紅蓮の三日鷺・3
灯乃は、居間で正座をして俯いていた。
上座に斗真が座り、睨むようにじっと彼女を見る。
きっと雄二のことで怒っているのだろう。
そう思って、ビクビクしながら灯乃が彼の言葉を待っていると、どういう訳か斗真は三日鷺を彼女の前に突き出した。
「持ってみろ」
思っていた内容ではないことに拍子抜けする灯乃。
どういう意図で言ってきたのかは知らないが、内心ホッとしながらもとりあえず言う通りに彼女は刀を両手で受け取った。
真紅の鞘に収まる三日鷺の刀、斬られた者が触れれば高熱を発する。
けれど灯乃の手に熱さを感じることはなく、すんなりと手に取ることが出来た。
不思議な気配とどっしりとした重み。
「鞘から抜いてみろ」
斗真は神妙な面持ちで灯乃を見ながら言う。
彼からしてみれば本題はここからだった。
今は鞘で見えないが、刃は折れたまま。果たして普通の状態の彼女に復元出来るかどうか。
灯乃はごくんと息を呑み、深呼吸をしてゆっくり引き抜いた。
――ボォッ。
すると刃から炎が現れ、みるみる内に美しい刃へと復元させていった。
昨夜と同じ、そして――灯乃の髪もまた紅く伸び、服装は黒紅の装束へと姿を変えた。
その様子に、斗真は眼を細める。
「刃の復元と、紅蓮の三日鷺に変わることは連動するのか」
「そうみたい、斗真の命令とは関係ないのね。……でも」
「でも?」
「何だか変な感じがする」
手をひらひらと動かしながら、灯乃は呟いた。
「自分で動かしてる感覚はあるんだけど、何て言うか、誰かと一緒に動かしてるような……」
自分自身の力だけでなく、もう一人、誰かの力も加わって、いつもの半分の力で動かしている様な気がしていた。
おそらくその誰かは、紅蓮の三日鷺。扱い方を誤ったら、灯乃を黒く染め上げ狂わせる諸刃の剣。
斗真は彼女の装束を一瞥すると、はぁと疲れたような溜息をついた。
「……刀を返せ」
彼の言葉に、灯乃はひとまず刀を鞘に戻す。
すると彼女の姿も元に戻り、まとわりつくような感覚もスゥッと消えた。
刀を斗真に返すと、彼はその場を立ち上がる。
「灯乃、今の状態ではやはりお前を返すことは出来ない」
「えっ」
「まだ分からないことが多過ぎる。これだけの情報で解決策を見つけ出そうとするのは、まず不可能だ」
「そんな……」
斗真の出した結論に、灯乃はがっくりと肩を落とす。
色々と考えてはくれているようだが、結局現状維持という答えに、彼女の表情は暗くなる一方だった。だが。
「方法がない訳じゃない」
斗真は小さく口を開いた。
「あいつなら……何か知っているかもしれない」
「あいつ?」
「いや、何でもない。お前はここでじっとしていろ。間違っても、ここへ誰かを呼ぶようなことは二度とするなよ」
「えっ、ちょっと斗真っ?」
斗真はさっさと話を終わらせると、灯乃に口答えさせる隙を与えまいとするかのように素早く部屋を出て行った。
何故いつもこんなにせっかちなのだろうかと灯乃は頬を膨らませるが、やはりこのままでは納得いかないと彼の後を追う。
彼女自身の問題なのだから、ただ待つのは嫌なのだ。
しかし一方で、そんな性分に斗真は困っていた。
紅蓮の三日鷺となった灯乃の装束は、相変わらず暗い色を表している。このまま首を突っ込めば、家に帰す事は疎か、三日鷺の餌食になってしまうかもしれない。
原因が分からない以上、彼女への命令は避けるべきなのだ。
――だが……
「随分お優しいんだな?」
そんな時、通路の先に座り込んでいた仁内が斗真を見て呟いた。
どうやら話を聞いていたらしい。
しかし憎まれ口をたたく反面、珍しく真剣な表情に斗真は足を止めると、仁内が立ち上がって刀を一本彼に投げた。
その様子を、追ってきた灯乃は見てしまう。
「仁ちゃん……?」
*
「――ここが、灯乃ちゃんの家……」
雄二と共に、春明は灯乃の家の前まで来ていた。
彼女の母親の事――春明は気になって、つい案内を頼んでしまったのだ。
雄二が呼び鈴を鳴らす。すると、
――ガチャッ!
待つ間もなくすぐに扉が開いて、母親らしき女性が現れた。
おそらく娘の帰りをずっと待っていたのだろう、そのせいか表情に少し疲れが見え、やつれているような気さえした。
だがそれでも待ちわびた娘の帰宅に、満面の笑みを浮かべて外へ飛び出してくる。しかし、
「陽子!!」
「え?」
「陽子は!? 陽子はどこなの!?」
「陽子……?」
てっきり灯乃の名を呼ぶかと思いきや、全く別の名前を聞き、春明は一瞬固まった。
――陽子? いったい誰のこと?
「すみません、おばさん。あいつ、また勉強に没頭してて」
「……雄二くん?」
「そっそうなの? ……そう、そうよね、あの子お勉強好きだから……」
何食わぬ顔で彼女へ言葉を返す雄二に、春明は全くついていけずただ戸惑う。
彼の口ぶりから察するに、陽子という人物は――まさか灯乃のことなのだろうか。
「どうぞ、あがっていって。灯乃に会いに来てくれたんでしょ? あの子もきっとあなたに会いたがってるわ」
「え?」
「はい、それじゃお言葉に甘えて」
二人の会話を聞いて、ますます分からなくなった春明は、更に頭を悩ませる。
とりあえず中へと促され雄二と上がり、リビングへと通されるが、視界に仏壇が映ると、その位牌の名前と飾ってある写真を見て春明はハッとした。
――唯朝 陽子。
「……この陽子って子、灯乃ちゃんの……」
「あぁ、姉だ。陽子は二年前、交通事故で死んだ」
雄二は、キッチンで飲み物を用意しているその母の姿を横目で見ながら、春明にそっと告げた。
「何を思ったのか、急に道路へ飛び出してきたそうだ。あいつらしくない」
「らしくないって?」
「陽子は俺達の二つ上で、賢くて何でも出来る奴だったんだ。灯乃と違って落ち着いてて大人っぽくて、とてもそんな馬鹿をやるような奴じゃない筈なんだ。それなのに……」
雄二は複雑な気持ちで、写真の陽子を眺める。
「おばさんは陽子にすげぇ期待しててさ、特に溺愛してた。なのにあんなことになっちまって……おかしくなったんだろうな。死んだのは灯乃ってことにして、あいつを陽子の代わりにしてるんだ」
雄二はそう言うと、写真の陽子が灯乃に見えてきたのか思わず眼を背けた。
春明もふと灯乃の姿を想像する。
何事もないように、普通に笑っていた灯乃。高熱にも負けない、強い意志を持った子。
それなのに……
「灯乃ちゃん、可哀想ね。死んだことにされてるなんて――あの子、ここに居場所ないじゃない」
「それでも放っておけないんだろう。それに、親父さんは単身赴任でなかなか帰って来れないらしいからな。流石におかしくなった母親を一人には出来ないさ」
雄二は母親の方をそっと見ながら、灯乃の気持ちを察して呟いた。
と、その時。
「きゃあっ!」
突然、黒い影が彼女を包み込むように現れ、そして捕らえた。
二人が見ると、母親を抱えた黒ずくめの男と朱飛の姿が映る。
「なんでこんなところにお前が!?」
「まさか、灯乃ちゃんを強請るつもりで?」
「灯乃を? なんでそんなこと……」
春明の言葉に雄二が不思議そうに訊ねるが、その答えも出ないまま、朱飛達が一瞬で姿を消した。
理由はどうであれ、きっと灯乃のところへ向かったに違いない。
雄二は不満を抱えながらも、春明と急いで彼女達の後を追った。
*
「……何の真似だ?」
思わず受け取った刀を手に、斗真は訊ねた。
仁内は真剣さをそのままに彼と向き合うと、両手に半月斧を構える。
「抜けよ。俺と殺ろうぜ」
「馬鹿か? お前は俺に攻撃出来ないだろ?」
「じゃあ、てめぇが俺を斬って終わりだ」
仁内の言葉の意図が読めず、斗真はただ訝しげに見ていると、仁内が痺れをきかせたのか、無防備に大きく両腕を広げてきた。
その態度に、斗真はますます警戒する。
「斬れよ、俺を」
「……無意味だ」
そんな二人の様子を、遠くでこっそり覗き見している灯乃。
彼女ももちろん仁内が何を考えているのか分からず、首を傾げていると。
「違うな。――斗真、てめぇ戦えねぇんだろ?」
仁内はまっすぐ彼に告げた。
灯乃にはその言葉の意味が分からないままだったが、斗真にはそれが理解でき、眼を細める。
――斗真……? 何かを隠しているの?
「見たところ、あのご自慢の愛刀も持ち合わせていねぇようだし。どうしたよ、捕られたか?」
「お前には関係ない」
「図星か? だが他にもあるよな? 刀一つ失くなったところで、てめぇの強さは変わらねぇし、あんなガキを斬る必要もねぇ」
仁内は真相を探るように、斗真の顔色を窺いながら攻めていく。
斗真は表情を崩すまではしないが、双眸の鋭さが一層深まり、そして険しくなった。
「斗真――星花はどうした?」
「……!」
――星花……?
灯乃は、仁内の口から出たその知らない名前を聞いてふと思った。
もしかして斗真が言ってた、双子の姉の名ではないだろうか。
斗真の様子が更に険しくなった。
思い出したくない何かを、頭に浮かべてしまったのかもしれない。
――お姉さん、か……
するとその時、
――シュンッ!
一本のクナイが、仁内目掛けて飛んできた。
彼はすぐに気づいて避わすと、どうやら仕留める気はなかったのか、それは軽く柱に突き刺さる。
そのクナイは、間違いなく朱飛のもの。
「朱飛。俺に殺られに来たのか?」
塀の上に彼女を見つけると、仁内は怒りを表すようにギロリと睨みつけた。話の腰を折られたのと、懲りずに狙ってきたのが気に入らなかったらしい。
そして灯乃からの“奴らを追い払え”の命令で、すぐに力が漲り戦闘態勢に入る。
しかしそんな彼とは反対に、朱飛の側に控える男が抱える女性を見て、灯乃が驚愕して飛び出してきた。
「お母さんっ!?」
「灯乃……っ?」
「お母さん、だと?」
灯乃は人違いだと思いたいのか、じっと見つめて再度確認するが、やはり間違いない。
「仁内、命令解除よ! やめて!」
「なっ」
「人質のつもりか」
「紅蓮の三日鷺と刀、我々に頂けますね?」
朱飛は涼しい顔で側の男に合図を送ると、彼はさっと小太刀の刃を母親の首筋に近づけた。
その殺気を当てられてか、母親が眼を覚まして周りを見渡し、灯乃を見つける。
「……陽子? 陽子!!」
しかし灯乃に向けられたのは別の名前。斗真も仁内も疑問を抱いた。
「陽子? どういう事だ?」
「そっそれは……」
「陽子! これは何の冗談なの!? 陽子!!」
現状が把握出来ていないのか、母親はジタバタと男の腕の中で暴れるが、更にギリギリまで小太刀を突きつけられると、恐怖で身体を強張らせ、引きつった顔で固まった。
その光景に灯乃も動揺を隠しきれないでいるが、それと同じくらいなぜか仁内も動揺した様子で灯乃の前に背を向けて立つ。
「……おい、ガキ。てめぇ、名前何て言った?」
「え? ――唯朝 灯乃、だけど?」
「唯朝……!?」
その苗字に仁内は拳を握り締めた。
――唯朝 陽子だと? なんで今になって……
「さぁ、彼女と刀をこちらへ」
朱飛が催促の言葉を投げ掛けると、仁内が舌打ちし、口を開いた。
「おい斗真。灯乃に刀渡せ」
「仁内?」
彼は背に隠すように手をまわし、朱飛に見えないよう斗真に何かを合図する。
仁内が灯乃を名前で呼ぶのは初めてで、一瞬二人は気後れするが、彼の合図を見た斗真は灯乃に三日鷺を手渡した。
「では、こちらへ」
灯乃はゴクリと息を呑み、ゆっくり朱飛の方へ進んでいく。
仁内には何か作戦があるようだが、合図の意味を灯乃は知らない。ただ言われるままに進むしかなかった。
だがその時、塀の外から複数の走ってくる音が聞こえ、灯乃は思わず立ち止まる。
「いたぞ! 上だ!」
雄二と春明だった。
塀を挟んで雄二の叫ぶ声が耳に入り、朱飛達の視線が一瞬三人から外れると、その隙をついて斗真が素速く朱飛へ飛んだ。
それは今まで見た中で一番速い――もしかすると三日鷺の速さにも匹敵するかもしれないような……
しかしそれでも距離があったせいか、朱飛達に気づかれてしまうが、彼女がクナイで斗真を攻撃しようと動いた瞬間、今度は仁内に三日鷺のスイッチが入り、瞬く間に朱飛の間合いに入り込んだ。
そして斗真が苦無を避けたところを狙って、戦斧を朱飛に振り投げた。
朱飛は咄嗟にそれを避けるが、体勢が崩れて塀から落ちる。
そして勢い余った仁内の戦斧は、そのまま隣の黒ずくめの男に直撃し、その手から落ちていく灯乃の母親を斗真が受け止め、雄二達のいる外側へと着地した。しかし、
「きゃあっ!」
突然内側から灯乃の悲鳴があがり、皆ハッとする。
朱飛が落ちたのは塀の内側。仁内は塀の上、斗真は塀の外、内側には三日鷺を持った灯乃しかいなかった。
まんまと朱飛の手中に収まり、再び拘束される灯乃。
やむを得ない――その言葉が斗真の脳裏を横切った。
「灯乃、命令だ! “――朱飛を斬れ”」
「御意」
灯乃は素速く鞘から刀を抜くと、炎の刀を振るい、紅蓮の三日鷺へと変貌した。
本当は彼女をそっとしておきたい。
斗真は思うが、やはりまた状況がそうさせる。
一度三日鷺になった者は、もう戻る事は出来ないのだろうか?
その姿を見るなり、すぐに彼女から離れようと塀の上へ飛ぶ朱飛だったが、既に遅く、それ以上に高く舞う三日鷺の刃が朱飛を捕えた。
「貴様の真名、確かに」
朱飛の背中をバッサリと斬り、灯乃が小さく言葉を吐くと、三日鷺の焔の中から朱飛の名前が浮かび上がった。
それは仁内の時と同様、三日鷺によって縛られた証。
「紅蓮の三日鷺の名において命ずる。“朱飛――これより我が配下に下り、その身を我が主を護る盾とせよ”」
その言霊が発せられた途端、重い拘束を感じ、朱飛は膝をついた。
「……御意」
これでひと段落ついた、と灯乃は息をつくが。
「――灯乃? あれが灯乃なのか?」
塀の上にとどまる紅蓮の三日鷺を見て、雄二は呆然としていた。
ついさっきまで何も出来ずに悲鳴をあげていた、ただの女の子だった筈なのに。
「……何だよ、命令って。命令されるだけで、あんなになっちまうのかよ……?」
雄二が全く別人を見るような眼で、彼女を見ている。
その視線に耐えられなくなったのか、灯乃は下唇を噛み締め、塀の内側へと飛び降りて姿を隠した。
「灯乃! 待てよ! 灯乃っ!!」
今までずっと一緒にいた幼馴染みだった。
知らないことなんてほとんどなくて、何でも話し合えた。
――三日鷺のことを、雄二にだけは……話していいだろうか?
彼にだけはきちんと説明したい、灯乃はそう思っていた。
雄二なら分かってくれる、力になってくれる、そんな気がするのだ。しかし、
「春明、後のことは任せる」
外側から斗真の声が聞こえ、灯乃はグッと拳を胸に押さえつけた。
“周りを巻き込みたくないなら、ここに居ろ”
――斗真はきっと、それを許さない。
「分かったわ」
春明がそう言うと、いつの間にか落下したショックで気を失っている母親を斗真は抱き上げ、中へと戻っていった。
「おい、待てって言ってるだろ!」
斗真を追って雄二も中へ入ろうとするが、すぐさま春明の手によって制止がかかる。
「ここまでよ。ここから先はあなたを近づけさせられない」
「っ、それも奴の命令かよ。何なんだよ、命令って……」
雄二は苛立ちで地面を蹴り上げるが、春明は動じることなく考えた。
――簡単に任せるって言われても……ホント勝手なんだから。
春明はふぅとひと呼吸おくと、常備している薙刀を雄二に向かって構えた。
――間違った判断しても、怒らないでよ?
「雄二くん、どうしても知りたいって言うなら教えてあげてもいいわ。ただし条件付きだけど」
「条件?」
「あなた空手やってるんでしょ? 私に勝ったら教えてあげる」
*
床の間に灯乃の母親を寝かせ、斗真は灯乃を見た。
彼女は刀を収め、元の姿で俯いたまま、口を閉ざしている。雄二に三日鷺の姿をさらしたことで更に隠し通す事が困難になってしまったのだ、仕方がない。
「私、どうしたらいいのかな……」
「三日鷺の存在を知られる訳にはいかない。あの男にも、お前の母親にも」
斗真の言葉に、彼女は母を見る。
ずっと陽子と呼び、灯乃として見てくれなかった人。
「私ね、お姉ちゃんがいたの。事故で死んじゃったけど」
「……そうか」
「うん……お姉ちゃんは何でも出来て凄い人だったから、私がお姉ちゃんの代わりになろうって思っても全然で。でもお母さんは、それでも陽子って呼んでくれるの。お姉ちゃんの名前で、呼んでくれるの」
彼女は眠る母親の顔を眺めながら、寂しそうに笑った。
灯乃にとって姉の名前で呼ばれることは嬉しいことだったのか、それとも悲しいことだったのか。
どちらにしろ今にも崩れてしまいそうな彼女を見て、斗真はこのままではいけないとどこかでそんなことを思った。
――お互い、姉には苦労するな……
「灯乃は、どこにいるんだ?」
「え?」
「今のお前は、陽子なのか? 俺がお前の名前を訊ねた時、はっきり唯朝 灯乃と聞いたんだが?」
「それは……」
「灯乃」
斗真は彼女に近づくと、軽くポンと頭に手を置いた。
「中途半端なんだよ、お前は。ただ背伸びしたって代わりになれる訳じゃない」
「斗真……」
「やるなら、徹底的に陽子を名乗れ。それが出来ないなら、代わりになんてなってやるな。灯乃は灯乃で何が悪い」
斗真ははっきりとそう言うと、まっすぐ彼女の眼を見る。
灯乃は灯乃、それが当たり前だと思ってくれる。その言葉が嬉しくて灯乃はつい涙を溢れさせ、本音を吐き出した。
「だって怖いんだもん。お母さんに、いらないって言われるのが……怖いんだもん」
「お前は、頑張り屋の良い子だ。いらないなんて言われないさ」
「でも……」
「それとも――俺と来るか?」
「え……?」
灯乃が顔を上げると、真剣な眼をした斗真がいた。
彼女を放っておけない、何かしてあげたいと、心の何処かが温かくなるのを感じながら、斗真は言う。
「今の俺には力が必要だ。もしお前が母を恐れてお前でいられなくなるというなら、俺を選べ」
「……斗、真?」
何を言ってるんだろう、斗真は思った。
あんなに誰も巻き込みたくないと思っていたのに。
あんなに関わることを拒んでいたのに。
灯乃の涙を見ると、気持ちが、想いが、理性を撥ね除け先走る。
止まらない。
「俺と来るなら、その三日鷺で母親を斬れ。お前の存在を忘れさせる為に」
「……!」
斗真の言葉を聞いて灯乃はハッとした。
確かにその方法なら、三日鷺のことを話す必要もない上に、心配させることもなくなる。
しかしそれは、母親との別れ――逃げるということ。
――逃げていいの? 私は……
灯乃は三日鷺を握り締める。これで母を斬れば、この場を丸く収めることが出来る。
けれど……
彼女は斗真を見る。
――彼が求めているのは、紅蓮の三日鷺……私じゃない。
私の居場所は、何処にもないのかもしれない。
なら、せめて……
灯乃は、三日鷺を抜いた。炎を纏い、紅蓮の三日鷺として刀を母親に向ける。
――誰にも迷惑かけたくないから。
「ごめんね、お母さん」
灯乃は三日鷺を振るい、母を斬った。焔の中から“トキ子”という彼女の名前が浮かび上がる。
「紅蓮の三日鷺の名において命ずる。“トキ子――これより貴女の娘は死んだ陽子だけとし、唯朝 灯乃の存在は全て忘れよ。そして、どうか……もう苦しまないで”」
灯乃は母親に背を向けた。
「……御、意……」
混濁する母の意識が、静かにそう応えた。
「……唯朝 陽子の妹、か」
近くの影でまたも盗み聞きのように聞いていた仁内が、ぐったりする朱飛の隣でボソリと呟いた。
陽子を知っているのか、厄介と言わんばかりに頭をかく。
「おい朱飛、知ってたのか?」
「……いいえ、彼女の家で写真を見るまでは」
「はぁ……死んでも鬱陶しい奴だぜ」
仁内は大きく溜息を吐き、空を見上げた。もう薄暗く、茜色が周りを穏やかに照らしている。
するとそこへ春明が戻ってきて二人を通り過ぎると、斗真達のいる床の間にやってきた。
「斗真くん、外へ来てくれないかしら」
――雄二くんと、話をしてほしいの