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三日鷺~ミカサギ~  作者: 帝 真
第1章 紅蓮の三日鷺
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紅蓮の三日鷺

挿絵(By みてみん)

 ――唯朝(ゆあさ) 灯乃(ひの)。ごく普通の高校生で、ごく普通の毎日を過ごす。

 特技として強いてあげるなら料理くらいで、目立ったことは特にない。そんな子だった。


 そんな彼女を変えたのは、一時の出来事。


 それは下校中に通った、ひと気のない道。

 ただ近道をしようと思って通った、ただそれだけの理由でそこにいた。他には誰もいない。


 灯乃ひとりの、夕陽が照らすオレンジ色の道で――彼は、突然現れた。


 「うーん……こんな感じかな?」


 彼と出会う数分前。カラスの鳴き声が穏やかに聞こえる夕焼け空の道を、灯乃は睨めっこするように数学のノートを眺めながら、一人で歩いていた。


 明日は土曜日で学校は休みだから、幼馴染みの雄二の家で一緒に勉強しようということになっているのだ。

 雄二は数学が大の苦手で、教えるのは決まって灯乃の方。だから前もってノートをまとめているのだが。


 「関数って、私も苦手なんだよね」


 課題の範囲を見て、灯乃はハァと溜息をついた。


 ーー家に帰ったら、もう一度見直そうかな。


 そう思うと、何となく急かされるみたいで帰る足が速くなる。

 なら、近道を通って帰ろうか。

 調子付くようにそう決めると、灯乃は軽く走るようにひと気のない細道へと入った。

 と、そんな時。


 「ん?」


 灯乃は前方から走ってくる男に気づく。

 何だかその彼の表情はただ慌てているというものではなく、どこか切迫した空気をもっていて、灯乃は首を傾げながらもつい見つめてしまう。

 歳は同じくらいだろうか、やたらと後ろを警戒しながら走っている。


 ーーどうしたんだろう?


 のんびりと灯乃がそんな事を思っていると、そのまま通り過ぎるだろうというところで、なぜか急に彼の足が止まった。


 「えっ」


 内心驚いて灯乃は小さく声をもらすと、次の瞬間、只ならぬ気配をこめた大きな風がドッと一吹きして、それを合図にしたかのように灯乃の周りを一瞬にして数人の男達が取り囲むように現れた。


 いや、灯乃を――というより側の彼をというべきだろう。


 男達は全身黒ずくめで、顔は覆面をし、ただ鋭い目だけを彼に向けていた。

 嫌というほど殺気をとばしてくる。

 灯乃は無意識に鳥肌を立たせ、呆然と固まっていると、回りの集団は側の彼へと話しかけた。


 「もう逃げ場はない。斗真(とうま)様、おとなしく“アレ”をお渡し下さい」


 そう言って差し出された手に、斗真と呼ばれた彼は奥歯をかみ締める。


 「断る」


 そう答えた彼の一言に、男達の目が更に鋭くなった。


 「えっ、あ……」


 そんな彼らのやりとりを、灯乃はすぐ側で動揺しながら見ていると、男達の目がこちらに気づいたようでジトリと向きを変えた。

 その瞬間目が合い、彼女はゾクッと怯えた身体を後退させようとするが、彼らの手元で薄らと光るナイフの刃が見えてくると、近くにいた斗真に突然腕を掴まれ、その背に隠された。


 「えっあのっ……!?」

 「ちっ、またか」

 「え……っ?」


 周囲で無数の刃が完全に現れ、斗真は眉を歪ませると、自身の脇に手を添える。

 彼も何かを持っているようだ。

 すると、周りの刃は何の躊躇いもなしに二人を狙って一斉にとんだ。


 「えっ!? ひゃっ!」


 突然のことで訳が分からず、灯乃は目をきつく閉じると、前方でキンっとナイフを弾く音がいくつかした。

 しかし同時に肉を裂く鈍い音もして、彼女は嫌な予感に震えながらも目を開く。

 するとやはり多勢に無勢だったのか、灯乃にはなかったものの、彼女をかばった斗真の身体には数個の傷がつけられていた。

 そんな彼の右手には、刃が折れた刀がしっかりと握られている。


 これが斗真の得物――今ので折られてしまったのだろうか?


 しかし地面にはそれらしいものはない。もともと折れている代物なのだ。


 「それが“三日鷺(みかさぎ)”か」


 男の一人が呟いた。

 狙いはこの折れた刀だったのか、黒ずくめの男達の意識がそれに集中する。

 すると斗真はぎゅっと刀を強く握りなおして、後ろの灯乃に口を開いた。


 「おまえ、名前は何だ?」

 「えっ?」

 「いいから答えろ!」


 男達が標的を定めて襲いかかってくる中、それを無理やり押し返しながら斗真は灯乃に声を張り上げる。

 労わる余裕もなくきつく掴まれた腕は痛みを増し、灯乃に激しい苦痛を与えた。

 それに耐えられなくなった彼女は、斗真に思い切り叫ぶ。


 「っ、ひっ灯乃! 唯朝灯乃!!」

 「灯乃か。悪く思うな」

 「え……っ?」


 名前を聞くなり斗真は低く囁くと、灯乃の胸に突然その折れた刃を突き刺した。


 ――刺された!?


 その衝撃的な出来事に、灯乃はおろか、周りの男達も動きをとめた。

 斗真の手が腕から離れ、灯乃は解放された身体をストンと地に座らせながら、放心状態で刺された胸に手をあてる。


 ーー刺された。けれど……痛く、ない……?


 あれ……?と、灯乃は次第に戻ってくる意識を困惑させながら、ペタペタと身体を触って確認する。

 痛みどことか、血も出ていないし傷すらなかった。

 制服にも破れた所はなく、本当に刺されたのかと疑ってしまうくらいに無傷だった。

 そんなおかしな状況に灯乃が慌てていると、辺りから呟きが聞こえる。


 「刺した、あの三日鷺で……!」


 男達の様子が変わった。

 強気な姿勢と打って変わり、灯乃を警戒する慎重な姿勢。

 するとその時、斗真が彼女へ言葉をつげた。


 「灯乃、命令だ。“――俺を護れ”」


 その言葉に灯乃は、急に何かに目覚めたように大きくハッとした。


 ーー鼓動が高鳴る。刺された部分が熱い。


 命令――その言葉が、灯乃に何故か酷く重く圧し掛かった。

 絶対厳守、逆らうことはできない。そう意思がつげている。

 もちろん、初対面の相手の命令なんて聞く必要はないし、ましてや普通の学生である彼女にその命令を遂行するだけの力もない。

 

 ーーそれなのに、身体がうずく。今なら出来る気がする。


 何の根拠もないのに、灯乃は妙に落ち着き払い、先程までの動揺を一気に吹き飛ばした。

 顔をあげた彼女の瞳に、敵の姿が映る。


 ――斗真を、主を護れ。それが今果たすべき使命。


 「御意」


 灯乃の口が勝手にそう応えた。

 灯乃が立ち上がると、それだけで男達は恐れるようにビクリと身体を震わす。

 彼女の目の色が変わり、今度は斗真の方が灯乃の背に立つ。


 三日鷺の力、なのだろうか。

 意識はあるのに、身体が宙に浮くみたいに軽くてフワフワしている。

 それに一方で、溢れ出てくる何かを感じる。


 身体がギュッと拳をつくり、深くそれをかみ締めると、その様子を伺っていた男達がついに飛び掛ってきた。

 先手を取ろうと、素早く動く。

 けれど灯乃が動じることはなかった。

 丸腰で何の武器ももたない彼女だったが、彼らより速く身体を動かすと、首の付け根を狙い、次々と一撃で仕留めていく。

 男達の動きが、何故か手に取るように分かる。


 遅い――次に何を仕掛けてくるか、完全に見えてしまっている。

 前から、左右から、飛ぶように上から。

 けれど灯乃にとっては、どこから狙われても同じだった。

 まるで時代劇の戦闘シーンのように、男達が簡単に攻撃を受け倒れていく。

 今の彼女に敵う者などいなかった。


 これほどまでの強さなんて、今まで持ち合わせていなかったのに。

 自分の身体じゃないような、まるで見えない何かに操られているような。

 身体が勝手に相手を見極め動く。


 ーー意識は、確かにあるのに。


 そんな灯乃の圧倒的さを目の当たりにして、とうとう無駄だと判断したのか、男の一人が渋々と手を挙げ仲間に合図をおくった。

 撤退の合図だった。

 倒れた仲間を引きずるようにして、あっという間に去っていく。

 するとその後は何事もなかったように、日常の穏やかな空気がゆったりと流れ込んできた。

 灯乃の身体は、終わったことを告げるように息を吐き、そっと斗真の方を振りむく。

 そしてどういう訳か、彼の前で突然跪いた。

 まさに主人と家来のような絵。


 ーーあ、あれ? おかしいな。


 ぼんやりと、どこか傍観者のような気分で灯乃は、今自分がしている行為を見る。


 ーー私はなんで彼に跪いてるんだろう?


 そうは思うが、これ以上はどうにも頭が働かなくて、考えようにも考えられない。

 催眠術にかかっているとしたら、こんな感じなのだろうか?

 呑気にもそういう思考だけが動いていると、そこへ斗真の言葉が降ってきた。


 「もういい。命令解除だ、灯乃」


 するとそれを聞いた途端、何かがスゥーっと抜けていき、朧気だった灯乃の感覚がみるみるうちにはっきりしてくる。

 だが。


 「ぅ……!」


 なぜかその瞬間、急に激しいめまいが襲って、灯乃は前にぐらつき倒れた。

 それを斗真が支えるも、彼女はそのまま瞼を閉じて気を失う。


 「……やはり三日鷺の動きに、耐えられなかったか」


 ぐったりとする灯乃を眺めながら、斗真は小さく独り言を呟くと、そっとその身を抱き上げ、どこかへ歩いていった。


 ――灯乃の普通は、この時終わった。

 これから先、彼女は普通のようで普通でない日常をおくる事になる。


 *


 「ん……」


 目が覚めると、灯乃は見知らぬ暗い部屋にいた。

 そこは座敷で、襖の向こうから僅かに月の光がもれている。もう夜だった。

 彼女は床の間の中心に敷かれた布団の中で眠らされていて、ぼんやりと寝起きの瞼を瞬きさせる。


 「どこだろ、ここ……あっ!!」


 灯乃は徐々に先程までの事を思い出し、慌てて飛び起きた。

 がその瞬間、身体中に痛みが走る。

 どうやら筋肉痛になっていた様で、灯乃は仕方なくゆっくりと布団に転がった。

 いきなり動かしたせいで、特に腰が痛い。

 まるでぎっくり腰にでもなったみたいに、灯乃はピクピクしながら声も出せず涙目になっていると、そんな時に側の襖がそっと開かれた。

 静かでありながら躊躇なく開かれたそれは、灯乃に直接月の光を与える。


 「目が覚めたか」


 斗真だった。

 月を背にしているせいで表情はよく分からないが、彼は開けた襖に手をかけたまま、灯乃を見下ろしている。


 「あ……あなたはさっきの……」

 「……なんて格好をしてるんだ、お前」

 「え?」


 先程より若干低くなった彼の声音を聞いて、ピシャリと灯乃の動きが止まった。


 「えぇっと…これは…」


 腰を突き出している体勢に気付いて、灯乃は何とか座る体勢まで戻そうと慌てるが、筋肉痛のせいでなかなか動けない。

 そんなたった一つの動作にかなりの時間を要する灯乃を見て、斗真は情けないと溜息をついた。

 

 「あれ位の動きでこうなるとは……運動不足だな、そのうち太るぞ」

 「え゛!!」


 まさか今日初めて会った男にそんな事を言われるなんて思いもよらず、灯乃はまるで石化するように身体を硬直させた。


 *


 「あの……それでここはどこなの? あなたは?」


 暫くしてようやくちゃんと座り直せた灯乃は、気を取り直して斗真に訊ねる。

 見上げてくる彼女に斗真は口を開こうとするが、そんな時、彼が答えるより先に別の声が返ってきた。


 「名前は緋鷺(ひさぎ)斗真。ここはあたしの別宅よ」


 見ると、一人の女の子が襖からひょいっと顔を出して、斗真の隣で明るい笑みを浮かべている。


 「ちなみにあたしは山城春明(やましろ はるめ)。宜しくね、灯乃ちゃん」


 春明は少し大人びた容姿で、けれど屈託のない表情をこちらに向けて愛想よくする。

 そんな彼女を見て、灯乃はポカンと目を丸くした。


 「きれい……」


 率直に美人だと思って、挨拶より本音がつい灯乃の口から出る。

 けれどそれを聞いた斗真はなぜか眉を歪め、春明は嬉しそうにクスッと笑った。


 「春明、状況は?」

 「今は心配ないわ。追手もないみたいだし」

 「そうか」

 「追手って、さっきの?」


 灯乃は思い出して訊ねると、春明が苦笑しながら頷く。


 「灯乃ちゃんも大変だったわね。斗真くんにアレで刺されたんだって?」

 「アレ?」

 「妙刀・三日鷺のことだ」


 斗真はそう言うと、そっとあの折れた刀をとり出す。


 ーーそういえば、あれに刺されたんだっけ。

 でも怪我もなければ痛みさえなかったけど。


 何だか嘘だったように感じて、灯乃にはあまり実感がわかない。


 「私、本当に刺されたの?」

 「これには、本来刀がもつ殺傷力はないからな」


 灯乃の困惑する表情から考えを察して、斗真は更に話を続けた。


 「この三日鷺の能力は、斬った者の言動を支配することだ。簡単にいえば、これで斬ればその人間を思い通りに出来る」

 「え!?」

 「言い方は悪いが、そういう事だ。」


 その話を聞いた途端、灯乃の身体からサーッと血の気がひいた。


 「まっまさかそんな事……」

 「あら、信じない? それじゃあ斗真くんに命令された時、何ともなかったのかしら?」


 ーー命令された時……


 春明の質問に、灯乃はグッと言葉を詰まらせた。

 何ともなかった事はない。

 身体が勝手に動いて、自分では出来ない立ち回りを当たり前のようにしてみせた。

 思い当たる事があり過ぎて、灯乃は認めざるを得ない。

 あれが三日鷺の力というなら――


 「じゃあ私は本当に…」

 「そ。刺されて、斗真くんの思いのま・ま♪」


 楽しそうに弾ませる春明の一言にトドメをさされ、灯乃はフラッと額に手をあて絶句した。

 

 ーー高校生にして、早くも人生の終わりを見た気がする。


 心の中でそう嘆いていると、斗真が反論するように口を挟む。


 「安心しろ。あの時はやむを得ず刺したが、だからといってお前をどうこうするつもりはない」

 「え?」

 「命令さえしなければ、お前は今までと変わらない。“俺達に関する全てを忘れろ”という命令だけかけ終えれば、後は好きにしていい」


 意外にもあっさりとした斗真の回答に、灯乃は軽く拍子抜けしてポカンと彼を見上げた。

 確かに命令されていない今に変わりはないが、命令されればそれは一変する。

 

 思い通りに動かせるのなら、すぐには手放さず、色々と利用しそうなものだが。

 

 春明もそう思ったのか、僅かに目を見開く。


 「あら、帰しちゃうの? せっかくカワイイ子GETできたのに、もったいないわね」

 「あれ位で動けなくなる奴に興味はない」

 「な゛!?」


 半ばグサッとくる台詞をさらりと吐く斗真に、灯乃は頬を膨らませてムッとした。

 

 ーーそりゃあ身体鍛えてないし、春明さんみたいに美人じゃないけどっ! 言い方ってもんがあるでしょ!!


 灯乃はそんな感情をむき出しにして斗真を睨み付けるが、彼は悪びれた様子もなく、涼しげな顔を決め込む。

 その態度に、更に灯乃は憤慨するが、その間に春明が割って入り、口を開いた。


 「とりあえず今日はもう遅いから、続きは明日にしましょ。灯乃ちゃんも今夜は泊まってって。ご家族にはちゃんとメールしといてあげたから♪」

 「え?」


 春明がニコッとしてそう言うと、灯乃には見覚えのある携帯電話と見覚えのある鞄がサッと彼女の手元に現れた。灯乃がギョッと驚く。


 「それ、私のっ!?」

 「明日が土曜で良かったわね。お泊りOKだって」

 「はっ春明さんっ!」


 返せとばかりに灯乃は慌てて右手を突き出すが、その瞬間身体がグキッと軋み、ゆっくりと伸ばした手が降下していく。

 そんな様子に春明はクスクス笑いながらも、荷物を彼女に返してやる。


 「そんなに焦らなくても、他には何もしてないわよ?」

 「されてたら困るんだけど」


 そう言って携帯を握り、鞄を抱き締める灯乃。

 春明は苦笑しながらも両手を合わせた。


 「ごめんごめん。女の子同士なんだから、許してよ。ね?」


 素直に謝ってくる彼女に、灯乃がもう、と口を尖らせて呟いていると、そんな時側から聞き捨てならない一言がはっきりと聞こえた。


 「お前――“男”だろ」

 「……え?」


 一瞬、聞き間違えかと思う単語を斗真の口から聞いて、灯乃の思考は止まった。

 だが次の瞬間、春明の悲鳴にも似た雄叫びが、彼女の思考をハッと呼び覚まし、更に心に深く亀裂を走らせる事になる。

 

 「あたしの心は、女だろうがぁぁぁっ!」


 この怒りがまじる低い声のせいで、灯乃の中の何かがポキンと折れた。


 *


 時刻は午後10時を過ぎ、灯乃はあちこち軋む身体を引きずりながら遅い夕食と風呂を貰った。

 色々と動き回って分かった事だが、この家はやたらと広い。

 たくさんの畳の部屋に長い廊下、走り回れる程の大きな庭。

 別宅と言っていたが、まるで旧家の由緒ある人達が住みそうな、そんな品を感じる大きな家だった。

 けれども使用人の姿はなく、どうやら斗真と春明の二人で住んでいるようだった。

 こんな大層な家に二人だけなんてちょっと寂しいなぁなどと、灯乃が風呂上りに春明から借りたピンクのパジャマを着て、廊下を歩いていると。


 「あ」


 その先で斗真の姿を見つけた。

 彼は柱に寄り掛かるようにして縁側に座り、夜空を見上げている。

 ひっそりと流れ込む夜風で彼の髪が揺れ、横顔が月に照らし出されて灯乃の目に映った。

 整った顔立ちに長い睫毛。さらさらの髪に、共に揺れるシャツの襟から見え隠れするスッとした首筋。

 こうしてじっくり見ると、斗真も美形の部類に入ると灯乃は思った。

 そして月光が更に色っぽく見せるのか、灯乃がボーっと見入ってしまっていると、そんな彼の視線がこちらを向き、ドキッとした。


 「なんだ?」

 「えっ、べっ別に……」


 まさか見とれていたとは言えず、灯乃は恥ずかしさで紅潮した顔を背ける。

 だが斗真は特に気にする様子もなく、再び視線を夜空に返した。

 何をする訳でもなく、ただぼんやりと見上げられた瞳。


 「眠れないの?」


 何となくこのまま素通りする気になれなくて、灯乃は斗真に近寄った。

 傍には三日鷺が置かれている。


 「よっぽど大事なのね、その刀。ずっと持ってるの?」

 「お前には関係ない」


 ーーむ。


 即答で返ってきた言葉。

 面倒臭そうに吐かれ、目も向けない。


 ーー確かに関係ないけど、ホント可愛くない。


 「言いたくなくても、ちょっとは言葉選びなさいよ。せっかく訳ありなら協力してあげてもいいかなって思ったのに」

 「必要ない。体力ゼロのお前なんて戦力外だ」


 次々と突き刺さる言葉のトゲに、灯乃はカチンときて拳を震わす。

 だったら一発殴って、体力があることを証明してやろうか。

 とも思ったが。


 「余計な事に首をつっこむな、自滅するだけだぞ」

 「え?」


 まるで独り言のように、また自分にも言い聞かせるように呟く斗真に、灯乃は少し驚いて顔を向けた。


 「そうなった人がいるの?」

 「……」

 「いるんだ。言ってすっきりしちゃえば? どうせ今の私はあなたの言いなりなんだし、明日には全部忘れるんだから」


 灯乃はそう言って返事を促すが、斗真は答えない。

 よほど意味深なのか信用がないのか、灯乃は少し待つもハァと嘆息して諦めようとすると。


 「……双子の姉だ」


 ようやく小さな声がぽつりと返ってきた。

 斗真が口を開く。


 「俺のせいで、この刀で斬られた。助けなきゃいけないんだ俺は、この刀で」

 「三日鷺で?」

 「これの力を解く術なんて知らない。だから俺はこれであいつを斬って、俺の三日鷺に変える。それしか……」

 「待って」


 灯乃が斗真の話を遮って訊ねる。


 「だったら、お姉さんが自分で斬ったらいいんじゃないの?」

 「斬られた者にこれは触れない」

 「え?」

 「触れた瞬間、燃えるように熱くなる。春明もそうだった」

 「春明さんが?」

 「今は俺の三日鷺だ。あいつも俺が巻き込んでしまった」


 斗真はそう言うと、悲しそうに悔しそうに俯いた。

 まさか春明も斬られていたとは知らなかったが、それよりも。

 彼の姿を見て灯乃は思った。


 ――斗真は、優しいと。


 本当は誰も巻き込みたくないのに、状況が彼を追い込んでそうさせる。

 だから護る以外に命令はしないし、必要以上に関わらせないよう遠ざける言葉をはく。

 斗真のことが少し分かった気がして、灯乃は嬉しそうに彼の頭をなでた。


 「……何の真似だ?」

 「よしよし」

 「おい」

 「それと、ありがとう」

 「え?」


 突然礼を言われて、斗真は目を丸めた。


 「まだ言ってなかったでしょ? 今日のお礼」


 あの時の斗真は、自身を護らせる為じゃなくて、灯乃を助ける為に三日鷺を使った。

 今ならそう断言できると灯乃は思った。


 「だからありがとう。えっと、斗真くん」

 「……斗真でいい、灯乃」


 斗真はそっと囁くと、先程とは変わって少し戸惑うような、けれども優しい笑みを灯乃に浮かべた。


 「まさか三日鷺にした奴から礼を言われるとは思わなかった」

 「斗真……」


 どこか嬉しそうな、安堵したような笑み。

 穏やかな空気が二人の間に流れ、わだかまりが少し溶けたように思えた。

 が、それも今夜までのことで、明日になれば全て忘れる。

 その事を灯乃は心の片隅でどこか寂しく思っていた。

 とその時。


 「斗真くん!灯乃ちゃん!」


 春明の叫ぶ声が慌しく走ってくる音と共に聞こえた。

 そして次の瞬間、庭一帯に黒い影が多く現れ、中から一人の若い男が斗真に向けて言葉を放った。


 「よう、斗真。遊びに来てやったぜ」

 「仁内(じんない)……!?」


 どうやら顔見知りなのか、斗真は彼を見て舌打ちをする。

 仁内と呼ばれた彼は半月斧(バルディッシュ)を肩に担ぎ上げ、背後に黒ずくめの集団を従え、斗真にニタリと不快な笑みを見せた。

 恐らく帰りと襲った連中の仲間なのだろう。

 だとすれば、狙いは斗真が持つ三日鷺。

 灯乃は緊張で身体を強張らせると、ギュッとパジャマの裾を握り緊めた。

 そんな彼女の前に、斗真と春明は立つ。


 「仁内、三日鷺は渡さないと言った筈だが?」

 「てめぇの了解なんかいらねぇよ。欲しいもんは奪い取る、当然だろ?」


 仁内は、今更と言わんばかりに戦斧を振りかざし、斗真に向ける。

 すると黒ずくめの男達は周りに散らばって、3人を囲むようにしながらジリジリと近寄ってきた。


 「春明」


 斗真が春明に目配せすると、言葉を放つ。


 「“命令だ、――奴らをなぎ払え!”」

 「御意」


 その言葉に春明は敵を睨み上げると、すぐさま構えた薙刀を振るい上げた。

 それは彼が三日鷺に変わった瞬間。

 その姿は速く、力強く。

 斗真の言葉通り、次々と男達をなぎ払っていく。


 「すごい……」


 灯乃は思わず呟いた。

 春明の力は圧倒的で、敵に攻撃させる間すら与えていない。

 扱うエモノが薙刀であるなら尚更のこと、彼の間合いは広く、近付くだけで即座にその刃の餌食となっていた。

 だが、しかし。


 「まずい」

 「え?」


 戦う様子を見ながら、斗真がなぜか苦い表情を浮かべた。

 一体どういう事なのかと、灯乃も彼の目が向いている方へ向くと。


 「春明さん……!」


 戦い続ける春明の左足から赤く滲み出てくるものが見えた。


 ーーもしかして、怪我してる……!?


 彼の動きが徐々にその足を庇うように鈍くなっていく。

 そういえば斗真と出会った時、春明はいなかった。

 そんな事を灯乃は考えていると、戦いの中からゆっくりと仁内がこちらへ動き出すのが見えた。


 「高みの見物か? 来いよ斗真、俺と殺ろうぜ」


 殺気を孕ませ、仁内は嫌な笑みを浮かべる。

 僅かに差し込んだ月明かりが、不気味に彼のつり上がる目を光らせた。


 「灯乃、お前は中に隠れてろ。出てくるなよ」

 「えっ?」


 すると斗真はそんな彼を睨み返しながら、後ろに隠した灯乃に呟く。


 「お前には命令しない。あいつに目をつけられたら、帰してやれなくなるからな」


 斗真はそう言うと、仁内へと一歩踏み出した。

 三日鷺の柄を握り締める手に力がこもる。

 けれどそんな彼のシャツを掴み、灯乃は引き止める。


 「待って、危ないよ。私だって協力したい、ただ隠れてるなんて出来ないよ」

 「灯乃……」


 必死に何かを繋ぎとめようとする灯乃に、当惑する斗真。

 すると、そんなまごつく二人を見て、仁内の眉間にシワが寄った。


 「何だ、その女は」


 仁内の目が灯乃を疎ましく見ると、それに気づいた斗真が彼に向き直る。

 とその瞬間、仁内の背後から春明が攻撃を仕掛けるのが見えた。

 一瞬の殺気で仁内が振り返る。


 「やめろ、春明! 逃げろっ!」


 斗真が咄嗟に声を張り上げるが、“命令”ではないからか、春明は構うことなく仁内に薙刀を振りかざす。

 だがその刃は、いとも簡単に戦斧でとめられ、弾き返された。


 「おいおい、これが三日鷺の力なのかぁ? たいした事ねぇじゃねぇか」


 仁内が呆れるように言うと、嘲笑うかのように半月斧を春明へ振り下ろす。

 春明もそれを避わすが、足の傷が痛むのか、それからの攻撃に対して防戦一方になっていた。

 戦いを知らない者の目からでもよく分かる。

 春明が完全に、仁内に押されている。

 それを表すように、滲む赤が更に広がっていく。


 ーーこのままじゃ彼は……


 灯乃がそう思ったその時、傍の気配が突然消えた。

 斗真が仁内に向かって走っていく。


 「斗真っ!」

 「春明。“命令だ――仁内には手を出すな!”」


 彼はそう叫ぶと同時に、三日鷺で仁内の攻撃を押さえる。

 すると春明が小さく“御意”と告げて他の男達を相手に駆け、仁内は嬉しそうにニタついた。


 「やっと来たか、斗真。歯ごたえのある奴は、せいぜいてめぇくらいだ」


 仁内はそう言うと跳び退き、斗真から間合いをとって半月斧を構える。

 斗真もそんな彼に三日鷺を構えるが、その様子を見た瞬間、仁内は不満げな顔を浮かべた。


 「おい、まさかそのまがい物で殺り合う気か?」


 その言葉を聞いて、灯乃はハッとした。

 いくら三日鷺といえど、所詮は折れた刀。

 そんなものであの戦斧を振り回す仁内に勝てるのだろうか?


 「斗真……」


 灯乃の胸に不安がよぎった。

 そしてそれは的中するように、仁内はどんどん斗真を追い詰めていく。


 「おらっどうした? てめぇの力は、こんなもんじゃねぇだろうがっ! だいたいてめぇの“エモノ”はどうした!」


 有利な戦いをしているというのに、仁内は機嫌が悪そうに言葉をはく。

 まるで期待外れと言わんばかりに、ただ怒りを斗真にぶちまけているようだった。

 そして斗真は、それを受け止めるので精一杯。


 「やっぱり、あんな刀じゃ無理だよ斗真……」


 彼がどれ程の強さを持っているか分からないが、武器に差がありすぎる。

 灯乃はグッと拳を握り、二人の戦いを睨んだ。


 ーー命令さえ……斗真が命令さえしてくれたら、私だって……


 そうは思うが、すぐに彼の先程の言葉が脳裏を掠める。


 “お前には命令しない”


 斗真の優しさが、今は苛立って仕様がなかった。


 「斗真の馬鹿。こんな時だけ私に気を遣うなんて……っ」


 何も出来ず悔しく思うが、その呟きも独り言にしかならず、灯乃は虚しさを覚えた。

 と、その時。


 ――カキンッ!


 金属音がして、その光景を見た灯乃は目を見開いた。

 斗真が握っていた三日鷺が、ついに仁内の半月斧によって弾かれ、宙を舞ったのだ。


 「斗真!」

 「くっ……」


 右手を庇い斗真が見上げる先に、半月の刃が光った。

 三日鷺はくるくると弧を描き、やがて地面に突き刺さる。


 「つまらん。もう終わりか」

 「三日鷺が……っ!」


 斗真の焦った声で、灯乃は彼から三日鷺に目を向けた。

 幸いにも刀は灯乃の近くに落ち、彼女は慌てて取りに行く。だが、


 「灯乃!? 待て、お前には……!」


 斗真が叫ぶと同時に灯乃が刀を掴んだ瞬間、触れた手に急激な熱が宿った。


 「あつっ……!」


 灯乃は熱さと痛さで、反射的に手を離す。

 ほんの一瞬しか握っていなかったにも関わらず、掌を見れば火傷で赤く腫れている。

 そういえば斗真が言っていた――三日鷺に斬られた者は、三日鷺に触れられない、と。

 今になって思い出し、灯乃は痛みをかみ締めた。

 するとその間にも、斗真の手から離れた三日鷺を狙って、彼女の周りを男達がぞろぞろと集まり出す。


 「灯乃!」

 「おっと斗真、俺に背ぇ向けていいのか?」


 斗真が灯乃の方に意識を向けていると、その隙を見て仁内が半月斧を振り落としてきた。

 間一髪で斗真はそれをかわすが、刀を失い、丸腰になった身では防御することしかできない。


 「ちっ」


 春明が囲まれている灯乃のもとへ走り、何とか彼女を背に庇いながら黒ずくめの男達を弾き飛ばしていくが、足が思うように動かなくなってきているのか、なかなか数が減らない。

 そればかりか体力も落ちてきて、薙刀で攻撃を受け止めることも多くなってきていた。


 ーーいったいどうすれば……


 戦う二人を見て、灯乃は何度も何度もその言葉を頭の中で繰り返す。


 ーーいっそのこと、奴らの狙いである三日鷺を渡してしまおうか。そうすれば奴らも見逃してくれるかもしれないし。


 そんな考えが彼女に汗を滲ませる。

 けれど、その考えは決して口には出てこなかった。

 灯乃の中で、別に支配する言葉がある。


 “助けなきゃいけないんだ俺は、この刀で”


 それは、強い覚悟と決心をこめた斗真の言葉。

 彼が主となったからか、はたまた別の理由なのか、その意思に背く事が灯乃にはどうしてもできなかった。


 ーー三日鷺を奴らに渡しちゃいけない。これは斗真が持たなければ!


 いつの間にか、その意思だけが灯乃の心に残っていた。

 ドクドクと鼓動が高鳴る。まるで何かが彼女に求めているようだった。動け、と。


 ――私は弱い。けれど二人が戦っている以上、今動けるのは私しかいない。私が何とかしなくちゃ!


 灯乃は何かに揺り動かされるまま火傷した手を強く握り締め、痛みで泣いてしまいそうになりながらも、ギッと傍に転がる三日鷺を睨んだ。

 そして次の瞬間、思い切ってそれを掴む。


 「ひゃあああっ!!!」


 急激な熱が灯乃の手を焼き、その激痛に灯乃は大きな悲鳴をあげた。

 皆の視線が彼女に集中し、けれど灯乃はしっかりと意識を保ちながら、絶対に離すまいと更に力をこめる。


 ーー何とかしてこれを斗真に届ける! それが出来なければ、せめて誰かを斬って三日鷺に……!


 無謀すぎる考えだが、それしか灯乃には術が見つからなかった。

 彼女は焼ける痛みに耐えながらも、その刀を振りあげようとする。

 だが。


 「うっ動かない……っ!?」


 まるで岩のように重くビクともしない。

 これも自分で自分が斬れない理由の一つなのか、灯乃の力では誰かを斬るどころか、三日鷺を持ち上げることすら出来なかった。


 ーーどうして……!?


 灯乃は必死で持てる力すべてをこめるがかなわず、それどころか刀の熱がどんどん彼女の身体を焼いていく。


 ーー熱い……痛い……苦しい……


 すぐに離さなければ、全身を焼き尽くされてしまいそうだった。

 腕から先は発赤し、汗が大量に出る。けれど彼女は、絶対に離そうとはしなかった。


 ーー悔しい……こんな事にもたついてる場合じゃないのに。


 春明が男達をおさえてくれている間に、なんとか三日鷺を持ち上げなくてはいけないのに、それが灯乃には出来ない。

 あまりの不甲斐なさに、涙まで出そうになる。


 「灯乃! 手を離せ!!」


 仁内の攻撃を避けながらなのか、斗真の叫ぶ声がする。


 ーー斗真……でも、私は……


 まるで手が焼け消えているのではないかと思うくらい、いつしか握っているという感覚が彼女にはなくなっているように思えた。

 頭も熱さでやられたのかクラクラとし、意識まで朦朧とし始めている。

 それでも灯乃は、奪われまいと最後の力を振り絞って、三日鷺を覆うように強く抱きしめた。


 ーー斗真、私だって力になりたいよ。だからお願い、私にも護らせて。斗真の大事なものを。


 熱が一気に彼女の全身を伝って広がる。

 すると次の瞬間、本当に身体を焼こうとするかのように、大きな炎が灯乃から燃え上がった。


 「なにっ!?」

 「灯乃っ!!」


 そのあまりにも突然の衝撃に、周りの者は皆、大きく目を見開く。

 それほどまでに巨大で眩しい炎――あれでは灯乃は……


 「な……んで……」


 斗真は呆然と硬直した。

 しかし一方で灯乃は、その炎の中で一つの声を聞いた。

 透き通るような、けれどしっかりとした強い声。


 “見つけた……我と意を同じくする者”


 灯乃のおぼろげな意識の中で、一羽の鳥が舞い降りた。

 紅の焔をその身に宿し、鋭く光る翡翠の双眸が彼女をじっと見つめる。


 “そなた、力が欲しいか? 力を手にし、主を護りたいか?”


 ――主? 斗真のこと……?


 “主は我を制し、我の力を抑え、我を安寧に導く者。我は我であり続けるが故に、主を必要とし護る。そなたは主を護りたいか? それ故、我が剣を護ったか?”


 美しい紅の鳥が、灯乃に問いかけた。

 三日鷺は斗真が必要としてるもの、だから護った。

 灯乃はその迷いのない意志を伝えるように、紅鳥に強い眼差しを向ける。

 すると紅鳥は赤い火花を散らし、羽ばたいた。


 “そなたの意、確かに。我はそなたを刃とし、そなたに我が焔を――”


 灯乃の身体を燃やしていた炎が一瞬にして消え、皆の目に彼女の姿が戻った。

 しかし、それは彼女であって彼女ではない姿。

 髪は先程の炎のように紅く伸び、服は黒紅の忍装束のような着物を纏っている。火傷は一つもない。

 そして何より、三日鷺の熱が解き放たれたのか、熱さを全く感じていないようで刀を平然と彼女は握っていた。


 「灯、乃……?」


 その姿に斗真をはじめ、仁内もその他の男達も驚きを隠せず見入る。

 するとそんな灯乃から斗真のもとへ紅い光が一筋流れ、途端に彼の前で何か細長い物が輝き現れた。


 「これは……!」


 真紅の鞘――恐らく、今までなかった三日鷺の鞘。


 「なぜ……俺のもとに……?」

 「主」


 突如現れた鞘に斗真が戸惑っていると、そこへ同じ色の髪をした灯乃が舞い降りるように現れた。

 ――まるで紅い鳥のように。


 「灯乃、お前は……」


 斗真が彼女へ言葉を紡ごうとすると、その時、


 「てめぇ! 何者だっ!!」


 仁内が灯乃を狙って、思い切り戦斧を振り落としてきた。

 しかしそれに素早く気づいた灯乃は、斗真を護るように前へ立つと、三日鷺を構え、落ちてくるその半月の刃を受け止める。

 するとどういう訳か、三日鷺が火を噴き、折れていた刃が焔の刃へと変わり、簡単に重い仁内の戦斧を振り払った。


 「な、に……!?」


 仁内が驚くまま、払われた反動で後ろへ退く。

 灯乃は斗真を背にしたまま姿勢を低くすると、仁内に再び刀を構え斗真に口を開いた。


 「主、我に命令を」

 「お前はいったい……」


 斗真は状況が飲み込めず、ただ立ち尽くして彼女を見る。

 するとそんな彼へ、一つの顔が向けられた。

 優しく笑う、灯乃の顔。


 「斗真、私は大丈夫。だから、お願い」

 「灯乃……?」

 「お願い」


 斗真はその笑顔の奥に秘められた意志を感じ取ってか、紅の鞘を強く握り緊める。


 ――その姿ではもう無関係とは言えない、引き返せない。ならば……


 「お前の名は?」

 「紅蓮の三日鷺――“灯乃”」


 彼女は仁内へと視線を向け直し、その焔の刃を紅く燃え立たせた。

 その輝きに、仁内は面白いとばかりにニヤリと笑って半月斧を構える。


 「いいぜ。来いよ、紅蓮の三日鷺!」

 「灯乃、命令だ」


 斗真が彼女の真名を以て、命令の言霊を告げた。


 「“――仁内を斬れ”」

 「御意」


 発せられた言葉を受け、灯乃は駆け出す。

 それを待ち構えていた仁内が嬉しそうに大きく開眼し、全力で戦斧を叩き落としてきた。

 その威力は凄まじく、地面に大きく亀裂を走らせるが、灯乃は難なくそれを避わすと、顔色ひとつ変えることなくガラ空きの背を狙って刀を振るった。

 しかし仁内もそれを見越していたのか、すぐさま気配を察知して己の武器を引き戻す。


 互いの力量は互角。……そう思っていたが。


 「なにっ!?」


 仁内の視界から灯乃の身体がスッと消え、かと思えば真逆の方向から彼女の刃が振り落とされた。

 仁内は驚愕すると共に必死でそれを受け止めるが、受け止めた刃は重く、更にそれから焔が膨れ上がり、仁内は持てる力を総動員して慌ててそれを振り払った。

 彼は予想外のことに呼吸を乱し、ぜぇぜぇと息と吐く。

 だが灯乃は軽やかに着地すると、冷静で涼しげな表情のまま再び仁内へと走った。


 その姿は、まるで風を操るように。

 その姿は、まるで焔を纏うように。

 ――これが紅蓮の三日鷺。


 「何なんだ、てめぇは……っ!」


 まっすぐ突き進んでくる焔の鷺に、途端に気持ちが不安定になって仁内は臆する。

 不思議な程に魅入る紅の美しさと、それにそぐわない恐怖にも似た威圧感。


 「こっこのヤロぉっ!!」


 仁内はがむしゃらに戦斧を振り回すが、灯乃にあたるどころか掠ることもなく、ついに彼の中心を燃え滾る刃が斬り抜けた。

 仁内は力を奪われたように、ガタンと半月斧を落とす。


 「なっ……あ……」

 「貴様の真名、確かに」


 灯乃が小さく言葉を吐くと、三日鷺の焔の中から仁内の名前が浮かび上がった。

 それは三日鷺によって彼が斬られた証、彼が三日鷺に縛られることの証。


 「紅蓮の三日鷺の名において命ずる。“仁内――これより我が配下に下り、その身を我が主を護る盾とせよ”」


 その瞬間、言霊が彼を制圧するように全てに響き渡った。

 まるで足かせを嵌められたような重い拘束。


 「くっ……御、意」


 強制的に出た返事が、仁内を屈辱に歪め、膝をつかせた。

 それを見た黒ずくめの男達は、すぐに見切りをつけ三日鷺を諦めると、彼を置いて次から次へと闇の向こうに消え去っていった。

 それは迅速かつ、あっという間の出来事。

 ようやく焔の勢いがおさまり、本来の夜の静寂が訪れた時だった。


 「灯乃」


 そんな時、ふと斗真が声をかけ、灯乃は振り返る。

 現れた彼女の表情は、終わったという安心感と役に立てたという喜びを満たした笑み。


 「なんて顔してるんだ、お前は」


 ーーもう帰れないかもしれないんだぞ?


 斗真はその言葉を飲み込んで、ただ苦笑する事しかできなかった。

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