気持ち・3
「――で、お前はどうしてそんなに機嫌が悪いんだよ?」
部屋までの道のりを歩きながら、雄二は背後からゾワリと感じる気配に汗を流した。
静かに彼の後をついてくる朱飛だったが、その双眸には殺意の闇が潜み、決して穏やかではない。
「いつも通りですが、何か?」
「嘘つけ。今にも刺されそうで怖ぇぞ」
声のトーンも若干低いように思う。
雄二はやれやれと頭をかいた。
「春明さんには荷物持たせなかっただろ? お前さ、春明さんのこととなると目の色が変わってないか?」
「あのお方は分家とはいえ、緋鷺家のお方。御身を案じるのは当たり前のことですが」
「いや、そうじゃなくて。何つうか、春明さんは特別っつうか……」
雄二は今までにも彼女から感じていたことを口に出した。
どうも朱飛には、春明を特別視している節があるように思う。
確かに身分が関係しているのかもしれないが、斗真や仁内には感じられないものがある。
それに朱飛は、絶対的に忠実な緋鷺家の従者という訳ではない。
何より三日鷺を最優先として動く者達の一人なのだ。
それが目の色を変えてまで身を案じるというのは、何か特別な感情があるものだと雄二は思った。
が朱飛は、そんな彼に目を細める。
「……ありません。あったとしても、あなたにそれを言う必要がありますか?」
「え、いやまぁ、ねぇけど……」
一層鋭さを増す彼女の目に、雄二は口篭った。
朱飛の心情など彼には関係ないが、何となく知りたかった思いもあった。
しかしここまできっぱりと拒まれると、再挑戦してまで訊く勇気はない。
「そんなことより、例の6人の女子生徒はどうなったのです? きちんと処理できたのですか?」
「うっ」
そんな時、朱飛が話を切り替え、その上で雄二には触れられたくないものだったのか、彼の顔が苦く歪んだ。
「お前もそれを訊くのか?」
「当然です。万一不備があれば、迷惑を被るのはこちらなのですから」
「それは、まぁ確かに……」
何かあれば立場的に直接対応を命じられる可能性がある朱飛は、春明と同じように曖昧で終わる訳にはいかない。
彼女からの追求は免れないと思った雄二はどうしようかと困っていると、そんな時、自室の隣の部屋から斗真が出てくるのが見え、互いに目が合った。
「帰ったか。――灯乃は?」
「仁内様につき、お荷物をお運びしていらっしゃいます」
斗真の問いかけに朱飛は頭を低くしながら答えると、雄二は不愉快に顔をムスっとさせる。
「あいつに何の用だよ?」
「お前には関係ない」
妙に緊迫した空気が斗真と雄二の間に流れ、暫く睨み合うようにした後、斗真の方から目を逸らし何処かへと歩いて行った。
恐らく朱飛の返答を聞いて、仁内の部屋へと向かったのだろう。
そんな彼の後ろ姿を、気に入らないと言わんばかりの表情を浮かべながら雄二は見ていると、更にその後ろから朱飛が雄二を見て言う。
「それで? どう彼女達に対処したのですか?」
まんまと話をそらせたと内心思っていたのに、その期待外れの台詞に雄二は眉をピクリと動かすと、仕方ないととうとう降参して息を吐いた。
「……それは……」
*
その頃、荷物運びをしていた灯乃は、仁内と共に彼の部屋に到着していた。
彼の部屋は灯乃らの客間と違って畳の上から絨毯が敷かれ、歳相応の勉強机やベッド、年季の入った衣装箪笥が置いてあり、壁には習字で《打倒斗真》と見覚えのある大きな字で書かれたものが貼られていた。
所々に片付け忘れた物が散らばり、どうやら必要以上には使用人を出入りさせていないようだったが、そんなことなど知らない灯乃は、他の仲間達の部屋に上がり込むように気兼ねなくおしゃべりをしながら入室する。
「それでね、使用人が増えるとその分敵が紛れ込み易くなるから、使用人全員を把握しておいて下さいって言うんだよ、朱飛が。どうしよ、覚えられないよぉ」
「自業自得だろうが。つうか、それを何でてめぇは俺に言う?」
「話くらい聞いてくれてもいいじゃない。ここまで運んであげたんだから」
「てめぇが勝手に運んだんだろうが」
だるそうにベッドに倒れ込みながら、仁内は面倒臭そうに言葉を返す。
そんな俯せたまま動かないでいる彼を見て、灯乃もまたベッドの端に腰掛けた。
「だいぶ疲れてるね、部活大変だった?」
「あの主将、人間じゃねぇよ。抜け出した穴埋めだか何だか知らねぇが、ひとの身体で遊びやがって……」
「……ごめん」
「謝るんじゃねぇよ、鬱陶しい」
自分のせいで迷惑をかけてしまったと灯乃が暗い顔を見せると、気が滅入って仁内は更に疲れを覚えた。
謝るな――そう言ってくれるところは何だか雄二に似ているなと彼女はふと思うと、少し気持ちが楽になったような気がする。
灯乃はクスッと小さく笑って、仁内の肩を親指でグッと押した。
「なっ!? 何すんだ、急に!」
「マッサージ。雄二で慣れてるから、任せて」
灯乃はいつも雄二にしてあげているのか、慣れた手つきで彼の背中を万遍なくほぐしていく。
すると仁内は、恥ずかしがって赤面し暴れ出した。
「いらねぇよ! 離れろ!」
「ダーメ。仁内に命令、私のマッサージが終わるまでじっとしてなさい」
「ぐっ……御意……」
「よろしい。じゃあ、脱がすよ?」
「は?」
用意周到に湿布も持ってきていて、灯乃は器用に彼のシャツを脱がす。
元々、雄二の為に用意していたものだったが、仁内にも分けてあげていいと灯乃は思ったのだ。
命令で動けない彼はされるがままで上半身を裸にされ、真っ赤な顔を枕に埋める。
しかし慣れていると言うだけあって灯乃のマッサージは気持ち良く、次第に仁内の身体からは力が抜けていった。
そんな時、ボソッと灯乃の口が小さく呟く。
「……今日はありがとう、仁ちゃん」
「あ?」
「三日鷺が私を必要としてるって、教えてくれて。おかげで私、勇気が出たんだよ」
「別に当たり前のことだろうが。忘れてるてめぇが馬鹿なんだよ」
「……そっか……」
当たり前のこと、そんな風に言ってくれることにも灯乃は嬉しくて頬を仄かに染める。
一方で、仁内も分かっていた。
必要とされてこなかった者には、想われているという自信が持てないこと、それ故にきちんと言葉にしなければ分からないということを。
だからこそ尚更……と、彼は悔しそうにシーツを強く握り締めた。
「見ててムカつくんだよ。周りから必要とされてて、それに気づかねぇなんて」
「仁ちゃん?」
――圧倒的な力を手に入れておきながら、駄目で使えない人間みたいに卑屈になりやがって。
俺がどれだけ力を欲しているか、知りもしないで……
ずっと従兄弟達と比べられ、その度出来損ないだと言われ続けてきた仁内。
どれだけの屈辱と惨めさを抱えてきたことか。
仁内の口から感情的に囁かれたその言葉に、灯乃はハッとした。
――彼は、果たして誰かに必要とされてきたのだろうか?
「もしかして仁ちゃんが三日鷺を狙ってるのって……」
これまでの彼を、灯乃は思い起こした。
確かに仁内はいつも馬鹿にされているような気はするが、それは彼の活発な性格が影響してるもので、決して彼自身を否定しているものではないと思っていた。
でも本当にそうなのかは分からないし、仁内にはそうは見えていなかったのかもしれない。
斗真に何度も勝負を挑んでいたのも、存在を認めてもらいたいからだとしたら。
「仁ちゃん。私、どうして仁ちゃんだけちゃん付けなのか、ちょっと分かった気がする」
「何だよ?」
「似てるんだね、私と仁ちゃん。だから凄く親しみやすいというか、気を使わなくていいというか」
「てめぇと一緒にすんじゃねぇよ」
「そうだね。仁ちゃんは私と違って、へこたれないもんね。……強いね、仁ちゃんは」
灯乃はそっと彼の背に顔を埋めた。
その感触に仁内は思わずドキッとするが、灯乃の目には傷だらけの彼の肌が映り、泣きそうになる。
鞭打つように鍛え上げてきたその背中は、いったいどれだけのものを抱えてきたのだろう。
そう思うととても逞しく見えて、灯乃の心を熱くする。
「ありがとう、側にいてくれて。仁ちゃんを見てると、私も頑張らなきゃって思える。これって、仁ちゃんは私にとって――必要な人ってことだよね?」
「……!」
その言葉に、仁内の中の何かがドクンと高鳴りをあげた。
ただでさえ背中から伝わる彼女の温もりに落ち着かないというのに、それ以上のものが溢れてくるようで止まらない。
いつかの感情が戻ってくる。
――仁は、必要な人だから
「……何であいつと同じことを……」
仁内は妙に切なくなる気持ちを呼び起こし、ある少女を思い浮かべた。
――陽子
「はい、マッサージ終わり。湿布、何処に貼ろうか?」
灯乃はほぐし終えた彼の背中を一度ポンと叩くと、それが命令完了の合図となったのか、仁内がゆっくりと起き上がる。
すると次の瞬間、彼の手が彼女の右手首を掴みあげ、引き寄せた。
「え……仁ちゃん……?」
「どうしててめぇは、簡単にそんなことが言えるんだよ?」
「え、あの……どうしてって言われても……」
灯乃にとっては本当のことを言っただけだったが、仁内にはそうではなかったらしい。
とても深く、大切な言葉。
仁内の強い感情を表した瞳が、灯乃の顔に近づく。
「えっ、仁ちゃん!? ちょっと……!」
普段見せないような真剣な彼がゆっくりと迫り、灯乃は困惑してあたふたしていると。
「仁内、灯乃はいるか?」
開いていた襖から斗真が姿を現し、室内を覗くと同時に親密な二人の姿を目撃してしまった。




