしてたんだよ? 主だからって、男として最低な命令をしようとしてたなら、俺黙ってねぇんだけど」


 雄二が牽制の目で斗真を睨みつけると、不機嫌そうに彼もまた睨み返す。


 「それは、お前が彼女を護るよう命令されているからか? それとも、それとは関係なく特別な感情がお前にあるからか?」

 「……何もねぇよ。てか、話逸らしてんじゃねぇよ。あいつに何しようとしてたんだって訊いてんだよ」

 「何もないただの幼馴染みに、わざわざ答えなければならないのか?」


 二人の顔がいっそう険しくなり、しばらく沈黙が続いた。

 どういう訳か、互いに突っかかってしまう。

 それは灯乃が関わっているからなのか、彼女のことでは妙に引き下がれない何かが二人を対立させているようだった。


 一人は幼馴染みとして。

 一人は主として。


 だが本当にーーそれだけなのだろうか?


 すると、その時。


 「ーー失礼しますわ」


 襖がゆっくりと開き、そこから美しく着飾った振袖姿の春明が入ってきた。

 亜樹に借りたものなのか、深緑の正絹をベースに白とピンクの牡丹の熨斗文様が大きめにあしらわれ、引き立てるように桜が散りばめられた品のある振袖を白花帯でまとめ、見事に着こなしている。

 ストレートの長髪はアップにし、赤ピンクの花の髪飾りをつけていて、そんな彼の姿はもはや普通の女性よりも女性らしく、見惚れてしまう程魅力的であった。

 いつもなら飛び出してきそうな勢いでやってくる筈の春明が、落ち着き払った様子で上品に微笑むと、尚更そう感じてしまうのだろう。

 斗真も雄二も一瞬誰か分からず、目が点になっていた。


 「えっと……春明さん?」

 「どうかしら? 似合う?」

 「おっおう。似合ってんじゃん」


 雄二が驚きつつも満足気にニッと笑うと、春明も嬉しそうに頬を赤らめ、隠れてガッツポーズをする。

 きっと雄二の中で好感度がアップしたに違いない。

 そう思って笑顔が崩れそうになる程喜ぶ春明だったが、そこへ水をさすように斗真が呆れた目を向けた。


 「お前、その格好で叔父上に会う気か?」

 「うぐっ」


 突然、矢が刺さったように春明の身を何かが貫いた。

 亜樹に対しては気兼ねない春明も、叔父にはいささか女装はふざけているのかもと嫌な汗が流れるが、一応は正装であるし、何より亜樹が着せてくれたのだと、頭で言い聞かせる。


 「別に似合ってるんだからいいでしょ? それより、他に言うことはないの?」

 「怪我は? そんな躓きやすい格好で転けても知らないぞ」

 「……もういいわよ」


 いくら褒め言葉を期待しても無駄になりそうな斗真に、さっきまでの喜びが半減し、不満そうに頬を膨らます春明。

 するとそこへ、春明を追って灯乃がパタパタと走ってやって来た。


 「春明さんっ、置いていかないでよぉ。私ここに慣れてないんだから」


 息を整えてホッとした様子で顔を上げる灯乃だったが、彼女の姿を見た瞬間、斗真と雄二は時間が止まったように硬直する。

 灯乃もまた、何処かの令嬢のように優美な振袖に身を包んでいたのだ。

 それは白地に淡いピンクがぼかされたもので、春明とお揃いの牡丹と桜が同じようにあしらわれ、黒紅の帯でまとめられている。

 そして紫苑の花飾りを髪につけ、血色良くふんわりとメイクまで施されていた。

 可愛らしい女の子のイメージがあっさりと消え、一人の綺麗な女性としての彼女がそこにいた。

 だが、本当にそこにいるのだろうか。

 あまりにギャップがありすぎて、斗真と雄二には別人のように思えて仕方なく、更にはその美しさに次元を超えた別世界の者ではないかとまで思考がおかしく働いていた。

 雄二に至っては、握っていた箸まで落とす。

 十数年も一緒にいながら、こんな彼女を見たのは初めてだったのだ。


 「……灯乃……?」


 斗真がやっとのことで名を呼ぶ。

 それ以上、声を出すのも難しい程魅入ってしまっていた。

 呼吸をどのようにしていたのか、今ちゃんとしているのかさえ分からない。

 そんな惚けた表情を浮かばせる斗真に、春明が驚愕に目を見開いていると、灯乃が斗真と雄二に気づいて顔を真っ赤にし、慌てて襖の裏に隠れた。


 「……斗真、雄二……ここにいたんだね」

 「えっ」

 「あっあぁ……」


 元の時間が戻ってきたように、斗真達はハッと我に返る。

 そして見惚れていたことに恥ずかしさを感じていると、その何倍もの羞恥を感じている様子の灯乃がこそこそと紅潮したままの顔だけを出して、彼らの様子を覗き見ていた。

 おそらく露天風呂でのことが彼女にも思い出されたのだろう。

 それに斗真達も気づくと、一斉に視線があちこちに泳ぐ。


 と、その時。

 ――ガタッ!


 「何をしているのですか?」


 邸内の修理が完了して戻ってきたのか、朱飛が中に入ろうとしない灯乃を怪訝そうに見ながら、襖を勢い良く動かして入ってきた。

 そのせいで灯乃の身体が前のめりになり、中へ倒れ込むと、それを斗真と雄二の手が瞬時に支え受け止める。


 「灯乃っ」

 「大丈夫か?」


 二人の咄嗟の対応に灯乃は衝撃を免れるが、間近で目が合い三人は素早く離れると再び視線を泳がせた。

 そんな互いを意識する反応を見て、春明が密かに下唇を噛み締める。


 ――なんで? 私の方が絶対綺麗なのに……


 「くっそぉ。なんで俺ばっかり……」


 するとそこへ今にも倒れそうな程体をふらつかせながら仁内も帰ってきて、彼もまた灯乃を見ると意識してか、沸騰したように顔が真っ赤になり、更には勝手に鼻血を出して倒れた。

 流石にここまで反応されると、かえって恥ずかしさも何もない。

 皆が冷ややかな目で仁内を見ていると、外の廊下から使用人が一人やって来て膝をおり頭を垂れた。


 「旦那様がお戻りになられました」


 その一言で、部屋の空気が変わったのを灯乃は感じ取った。

 斗真や春明の顔つきが変わる。

 彼らの叔父にして、仁内の父であるその人。

 暫くして彼のものであろうダッダッと重い足音が近づいてきて、開いたままの襖の向こうから、その姿が映し出された。


 「斗真、無事であったか」


 鍛え上げられた筋肉質の太い両腕に、それを楽々と支えているがっしりとした巨体。

 名は緋鷺(ひさぎ) 樹仁(きじん)。それよりもその全身から湧き出る貫禄に圧倒されてか、斗真は彼に頭を下げた。


 「はい。お久しぶりです、叔父上」

 「事は大方理解しておる。お前が無事で何よりだ、そして――」


 樹仁は目の端で灯乃を見る。


 「三日鷺も無事だと、聞いておるが?」


 その名を聞いて、斗真は僅かに顔を顰め、春明も警戒の目を向けた。

 何やら逸物あるようで、やはり親族だからと安易に信頼して良いものではない様子が二人から伺え、灯乃と雄二はただ無言を決め込んだ。

 おいそれと余計なことを口走ったら大変なことになりそうで緊張が走る。

 しかしそんな時、この重苦しい空気を変えるように亜樹が優しげな笑みを浮かべながら現れ、口を開いた。


 「刀の話をするのは野暮ですわ、あなた」

 「亜樹か」

 「今は、この子達のこれからをきちんと話し合いましょう」


 ふわりと灯乃の傍へ寄り、亜樹は彼女の手を取る。

 安心させようとしてくれているのだろうか。

 包み込まれた亜樹の温かい手に、灯乃はホッとして無意識に笑顔になると、樹仁も妻には頭が上がらないところがあるのか、黙ってドスンとその大きな身体を座らせた。


 「では、話そうか。今後のことを」

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