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三日鷺~ミカサギ~  作者: 帝 真
第6章 恋心〜黒(からす)
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恋心〜黒(からす)〜

 春明の姿が見えなくなり、灯乃はほぉと息を吐く。

 まさか女友達のように馴れ合っていた彼にときめいてしまうなんて。

 何だか悪いことをしてしまったような気がして、灯乃は複雑な気持ちに駆られていると、そんな時に仁内が機嫌悪く腕を引っ張ってくる。


 「おいっ」

 「あ、仁ちゃん。どうしたの、さっきから凄く怒ってるみたいだけど、何かあったの?」

 「何かあったじゃねぇ。てめぇのことだろうが」

 「え?」

 「あーだからだなぁ……だあっ! もういいっ、何でもねぇ!」


 仁内はいい加減に言葉を切り捨てると、乱暴に自身の髪を掻き毟った。

 何でもないようには見えないけど。

 灯乃はそう続けようとしたが、きちんとした返答が聞けそうにない気がしてやめると、そんな彼女の様子をチラチラと伺いながら、仁内は言葉を選ぶようにしてゆっくりと口を開いた。


 「灯乃。その、だな……調子はどうだ?」

 「え? 何?」

 「あっいや、三日鷺と同化するって疲れたりするもんなのかと思ってよ」

 「……疲れてはないよ。寧ろ身体が軽くなっていくような感じ、かな。……仁ちゃんも聞いたんだ、黒になるかもって話」

 

 決まりが悪いような顔で苦笑しながらも灯乃は、少し沈んだような表情をする仁内に明るく見せようと声を弾ませる。


 「大丈夫だよ、仁ちゃんはちゃんと解放するから。えっと、刀でまた斬ったらいいんだっけ? 今、斗真のところに行って借りてくるから、待って……」

 「いらねぇよ、そんなもん」

 「え」


 仁内は、すぐにでも斗真のところへ駆け出していきそうな灯乃に呟きかけ、止めた。

 何処となく頬に赤みが増し、切なげに彼女を見つめる。


 「――最後まで付き合ってやるって言ってんだ、てめぇに」

 「仁ちゃん……?」


 ――それこそ灯乃が消える、その時まで


 それだけの覚悟がどうして自身にあるのか分からなかったが、それでもいいように仁内は思った。

 あれこれと考えるのが億劫になったからなのだろうか。


 ――なる様になれ。その代わり、最期が訪れても一緒にいてやるから


 けれど、それをどう解釈したのか、灯乃はただ嬉しそうに微笑む。


 「ありがとう、仁ちゃん。じゃあ、危なくなったら解放するね」

 「いや、そういうことじゃなくて……」

 「ギリギリまでよろしく。それまでは――ちゃんと傍にいてね」

 「……」


 灯乃の中で雄二のことが尾を引いているのだろう。

 親しい者が離れていってしまうことに臆病となっている今だからこそ出た言葉だと、仁内も分かってはいても、それでも気持ちを揺さぶられ心が震えた。

 ちゃんと傍に。いなくなる筈がない。

 灯乃はニコニコと笑顔を振りまいて仁内に手を振ると、斗真のところへ走っていった。


 走って、走って。

 けれど彼のところへ辿り着く前に、灯乃は駆ける足を次第に弱め、ついには立ち止まってしまった。

 全身にガクガクと震えが来る。


 ――ちゃんと傍に。……でも、皆の傍にいられるのも、あと少ししかないのかもしれない


 「……こ、怖いよ……私、消えちゃうの……?」


 独りになると、途端に思い知らされるように頭の中を支配される恐怖。

 誰かといたい、独りにはなりたくない。

 仁内のところへ戻ってしまおうか。

 そんなことも考えたが、けれど怯えてどうしようもないこの姿を見られたくはなかった。

 灯乃はそんな思いに揺れながらも、無意識に人影を探して辺りをキョロキョロすると、目の端に雄二が使っていた部屋が映り、自然と視線がそれに集中した。


 「雄二……何でついていっちゃったの……?」


 そこにいないと分かっていても、灯乃は彼を求めるように部屋へと向かった。



 *



 「斗真さん」


 灯乃たちの帰りを待ちながら斗真が身体を休めるように座っていると、亜樹がゆっくりとした歩調で近づき、彼の名を呼んだ。


 「叔母上……」

 「あなたと二人で話がしたいと思っていたの。お前たちは下がっていて」


 亜樹に促されるまま、斗真のもとに控えていた主将らは黙って頭を下げると、素早くその場から消え失せる。

 部屋に眠るみつりを残して襖を閉め、二人になったそこは、静けさの中に少しの緊張感を宿していた。

 先に斗真の方から口を開く。


 「叔母上は、灯乃をどうするおつもりだ?」

 「どう、とは?」

 「あなたにとって彼女は、単なる一族の者というだけ。彼女を助ける為に尽力してくれるのか、それとも何かに利用する為なのか」

 「あなたは? 灯乃ちゃんのこと、どうするお考えなの?」


 訊いた筈が反対に訊き返されて斗真は少し不服に思うが、こちらの胸の内を明かさなければ答えてくれないような気がして、迷いながらも先に応える。


 「……助けてやりたい。俺と出会わなければ、三日鷺のこととは無縁でいられたのに、俺のせいで巻き込んでしまった。だから……」

 「そう。では――星花(ほとのか)さんは?」

 「えっ?」

 「彼女のことは、本当はどうするおつもりなのかしら?」


 まさかここで姉の名前が出てくるとは思わず、斗真から上擦った声がもれた。

 そして何かを勘ぐる様子で刮目してくる亜樹に、斗真の気持ちが狼狽える。


 「……本当は、とは? 俺は星を助け出すつもりで、力を……」

 「なら何故、動こうとしないの? 灯乃ちゃんが紅蓮の三日鷺として力を得て、仁もその三日鷺となった。春明ちゃんだっている。あなたはとっくに救出するべく力を手にしていたのに、状況の流れをいいことにそれを後回しにし、ここに来た」

 「それは……」

 「動く手段ならいくらでもあった筈。もしかして……臆しているの?」


 口ではしっかりと強く目的を語っていた斗真だったが、行動が伴っていないことに亜樹は薄々感づいていて、痛いところを突かれたと斗真は眉を顰めた。

 分かっている、自分が何を為さなければならなかったのか。

 けれど気持ちがそれを躊躇する。

 ずっと共に育ってきた双子の片割れに否定され、それと向き合うのにどれほどの勇気がいることか。

 けれど、それだけが原因ではないことは斗真も感づいていた。

 星を救い出し、力が戻れば真っ先に解放してあげなければならない人がいる。

 それは彼にとって一番手放したくない想い人。


 ――灯乃を自由に……彼女と離れることになることが、無意識に拒んでいた原因


 そんな臆病な影が斗真から垣間見えたのか、亜樹は目を尖らせた。


 「……灯乃ちゃんを救う方法に心当たりならあるわ。でもこれはあくまで可能性であって確かではない。それにあなたは、大事なものを天秤にかけなくてはならなくなるわ」

 「大事なもの?」

 「灯乃ちゃんから紅蓮の三日鷺を追い出すのであれば、乗り換える器を用意しなければならない。けれど誰でもいいって訳じゃないわ――分かるわね、誰が適しているか」

 「……星……!」

 「主と血の繋がりを持ち、そして主に寄り添える程に親しく若い娘。星花さんも依代の候補と言われていたの。だから紅蓮の三日鷺が彼女を選んで、灯乃ちゃんとの契りを解除してくれれば、あるいは」

 「星を、雪白の三日鷺にさせるつもりか?」

 「命令できるかしら、紅蓮の三日鷺に」


 亜樹の言葉に、斗真は絶句した。

 灯乃を救い出す術があるかもと期待したが、その代償もまた大きい。

 灯乃と星花、斗真にとってどちらも愛しく大切な人。

 どちらかを救い出そうとするなら、もう一方を切り捨てなければならない。

 ……選べない。斗真の顔にそれが色濃く映った。


 「よく考えてみることね。灯乃ちゃんと星花さん、どちらを選ぶのか。――もし灯乃ちゃんを救う方を選ぶのなら、私は協力を惜しまないわ」

 「……姪の星よりも?」

 「確かに灯乃ちゃんは、私にとってはただの一族の者。だけど彼女は、彼女の本当の母は――私の大事なたった一人の従姉妹だった。あの子だけが私の、光だった」

 「叔母上……?」


 亜樹にも思うところがあるのか、固い信念を双眸に宿す彼女に、斗真は何も言葉を返せなかった。

 その強い視線に思わず目を逸らすと、向いた先に雄二の部屋が映り、その場に佇む灯乃の姿を見つける。


 「灯乃……?」

 「あと、考える猶予にしてはしれているかもしれないけど、三日鷺の同化を遅らせる方法は知っているわ」


 亜樹からも灯乃の姿が見えたのか、ふと思い出したように語りだす。


 「同化を遅らせる方法? それはいったい――」



 *



 「――雄二、いる訳ないのにね」


 部屋の中に入ると、誰もいなかったことを示すように静寂が広がっていて、何処かひんやりとした寒さが灯乃の身体を冷やした。

 雄二には仁内ほどの散らかし癖はないが、使用人による清掃が入った後なのだろう、最初から雄二はいなかったかのように、綺麗に片付けられていた。


 「あ……」


 そんな時、ふと机の隅にハサミが置いてあるのを見つける。

 ハサミ――そういえば、女子生徒たちに絡まれているところを雄二は助けてくれたっけ。

 そんなことを思い出しながら、何気なくそれを手に取る。

 

 ――雄二はもう、私を助けてくれないのだろうか?


 そんな考えが頭をよぎると、灯乃は何故かその鋭い刃を自身に向けたくなった。

 今傷を負えば、駆け戻ってきてくれるだろうか?

 そんな安易な考えに灯乃は動かされ、刃先を腕に向けると、傷を作ろうとそれを振りかざした。

 が、それはすぐに止められる。


 「何をしている?」

 「斗真……」


 斗真に腕を掴まれ、灯乃はポツリと呟く。


 「私が怪我をすれば、命令で雄二が帰ってくるかもって思って」

 「朱飛だって馬鹿じゃない、それを阻止する為に欠片を雄二に握らせているだろう。お前が無駄に傷つくだけだ、やめろ」

 「……」


 灯乃の腕から力が抜け、斗真はそっと離すと、それはだらんと垂れ落ちた。


 「ごめん、斗真。私勝手なことばかりで、何の為にここにいるのか分かんないね」

 「お前は十分よくやってくれている」

 「そう思うのは、斗真だけだよ」


 灯乃は弱々しく音を吐き捨てると、力なく座り崩れた。

 さし込んでいた陽の光が雲に遮られたのか、部屋中が暗く陰り、更に冷え込む。


 「私、頑張ろうと思ってたけど、空回りばっかり。皆の足引っ張って、雄二にもいなくなられちゃった。ちょうどいいのかな、私がいなくなるのって」

 「いつもにも増して自虐的だな」

 「だっていいところないんだもん。潮時ってやつなのかも。高望みしちゃったからバチが当たったのかな」

 「高望み?」

 「皆に必要とされること」

 「……確かに贅沢な望みだな」


 彼女の言葉をそのまま肯定するように斗真がボヤくと、やっぱりかと灯乃は両膝を抱え込んだ。

 どんなに慰めの言葉を並べても、彼の本心もきっと想像通りの考え。

 何処かで彼だけはと、期待していたのだろうか?

 何だか、より惨めな気持ちを灯乃は覚えたような気がして項垂れた。

 ……だが、その時。


 ――こつん


 突然背中に何かが触れ、灯乃はドキリとした。

 斗真の背だった。

 彼女の背に合わさるように片膝をおって座り、優しい温もりを与える。

 温かい、とてもホッとする。

 

 「……一人じゃ、駄目か?」

 「え?」

 「俺はお前を必要としている。俺だけじゃ不服か?」


 斗真は訊ねながらも、半ば強要するように囁いた。


 「前にも言ったな。俺には力が必要だと、星を助け出す為に」

 「うん……。でもそれは私じゃなくて、紅蓮の三日鷺の方で……」

 「俺には勇気がない。現実と向き合う勇気が」

 「斗真……?」


 彼の声音が、はっきりとした口調でありながらも、灯乃には心なしか頼りなく聞こえた。

 背中合わせでは表情を見ることはできず、どんな顔をして言ったのかは分からないが、以前目的を語っていた斗真はもっと迷いなくまっすぐだったと、強い意思を持った顔をしていたと、灯乃は覚えていた。

 それなのに。


 「無様なものだな。力を失くすと、気持ちまで弱くなるなんて。考え方も先に進もうと焦っているだけで、結局目の前の現実から逃げているだけだった。おかげで状況は悪くなる一方だ」

 

 斗真は苦しそうに眉を顰めながらも、微笑する。


 「でも。お前は言ってくれた、一緒に行こうと。俺と星が話し合えるように沢山チャンスを作ると。その言葉に俺は救われた。力を貰った気がしたんだ。お前がいれば逃げずにあいつと向き合える、取り戻せる、そう思った」


 斗真から吐き出された想いに、灯乃はつい引き寄せられるように振り返ると、同じように振り返った斗真と目が合った。


 ーーそして俺は、お前を手放せなくなったんだ。だから……


 「お前がいなくなるなんて、そんなことさせない。絶対に」


 まっすぐ向けられた彼の瞳は、彼女の心を射る。

 安らかに細められながらも、その奥で苦しそうに揺れる悲しみと闘うその瞳。

 見つめられただけで途端にトクトクと脈打ち、止まらなくなっていた。

 胸が締め付けられるくらいに切なくなって、溢れて、熱くて。

 この感じ、何処かで感じたことがあるだろうか――そう、春明のあの目に見つめられたあの時。

 渇きを満たすものを求める、獣のようなあの目。


 ――いや、違う。この気持ちは、彼のとは違う。もっと温かくて、苦しいくらいに優しくて

 

 「斗真……」


 そんな時、斗真が灯乃の手に触れた。

 簡単に覆われてしまうほど大きな彼の手が熱い。

 まるで三日鷺の炎をあてられているかのようで、全身が火照ってボーっとする。

 反対に灯乃のそれは思った以上に冷たく、まるで雪を掴んでいるのではないかという程に色白くひんやりしていた。

 だからなのか、すぐにでも消えてしまいそうな気がして、斗真は逃がすまいと思わず握り締める。


 ――失いはしない。何とかしてみせる……だがその為には……


 やり切れない事実が再び思い知らせるように、彼の脳内をかき回す。

 灯乃を助けるのなら、代わりに星花の身体を三日鷺に差し出さなければならない。

 勿論、そんなことも斗真にはできない。


 ――どうすればいい? いい方法が思いつかない。けれど……


 斗真は灯乃から目が離せなかった。

 分かっているから。

 今一番、不安で怯えているのは、この少女だということを。

 

 「心配するな。せめて、俺の前でだけは我慢しなくていい」

 「……」

 「怖いんだろ?」


 すべて見透かされているのを知って、灯乃はつい気が緩んだ。

 握り締めてくれるその手が、温めてくれるその熱が、彼女の強がりを崩す。

 本当に必要としてくれていることを知り、そんな彼に手を差し伸べられれば、もう拒めない。

 縋ってしまう――縋りたい、斗真になら。

 

 灯乃はたくさんの涙の粒をこぼしながら、ついに斗真へ抱きついた。


 「……怖い、怖いよ斗真。いなくなるのは、嫌。嫌だよぉっ!」

 「大丈夫だ、灯乃。大丈夫だから」

 「消えたくないっ。助けて、斗真……っ」

 「ああ、必ず助けてやる。護ってやるから」


 泣きじゃくる灯乃を宥めるように、斗真の手がそっと彼女の頭を撫でた。

 とても優しく、労わるように。

 本当なら斗真自身も彼女を強く抱きしめたかった。

 それこそ気持ちが伝わるように、きつく。

 けれど、これ以上困惑させれば壊れてしまいそうで怖かった。

 腕の中で震えるこの少女を、すぐにでも安心させてやりたかったのだ。

 けれど、彼女に棲みつく恐怖そのものを払い除けてやりたいと斗真が思ったその時、ふと亜樹の顔がよぎった。


 ――三日鷺の同化を遅らせる方法


 「灯乃。本当ならお前のその怖さを、ただ消し去ってやればいいんだろうけどな」

 「……?」


 斗真は灯乃の耳に唇を近づけると、小さく苦笑した。

 亜樹から聞いた方法を思い出す。

 

 ――それは《命令》

 

 “主であるあなたが、紅蓮の三日鷺ではなく、灯乃ちゃんを必要とした命令を出すの。何でもいいわ、話し相手をさせるだけも構わない。ただし、その命令は必ずあなたの為だけの命令であること”

 “俺の為だけの?”

 “誰かの為の命令じゃ、彼女の意識は繋ぎ止めておけないわ。主の欲をもって灯乃ちゃんを必要としなければ。けれど、忘れないで。命令は僅かでも黒に近づくことを”


 斗真は亜樹とのやりとりを思い出すと、抱きしめる腕に変な力が入った。


 “特に紅蓮の三日鷺ではなく、灯乃ちゃんを繋ぎ止めておく命令は、他の命令とは違って強い毒になることを”


 己の欲望の為だけに、灯乃に命令する。

 本来ならそれは彼女を想う男として決して許されないところであったが、今はしたくて仕方がなかった。

 彼の唇が彼女を求めて動く。


 「灯乃、命令だ――何でもいい、お前が我慢できないほどの感情に襲われた時は、いつだろうと必ず俺のところに来い。他の奴のところへは、絶対行くな」


 灯乃を自身のもとに留めておくチャンスだと斗真は思った。

 命令するだけなら、恐怖をただ忘れさせる命令で済んだ。

 けれどそれは彼女の為であって、斗真の為にはならない。

 もし恐怖を感じなければ、きっと灯乃は斗真に頼りはしない、縋ろうとはしないからだ。


 ――俺を求めろ、俺の側にいろ


 それが斗真の欲。

 この命令で、たとえ灯乃に斗真ではない他に想い人がいたとしても、もう行けない。

 彼女が辛い時、苦しい時に、一番近くにいるのは、斗真ただ一人。


 「……御意」


 灯乃は斗真の胸に顔を埋めて、嬉しそうに小さく呟いた。

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