紅蓮の三日鷺・4
「――私に勝ったら教えてあげる」
言うべきはなかったかもしれないと、春明は思っていた。
目の前にはぐったりと座り込む傷だらけの雄二が、それでも負けまいと必死に強い視線を向けてくる。
春明の言葉を聞いてからというもの、雄二はいっこうに諦める気配を見せず、けれども彼を女性として認識しているせいか、本気も出せず、やられるがままだった。
そもそも春明は手傷を負っているとはいえ、三日鷺の力をもって彼の前に立っているのだ。
その上、間合いの広い薙刀に対して素手では、雄二が本気を出したところで敵う筈もなかった。
考えるまでもなく、分かっていた結果だった。
しかしこうも強情であるとは思わず、考えの甘さに春明は溜息をもらす。
「雄二くん、諦める気はないの? これ以上は……」
「嫌だね。俺はちゃんと説明してもらうまでは納得なんて絶対しねぇ」
「強情ね」
「それだけが取り柄なんでね」
雄二は呼吸を乱しながらも、春明に向かって小さく笑った。
そんな彼を見て、春明はムッと顔を歪ます。
「どうしてここまでするの? そんなに灯乃ちゃんが大事?」
「……あいつは昔からどういう訳か余計な苦労が多くて、ホントついてねぇ奴なんだ。特別、馬鹿で間抜けって訳でもないのに、よく変なことに巻き込まれてさ。いつも陽子と一緒になって助けてやってたんだ。でも陽子はもういない。今は俺があいつを守ってやらなくちゃいけないんだ、絶対に引くかよ」
真っ直ぐな眼差しを向け、意志の強さを春明にぶつけた。
幼馴染みであるが故の、長い年月をかけた絆。
それを目の当たりにしてか、春明は悔しそうに下唇を噛んで背を向けた。
「……斗真くん、呼んでくるわ」
「え?」
「私じゃ、手に負えそうにないもの」
春明は呟くようにそう言うと、拗ねたように門の中へと入っていった。
――幼馴染みなんて……ずるい。
灯乃のことを春明は少し恨めしく思う。
灯乃と雄二――共に信頼し合っている二人。
これじゃキープは難しいかな、などと春明は考えながら前を見ると。
そこに、紅蓮の三日鷺の姿をした灯乃と側に寄り添う斗真が映る。
「…………ホント、ずるい子」
*
それから斗真を連れて春明が再び外へ出ると、雄二はすでに意識を失い倒れていた。
空手をしていてもここまで傷を負う事はなかったせいか、精神的にも疲弊していたのだろう。
少しやり過ぎたと、春明は罰が悪そうに片膝をつき、そして彼のことを話した。
「雄二くん、ちゃんと説明してもらうまでは絶対に引かないそうよ」
「……そうか」
何を考えているのか春明には分からなかったが、斗真は真剣な目で雄二を見る。
頭に浮かぶのは、灯乃のことだった。
彼女を引き込んだことで、雄二はますます引き下がらなくなる。
「俺も中途半端だな」
「え?」
斗真は灯乃に言った言葉を思い出した。
――やるなら徹底的に。それなのに俺は、巻き込んでいいのかどうかまた迷っている。どうしてだろうな。
灯乃のことは、あっさり引き入れたのに――
「主」
そんな時、門の内側から灯乃が姿を見せ、彼を呼んだ。
いや、斗真を主と呼ぶのは灯乃ではない――紅を纏った彼女。
「紅蓮の三日鷺か。灯乃は?」
「眠っておる。色々あってか、暫くは目を覚ますまい」
「そうか」
おそらく姿を変えたまま灯乃が眠ってしまった為に、三日鷺の意識が彼女を上回ったのだろう。
それでも灯乃にかけた命令のせいで、三日鷺もまた外に出ることが出来ず、その場から雄二を凝視する。
「ところで主よ。その男から我と同じ気配がするのだが?」
「え?」
「そやつ、我の何かを持っておるぞ」
「……なんだと?」
それを聞いて斗真が雄二を見ると、襟元から僅かに細いチェーンが見えた。
彼は何かを首にさげている。
春明がそれを引き出すと、菱形に象られた透き通る石が先端に現れた。
斗真の目が訝しく光った。
*
“雄二。もし私に何かあったら、あの子を――灯乃をお願い”
雄二は夢を見ていた。
辺りは茜色に染まり、夕日が誰かの背を照らしている。
暗くて顔は見えないが、誰かは分かる。
雄二がよく覚えている、あの時の記憶。
――陽子。
“頼めるのは君だけだから”
彼女はそう言って、雄二の手に菱形の石を乗せた。
“御守り。きっと君を導いてくれる――だから灯乃を……”
「……ぎょ……」
「雄二くん?」
春明の声が聞こえて、雄二は目を覚ました。
気付けば家の中に運ばれていて、たった今手当てを終えたのか、春明が救急箱をパタンと閉め、彼を見ていた。
周りには斗真と、少し離れて仁内もいる。
「雄二、といったか? 何故お前がそれを持っている?」
「え?」
斗真の問いかけに、雄二はぼんやりと彼らが見てくる方に目を下ろすと、菱形の石が露になっているのが見え、思わずバッと隠すように石を握り締めた。
理由は分からないが、三人の様子からこれが重要なことだと感じ取って、雄二の握る手に力が入る。
「何故だ?」
「ふん。知りたきゃ、なんで知りたいか教えろ」
今までのこともあり、雄二はむきになって言い返す。
するとそんな時、襖を開けて紅髪の灯乃が入ってきた。
「それは我のものだからだ」
「灯乃……?」
「あれは紅蓮の三日鷺、灯乃ちゃんじゃないわ」
「紅蓮の三日鷺……?」
春明の言葉に雄二は戸惑っていると、三日鷺が斗真に一瞬目配せをし、襖を閉める。
「それは我の折れた刃の一部。まさかこんなところで出会えようとはな」
「折れた刃の一部?」
三日鷺は刀を抜くと、あふれ出る炎を抑えようと瞳を閉じる。
すると炎が消え、折れた刃が中から現れた。
「一つでは足りぬが、それは紛うことなき我のもの。刀に共鳴しておろう?」
三日鷺がそう言って雄二が手の平を開けると、まるで炎が宿ったように石が淡く紅色に光っていた。
少し熱を感じる。
「これは……陽子が、俺にくれたものだ。御守りだって言って」
雄二は不思議そうに石を眺めながら呟いた。
「ただの宝石かと思ってた。こんなに光るなんて」
*
部屋に雄二ら三人を残し、斗真は三日鷺と広縁に出た。
よろけ縞の和紙に囲われた天井照明に明るさはなく、薄暗い中、部屋からもれる灯りだけを頼りに互いの姿を見る。
「やはり囲まれているか」
外に目をやり、斗真は険しい表情を浮かばせながら、三日鷺の報告を聞いていた。
外部から漂う、これまでにない不穏な気配が、不気味なまでの静けさを作り出す。
「灯乃の母親は?」
「朱飛をつけておる。隙を見て、送り届けるよう命じた。問題は外の連中だが」
「あぁ、ここはもう駄目だ。移動する」
冷静に判断しながら、斗真は考えあぐねる。
これからどう動くべきなのか。一歩間違えれば、全てを失くすかもしれない。
それ程慎重にならなければならない厄介な相手なのだ。
仁内や朱飛の一派とは違うことを、斗真は敏感に感じ取っていた。
「で、あの男はどうする?」
三日鷺は襖越しに雄二の方へ目を向け、訊ねる。
斗真は悩んだ。一番の障害が雄二なのだ。
刀の欠片を持っていた彼を、みすみす帰していいのかどうか。
かといって、巻き込んでいいのかと訊かれても返答に困る。
「灯乃を連れて行くからには、黙ってはいないだろうが……」
「さて、それは分からぬぞ?」
柔弱な気持ちに嫌気がさしてきた斗真を他所に、三日鷺が呟く。
彼女が目を落とした手の中では、淡紅の石が光っていた。
*
「――三日鷺か。世の中には怖ぇものがあるんだな」
春明からファンタジーのような話を聞いて、雄二は目を丸くした。
本当は、春明も話して良かったのかと頭の片隅で思っていたが、彼にならそうする方がいいような気がしていた。
仁内が無言でじっと睨みつけてくる中、後で斗真からの叱責がどのくらい来るかを、春明は想像し苦笑する。
「でも、私を斬ったのが斗真くんで良かったと思ってるわ」
春明はどこか穏やかな目で優しく言った。
「彼、頭固いけどお人好しだから。色々あって三日鷺の力を必要としてるけど、酷い命令なんてしないし、灯乃ちゃんのことだってずっと悩んでるんだから」
「……へぇ」
春明の言葉に、雄二は斗真の印象を変えた。
どうやら私利私欲で灯乃を斬ったのではないようだと、少なくともそれくらいは雄二も理解した。
だからといって、灯乃を任せる気にはなれない――そう、思っていたのだが。
今は何もついていないチェーンの先を見つめながら、雄二はぼんやりと口を開いた。
「陽子は分かってたのかな、灯乃が三日鷺に関わること。だからあれを俺に託したのかな?」
「雄二くん……」
三日鷺の折れた刃の一部であると聞かされ、雄二は石を紅蓮の三日鷺に渡してしまった。
陽子の想いが、あの石にはたくさん詰まっていたかもしれないのに。
――手放して良かったのか? 俺は……
どことなく喪失感が彼にはあった。
石を持たなくなったことで、灯乃を守りたいという意識が薄れたような、そんな感じを覚えていた。
陽子の望みは、重荷だったのか……?
「皆、動くぞ」
そんな時、斗真が再び部屋に戻ってきて言った。
「はぁ……やっとかよ」
「少し前から嫌な気配でいっぱいだったものね。牽制のつもりかしら?」
仁内と春明も外の様子を感じ取っていたようで、彼の言葉をすぐに理解し立ち上がる。
すると仁内が、斗真を挟んだ柱の影で灯乃が眠っているのに気づく。
「おい、なんでこいつ戻ってんだよ!?」
「あまり長くは姿を保っていられないようだ」
三日鷺の力がすっかり消え、ただの女の子に戻っていた灯乃。
仁内は顔を引きつらせて笑った。
「こんな時に使えねぇ」
「灯乃ちゃん、起こさないの?」
「あぁ、このまま連れて行く」
春明の問いかけに、斗真は雄二の方を見ながら答えた。
彼がどう反応するかで、斗真も腹をくくらなければならない。
「起こすと色々話さなければならなくなる。そんな時間はないからな」
「灯乃を、連れて行くのか?」
「あぁ」
斗真と雄二、互いの双眸がかち合い、探りを入れる。
斗真の中で、紅蓮の三日鷺が放った言葉が蘇った。
“気づいておらぬだろうが、あの男は――”
とその時。
――!!!!
一瞬の殺気を感じて、皆天井を見上げる。
外の気配に気を取られ過ぎていたのか、そこにはすでに黒紅の装束を纏った群衆が、斗真らを狙っていた。