分裂・8
「あっの……春明、さん……!?」
ドクンっ!と高鳴りを感じた。
灯乃の中へ何か熱いものが入ってくるようだ。
頬に触れられた春明の手が、彼女を逃がさないと押さえつける。
けれどその必要もないくらいに、灯乃は彼から視線を逸らせず、ただ彼の目を魅入るように見つめた。
――力強くて美しい瞳。見つめられただけでドキドキして、恥ずかしくなる。それなのに、ずっと見ていたくて、見つめられていたくて――欲しくなる
――彼を手に入れたくなる
「ねぇ、灯乃」
ふいに湧いてきた欲にどうしていいのか分からず真っ赤な顔で固まる灯乃に、春明はしめたと微笑を浮かべて声を降らす。
それだけで灯乃はビクッと身体を震わせると、春明は気を良したのか更に顔を寄せ、耳元で囁いた。
「どうやって慰めてくれるの? あたしに何をしてくれるの?」
「なっ何をって……」
「それとも、あたしが勝手に貰っちゃっていいのかしら?」
「え……?」
春明はそっと離れると互いの額を優しく擦り合わせ、獲物を前にした獣のように瞳をギラリと光らせた。
それは灯乃の心拍数をどんどん上げ、沸騰しそうな程に全身を火照らせる。
――彼が求めている。分かる。私を、私だけを
「……春明さん……」
「頂戴。あたしに、灯乃を」
「わっ私を……?」
「そう、灯乃を」
春明の唇が近づく。
灯乃のそれに重なろうとゆっくり。
思わず灯乃は目をギュッと瞑った。
――くらくらする。けれどそれは、とても……とても……
「――何してんだ、てめぇ」
それは、一瞬のことだった。
春明ではない、別の男の声が落ちてきて、途端に熱が消える。
灯乃が目を開くと、そこに春明の胸ぐらを掴みあげ鬼の形相で睨む仁内がいた。
「じっ仁ちゃん……!?」
「ふざけんなよ、春明。てめぇのその胸糞悪ぃ目をこいつに向けるなって言っただろ」
それは酷く冷め切った、けれども激しく怒りに満ちた、そんな複雑に絡み合って吐き出された低い声だった。
まるで仁内ではないようなその声に灯乃は密かに驚いていると、春明もまた不機嫌極まりない険悪な顔つきに歪み、悪態をつく。
「だから何? 今凄くいいとこなんだけど」
「……このクズ野郎がっ」
あくまで引き下がらない春明に、胸ぐらを掴む仁内の手が怒りに震えた。
勢いのまま殴ってしまおうかと拳を振り上げるが、それは灯乃に止められる。
「仁ちゃん、やめて! どうしたのっ?」
「灯乃、こいつは……っ!」
春明の腹のうちを全部ぶちまけようとして仁内は口を開くが、春明を庇うようにして立ちはだかった灯乃の姿にグッと言葉が詰まった。
ただ大切な人を守ろうとしている純粋な目が仁内の視線に飛び込んでくる。
――何でそんな目、すんだよ……
「……っ、……斗真を放っておいていいのかよ」
暴れ狂うほどに煮えくり返った感情を必死で押しとどめるかのような、苦しい声が彼から漏れた。
そんな悲痛な顔を灯乃から逸らすことでやっと出た言葉に、彼女はどう返したらいいのか分からず、とりあえず頷いて足早にこの場を離れようとした。
仁内がどうしてここまで怒っているのか、その答えに灯乃がたどり着ける筈もなく、ただ恥ずかしさで逃げ出したかったのだ。
けれど、
「あたしが行くわ。邪魔が入って、気が削がれたし」
春明が自身の飲み残したオレンジジュースのグラスを灯乃にコトッと手渡して、代わりに斗真のいる部屋へと歩き出す。
灯乃にはできるだけ斗真から離れていて欲しい。
そんな思いを隠しながら、春明は灯乃に振り返る。
「それ、あげる。まだ疲れてるだろうし、ゆっくりしてて。――続きはまた今度。ね、灯乃ちゃん」
続き? 続きがあるのだろうか。
その言葉に灯乃はボンっと頬を赤くすると、春明は薄笑みを浮かべて消えていった。
――忘れられなくなった、彼のことが
再び熱が上がる。
そんな恋心を抱いたような愛おしい瞳をしてその背を見送る灯乃を、仁内はやり切れない想いで見つめる他なかった。
「…………やめろよ。あんな奴にそんな目するのは」
――そんな目で、俺以外のやつを見るなよ




