学園生活
「――社会実習の一環として、彼は今日から皆と一緒に勉強することとなった。一ヶ月という短い期間だが、仲良くするように」
――どうしてこうなったのか。
教壇の横で不機嫌そうに立つ人物を、灯乃と雄二は不安に満ちあふれた眼差しで見つめていた。
事の発端は、雄二を空手の大会に出場させる為、部活動を続けさせてあげたいという灯乃と春明からの要望に、亜樹が応えたことから始まる。
「亜樹、それは許可できん。分かっておろう、どれだけ危険なことか」
馳走が並ぶ客間の上座に、樹仁がドスンと腰をおろして腕を組みながら亜樹の話を聞いていた。
が、終わると同時に首を横に振り、隣に座る斗真へ目を向けると表情を堅くする。
「我々は、次期当主である斗真と三日鷺を護らねばならん。何故それが分からんのだ」
「叔母上、俺も反対です。今は下手な行動は避けるべき時。学校に通っている場合じゃない」
斗真も反対なのか、厳しい口調で率直に答えた。
その態度はあまりに揺るぎなく真っ直ぐで、いつものように気やすく反発できる余地などない上に、何処か負い目を感じさせられ丸め込まれてしまう説得力があった。
灯乃はあからさまに落胆すると、右隣に座っていた春明の袖をこっそりと掴む。
するとそれに気付いた春明が、何故か余裕の笑みで灯乃に小さく囁いた。
「大丈夫、何も心配することはないわ」
「え?」
明らかに話は不利な方へと進んでいるのに、特に口出しするようなこともせず春明は事の進行を見守っている。
どうしてそれ程までに余裕があるのか。
それはすぐに分かることとなる。
「あら、あなた方はどうしてそう頭が固いのかしら」
亜樹が軽く笑みをこぼし、本領を発揮するように鋭い瞳を光らせた。
そんな彼女の気配が制圧的なものへと変貌し、樹仁と斗真は僅かに身体を強ばらせる。
「敵は、雄二君の存在を逸早く知り、彼の自宅を燃やした。イレギュラーだった彼に対して、あまりに迅速的且つ大胆な行動だったと思いませんか?」
「だから何だというのだ?」
「もしやそれは元々彼を知っている者の仕業、例の彼らではないということも考えられます」
亜樹はそう言うと、チラリと雄二を一瞥した。
そんな彼女の視線には気付かず、雄二は言葉だけに反応し、ふと脳裏にとある人物を浮かび上がらせる。
――唯朝 陽子。
白い犬を連れ、火事の現場で出会した彼女。
彼女が放火の張本人かはまだはっきりとはしていないが、何らかの関わりがあるのは間違いないと雄二は思っている。
――なんせ陽子は、三日鷺の欠片を持っていたのだから……
しかし彼女のことはまだ話せない。
灯乃のことを考えると、もう少し陽子であるという確証が欲しい。
ほんの僅かな可能性だが、見間違いということもあるのだ。
寧ろそうであって欲しい。
何とかそれを探る手段はないものか。
雄二はそう思いつつ、会話の音に耳を傾けた。
すると、猛反対する斗真の声が届く。
「叔母上、まさかそれが学校関係者内にいるとでも言いたいのですか? 推測に過ぎません。それに仮にそうだとしたら尚のこと、素性の知れない敵が潜んでいるかもしれない所へ行かせるなんてできない」
斗真はきっぱりと主張し、亜樹の意見を切り捨てた。
途中、灯乃の曇っていく顔が垣間見え、心苦しいものも僅かに感じはしたが、斗真に意見を変える気は毛頭なかった。
雄二の登校を許してしまえば、一人では心配だからと灯乃も付いて行き兼ねないからだ。
彼にとってそれが恐ろしいことだったのだ。
しかしそんな斗真の考えとは裏腹に、亜樹も意見を変えるつもりはなく、口を開く。
「本当にそうかしら?」
「何か?」
「もし素性の知れない敵が本当にいるとしたら? 斗真さん、あなたはどう太刀打ちするつもりなのかしら?」
「え?」
「素性はもちろん、相手の目的も知らなければ、私達を何処まで知り得ているかも知らない。その上で迅速的かつ大胆な行動がとれる、そんな敵に無知のままでいることの方が危険だと思うのだけれど?」
亜樹の強気な口調と厳しい視線が斗真へ圧し掛るように飛び、彼を追い詰める。
彼女の言うことは最もだが、それを認めることはできない。
斗真は無理やり言葉を引き出すようにして言い返す。
「しかし、だからといって闇雲に探るのも危険です。それに火事の一件で警察も動き出している筈。三日鷺の存在を知られるリスクをも伴います」
「警察のことは、別に気にすることはないでしょ?」
余裕を含んだ声音で亜樹はあっさり返すと、樹仁の方を向いた。
黙って聞いていた彼が腕組はそのままに、難しい顔をして言う。
「警察上層部には顔が効く。既に手は打っておる。だがなぁ……」
樹仁の中では、亜樹の意見で答えが揺れてしまったのか、曖昧で歯切れの悪い口調へと変わっていた。
早朝から彼が不在だったのは、斗真らのことを知り、早急に警察上層部と連絡を取り合っていたからだった。
しかしそのせいもあってか疲れを見せる樹仁に、好都合とばかりに亜樹はもうひと押しをかける。
「何も戦闘を望んでいる訳ではありません。動くのはあくまで情報収集を目的としてです。ただ例の彼らのことも考えると、やはりこちらも三日鷺の力を行使する他ありませんわ。その点、雄二君は三日鷺の欠片の効力によって、条件が揃えば力を使うことが出来る。そうでしたね?」
突然亜樹に会話をふられ、雄二は少し驚きながらも答える。
「えっはい、まぁ。欠片が奪われそうになったり、灯乃が危ない目に遭ったりしてたら」
「雄二っ」
雄二の返答を、斗真が慌てて止めた。
何故止められたのかすぐには気付けなかったが、斗真にとって一番都合の悪い答え方をしたのを、雄二は後になって気付く。
亜樹の目が嬉しそうに歪み、僅かに弾んだ声で呟いた。
「なら灯乃ちゃんも一緒に登校させた方が良さそうね。力を発揮させやすくなるし、何より一人より二人の方が心強いでしょうし」
「叔母上、情報収集なら朱飛がいます。灯乃の中の紅蓮の三日鷺は、今どういう状況なのかまだはっきりとしていません。彼女を外へ出すのは……っ」
「そうね、はっきりとしていないなら灯乃ちゃんの状況も知りたいわね。何もしないでここにいるよりずっと良いんじゃないかしら?」
「叔母上!」
斗真の反論がかえって亜樹を調子付かせるものとなったのか、会話がどんどん彼女のペースへ引き込まれていき、斗真の顔が険しくなる。
そんなやり取りにポカンと呆けた表情になる灯乃は、春明とは反対側の左隣にいる雄二へボソッと口を近づけた。
「えーと、これって私達には良い方へ進んでると思っていいのかな?」
「あーどうなんだろうな。何か俺達、酷い扱いされてる気がするけど」
自分達のことであるのに、蚊帳の外にされている灯乃と雄二。
一応助けて貰い、居候という身である二人は慣れない場の雰囲気もあってか意見を言う気になれず、そうしている間に話の結論が出たようで、樹仁が口を開いた。
「うむ。二人は一族の者でもないし、良いだろう。情報収集の為、登校を許可しよう」
「叔父上っ」
「朱飛は行かせん、班を率いてここの護りを固めて貰わねばならんからな」
まさか樹仁が意見を変えるとは思わず、その決定的な発言に斗真は絶句した。
しかも《一族の者でもない》という言葉からして、何かあった場合の二人に何らかの配慮がなされるとは考え難い。
樹仁にとって、二人は捨て駒同然ということだった。
――灯乃を捨て駒にだと? そんなこと……
斗真は密かに拳を握り締め、奥歯を噛み締めた。
しかしその様子を樹仁は見逃さず、眉をぴくりと吊り上げる。
「斗真、ここが絶対的に安全であるという保証もない。今は少しでも多くの情報を得て、体勢を立て直さねばならん」
「なら俺も」
「ならん。お前が先陣を切ってどうする? 次期当主の自覚を持たんか」
樹仁はドスの効いた声で斗真を戒めると、有無を言わさず従わせた。
納得いかず、やるせない気持ちで黙り込んでしまう斗真だったが、そんな彼に灯乃は罪悪感を覚えてしまう。
――雄二を学校へ行かせてあげたいというのは、ちょっと我が儘が過ぎただろうか。
「春明ちゃんも駄目よ。まずは怪我を完治させなきゃ」
春明が灯乃達の登校に便乗して一緒に行きたいと言い出すのを見越してか、亜樹がニコッと笑って制止をかけた。
春明がつまらなさそうに頬を膨らませる。
「えー駄目なの?」
「だって半日じゃ手続きはできないし、第一あなた、どっちの格好で行くつもりなの?」
「え」
亜樹のその一言で、春明はピシッと思考を停止させた。
見た目は女の子だが男である春明。
秘密を押し通す自信はあるが、共に登校するなら男子生徒として手続きするのが当たり前である。
春明の本当の性別を知らない雄二は、返答に困る彼を見て首を傾げた。
「どっちって、何が?」
「あー! 何でもないのよ、雄二君。それより叔母様、やっぱり二人だけじゃ危ないんじゃない?」
春明が何とかはぐらかそうと慌てて話題を変える。
するとその言葉には斗真も賛同してか、何とかならないものかと食い下がると、亜樹がうーんと一度考える素振りを見せ、ある一人の人物をじっと見定めた。
皆がその視線の先へと一斉に向くと。
「…………何だよ」
そこには仁内がいた。
「――なんであいつには許可がおりるんだ?」
教壇横に立つ仁内を眺めながら、雄二は呟いた。
確かに仁内は、樹仁にとって一族である上に自身の息子である。
本来なら許可されないどころか、亜樹に提案されることもない筈。
それなのに樹仁にあっさり承諾され、仁内は追い出されるようにして送り出されたのだった。
「あいつ、もしかして用済みなんじゃね?」
「おいっそこっ! 今何か言っただろ!」
雄二の呟きが聞こえたのか、仁内が大声をあげる。
雄二の席は後ろから二番目の窓際で聞こえる筈もないのだが、彼が地獄耳なのか、はたまた勝手な決めつけなのか、まるで雄二を目の敵にするように怒鳴り出す。
「……もぉ、仁ちゃんってば……」
教室内がざわつき始め、担任教師が仁内を宥める中、灯乃はどうしたものかと頭をかかえた。
こんなことなら事前に命令しておけば良かった。
まさか少しの間も大人しくしていられないとは思わず、後悔の念が灯乃を責め立てるが、もうどうしようもない。
時間が解決してくれるのを灯乃は仕方なく待つのだった。
何とかHRが終わり、1限目が始まる前の休憩時間。
どういう訳か雄二の後ろの席が仁内にあてがわれ、その周りに人集りができていた。
「ねえねえ、仁内君って雄二君と知り合いなの?」
「緋鷺っていうことは、もしかしてお金持ち?」
「カノジョとかいるの?」
同じクラスの女子達が、物珍しそうに仁内の席を囲み、一斉に話しかけていた。
どうやら灯乃は情報に疎いようで知らなかったが、緋鷺の名は女子達の間では大富豪の一族として有名らしく、また美形揃いであると噂されてもいるらしい。
確かに斗真や春明がそうであるように、仁内もまたそこそこのルックスを持ち得ているが、そんなことなど知らない彼は、少し迷惑そうにうな垂れる。
「あーうるせぇ、寄るんじゃねぇよ」
「照れちゃって、カワイイ♪」
「照れてねぇし!」
「ねぇ、家に遊びに行ってもいい?」
「来んな!」
女子達に毒づいて追い払おうとするが、難なく躱され、良いように弄ばれる仁内。
本当に慣れていないのか四苦八苦しているようにも見え、雄二は彼に仕方なく身体ごと振り向いた。
「お前さ、今モテ期来ても意味ねぇだろ」
「はぁっ!? 何だそれっ!!」
「お前ら、こんな喧嘩っ早い奴と知り合いになってもいいことねぇぞ」
「あ゛ぁっ!?」
「あーやっぱり雄二君と知り合いなんだぁ」
会話に入ってきた雄二に、女子達はさらに嬉しそうに喜んで、弾んだ声をとばす。
雄二の空手部での活躍も有名で、彼もまた女子達に注目されている男子に入っていたのだ。
「ねぇねぇ、何で知り合ったの? 空手繋がりとか?」
「あーまぁそんなとこ」
「じゃあ仁内君も強いんだぁ」
「そうでもねぇけど」
「んだと、てめぇっ!」
雄二は適当に気の無い返答をし、それに対して仁内が猛反発するように机をバンと叩いた。
だが、その時。
「私、雄二と仁内君が知り合いだったなんて知らなかったんだけど?」
二人の間に一人の女子生徒が口を挟んできて、雄二は顔を引きつらせた。
「げっ、みつり!?」
彼女は目を細め、キリッとした気の強そうな眉をさらにつりあげて、訝しく雄二を見ていた。
みつりは空手部のマネージャーで、部活動中の部員のことはほぼ把握していたし、中でもクラスメイトということもあって、雄二のことは――特に見ている。
そんな彼女が知らないとなれば。
「ホントに空手で?」
「……おっおう。他に何があるんだよ?」
「他に、ねぇ……」
みつりはチラリと何処か遠くを一瞥する。
するとそこには灯乃がいて、ちょうど見ていたのか目が合い、彼女は慌てて次の授業の準備をするふりをしてそれを逸らした。
灯乃と雄二が幼馴染みで仲が良いことはみつりはもちろん、クラス中が知っている。
彼女達が嫉妬するほどに。
雄二のことでみつりが知らない時は、たいてい灯乃が関わっていることが多いのだ。
気づけばみつりの目がまるで憎々しい相手を見るかのように、灯乃を睨みつけていた。
1限目の数学の授業が始まる。
休憩時間の時とは違って静まり返ったその教室で、黒板に書く先生のチョークの音だけがやけに響いた。
雄二と仁内はその静寂の中で、ノートをとりながらもヒソヒソと話す。
「……おい、さっきの奴は大丈夫なのかよ?」
「さっきの奴って、みつりのことか?」
「何かやべぇ目して灯乃を見てたぞ」
「……いつものことさ」
雄二は少し寂しそうに囁くと、そっと灯乃の方を覗いた。
彼女は懸命にノートをとりながら、真面目に先生の話を聞いている。
こちらの視線には全く気づいていない。
それほど真剣なのだ。
「学校では俺、なるべく灯乃と話さねぇようにしてんだけどな」
「は? 何だそれ」
「それより、お前が気づくなんてな。早速何か起こるんじゃねぇか?」
「てめぇ、いい加減にしろよ。ぶっ殺されてぇのか?」
「何しに来たんだよ、ちゃんと情報収集しといてくれよ? 俺、昼休みはミーティングがあって動けねぇんだから」
「はあ!?」
雄二の言葉に、仁内は過剰に反応し、机をドンと殴るようにして立ち上がった。
「ふざけんなよ! 全部押し付ける気か!?」
「んなこと言ってねぇだろ。ただ昼は手が離せねぇっつんてんだ」
「一緒じゃねぇかよ!」
「一緒じゃねぇよ!」
――ゴホン
するとその時、何処からか咳払いする音が聞こえ、二人がギクッとしてそちらを向くと、クラスメイト達の視線の中、その前線に立つ不機嫌な数学教師がこちらをしっかりと睨みつけていた。
いつの間にか二人の音量が最大限にまで膨れ上がっていたことにようやく気付く。
灯乃が呆れてこっそりと溜息をついていた。
「さて雄二君。だいぶ余裕があるようだから、次の問題を解いてもらおうかな」
「う……」
嫌味をたっぷり込めた先生の言葉に、雄二はしまったとガックリ肩を落とした。
そういえば、今日は問題を当てられる日。
どのみち当てられていたのだからと思えば、諦めもつくか。
雄二がどんよりとした気持ちを表すように重い足を引きずって歩くと、側で仁内がゲラゲラ笑った。
「はっは! ざまあみろ! あっはっはぁ!」
まるで蔑むように気持ち良く哄笑する仁内。
数学の苦手な雄二が、その上灯乃から勉強を教われなかったことを知っているが故に、尚も機嫌が良くなっているのだ。
そんな仁内を見ると、馬鹿だなと灯乃はつくづく思う。
まさに彼女のその勘が的中したのか、彼は先生にポンと肩を叩かれる。
「そうかい。君の方が余裕が有り余っているようだね。それじゃあ雄二君と交代、君に問題を解いてもらおうかな、仁内君?」
「…………え」
その途端、教室中を爆笑が飛び交い、ニヤニヤしながら戻ってくる雄二に、どんまい。と囁かれた。
「お前、緋鷺の坊ちゃんなんだから、進学校にでも行かせてもらってんだろ? まさか凡人の俺よりお頭が弱い、なんてことねぇよな?」
「そっ、そんな訳ねぇだろ! 見てろ!!」
雄二の単純な挑発に、あっさり乗る仁内。
雄二がさも答えを解っているような言い方をしてきているのが、余計気に障っているのだろう。
いい加減大人しくして欲しいと灯乃は心から願うのだが、黒板へ向かう仁内の挙動不審な歩き方を見ると、どうにも収まりがきかないように思えた。
――多分、いや絶対答えを解っていない
チョークを握り締めたまま、なかなか書き出さない仁内に、灯乃は内心痺れをきらしていた。
「もぉ……答えはこうなのに……」
彼ではなく、当てられたのが自分であったなら、すぐ答えられただろうに。
そう思うと歯痒くて苛々する。
――仁内ではなく、灯乃であったなら……
「……え……?」
するとその時、急に仁内の手が動き出した。
すらすらと止まることのなく、軽やかに流れるチョークの音。
まさか本当は賢い奴なのか?と、雄二は自身の目を疑ったが、何故か仁内ですら驚いた表情をしているのを見て、すぐにそうではないことにハッとした。
――これは、動かされている?
その考えが雄二の目を仁内の主である灯乃へと向けさせる。
すると、そんな彼女の双眸が翡翠色の、三日鷺の瞳の色に変わっているのを雄二は見た。
「……あいつ、まさか……命令なしで、操れるのか?」
書き終えた仁内もまたそれを感じていたようで、周囲が称賛する声を上げていても、まるで耳に入らず、ただ灯乃の瞳の色を密かに気にしているのだった。




