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三日鷺~ミカサギ~  作者: 帝 真
第1章 紅蓮の三日鷺
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紅蓮の三日鷺・2

斗真の三日鷺となった灯乃。紅蓮の三日鷺として姿を晒してしまったことで、標的とされてしまう。しかし、ことの重大さをまだ知らない灯乃は、幼馴染みの雄二を家に招いてしまい……

 長い夜が明けて次の朝。


 「……こんなもんかな。どう? きつくない?」


 灯乃は包帯を片手に、春明に問いかけた。

 昨晩の戦闘で開いてしまった春明の傷の包帯を、灯乃が取り替えていたのだ。


 「えぇ、大丈夫。ありがとう、灯乃ちゃん」

 「そっか、よかった」


 春明が笑みを見せると、灯乃は安堵して包帯を救急箱にしまい込んだ。

 思っていた以上に彼の傷は深く、灯乃は昨夜それを見た時、顔が真っ青になるほど驚いた。


 ――こんな足で戦っていたなんて。


 どうしてこんな傷を負ってしまっていたのかは知らないが、その痛々しい傷が灯乃の心をも痛める。

 しかしそれも少しの間のこと、背後から無神経なほどに不満そうな声が二つ同時に聞こえた。


 「薄い!」

 「からい」

 ――ぴくり。


 灯乃が眉をつりあげて振り返ると、そこはどこの家庭でも見られる食卓風景。

 卓袱台の上に並べられた和食の朝ごはんがホカホカと湯気を醸し出す中、その向こうで斗真と仁内がなぜか揃って味噌汁に手をつけ、文句を言った。斗真はからそうに白飯を多く食べ、仁内は味がないと醤油をかける。


 「……同じお味噌汁なのに、なんで真逆の感想が返ってくるの?」


 多少の怒りを堪えながらも灯乃は呟くと、春明がひょっこりと手を出してそれを飲んだ。


 「ん、美味しい。あたしは丁度いいわよ?」

 「ホント?」

 「えぇ」

 「はあ!? こんなん味ねぇだろうが!」


 灯乃がホッとしていると、正面から仁内が意義ありと卓袱台を叩く。

 しかしそれが自分を否定されたように聞こえて、春明もまた同じように卓袱台を叩いた。


 「アンタの味覚が狂ってんでしょ! 今まで何食ってきたのよ!」

 「ああ!? てめぇこそ離乳食食ってんじゃ……っ」


 仁内が言いかけたその時、突然ヤカンが飛び、彼の顔面を直撃した。

 仁内がフラフラと崩れていく中、春明が恐る恐るそちらを見ると、怒りで頭にツノを生やした灯乃が眼をギラッと光らせていた。


 「なら食うな」


 この朝食はすべて灯乃が作ったのだが、味が薄いどころか離乳食とまで言われては、流石の彼女も腹が立つ。

 だいたい斗真にいたっては、寧ろ“からい”なのだ。これでは味が薄いのか濃いのか分からない。

 灯乃がこっそりと斗真を窺い見ると、彼は静かに箸を進めながらも、やはりからいのか、白飯の減りが早く見られた。


 「料理、ちょっとは自信があったのに」


 灯乃が密かに涙を拭っていると、そんな彼女を余所に斗真が顔をあげ、仁内を見た。


 「それにしても何故お前がここにいる? 用がないなら消えろ」


 落ち着き払った様子で、斗真が転がっている仁内へ話しかけると、彼はゆっくりと身体を起こして不貞腐れた顔で言葉を返してきた。


 「うっせぇな。俺だって出来りゃあそうしてんだよ」


 そう言って、ふと灯乃を見る。


 「こいつの命令のせいで、帰るに帰れねぇ。身体が動かねぇんだよ、仕様がねぇだろ」


 そんな仁内の言葉を聞いて、灯乃はキョトンと顔を傾けながらもそういえばと思い出した。


 “仁内――これより我が配下に下り、その身を我が主を護る盾とせよ”


 「あぁ、そんな命令もしたっけ」

 「忘れてたのかよ! だったら解除しろよ!」

 「え~」


 灯乃はわざとらしく不満そうな声を出すと、いいことを思いついたのか途端に口元を緩ませた。

 その表情に仁内は嫌な予感を感じて、顔を引きつらせる。


 「なっ何だよ?」

 「それってつまり私の三日鷺になったってことよね、仁ちゃん?」

 「仁ちゃ……っ!?」

 「じゃあ他にももっと命令できるわけだぁ。んじゃ、この後のご飯の片付け、頼んじゃおっかな?」

 「はあ!!??」


 仁内は憤怒して、卓袱台をひっくり返しそうな勢いで立ち上がった。

 そして灯乃を思い切り睨み付けるが、彼女は全く動じず、それどころか面白そうにニコニコと笑顔を振りまく。

 春明もそれに便乗して笑った。


 「あら、いいじゃない。三日鷺の初仕事が朝食の後片付けなんて」

 「よくねぇよ!」


 そんなやり取りが盛大に繰り広げられ、しばらく食卓が激しく揺れた。

 斗真も初めのうちは黙っていたが、徐々に我慢できなくなってきたのか溜息をつき、ついにはパチンと大きな音を出して箸を置いた。

 その響く音に三人の会話がはたりと止まり、視線が彼に集中する。


 「お前たち――どんな命令がお望みだ?」


 その瞬間、三人の動作が完全に停止した。

 斗真の声音と鋭い双眸が妙にゾッと背筋を震わせ、“命令”という単語が重石のように三人の精神を圧し潰す。

 まさに、鶴の一声。


 「斗真、怖い」

 「さっ流石、ご主人様ね」

 「俺も一応、間接的な三日鷺か……」


 三人が身体を小さく寄せ合ってヒソヒソと呟くと、斗真が更に続ける。


 「灯乃。後片付けはお前がしろ」

 「えっ」

 「お前はまず体力をつけることだ。今後、戦う度に筋肉痛なんて、ふざけるにも程がある。とにかく動け」

 「えっ!? ちょっちょっと待ってよ! 今後戦うって!?  私は家に帰れるんでしょ?」


 灯乃は焦った声を出して訊ねると、斗真は怪訝な眼を向け、春明が困ったような顔をしながら呟いた。


 「それはちょっと難しいんじゃないかしら」

 「え?」

 「だって、三日鷺になった人間が姿まで変えたなんて話、あたしは聞いたことないわ」

 「え……それはどういう、意味?」


 灯乃が困惑して助けを求めるように斗真を見ると、彼は当然というような表情で答えを返してきた。


 「つまりお前は、異例ってことだ。あの姿を見て、奴らが見逃すとは到底思えない。それに……」


 斗真は三日鷺を手に取り、鞘から刀を抜く。

 すると昨晩とは違い、再び折れた状態の刃が姿を見せた。


 「もしこの刃が、紅蓮の三日鷺となったあのお前にしか復元できないというのなら尚更だ。お前は真っ先に狙われる」

 「え……」

 「お前の為だ。周りを巻き込みたくないなら、ここに居ろ」


 斗真はそう言うと刀を鞘に納め、スッと立ち上がり居間を出てゆく。

 灯乃は慌てて彼を引き止めるように、口を開いた。


 「でっでも、学校とかもあるし、お母さんだって何て言うか……」

 「灯乃、俺は提案してる訳じゃない」

 「え?」


 斗真が振り返り、彼女を見た。

 それは彼の心を映し出したかのような、凍てついた眼。


 「これは命令だ。“灯乃――俺の許可なく、この家から一歩たりとも出るな”いいな?」


 斗真ははっきりとその命令を灯乃に告げた。

 しっかり耳に届いたそれは、彼女を屈服させ、拒否することを許さない。


 「……御意」


 小さく滲み出たその返事が、果たして斗真にきちんと届いたか分からないが、彼はそんな灯乃から顔を背けると、踵を返してそのまま出ていった。

 灯乃はグッと奥歯を噛み締め、拳を強く握る。


 ――家にはもう帰れない? 本当に? 私はこれからどうなるの?


 途端にいろんな不安が灯乃の頭の中を流れ始めた。

 が、そんな時でも仁内が近くで小さく笑い声をもらす。


 「くくっ、筋肉痛って……とにかく動けって……くくっ……」

 ――ぶちっ。


 その瞬間、今まで不安を感じていた灯乃のか弱き心がどこかへ遠退き、代わりに黒い何かが彼女の魂に降臨した。

 若干眼が据わり、影が悪魔を象る。


 「仁内に命令。“この家の周りを三十周走ってこい”」

 「なにぃっ!? でも御意!!」


 三日鷺として必ず従ってしまう以上、仁内は灯乃の命ずるまま返事を返すと、すぐさま飛び込むように外へ駆け出していった。

 それを、呆れ果てた眼で春明が見る。


 「バカって、何をするにも楽しそうでいいわよね」


 自業自得の為、全く哀れむ気もなく朝食を進める春明。

 と、灯乃が溜息をついたのを見て手を止めた。


 「心配しなくても、斗真くんだって別に灯乃ちゃんを監禁しようとしてる訳じゃないんだし、そのうちどうにかしてくれるわよ」

 「だといいんだけど」

 「とりあえず今日と明日は学校休みでしょ? 気楽にしてれば?」

 「うん……あ」


 春明の言葉に頷こうとして、灯乃は思い出した。

 そういえば約束があった――雄二との勉強会。


 「……忘れてた。雄二、怒るだろうなぁ」

 「雄二?」


 思わず呟いた灯乃の一言に春明が反応して尋ねてきた。

 何かを期待しているのか、急に眼がキラキラと輝き始め、何となく楽しそうだ。


 「なになに、彼氏?」

 「残念、ただの幼なじみ。数学苦手だから勉強会しようって。それだけ」

 「ふーん」

 「でも雄二、次の授業であたるし、断ると起こるんだろうなぁ」

 「ふーん」


 灯乃が困った口調で約束を断り難そうにしていると、春明が少し考えてニヤッと笑みを浮かべた。


 「だったら、ここに呼んじゃえば?」

 「え?」

 「だって、灯乃ちゃんはここから出られないんだし、彼に来て貰うしかないでしょ?」

 「けど、斗真が駄目って言うんじゃあ……」

 「そんなの内緒に決まってるじゃない」

 「えぇっ!?」


 その更に無謀な発言に、灯乃は焦った声をあげるが、春明の調子付く話は止まらない。


 「来ちゃえばこっちのもんよ。ふふっ。ねぇ、その子どんな子? カワイイ?」

 「カワ……っ!? ただ春明さんが会いたいだけなんじゃないの、それ」

 「当然でしょ。誰かさんの三日鷺やってると、出会いなんてないのよ?」

 「でも、春明さんってオト……」

 「何か言ったかしら?」

 「いっいえ、何にも!」

 「じゃ、そういうことだから。早速準備しよっと♪」

 「えっ準備って!? はっ春明さん!?」


 春明は勝手に話を決めると急に立ち上がり、軽い足取りで鼻歌を歌いながらその場を去って行った。

 灯乃は暫く絶句しながらその様子を一人ポツンと眺めるが、途端にハッとする。


 「……スキップしてた、あの足で」


 いったい彼の怪我は重傷なのか、軽傷なのか。

 どちらにせよ、とんでもないことになってしまったと顔を引き攣らせる灯乃の眼に、ふと朝食の食器たちが映った。

 皆、何だかんだと言いながらしっかりと完食している。

 残っているのは、まだほんの少ししか食べていない灯乃自身のものだけ。


 「……いつ完食できる時間があったの?」

 

 *


 その頃。自室に戻った斗真は、中に入るなり襖を閉め、小さく息をついた。


 ――これでまた一人、巻き込んでしまった。

 「こんな筈じゃなかったのに」


 沈黙が漂う部屋で、斗真はただ気が滅入る思いに立ち尽くす。


 三日鷺を持ってるだけで、どんどん周りを巻き込んでいく。止まらない。

 その上、灯乃にはあんな姿まで――


 「何だったんだ、あれは」


 斗真は昨夜の彼女を思い出し、静かに苦悩の瞼を閉じた。と、その時。


 「――主」


 彼の耳に誰かの声が聞こえ、携えていた三日鷺が急に紅く光り出した。

 そしてユラユラと焔が現れ、それは鳥の形を作り出す。


 「これは……!」

 「あの姿は、我の意にあの娘の意が同調したことの証。あの娘はようやく現れた、我の望みを叶える者ぞ」


 紅蓮の焔を纏った鳥が、斗真の声に応えるように言葉を返してきた。

 それを聞いて、斗真は確信する――これが“三日鷺”。


 「望み、だと? まさかそれを叶えれば、三日鷺となった者たちが解放されるのか?」


 斗真はそう強く訊ねるが、それと同じくして紅蓮の三日鷺が徐々に形を失い、揺らぎ始める。

 どうやらその姿は、長くはもたないようだ。


 「解放だと? それは主が真に望めば、容易く叶うことぞ」

 「なにっ?」

 「主が真に望まぬ故、解放されぬ。理由があるのではないか? 力を欲する理由が」

 「!?」


 そう問いかけられ、真意をつかれたのか斗真は言葉を詰まらせる。


 「だが気をつけよ。三日鷺は主の意と直結する。主が力の使い方を誤れば、三日鷺となった者はいずれ烏のように黒く変わり果て狂い出すだろう。だが白鷺のように白く輝けば……」


 そう言いかけて、三日鷺は消えた。刀も光を失い、元の鞘に納まる。


 「……白鷺のようになれば、お前の望みに近付くとでも言いたいのか?」


 斗真は吐き捨てるように呟くと、グッと拳を握り緊めた。


 ――ならあの灯乃は何だ? 髪は焔のように紅いが、装束は黒だった。


 「……力の使い方だと? くそっ……」


 *


 暫くして朝食と後片付けを済ませた灯乃は、雄二にメールを打った。

 内容は、“急用で友達の家にいるから、勉強会はこっちでしよう”という、何とも適当で簡単なもの。

 予想通り、送った後すぐに文句のメールが幾つか返ってきたが、よほど数学に悩まされているのか、雄二は少しの説得でしぶしぶと承諾しこちらへ来ることとなった。

 そしてその約束の時間がついに訪れ――


 「うぅ……ホントに良かったのかなぁ」


 携帯で時間を確認しながらも、不安でフラフラと柱にへばり付く灯乃。

今になって後悔が襲ってきて、ガクッと肩を落とすが、理由の一つとして一番恐ろしく思うことが頭から離れないでいた。

 それは、激怒するであろう斗真の反応。


 「……どうしよ。胃が痛くなってきた」


 あまりの心労に、灯乃は苦しそうにお腹をおさえる。

 するとそこへ軽く着飾った春明が戻ってきた。


 「どう? 灯乃ちゃん、この服……何遊んでんの?」

 「遊んでません」


 今の様子をどう見たら遊んでいるように見えるのか、灯乃は聞き返したくなるが、とりあえず置いといて春明を見る。

 やはり準備というだけに、綺麗にオシャレをして華やかさに満ちている。

 服装は春明の性格からしてビビッドの効いた明るいものを選んでくるかと思ったが、わりと清楚な優しい色で、メイクもそれに合わせて薄いものだった。

 だがそれが逆に彼の本気を見た気がして、灯乃はゾッとする。


 「どう? 変かしら?」

 「変じゃないから、逆に変」


 灯乃がそう言うと軽くビンタが返ってきて、しかし春明はなぜか嬉しそうに「そんなに褒めないで♪」とまるで話がかみ合ってないセリフをはいた。

 そんな上機嫌な春明を横目で見ながら、灯乃はヒリヒリと痛む頬を擦っていると、彼がそのまま玄関の方へ向かい出す。


 「それじゃ、次はお出迎えよね」

 「お出迎え?」

 「もう来るんでしょ? 家が分からないと困るから、外で待っててあげないと」

 「え゛」


 そこまでするのか、と灯乃は思うが、どんどん先へ進んでいく春明を止めることもできず、ただ彼の後を追った。

 玄関から明るい外へと出て行く春明に、灯乃も続いて外へ出る。

 雄二には、前もって家の場所と目印になるものを伝えてあった。

 こうわざわざ出向かなくても大丈夫だと思うし、それにもし春明が騒いで斗真に気づかれでもしたらと、それが怖い。

 灯乃は当人の姿がないのを確認しながら素早く庭を抜け、まっすぐ門へ向かった。が、その時。


 ――びくっ。

 「え」


 門を出ようとした瞬間、灯乃の足が急に動かなくなった。

 斗真によってかけられた命令のせいで身体に制止がかかったのだ。

 何とか外へ出られないかと足掻いてみるが、やはり無理で、灯乃はぜぇぜぇと肩で息をする。


 「もぉっ、ちょっと位いいじゃない」

 「大変ねぇ、灯乃ちゃん」

 「むぅ、他人事だと思って」


 門の向こうで春明が辺りを見回しながらクスクス笑う。

 雄二の姿はまだない――しかし。


 「灯乃ちゃん、伏せて!」

 「え?」


 突然春明の叫び声がしたかと思えば次の瞬間、二人に無数の刃物が飛び込んできた。

 灯乃は、門の柱のおかげで何とか防ぐことはできたが、春明の周りには遮るものがなく、刃が直進していく。


 「春明さん!」


 しかしそれは彼にとって想定内のことだったのか、春明は軽やかにそれを避わすと、飛び交う刃の一つを受け止め瞬時に投げ返した。


 “ぐっ!”


 うまく当たったのか、どこかで僅かに声がもれた。

 そして逃げ去る気配。


 「やっぱり一匹潜んでたわね」

 「今のって、昨日の?」

 「どうかしら。三日鷺を狙ってる連中なんて幾らでもいるし、どいつかなんて分からないわよ」

 「えっそんなにいるの?」


 春明の何気ない言葉に灯乃は驚く。


 「そりゃそうでしょ。誰でも自在に操れんのよ? 知ってたら皆欲しがるわ」

 「春明さんも?」

 「そうねぇ。あたしだったら、イケメン斬りまくって甘い生活をエンジョイするわね、ふふふっ♪」


 どんな想像をしたのか、春明はうっとりとしながら不気味に笑い、その様子に灯乃は冷めた眼を向けた。


 「……春明さん、よだれ」


 けれど、そんな灯乃もあの刀が手に入るなら欲しいとも思った。

 まさか似たような欲があるのだろうか?

 そう思った時、頭の中でなぜか斗真の顔が思い浮かんだ。


 ――なんで?


 「あっいたいた、灯乃!」


 灯乃が頭を悩ませていると、どこからか聞き慣れた声がふってきて、二人は振り返った。

 見るとそこには、空手鞄を持った制服姿の男。


 「雄二。そっか部活だったっけ、お疲れさま」

 「何がお疲れさまだ、勝手に場所変えやがって。すっげぇ疲れたし、腹減った」

 「ゴメンってば」


 少々ぐったりとしている雄二に、灯乃は苦笑しながらも手を合わせる。

 そんな一方で、春明は密かに物色する眼で彼を見ていた。


 彼が、雄二くん……ふふふっ、いいじゃない!

 ルックスは合格点だし、身体つきはナヨナヨしてそうでがっしりしてるわね、アレ。

 それに何はともあれ、あの疲れてぐったりしてる顔!いい!凄くカワイイわ!!


 ――絶対キープ。


 春明に火がつき、まだ話している灯乃を押しのけて春明は雄二の前に立った。そしてこれでもかと言わんばかりに笑みを振り撒く。


 「あたし灯乃ちゃんの友達で、春明っていうの。こんな所までわざわざゴメンね、雄二くん」

 「えっ、あぁいや……」


 そんな計画的実行犯だとも知らずに、突然現れた目の前の美女に雄二は少し顔を赤めて頭をかき、外方を向く。


 「あっあんたが灯乃の? べっ別に大したことじゃねぇよ、気にすんな」


 そんな初々しい幼なじみを見て、灯乃は固まった。


 何あれ、いつもの雄二じゃない。鼻の下伸びてるし。

 どうしよ、相手“男”だよ?


 「それにしても迷わなかったのね?」

 「まぁな。目印が分かりやすかったし」

 「目印?」


 春明の問い掛けに、アレと指を差して答える雄二。

 見ると、今にも死にそうな様子でフラフラと走ってくる仁内の姿があった。


 「ぜぇはぁ、ぜぇはぁ……やっと、終わっ……た」

 「なっ!? あんたまだ走ってたの!?」


 春明がギョッとして驚く中、仁内は灯乃のいる門まで辿り着くと、すぐさま地面に崩れ落ちる。


 「お疲れ、仁ちゃん」

 「お疲れじゃねぇ! 三十周からまた更に増やしやがって!! 殺す気か!?」

 「だって目印にしたかったから」

 「あ゛あっ!?」

 「ちょっとこんなの目印にしないでよ!? ウチの周りでいつも変な奴が走ってるみたいじゃない!」

 「あ゛ぁあっ!!??」


 灯乃と春明の言葉に、仁内は怒りを露にするが、そんな思いとは裏腹に会話は彼を無視して進む。


 「もういいわ、とにかく中に入りましょ。雄二くんお腹空いてるんだし、あたしが何か作ってあげる♪」


 春明はそういうと、雄二の背を押してとっとと家の中へ入っていった。

 灯乃が仁内を尻目に一言ぼやく。


 「仁ちゃん中に入れるとうるさそうだし、もうちょっと走らせ……」

 「や゛めろ!」



 中に入ると、春明は台所に立ちエプロンをつけた。

 男二人を居間に残し、灯乃も様子を見にちょこんと顔を出す。


 「へぇ、春明さんも料理できたんだ」

 「作ったことないけどね」

 「え゛」

 「大丈夫よ。本見てやれば何とかなるって。あたし器用だし」


 なぜか自信満々と腕まくりをする春明だったが、冷蔵庫から野菜をとりだすと、包丁片手にザックザックと切り始めた。

 灯乃はそれを眺めながら、そっと尋ねる。


 「それ、洗った?」


 その瞬間、春明の動きがピタッと止まったことは言うまでもない。


 *


 「――ホントに大丈夫かな?」

 

 結局灯乃は、大丈夫だと春明に押し切られて追い出された。

 そんな彼を心配しながらも雄二たちのところへ戻ると、何となく雄二の鞄が眼に入る。


 「そっか、大会近いんだっけ」

 「あぁ、まあな。今年こそはぜってぇ優勝するぜ」


 雄二はニッと笑みを見せると、グッと握りこぶしを作った。

 彼は幼い頃からずっと空手を習っていて、今も空手部に所属している。

 空手バカという訳ではないが、いつも生傷が絶えなくて、それを手当てするのが灯乃の役目にもなっていた。

 今もいくつか痣を見つけて、灯乃が少し顔を曇らせていると、雄二は当たり前のように彼女の頭を軽く小突いた。


 「またシケた面してっぞ? いい加減、慣れろよな」

 「べっ別に、心配なんかしてないもん」

 「お前、心配してたのか?」

 「うっ……してない!」


 灯乃が恥ずかしさを隠すように赤い頬を膨らませると、雄二は楽しそうに、嬉しそうにケラケラと笑った。

 それは小さな頃から知ってる温かな笑顔だった。

 変わらない安心感。雄二の存在は今の灯乃にはとても心地よいものだった。

 ――けれど。


 「何、ガキの漫才やってんだか。アホくさくて欠伸が出るぜ」

 「仁ちゃん?」


 仁内が暇そうに寝転がって、横から口を挟んだ。


 「ったく、お遊びで出来たアザの一つや二つでギャーギャーと、馬鹿じゃねぇの」

 「……何がお遊びだって?」


 仁内の一言で雄二の眉がぴくりと動き、場の空気が一気に淀み始めた。

 その様子に灯乃が嫌な予感を感じて冷や汗をかくと、仁内は面白そうに鼻で笑い、雄二を挑発し出した。


 「お遊びだろうが。大会だぁ? 優勝だぁ? そんなの実践を知らねぇ弱い奴が目立ちたいだけのもんだろうが」

 「何だと!」

 「仁ちゃん! 雄二も落ち着いて!」


 雄二が怒りで立ち上がると、灯乃は慌てて彼の前に立ち、落ち着かせようとする。

 そして余裕の顔を決め込む仁内に思い切り鬼の形相を見せつけた。


 ――何、怒らせようとしてんのよ! うるさくしてたら、斗真が来ちゃうでしょ!!


 そのあまりに必死な眼に、仁内も流石に口を噤んだ。

 一方で雄二も、灯乃に押さえ込まれて仕方なしに怒りを抑える。

 灯乃はホッと息をつくと、仁内に説教するように話し始めた。


 「仁ちゃん、言い過ぎ。それにウチの学校、運動部には力入れてるとこなんだから、強いの。中でも雄二は期待されてるんだからね、仁ちゃんだって敵わないかも」

 「はあ!? 俺がこんな奴に負けるとでも思ってんのか!? ふざけんなよ! 俺と張り合えんのは斗真だけだ、こんな奴三秒で潰してやるよ!」


 灯乃の言葉が火種になったのか、今度は仁内が声を荒げ、しまったと彼女はまたも苦い顔をする。

 しかしその時、雄二がボソッと呟いた。


 「斗真……? それって、緋鷺 斗真のことか?」

 「え? 雄二、知ってるの?」


 灯乃が半ば驚いた顔で見ると、雄二は思い出すような様子で口を開く。


 「噂ぐらいはな。確か去年、どっかの学校で乱闘事件おこして退学になったって奴。そいつめちゃくちゃ強くて、乗り込んできた連中を一人でやっちまったって話だったなぁ」


 ――それが斗真。


 灯乃は容易に想像できて、ふと仁内を見た。

 恐らく昨晩と同じ事がその時起こったのだろう。三日鷺が狙われて、それを守る為に。


 ――でも……あれ? 何か腑に落ちないような……


 「主将がさ、もしそいつがウチの学校に来てくれたら、絶対勧誘するのにって言ってたっけ」

 「へぇ。でも空手部っていうよりは、斗真って剣道部だよね?」

 「え?」


 灯乃がさらっと思ったことをそのまま口にすると、その一言に雄二はキョトンとした顔で彼女を見た。

 その様子に気づいて、灯乃があたふたと眼を泳がせ付け加える。


 「って、仁ちゃん言ってたよね!」

 「当ったり前だ! あいつの剣をやぶれるのは俺だけだ!」

 「……ふーん」


 仁内の闘志が灯乃の言葉とたまたま上手く合い、何とか雄二を誤魔化せたと灯乃はホッとした。

 別に隠す必要はないのだが、知られると何かと面倒だ。

 灯乃が密かにそう思っていると。


 「では本当にできる腕なのか、試して差し上げましょう」


 突然どこからか声が聞こえ、次の瞬間、三人のもとへいくつもの刃が飛び込んできた。


 「えっ何っ!?」

 「灯乃!!」


 雄二が庇うように灯乃を引き寄せ、仁内が飛び掛ってくる凶器を半月斧でなぎ払った。

 弾かれた刃は柱に刺さり、畳に刺さり。見るとそれは、随分と使い込まれた(とび)クナイだった。

 しかしその刃は鋭く光り、これでもかという程きれいな傷跡を残す。


 「こいつは……!」


 思い当たる節があるのか、仁内は顔を顰めた。しかし一方で、事態が飲み込めない雄二は困惑の顔を浮かべる。


 「何なんだ、これは」


 訳が分からず戸惑いながらも、次々と容赦なく襲い掛かってくるクナイに、雄二は成す術もなく避わし続ける。

 そんな彼の腕の中で、灯乃はすぐさま悟った。


 ――間違いない。これは昨日と同じ、また奪いにやってきたんだ。

 ここは危ない。早く逃げなければ!


 灯乃の体が周囲の殺気に反応してビリビリとし始める。

 他の二人も同じだったのか、仁内はさっさと飛び出し、雄二も灯乃の腕を掴み急いで庭へと走り出た。

 その三人の足を狙うように、後ろからクナイの雨が追う。


 「ちっ。あのヤロー、一体どこからっ!」


 先頭を走る仁内が小さく舌打ちし、辺りを見回すが、肝心の相手の姿はどこにも見当たらない。

 にもかかわらず、クナイは何の加減もなしに襲ってくるばかりだった。

 ついには前方にまで回り込まれて、三人の動きを止められる。すると、鋭い風が一瞬ぶわっと吹き、その瞬間何かが上から降ってきた。


 まるで烏の大群が急降下してきたかのような漆黒の男たち。


 「やっぱりテメーかよ、朱飛(あけび)!」


 仁内が戦斧を突き出し、身構えると、周りを取り囲む男たちの中から一人の少女が姿を現した。

 その眼は朱く光り、仁内を睨む。


 「昨晩の報告は本当のようですね、仁内様。とんだ失態です」

 「うるせぇ! てめぇは何しに来やがった!?」


 仁内は見るからに憤慨し、怒鳴り声をあげると、朱飛と呼ばれた少女が瞬く間に彼の懐に入り込んで呟いた。

 それは動いたと感じる間もないほど俊敏な動き。


 「決まっているでしょ? 恥さらしの排除です」


 仁内が驚きで眼を見開くと同時に、鋭利なクナイの刃が彼の胸を目掛けて突き付けられた。


 「しまっ……!」


 がその時。


 「うわっ!!」


 突然、仁内が後ろへと倒れ込んだ。というより、背後から無理やり引っ張られたという方が正しいか。

 雄二がギリギリのところで彼の襟首を掴み、朱飛の刃から遠ざけたのだ。

 獲物を逃した彼女の眼が、雄二をじとりと睨む。


 「おい、てめぇ! 何しやがる!?」

 「助けてやったのに、それかよ!」


 頭を擦りながら起き上がり、仁内が怒鳴ると、雄二もまたそれに反発して怒鳴り返した。

 がしかし、すぐに殺気を感じて、雄二は朱飛を見る。


 ――何なんだ、こいつら。特にあの女、嫌な感じが半端ねぇ。


 「部外者はさがっていた方が身のためですよ?」

 「だったら、その部外者がいない時を狙えよな。お前ら何者だ? この男が目的なのか?」


 雄二も負けじと睨み返すと、朱飛は視線をふっと彼の後ろへずらした。

 そこには少し離れて様子を見る灯乃がいる。


 ――ゾクッ。


 眼が合うと、途端に何か得体の知れない冷たいものが灯乃の真ん中を突き抜けた。と、


 「きゃあっ!」

 「灯乃!?」


 僅かその一瞬で、朱飛が灯乃の背後に回り込み、拘束するように彼女の両腕を掴みあげた。


 「紅蓮の三日鷺、あなたは我々と共に来て頂きます」

 「灯乃!!」


 雄二が慌てて彼女のもとへ駆けつけようとするが、漆黒の男たちが合間に割り込み、雄二の行く手を阻む。

 そもそもなぜ灯乃が狙われるのか、彼には分からなかった。

 そんな雄二の側で仁内が呟く。


 「けっ、命令されなきゃただのガキかよ」


 あっさりと敵に捕まり、抵抗一つ出来ないでいる灯乃に、仁内は呆れを覚えても心配することは一切なかった。

 もとより助ける気も理由もない。

 そんなことより自分に刃を向けた朱飛たちを倒したくて、仁内は戦斧を構えた。


 「俺を殺ろうなんて、いい度胸じゃねぇか。ブッ潰してやる!」


 仁内は叫びながら突進していく。

 しかし、個々では力で押しているものの、数が多過ぎて朱飛まで辿り着けない。

 雄二もまた灯乃を助けに奮闘するが、思うように彼女へは届かなかった。

 そうしている間にも、朱飛が灯乃を連れてどんどん遠ざかる。


 「離して! 私に何の用があるっていうの!」


 灯乃はもがき抵抗しようとするが、朱飛は無言のままで、足を止めることもしない。

 自分の無力さに下唇を噛んで、灯乃は思った。


 ――命令さえしてくれれば、私だって……


 と、その時。


 ――パシッ!


 突然、灯乃の身体が動き出したかと思うと、朱飛の拘束を簡単に解き、距離を置いて飛び退いた。

 その動きに朱飛も灯乃自身でさえも驚き、眼を見開く。

 それは間違いなく三日鷺の動き。


 ――どうして? 命令なんてされてないのに……あ!


 そこまで考えて、灯乃はハッとした。

 見るとここは塀の屋根、この先は家から出てしまう。


 “灯乃――俺の許可なく、この家から一歩たりとも出るな”


 灯乃は斗真からの命令を思い出し納得すると、これまでとは打って変わり強気な視線を朱飛に向けた。

 これなら何度捕まっても、連れ去られることはない。

 しかし一方で朱飛は理解できず、灯乃が何らかの方法で三日鷺となったのではと、急に緊張感を漂わせ、更にはクナイを取り出し戦闘態勢にまで入った。

 その様子に灯乃はギクリと身体を強張らせる。


 「えっあのっ、ちょっと!」


 と次の瞬間、朱飛は問答無用で駆け出し刃を灯乃の身体に突き立ててきた。

 灯乃は慌てて避けるが、その時。


 ――ズリッ。


 狭い足場に体勢を崩され、灯乃は塀から滑り落ちた。


 「きゃっ!」


 きつく眼を閉じながら、灯乃は思う。

 

 ――どのくらいの高さがあるのだろう? 結構高いような気がする。

 痛いだろうか? 骨折するだろうか? こんな時、救急車は呼んで貰えるのだろうか? 治療費は誰持ち?


 一瞬の短さの筈なのに、色んな考えが頭を過ぎって灯乃の表情を歪ませた。

 しかしいつまで経ってもやってこない痛みにようやく気付き、彼女は恐る恐る眼を開けた。


 「斗真!?」


 開けたすぐその先に斗真の顔があり、灯乃は驚いてつい声を張り上げた。

 彼がギリギリのところで助けてくれたのだ。

 灯乃の身体を抱き上げて、斗真は上から見下ろしてくる朱飛を睨みつける。


 「今度はお前か」

 「……」


 朱飛はそんな彼を見て、何かを考えるように眼を厳しくさせるが、ふいに見えた三日鷺に気づくと、躊躇せずにクナイを投げ放った。

 寸分狂わず放たれたそれは、二人に向かって容赦なく襲いかかる。

 だが、斗真にそれを避けようという素振りはない。

 彼の腕の中で、灯乃が慌てふためいていると。


 ――キンッ!

 

 寸前で何かに弾かれる音がして、誰かの影が視界に被さった。


 「仁ちゃん!?」

 「……へ?」


 灯乃が見開くその先には、今の今まで離れた場所で戦っていた仁内がいた。

 本人自身も驚いている様子で、しかも二人をクナイから庇う行動をとったことに固まっている。

 それはまるで、先程の灯乃と同じ――三日鷺の命令。


 「くそっマジかよ」


 灯乃にかけられた命令を思い出して、不本意とばかりに仁内は舌打ちした。

 灯乃の主――斗真を、自分は護らなければいけない。

 彼にとってそれは屈辱ではあったが、ふと自身の両手を見定めると、これまでにないという程に力が漲っているのに気づいた。

 この力は……


 「それが三日鷺の力だ」


 仁内の考えを先読みするように斗真が答えた。

 離れた場所でも危機を感じて駆けつけられる反応の速さと力、まず間違いない。


 「へぇ。これが」


 仁内はニタリと笑って朱飛を見た。

 そんな彼の様子に、灯乃はハッとする。


 “彼に命令を――”


 誰かが囁きかけたような気がした。灯乃はそれに揺り動かされるように大きく息を吸い、言い放つ。


 「仁内に命ずる“奴らを追い払え”」

 「御意」


 彼女の命令が言霊となり、仁内は颯爽と駆け出した。

 黒ずくめの男たちが対抗するようにまとまって襲いかかりにくるが、三日鷺の力を宿した彼にはもはや何の障害にもならない。

 ひと振りひと振りで、男たちが人の重さというものを全く感じさせないまま次々と吹き飛んでいく。

 それには灯乃や春明のような優美さはなかったが、野性的で力強く、見るものを圧倒した。


 それはまるで――

 「化物……」


 呆然と立ち尽くす雄二が呟いた。


 「よぉ朱飛、待たせたな」

 

 漆黒の奴らをすべて倒し終えて、仁内がニタリと笑った。狂い見開いたような眼を朱飛に向け、半月斧を担ぎ上げる。


 「この俺に舐めたマネしやがったこと、後悔させてやる!」


 仁内は意気揚々と地面を蹴り上げると、塀の上まで飛び上がり、着地と同時に彼女と攻撃を仕掛けた。

 それは素速い彼女の動きをも上回る速さ。

 朱飛は何とかギリギリでそれを避わしていくも、いくつか掠って出来た傷に顔が歪む。

 状況は一変して、明らかに不利。もはや彼女の中で、これ以上の戦闘は無意味と判断せざるを得ないものとなっていた。

 朱飛は煙玉を投げ、派手に煙を立ち上げる。


 「うわっ」


 仁内は突然のことにむせて咳き込み、視界を遮られた。

 その隙をつかれたのか、朱飛はおろか黒ずくめの奴らまでも次々と撤退し、煙が晴れて周りの景色が見渡せるようになった頃には、綺麗さっぱり一人残らず消え去られていた。

 仁内が地団駄を踏む。


 「くっそぉ! あのヤロー!」


 まんまと逃げられ、仁内はやりきれない気持ちで叫んだ。

 しかし一方で灯乃はホッと息をつく。


 ――終わった……


 何とか追い払うことができて安心したのか、気を張っていた肩がストンと下りる。

 だが、その肩を支える大きな手に気づいて、灯乃はギクリと顔を上げた。

 一難去ってまた一難。

 斗真の眼が雄二をしっかりと捕らえていた。


 ――しまった、忘れてた!!


 「灯乃、誰だそいつ。それに何なんだよ、今の。春明さんも関係しているのか?」


 灯乃がどうしようかと困っていると、雄二もまた斗真を見て眼を細めた。

 雄二の言葉に、斗真はすぐに勘が働いて嘆息する。


 ――灯乃の知り合いであろうとは思っていたが。

 春明――その名で、何となく察しがついた。


 「出てこい、春明」


 呆れと怒りが入り混じった様子で斗真が声を上げると、近くの物陰から春明がひょっこり顔を出し、罰が悪そうにゆっくりと近寄ってきた。

 彼も朱飛の襲撃を一歩遅れて気づきはしたものの、飛び出すタイミングを逃してとりあえず様子を見ていたのだ。

 というより、か弱さの欠片もなく戦う姿を雄二に見られたくなかったから隠れていたというのが一番の理由だったりもするが。


 「あっあの、これはね……その、灯乃ちゃんが勉強会の約束をしてたっていうから……」

 「だから何だ?」

 「うっ……ごめんなさい」


 斗真の睨みに、春明は縮こまって俯いた。

 そんな彼を尻目に斗真は再び雄二の方を向くと、厳しい口調で話し出す。


 「とにかく関係ない者は二度と来るな。迷惑だ」

 「なんだとっ!」


 雄二がムッとして拳を握り締めるが、斗真は気にとめることもしないで、灯乃を抱えたまま家の中へと歩く。


 「えっちょっちょっと!?」

 「お前は来い、灯乃。……話がある」

 「え?」

 「おい、待てよ」


 雄二が納得いかないと言わんばかりに斗真の足を止める。


 「灯乃だって関係ねぇだろ。そいつ、どうするつもりだ?」

 「それこそお前に関係ない」

 「てめぇ……っ!」


 斗真の発言になおさら不満を募らせ、雄二は彼に食い下がり、怒りを露にした。

 その様子に、斗真は側の春明に眼を向ける。


 「春明、命令だ。“そいつを追い出せ、二度とここへ近づけさせるな”」

 「……御意」

 「は?命令?」


 斗真が放つ命令に雄二が困惑していると、その彼の腕を春明が掴んだ。

 そして斗真が中へと入っていく間、春明に掴まれた手によって雄二はきつく抑え込まれた。

 鍛えている筈の雄二でも振り解けない強い力。びっくりして春明を見る。


 「春明、さん……?」

 「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」


 その後、結局雄二は追い出されて、春明に送られながら帰路につく。

 勉強も一切しないまま、ただ部外者呼ばわりされたことと灯乃がいないことへの苛々する気持ちを抱えて、彼は春明を睨んだ。


 「なんで止めたんだ? あいつ、そんなに偉いのかよ?」

 「……」

 「灯乃をどうするつもりだ? まさか何かに巻き込むつもりじゃねぇだろうな?」

 「……」


 雄二は立ち止まって、春明の両肩を抑えるように掴む。

 春明は無言のまま居た堪れない表情で外方を向くが、それを覗き込むように雄二は視線を向けた。


 「春明さん、アンタがなんであの野郎の言いなりになるのかは知らねぇ。けど、灯乃には何の関係もねぇだろ? だいたいあいつのおばさんは何て言ってんだよ?」

 「何も知らないわ。ご家族にはメールで友達の家に泊まるとしか」


  春明がそう呟くと、次の瞬間、雄二の表情が驚愕に歪んだ。というより、してはいけないことをしてしまったような、そんな絶句する顔。


 「……雄二くん?」

 「まさか、おばさんのこと何も知らないのか?」

 「え……?」


 彼の言葉の意味が理解できず、春明はそのまま立ち尽くした。


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