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デスゲームの正しい攻略法  作者: エタナン
第四章:ギルド編

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95/443

付録:思い出は大事にしましょう

 今回は特別編ということで、今日二話目の投稿です。


PS.

 クリスマスイブまで先に予定より何話か多く投稿して、そのあと年末は少しお休みさせていただくつもりです。

 作中の時間軸に合わせるつもりです。

 ある男が言った。

「この世で一番面白いものはなんだと思う? オレは人間だと思う。人間ほど面白いものはない」


 少年はその男の話を素直に聞いた。

 疑うという発想はなかった。

 彼にとってその男は絶対的で、男の言うことはなんでも正しかった。


「たとえば、ここに写真が一枚ある。どこの誰でも一枚は持ってる、オレの場合は携帯の待ち受けだが……ここに何が写っているかわかるか?」


 少年は素直に応えた。


「ぼく?」


「そうだ、誰でも持ち歩いているであろう最愛の家族の写真だ。だが、ここには他に玩具も、床も、服も写ってる。それなのに、おまえは一番におまえを見た。何でかわかるか?」


「?」


「それは人が何より一番気にしてるのが人の顔だからだ。そして、そんなにいつも見ててもそうそう人間の顔に飽きることはない。人を見るのが嫌になる奴はいても、人の表情を見飽きたってやつは少なくともオレの知り合いにはいない。それくらい、表情ってのは面白いものだ。」


 少年には難しい話だったが、彼は集中して聞いた。


「だが、それでも表情が動かないと流石に見てる方もつまらない。相手にしたことに対して、期待した反応がないと見てる方は『あれ?』ってなっちまう。おまえも、楽しみにしてたアニメとか映画がつまらないと嫌だろ?」


「うん」


「それと同じなんだよ。確かに欲しいと思ってもないものをもらっても自然には笑えないかもしれないが、それでも嬉しいふりくらいしとかないと相手に飽きられてしまうかもしれん、だから……」


 男の言った言葉は、少年の心に今でも残っている。



「心からじゃなくてもいい。だが、誰かからものもらった時には顔だけでも笑っとけ。人からもらったものは、その気持ちまで含めて大切にしろ」





 少年は順調に成長した。


 しかし、彼は自分が少し変なのではないかと思っていた。

 おそらく、それにははっきりとした要因などなく、物心ついた頃からの認識の蓄積だったのだろう。



 流行りのゲームを羨ましいとは思わなかった。

 アニメや戦隊ものよりニュースが好きだった。

 嫌いな食べ物がなかった。

 新しいものに興味をあまり示さず、手元にあるもので満足できた。


 後から思えば、少しだけ心の成長が早かっただけかもしれない。

 だが、少年は自分を変だと思われたくなかった。

 だから、他の人の真似をした。

 根本的には変わらなかったが、顔色を読んで反応を真似することばかり上手くなった。


 いつの間にか、『表情から嘘を見抜く』などという特技までできてしまった。

 自分が嘘吐きだからこそ、他人の嘘に敏感になったのだと思った。 


 だが、この流れに関しては少年は悪いとは思っていなかった。

 そもそも変わっていることは、周りと違うということそれ自体は悪いことだと思っていなかった。

 もちろん、周りに自分が変なことを知られれば虐められるかもしれないし、孤立するかもしれないが、上手く振る舞えばなにも問題はないと思っていた。





 そして、彼は中学生になった。


『私は横領などしていない!』

『議員は否定を繰り返しておりますが、事務所からはレシートのコピーなどが発見されており……』


「あれ、絶対やってるよね。悪人ずらしてるもん。おかあさん、ずっと前からあの人悪い人だと思ってたんだよねー」


「かあさん、顔で判断するの良くないと思うよ……あの人嘘ついてないし」


「なんでそんなことわかるんだ。それより、早く食べないと遅刻するぞ」


「てか、今日土曜だし……とうさん、それそのまま返すよ。今日早番でしょ?」


「あ、やべ!」


 普通に朝起きて、普通に家族と朝食を食べて、普通に制服を着て、普通に学校に行き、普通に勉強し、普通にクラスメイトと話し、普通に家に帰り、普通に夕食を食べ、普通に眠る。


 そんな日々が始まっていた。

 仮に自分が変だろうとそうでなかろうと、普通でなかろうと、普通に生きることには不自由しないと悟り始めていた。


 そして、いつしか意識は自分の振る舞いではなく他人の振る舞いに向かうようになっていた。



(あの人、かわいそうだな。本当はやってないのに)



 偽の裏には真があり、嘘の裏には本心がある。

 彼は、人間観察を楽しむようになっていた。

 そして、嘘を見破る特技は親にさえ秘密にしたまま、使い続けていた。


(ま、僕はどうにもできないから関係ないけど)


 嘘が分かれば真実がわかる。

 否定の嘘は肯定になる。

 彼は自分の特技を使うのを楽しんでいた。

 会話を誘導して相手の本心を知ったり、ニュースの記者会見などを見て真相を推察するのを一つの『遊び』として楽しんでいた。


 自分だけが真実を知っていると思うと気分が良かった。

 自分以外の人達も、自分と同じように嘘を吐いて、何かを隠して生きてると思うと安心した。


(ま、わかったからって脅したりするつもりはないし、それで何かつきあい方を変えたりはしないけど)


 それは一つのポリシーだった。

 そもそも、嘘を吐いてまで隠すことはそこまでしても隠したいことなのだ。

 自分が他人の嘘を見抜くなんて悪趣味なことを楽しんでいるのを隠しているように、誰しも自分だけの秘密がある。それこそ、それが秘密でなくなったら周りとの関係が大きく変わってしまうような重大事項だ。


 だから、彼は知った真実には干渉しないことに決めていた。

 テレビの向こうの手が届かない場所のことはもちろん、知り合い同士の誤解によるケンカにも手を出さなかった。

 根拠を聞かれれば答えられるものでもないし、むしろ他人の秘密を守ることで自分の秘密を守ってるという意識があった。


 彼は、自分の『普通の日常』が好きだったのだ。

 彼にとってのその価値の前には、真実や真相などはとるに足らなかった。



 そう、この日までは……



『……社の代表取締役が、昨日入院中の大学病院で死亡していたことが明らかになりました。体調不良で入院していたことは知られていましたが……』


「まあ、あの会社ってすごい大会社じゃない……」


「最近傾いてたけど、社長さん疲れた顔してたからね。過労死かな……とうさん、仕事頑張ってね。過労死とかしない範囲で」


「おう、じゃあ今日は会議で頑張ってくるよ。死なない範囲でな」



 なんとなくだった。

 疑っていたわけではない。

 普通に仕事にいく父親を普通に見送ろうとして、普通に父親の方を向いた。


 そして、つい癖でその表情を観察して……



 『嘘』を見抜いてしまった。



「……とうさん、今日何時くらいに仕事終わる?」


「夕方くらいだ」

 『嘘』だ。


「……じゃあ今日一日仕事だね。中学生は土曜日休みだけど、大人って大変だね」


「全くだ。今日も明日も仕事だぜ」

 『嘘』だ。


「じゃ、遅刻しない方がいいかもしれないよ。駅までの近道で工事やるって噂だから」


「うわマジか!? 遅刻する!!」


 ……『嘘』だ。

 これから行くのは会社では……仕事ではない。






 本屋に行くといって家を出た彼は、カバンに入れてきた人混みの中で目立ちにくいカジュアルな服装に着替え、野球帽をかぶって駅へ向かい、父親を探した。


 父親が仕事に行くのではないと気付いた彼が連想したのは『失業(リストラ)』だった。直前に見たニュースの影響もあったかもしれない。


 彼は不干渉のポリシーを持ってはいたが、それは自分の日常を守るためという意味合いが強かった。

 もし父親が失業してしまっていたなら、それは今の日常の終わりを意味している。

 その可能性を確かめずにはいられなかったのだ。


 父親は定期で電車に乗り、少年は自分で切符を買って同じ電車に乗り込んだ。人間観察に慣れていた彼は満員電車の人混みの中でも父親を見失わなかった。


 意外にも、父親は隣町で電車を降りた。

 やはり会社ではなかった……だが、そのことには驚かなかった。それだけ、少年は自分の観察眼に自信があった。



 驚いたのは、尾行した父親が女の人と会っていたこと。

 そして、その人が母親の学生時代からの親友だったこと……そして、キスをしていたことだ。

 




 それまで彼は、自分の特技を嫌ってはいなかった。

 人の世界が嘘によって作られているのも昔から知っていたし、それらを垣間見ることを特段不快に思った事もなかった。

 他人の嘘は他人事。他人の人生は他人のもの。

 劇の舞台裏を覗いてしまったところで、元々作り物だと知ってみていれば大して劇の見方など変わらない。

 そう思っていた。


 なのに……

(知らなきゃよかった)


 父親と母の親友が不倫。

 母とその親友は昔父を取り合った間柄だったとは聞いたとこがあったが、それが続いていたらしい。

 しかも、相手にも夫がいて、子供までいるようだ。


 少年は父親に失望した。

 それまで父親を尊敬していたのを後悔した。

 そして……


(オレ)のこと、どう思ってんだよ」


 その真実の証拠として、父親と分かれた不倫相手のバッグから手帳を盗んだ。





 その夜、少年は『仕事』から帰ってきた父親をいつも通りに出迎えた。

 最後の晩餐のつもりで一緒に夕食を食べた。

 そして……


「とうさん、ちょっと相談があるんだけどいいかな?」


 母が風呂に行って、確実に話が聞こえないのを確認して父親に話しかけた。


「なんだ? 珍しいな」


「実は……学校のクラスメイトが、同じクラスの女子とつき合い始めたんだ。」


「へえ、中一で彼女作るなんて、やるじゃないかそいつ」


「だけど、実はそいつ……他のクラスの女子ともつき合ってるんだ」


「中一で二股か!?」


「しかも、他のクラスの女子の方はうちのクラスの方の女子とすごく仲がよくて、でもその女子の気持ちを知ってて、隠れてチューとかしてたんだ。それに、その女子のクラスには他に大っぴらにつき合ってる男子がいるらしいし……」


「中一とは思えない修羅場だなそれ……てか、おまえどうやってそんなこと知ったんだ?」


「本屋で立ち読みしてたら本棚の陰でいい感じになってた……舌入れてた」


「そりゃまた……気まずいシーンに出くわしたな」


「これどうしたらいいんだろ……うちのクラスの女子に教えた方がいいのかな? それとも、黙ってた方がいいのかな?」


 ここで教えた方がいいなどと言ったら、少年は母親に真実を明かすつもりだった。

 黙ってた方がいいなどと言ったら、父親に事実を突きつける気だった。


 今までの『普通』を全部台無しにするつもりだった。

 自分達への愛を偽っていた父親に、そうやって復讐するつもりだった。

 どう答えても、許す気などなかった。

 彼は父親がどんな綺麗事を吐くか、心して返答を待った。

 そして……



「おまえ、友達のこと大切に思ってんだな」



 その返答は予想外だった。

 少年は不意をつかれて沈黙した。


「自分の関係ないそいつらの関係のことで悩むって事は、クラスメイトのそいつらが大事なんだろ? そうじゃなきゃ別に深く関わる必要はねえ。下手につついてもクラスの空気が悪くなるだけだしな。二股がバレて別れても自己責任だし、変に首突っ込んで恨まれる必要もない。それなのにそんな事を教えようか悩むって事は、おまえにとってそいつらが大切だってことだ」


「僕は……ただ、嘘がいけないと思って……」


「嘘ってのは、大っぴらにつき合ってる関係が嘘だってことか?」


「……うん、相手のこと好きだって嘘ついてるのもいけないと思うし、嘘つかれてる方も可哀想だし……」


「……それって、本当に嘘なのか?」


「……え?」


「中坊にはわかんないかもしれないが、人間誰かが好きだからって、他の奴を好きじゃないなんて言いきれないんだ。そりゃ付き合ったらそいつの一番になりたいかも知れないが、ある方面では一番でも別の部分では一番じゃないかもしれない。言っちまえば『最愛の相手』なんてもんは何人いてもおかしくないんだ。」


「でも、それって不誠実じゃない? 『二股するのはしょうがないから』って言い訳して、見て見ぬふりするなんて……」


「そう思うなら教えりゃいいだろ。」


「え、でも、そんなことしたら傷つくかもしれないよ?」


「ま、傷つくかもな。だが、それは嘘の誹謗中傷で傷付けるんじゃなくて、正しいと思った事を言って結果的に傷付けるんだろ? それなら、大した問題じゃない。悪くてせいぜい逆恨みされるくらいだ」


「自分では正しいと思った事でも、相手から見たら悪いことかもしれないよね? それでも言っていいの?」


「そもそも、絶対に正しい事なんてないんだよ。どっちを選んでも誰かの迷惑になるなんてことはしょっちゅうある。大事なのは、自分がそれを否定されたとき、ちゃんと自分でそれを肯定できるかってことだ。誰かに迷惑かけるなら、誰かに非難されることも覚悟しなくちゃならない。非難されて、誰かの考える正しさに傷付いたら、それは自分が悪かったってことだ。その時は素直に謝れ。だが、自分が正しいことをしたと心から思ってるなら、傷付く必要はないし、そもそも傷ついたりしない。表向き頭は下げても、心の底から謝る必要はない。つまりこういう事だ……」


 父親は、堂々と言った。



「『正しい』ことを言われて傷付くなら、それはそいつが『悪い』。だから、その友達に文句を言われても耐えられる方を選べ」




 話が終わり、父親が去ろうとしたとき、少年は少しだけ悩んでから一言だけ尋ねた。


「とうさん、とうさんはかあさんと僕のこと、一番に愛してる?」


 父親は、『嘘』の混じらない表情ではっきりと答えた。


「ああ、おまえたちを一番に愛してる」






 そして、一人になってから、少年はポケットに入れていた手帳を取り出して呟いた。


「『落とし物』は、持ち主に届けないと」










 彼は翌日の午後、帽子と伊達眼鏡、さらに新しく買った服で軽い変装をして、町の端の方にあるとある公園にやってきた。

 手帳の中身から推測した持ち主のよく利用する公園。知り合いに会うのを警戒して隣町で会っていたらしいが、住所は同じ町だった。


 目的は『落とし物』の手帳を返すこと。

 そして……



「あ、すいません。この手帳、あなたのものじゃないですか?」


「え、あ、本当……どうして……」

 何度か会ったことはあったが、変装のおかげでバレる事はなかった。


 そして、彼女の足下に少年の『目的』はいた。

 まだ二、三歳のあどけない幼女……少年の腹違いの妹。


「昨日駅前のカフェで落とすのを見かけて……その……ごめんなさい!」

 少年は勢い良く頭を下げた。


「え、え?」


「すぐに渡そうと思ったんだけど見失ってしまって、住所を知ろうと思って中を読んでしまいました!」


「え、いやそんな……届けてくれたんですし……」


「しかも気になって余計な所まで読んでしまいました! 旦那さんの事とか、息子さんのこととか、娘さんのこととか……」


「え、どれだけ詳しく読んだの?」


「まさかあんなに重い内容が詰まってるなんて思いませんでした! ごめんなさい!」


「え、は、はい。別に構いま……」


「しかも、読んだ後自分が見たのは見ちゃいけないシーンだったって気付きました! マジごめんなさい!」


「…………」


「あと、旦那さんが失業しかかってることとか……」


「ちょっと待って! あっちで話しましょう! 続きはあっちで話しましょ!?」





 二十分後。

 少年は妹の母親と公園の端のベンチに座り、彼女から話を聞いた。というより、手帳の中身を知っているからと言い、お詫びに他の人にはできない込み入った相談を聞くとかけ合ったのだ。


 彼女は最初は警戒していたが、少年の下心の無い……ように見える表情に、心を開いていった。

 自分の娘を自身の妹のように可愛がる少年に心を開いたのかもしれない。


 そして、彼女は手帳には書き記さなかった事をポツポツと話した。


 かつて好きな人がいたが、ライバルに負けて身を引いたこと。

 それから誰とも付き合うことが出来ず、見合いで結婚したこと。

 その夫は最初は優しかったが、六年前に長男が生まれると横暴に変わってしまったこと。どうやら、子育ての方針で食い違いが起きたのがきっかけらしい。

 そんなとき、彼女は何年かぶりにかつての好きな人と出逢い、慰められる形で一線を越えてしまった。

 そして、二年前長女が生まれると、身に覚えの薄い子だったためか、より家族への当たりは激しくなり、ギャンブルに手を出し酒に酔って暴力をふるうようになった。

 そして、夫には隠しているが、実際血液型を考えると夫との間の子供では有り得ないこと。



「あの……ここまで聞いといてあれですけど、聞いてよかったんですかこんなに込み入った話」


「いいのよ、近所では家庭内暴力で陰口叩かれ始めてるし、それに……」


「それに?」


「キミって、なんかあの人と一緒で聞き上手だし。なんかあの人に話してるみたいで気が楽になったわ……ちょっと昔の彼に似てるし」


「…………」


 一応、父親の若いときの写真を参考に変装していたのだが、それは秘密だ。









 それから、少年は週一回は妹とその母に会うために公園へ行くようになった。もちろん、素性を偽って赤の他人としてだ。

 家族には友達の家に行くと言い、妹とその母には塾の帰りだと言って。


 一度会話して、対面して確かめて思ったのだ。

 彼女は嘘を吐かなかった、正直な人間だ。悪い人ではない。

 それに彼女自身は暴力を振るっていない。父親と会うことによって自制している。


 そして……腹違いの妹、超可愛い。



 信頼を勝ち取っていった彼は、ボロを出さないために工夫していった。



「お、今日も彼女とデートか?」

 ある日、家を出ようとした少年を父親がちゃかした。


「ち、違うよ!」

 自分の彼女ではなく、父の浮気相手と腹違いの妹だ。

 それに……


「今日は買い物だよ。ちょっと新しいこと始めたい気分でね」




 少年は、今までしょうがなく受け取っていて、欲しいものもないので貯まっていたお小遣いやお年玉を惜しげなく使って準備を整えた。


 服が同じで不審がられないよう、手頃な服を幾つか買い揃えた。


 幼い子供と遊べる玩具や、少し先を見据えてオセロや将棋などのセットを買った。


 自分の通う中学校とは別の学校の校内案内や周囲の様子などを調べ、地図を買い、適当な住宅街を選び、そこに住んでいれば帰りに公園近くを通るであろう塾を探し、細かい設定を作った。


 そして、それらを家に置いておくと家族にも見つかるかもしれないので適当なロッカーを借りた。



 それらの行動の後、少年は思った。


「何この行動力と集中力……僕ってこんなに行動的だったっけ?」


 ある意味新発見だった。

 今まで適当に周りに合わせるため、その場を誤魔化すための嘘などはいろいろやって来たが、自分から積極的に、活動的に嘘を吐こうと……騙すために準備までしようとすることはなかった。

 それなのに、実際やってみると……次から次へとアイデアが湧いてくる。嘘に真実味を持たせるための情報もどんどん頭に入って来る。


(いつも日常的に嘘見抜いてるから隠し方の大体のパターンとかわかってんのかな……これ、ある意味才能だな。嘘の才能なんて詐欺師になった時くらいにしか役に立ちそうにないけど)


 そう思い、彼はロッカーに物を収めた後、書店に立ち寄った。

 目的は『嘘』の参考書だ。

 半分は思いつき、半分はここまでの準備をしといてつまらない失敗で嘘がばれるのは嫌だという思いだった。


「て言っても……流石に詐欺師のための参考書とか無いよな……」


 騙されないための対策本なども置いてあるが、なんとなく深く読む気にならなかった。

 もともと悪意のある詐欺を防げるようにという趣旨の本である。ただ正体を隠したいだけの彼の目的には合わなかったし、最初に手に取ってみた作者の『ま、作者(オレ)は専門家だから騙されないけどな』と言っているような文体で読む気をなくした。


 それよりも……


「演技派俳優のインタビューか……これの方が役に立ちそうだな」


 少年が読んだのはドラマ俳優のインタビューだった。

 人間の表情を観察しなれていて目が肥えている彼が、『この人の演技すごいな』と珍しく思った俳優だった。

 その俳優の私生活や経歴などは読み飛ばし、『役作り』に関するインタビューを読む。


(『自分は演じる役になりきるために、出番の前に自分はその人物自身なのだと自己暗示をかけています』……なるほど、自己暗示か。自分で嘘だと思ってないから演技だってなかなかわからなかったのか。詐欺対策の本の作者の百倍はためになるなこの人)


 そして、心理学の本棚……暗示関係のコーナーへ行って使えそうな本を探した。


 だが……

(自己暗示って思ったより出来ることのレベル低いんだな……ストレスの解消とか、禁酒禁煙とか……まあ、自分で自分を手術するようなものだったらあんまり大きなことは出来ないのか……あの俳優の人も、心の底から役になりきってるわけじゃないし)


 いまいちピンと来なかった。

 演技の『不自然さ』を消すことが出来たとしても、それはテレビドラマの領域。彼が求めるのは、『絶対に見抜かれない』という領域だった。

 彼自身が嘘を見抜くことに長けていたこともあり、妥協することが出来なかった。

 もしも、妹にも同じ特技が現れたらという不安を拭えなかった。


 その時、彼はその近くの別の本を見つけた。


(『催眠術』? ……これは他人にかける方か?)


 関連する内容なら何かの参考になるかと思い、本を開いた。

 そして、目を見張った。


(運動支配、感覚支配、記憶支配……こっちは自己暗示と比べ物にならないな。意志と関係なく身体を動かす、感情を操作する、記憶を変える、幻覚を見せる……こんなことが出来ればそもそも嘘を吐く必要がない。相手に怪しまれること自体を防いで、好感度を上げて、何か不都合があってもその記憶を消せる……そこまで深く催眠をかけるのはプロにしか出来ないかもしれないけど、そこまで行かなくても……)


 そこまで考えて、彼は自分の考えを打ち切った。

 馬鹿馬鹿しい。かわいい妹やその母親にそんな心を弄くるようなことをするなんて論外だ。

 それに、たとえプロでも相手のコンディションや耐性によっては暗示がかからないことがある。いや、むしろそちらこそが重要で、本当にプロの催眠術師は相手のコンディションを暗示にかかりやすくする技術を心得ているのだ。


 割と簡単な自己暗示よりずっと強力だが、相手が思い通りにそんなものにかかってくれるわけもない。少なくとも、彼はそこまでの技術は持っていない。妹が極端に暗示にかかりやすい体質でもなければ……


(…………あ、そうか。これいいかも)










 数年後。

「友ちゃんも将棋強くなったな……もう中学生くらいなら楽に倒せるんじゃないか?」


「ほんと? じゃあマサ兄にも楽にかてる?」


「生憎だけど、僕は次会うときには高校生だからまだまだ楽には勝たせないよ」


「えー、ずるーい!」


「ズルくないさ。友ちゃんも小学生になるだろ? そうやって段々大人になっていけば、いつか僕にも勝てるようになる」


 少年が便宜上中学生である最後の日曜日だった。


 彼の中学時代は普段の『家族』と、普段の家族には秘密のもう一つの『家族』との二面生活が中心となっていた。


 毎週日曜日は妹に会いに行く日。

 少年は欠かさず会いに行った。

 そして、少年の動員したあらゆる『嘘』の知識や創意工夫によって妹の母親は完全に彼を信用し、子守りを任せてくれるまでになった。

 少年はもちろんさらなる信頼を勝ち取るため、そして彼女の信用に応えるため、熱心に妹の世話を見た。時にはその兄である長男とも一緒に遊んだりした。複雑な心境を胸の内に秘めながらも、自分の弟のように大切にした。

 少年はぐんぐん背が高くなり、わかりやすい『個性』が出来るのを少々不安には思ったが、姿勢や服装などで誤魔化した。


 妹は少年と同じように精神の成長がやや早かった。そして、お菓子や人形遊びより、お話やパズルなどを好み、特にオセロから発展し、はさみ将棋から始めた将棋には驚くべき集中力と上達を見せ、まだ幼稚園児ながらに駒の文字を覚え、普通の将棋ができるまでになった。

 妹の母親も少年のおかげで娘が賢くなったと喜び、ますます気を許してくれた。


 全て順調だった。

 問題は、どんなに用意周到に準備しても、少年が何かミスをして、どちらかの家族に嘘がバレたら全てが瓦解するということだけだった。


 そして、少年は嘘がバレる心配など全くしていなかった。





「じゃ、またな」


「うん、またね」


 少年はいつも通りに妹と別れ、町を歩き、さり気なく追跡の有無を確認し、公衆トイレに入り、目を閉じる。

 そして……



 『ジリリリリリリ』



 脳内でけたたましいベルの音がして、ハッと目を見開いた。


「んん……もう終わったのか」


 そして、彼は何かを思い出すように頭の中を探り、それから呟いた。


「今日も、友ちゃんと楽しく遊んだみたいだな。良かったな」

 まるで、他人事のような顔をして、彼はそう言った。






 頭の中で鳴り響いた音は、彼にしか聞こえない音。だが、それは夢幻の幻聴などではなく、はっきりと確立された技術によって生み出された音だ。


 極小(ミニマム)頭脳(ブレイン)情報処理(インフォメーション)チップ……通称MBIチップ。今世紀最大の発明とされる、極小の情報処理回路基盤を用いた技術によって、脳に埋め込まれたチップが脳と直接情報をやり取りし、携帯端末などの物理的媒体を介さず映像や音声を認識する。先程の音は少年が事前にチップに時間設定して鳴るようにしておいたものだ。

 この技術はどこかの天才が、天からアイデアが降り注いだかのような突然の閃きとともに発明したと言われているが、詳しい開発経緯はトップシークレットとされている。


 だが、開発の経緯など知らなくとも、この技術は誰でもわかるほどすごかった。

 第一に、超小型のハードでありながら、情報処理能力が従来のものとは桁違いに高い。それこそ、最初のコンピューターが一つ丸ごと使っていたのにも関わらず、後の片手に収まる携帯端末に処理能力で負けたように、MBIチップはその名の如く、米粒ほどの極小サイズのハードに人間の脳に匹敵する処理能力を持つと言われている。

 現に、脳に埋め込まれたチップというのも本当に微細なもので、『埋め込み手術』も後頭部に注射器に似た機械を打ち込んで頭蓋骨の溝をほんのわずかに削り、そこから人工髄液に混ぜたチップを注入するだけという簡易なものだった。


 だが、もちろん最初は『脳を改造する』という行為に対してかなり反発が強かった。元々は医療用に開発され始めた技術だったのだ。

 しかし、技術力で他国に差を付けようとした政府がその技術の拡大を奨励し、さらに二年前には『全国民にチップの埋め込みを義務化する』という前代未聞の政策を持ち出したのだ。

 当時はそんなことは不可能だろうと言われていた。しかし、情報通信サービスを一手に引き受けていた財閥(グループ)が崩壊し、それによってそれまで当然のように生活に浸透していた情報の恩恵がストップ直前に陥るという未曾有の危機が到来した。


 そして、それを救ったのが新情報メディアMBIというわけだ。

 世の中には、財閥崩壊からMBIの製作者達が仕組んでいたという噂もあるが、結果的に以前と段違いの情報サービスを享受でき、国民としては現状を受け入れている。



「てか、オレ達一般市民からしたらそんなことより、自分たちの『日常』の方が大事なんだぜっ、と……」


 少年はトイレの個室で『いつも』の私服に着替え、鏡で身だしなみを整える。

 そして……



(記憶支配……オレは今日は図書館で高校の勉強のために予習をして、公園には行かなかった)



 『自分自身』の記憶を改竄する。

 そして、今日の記憶が妹には関わりのないものに書き換わっていく。


 そして最後に……


(次に『目覚まし』の音が鳴ったら、この暗示を解け)


 次の『目覚めの合図』を設定して、呟いた。


「うん、今日もバッチリいつも通りのオレだ」




 彼が妹と正体を隠すために選んだ手段は効果の弱い自己暗示でも、相手にかける強力な催眠術でもなかった。


 『自分自身』に強力な『催眠術』をかけて、記憶や利き手などの仕草、口調や反応などを操作したのだ。

 まず自己暗示で『自分は極端に暗示にかかりやすい』という暗示をかけ、鏡や録音などで本来他人にかける用の強い暗示をかける。

 もちろん、『後で暗示が解ける』という暗示も忘れずにだ。


 最初の頃は暗示が上手く効かなかったり、解け方が中途半端だったり、学校のテストの名前に偽名を書いていることに途中で気付いて慌てたりしたこともあったが、今ではほぼ完全、自分が対象ならどんな暗示も思いのままだ。

 ただし、日曜に妹とあえなくなるような予定を入れてしまうなどの事態を防ぐため『日曜は予定をあけておく』などの暗示もいくつか入れている。


 彼は自分を完璧に騙す術を手に入れた。

 そして、『嘘』を吐くのに抵抗を抱かないようになっていた。

 そもそも、幼い頃から他人の嘘を見通して生きてきたのだ。世界が嘘の上に成り立っていて、誰もが嘘を吐きながら生きているのを知っていた。


 『世界』を守っていると思えば、自分自身を偽り、騙し、欺くくらいどうという事はなかったのだ。


(さて、『次』のときにはあの子も小学生か……あれ? 『記憶』は消えてるのに物語みたいに『出来事』は残ってる……頭が暗示に慣れてきてるのかな、もうちょっと深くかけるようにしないと)





 そして、すこし後の日曜日。


「お久しぶりです、マサ兄」


「あ、うん……久しぶり……かな? ところで、何か変わってない? ホントに友ちゃん?」


「何を言ってるんですか? 私が私以外の誰に見えるんですか?」


「いや、敬語……」


「私ももう小学生ですよ? 小学生が高校生に敬語を使うのっておかしいですか?」


「いや、それ自体は何もおかしくないよ。でもなんか……大きくなったな。見違えた」


「『男子三日会わざれば刮目して見ゆ』ですよ? 私は女子ですが、一週間会わなければ見違えても何もおかしくありませんよ。それより、将棋やりましょう!」


「…………うん、そうだな。じゃあ駒並べるか」


「あ、マサ兄さえ良ければ将棋盤なんて出さなくても読み駒してもらえれば目隠し将棋できますよ。」


「……じゃあ、そっちでやるか。」

(何があった!? 体は子供、頭脳は大人じゃないか!!)


 この日から、彼は急に頭が良くなった妹を警戒し、より用心深く正体を隠すようになった。








 そして、少し後。

 

 少年の父親が死んだ。


 交通事故で即死だった。

 それはあまりにも唐突で、脈絡もなく、物語もなく、謎もなく、救いようもなく、大して事件性もない……ただの不幸な事故だった。


 その知らせを聞いたとき、少年はそれが信じられなかった。

 全てが順調だった。

 嘘はバレず、妹とは『他人』として仲がよく、学校でも普通に過ごし、両親は円満で、妹とその兄、その母は父親から距離をとって身を守り、皆がそれなりに幸せだった。


 まるで絵に描いたような光景が、彼の作った幸せが、彼の守っていた『世界』が、まるで脈絡もなく破壊された。

 彼が自分を欺いて作り上げてきた理想の世界が、探偵も謎解きも解決編もなく、推理小説を読まずに破り捨てるように、無造作に破壊された。



 死亡が確認された病院のベンチで、少年は一人『落ち込むふり』をしながら本気で落ち込んだ。


「せめて……最期くらい看取らせてくれよ……」


 せめて最期に話が出来たなら、自分の嘘を明かせたのだ。

 叱られるのか、恨まれるのか、怒られるのか、理解されるのか分からなかったが、明かしたかったのだ。


「いつ本当のこと言ったらいいか……もう、わかんないだろ……」






 そして、何日か後。

 父親の火葬の日、彼は気付いた。


「なんで……オレ、涙を止められるんだ?」


 妹とその母親の前に出て、嘘を告白しようとした時だった。

 それまで父親の死が悲しくて涙が止まらなかったはずなのに、二人の前に出たらそれがまるで『嘘』だったかのように、嘘泣きだったかのように止まった。


 そして、暗示をかけたわけでもないのに、人が変わった。

 嘘を終わらせるはずなのに、固めたはずの意志が、心の底から、本心から決めたはずなのに、それが『嘘』のように消え失せた。


 まるで、『嘘』と『本当』が入れ替わったかのように、いや、心の中の全てが『嘘』になってしまったかのように、消えてしまった。


 そして、気付いてしまった。

 今更なことではないか。


 随分前から記憶は自由に書き換えられた。

 表情どころか、感情まで意識的に操作できた。

 反射的な行動ですら、設定し直せた。


 ならば、それらは全て自分で作ったものだ。

 今の自分の内面は全て自分が作った『嘘』だ。


 ならば、嘘を吐く前の『本当』の『自分』はどこにいる?


 そして何より……

(どうして……自分がこんなになってるのに、何にも思わなかったんだ? いや、なんで……こんな自分を今も『変だ』と思わないんだ?)


「どうしましたマサ兄、マサ兄の番ですよ」


「ああ、友ちゃんは本当に可愛いと思ってな。見とれてた」


「て、照れますよ!」









 数日後。

 深夜の公園にて。

 初めて妹と対面した公園にて、少年は呟く。


「私は女です」

 ──────────────


「オレは男です」

 ──────────────


「………僕は、嘘を吐きます」

 ╂─╂─╂╂──╂─╂╂─╂


 『世界一精度の高い嘘発見器』と呼ばれるソフトをチップにダウンロードして、少年は一人で呟く。

 目の前には、自分自身の脳波を観測して得た嘘の『波』を見て、ため息をつく。

 嘘を吐けば縦波が入るらしいのだが……矛盾する内容の言葉でも見事に同じ結果を出した。


 ため息をついてみても波はフラットだった。


 本当は、ため息なんて吐くほど心は揺れていないのだが、こういうときはそうするのが普通だろうと判断して吐いたため息だ。


「嘘発見器も自由自在か……てか、『オレ』だったか『僕』だったか『私』だったか、それすらも分からないって最早重症どころじゃないな」




 昨日、日記を書いてみようと思った。

 そうすることで、精神を安定させる効果が得られると聞いたことがあったからだ。


 彼はノートを開き、ペンを握った。

 そして、誰にも見せる気はない日記を書き始めようとした瞬間……手が止まった。


「第一人称……なんだっけ?」


 それから、彼はいろいろな方法で自分を探った。

 だが、どれもこれもダメだった。

 自分の内面に……主観に、操作できない部分はなかった。




 そして、この嘘発見器には期待していたのだが……やはりダメだった。


「いや、期待はしてないか……『普通なら期待するだろう』ってだけだな……オレは期待してなかった」

 ──────────────


 正直、もう後二つくらいしか確かめることが残っていない。

 少年はものはついでにとでもいうふうに言った。

 

「ま、さっさと済ませるか」


 彼はポケットの中からクシャクシャになった封筒を取り出す。



 『遺書 最愛の息子へ』



 彼個人へ向けて父親から残されたものだ。財産分与のために弁護士に預けられていたものとはまた別のものらしい。

 自分が死ぬとは知らなかっただろうが、いつか自分が死んだときのために残しておいたのだろう。

 おそらく、内容は……


「『おまえには腹違いの妹がいる、うっかり間違って結婚しないように気をつけろ』とかだろうが……生前に言えよ。まったく」



 少年はライターで未開封のそれに躊躇なく火をつけた。



 そして、火が全てを燃やし尽くすまでそれをじっくりと見ていた。

 ──────────────


「うん……親の遺書を読まずに燃やしても脳波に微塵も揺らぎはなしか。ま、他人の遺書でもやらないだろうが……こんなことを何も思わずにやれるのはもう嘘とか本当とかの話じゃないな」


 彼は、はっきりと口に出した。



「オレは、僕は、私は……人間じゃない」

─────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────


 嘘発見器は、それを肯定した。




 少年はソフトを終了し、億劫に立ち上がる。

 そして、もし消え残りが風にでも飛ばされて火事にでもなるといけないので、足元の炭くずを踏みにじって完全に粉々の灰にする。


「あと一つか……ま、ホントはもう一つ有力なのもあるけど、そっちはやめとこう。あんまり迷惑かけるのもなんだし」


 少年は公園を出て、公園近くの歩道橋に登る。

 幸運にも、他に人はいない。そのために、この時間を選んだのだ。


 しかし、歩行者はいなくても、存外車はよく通るものだ。大人は土日も夜も大変なのだろう。


「保険とか無いけど、まあこれから受験とか大学とかでかかるお金が浮くと思えばどっこいどっこいかな」


 少年は歩道橋の中央に立ち、柵に寄りかかって遠くを眺める。

 車が下に来たらわかるように。

 遅れないように。



 催眠術にも二つの出来ないことがあると言われている。

 一つは殺人を犯させること。

 もう一つは、自殺させることだ。


 これは種としても個体としても、生存本能は強力なものだからと言われている。

 この二つが矛盾すれば個体として、個人としての生存本能が勝つらしいが、暗示で相手を自殺に導くことはほぼ不可能だと言って良い。


「流石に殺人は他の人に迷惑がかかるし、そもそも殺したい相手とかいないんだよな……てか、憎いとも感じないのに殺しをするのは変だもんな」


 そこで、遠くに車のライトを見る。

 車高からして……トラック。


「うん、あれなら即死だろうし、あれの前に出るのはどう考えても『自殺』だな」



 少年はタイミングを見極めながら柵を握る手に力を込める。

 あまり早すぎると、あちらが気付いて止まってしまうかもしれないから。




「目の前で自分の存在に気付かずに自殺しようとしている人がいるとき、人はどういう反応をするべきでしょう? ねえ、あなたはわかります?」




 その声は、すぐ耳元から聞こえた。

 女性の声だった。


「えっと……自殺をやめさせるために説得してみるとか?」


 少年は声の方を見ずに答える。

 信じられなかったのだ。

 そこには確かに誰も『いなかった』はずなのに。


「そうですか? 別に良くないですか? その人が死にたいならそれを見守ってあげても。どうせ人はいつか死ぬんですし」


「あの……たとえば、自殺しようとしているところを全く説得する気のない人に呼び止められてしまったらどういう反応したらいいんでしょうか?」


「そうですね……あなたが童貞なら『死ぬ前に一度女を犯してみたかったんだ!!』とかいって私を襲ってみるのも手かもしれませんよ? 社会的には自殺できますし、その後再度自殺するなり、また同じ事をするのを夢見て生きてみるのもいいかもしれません」


「すいません、オレそんな行きがかりで女の人襲うような外道じゃないんで。」


「あら失礼ですね。もしかしたら、私はちゃんと見てみたら我慢できなくなるような絶世の美女かもしれないのに」


「……誘ってますかそれ?」


「さあ? もしかしたら適当に言ってるだけかもしれませんよ。実はこんな声して男かもしれないし」


 もう既にトラックは通り過ぎていた。

 少年は仕方なく振り返り、女性(のような声の男性かもしれない)を視認した。


 その人物は……やはり女性だった。

 年は25か26くらいであろうか、大人の雰囲気が漂う女性だった。豊かな胸もそれを裏付けている。

 そして、目を引くのは闇の中で輝くような黄金の髪と、作り物のように整った北欧形の顔つき。さらに驚くべきは、薄手の服に透けて見える全身に彫り込まれた蛇が這い回っているような入れ墨。


 何より、その尋常ならざる『表情』だ。

 まるで、少年が自殺しなかったのを喜ぶような、残念がるような、歓喜と苦笑を混ぜたような笑顔。

 喩えて言うなら、読んでいる本が盛り上がってきたところで『つづく』と話を打ち切られていたという表情だろうか。


 まるで、『なんだ、結局死なないんですか』というような表情。自殺を引き止められたことはそれはそれでいいが、死ぬところをみたい部分もあったとでも言うような表情。


 少年は思わずまだ微かに残る心がざわつくような感覚を覚えたが、それは表面に出る前に消えた。


「確かに良い身体だとは思いますけど、そこまでじゃないです。てゆうか、刺青すごいですね。暴力団とかの関係ならちょっとこれ以上話すのは遠慮したいです。自殺するにも縄張りとかがあるなら別の所行きますが」


「いえいえ、これは宗教上のものであって、暴力団とかではありませんよ」


「宗教は間に合ってます。お引き取りください」


「自殺しそうな人が信じるものに間に合ってるようには思えませんが……しかし、あなた面白い方ですね。自殺しようとしてたのに死ぬほどネガティブになっているように見えない。何故か、『自殺したら本当に死ぬか気になったから試してみた』みたいな感じです」


「大方間違ってませんが……あなたは何者ですか?」


「あらあら、そういえばお互いに初対面でしたね。では、とりあえず自己紹介でもしてみますか」


 そう言って、黄金の髪を持ち、天使のような笑顔を携えた『彼女』は、誇るように、見せびらかすように、自画自賛するように言った。



「はじめまして。私はローズ……『ローズマリー』。本物になりきれず、魔女を殺せず、救世の英雄を騙った卑しい卑しい偽物です。どうぞ、以後お見知り置きを」








 『ローズ』と名乗る女性に促され、少年はまた先程の公園に戻ってきてしまった。

 二人で公園のベンチに座る。かつて少年が妹の母親の相談を聞いたベンチだ。


「それにしても、夜の公園って危険な香りがしますね。程よく照明があって、より暗さが引き立ちますし、遊具や木の死角が多いですから、もしかしたらそこら辺で男女が面白いことになってたり死体が転がってたりするかもしれないとつい想像してしまいます。」


「想像力が変な方向へ豊かですね。」


「いえいえ、あながちただの妄想で終わらないかもしれませんよ? この後の展開次第ではあなたが私を押し倒したり、殺したりする展開もあるかもしれませんし」


「さっきから思ってますけど、あなたは襲われたいんですか、マゾですか。オレを加害者にしたいんですか?」


「いえいえ、もしかしたら加害者は私かもしれませんよ? 『正当防衛』という大義名分のもと合法的に殺人をしたいとか、そういった考えの殺人鬼の方々も割と多いですし」


「殺人鬼自体多くないでしょ。少なくともオレの知り合いには一人も居ません」


「私は知り合いに十人ほどいますが?」


「マジですか……」


 目が嘘を言っていなかった。

 平然と『知り合いに殺人鬼が十人いる』などという、普通なら冗談だと流してしまうような告白をしながら、ローズは少年の反応を不思議がるように言う。


「大体、この国が平和で安全過ぎるんですよ。治安の悪い国なら、こんな薄着の女性(レディ)が夜中の町を出歩いてたら、襲わない方が失礼だというものです。」


「カルチャーショック半端ない発言なんですけど……何言われても、オレはあなたを押し倒す気なんてありませんよ?」


「『殺す気はない』とは言わないんですね」


「…………」


「流れによっては、殺すことも考えている……いえ、『殺せてしまうかもしれない』と思っているとかですか?」


 またしても、心の奥がざわめいた。

 まるで、頭の中をのぞき込むような目の光に、言葉がつまった。


「あ……あなたは一体、何者ですか?」


「ただの通りすがりの偽物ですよ……でも、変ですね」


 ローズはそっと手を伸ばし、少年の頬を包み込むように撫でる。

 視界に入る腕の刺青を見つめると、また心が僅かにざわめいた……が、少年はすぐに気持ちを収める。


 そして、まるでその内面を垣間見たように、ローズが微笑む。


「くすくす、あなたはやっぱり面白い人ですね。普通の人間ならこれだけ揺さぶれば獣のように襲いかかって来てもおかしくはないくらいなのに、心音も体温もほとんど変化なし……というより、即座に元に戻りましたね。暗示が効かないわけではないようですが、人格(プログラム)の再構築が早過ぎて効果が現れる前に無効になってるんでしょうか。これはまた、珍しい精神構造してますね……自殺しようと思った原因はこれですか?」


「……もしそうだとして、あなたにどうにかできるんですか?」


「話してくれればどうにかできるかもしれませんが、現状では無理ですね。表層意識をこじ開けて深く覗き込もうにも、開けた隙間がすぐ塞がってしまうような状態ではよくわかりません。あなた自身が詳しい経緯を話してくださらないと」


「……初対面の人に話すようなことじゃないです。」


 少年は少々考えるそぶりをしてから拒絶の言葉を吐いた。

 だが、ローズはそんなことをまるでどこ吹く風と言うように、笑いかけた。

 むしろ、『返事はそれで十分だ』とでも言うように。


「なるほど、情報を聞き出そうとされた場合の再構築は一段と速いですね。その『秘密』の保持はあなたの根幹にかかわる問題……あなたの行動原理に関わるものなのですね? そして、あなたはそれを私に話そうとは思えない……私こそがその宝箱の中身を解決するかもしれないのに、おいそれとはそれを見せられない。それは、それを話すと私を……殺さなければならないかもしれないからじゃないですか?」


「……それは飛躍しすぎじゃないですか? ここは平和な法治国家日本ですよ?」


「人間が人間を殺すのは時代も国も関係なく、いつでもどこでも起こりうることですよ。まして、あなたのように正常な状態だとは言い難い人が……ましてや、その『秘密』を守る為に生きているような状態の人が、秘密を守るためにそれを話した相手を消すことなどなにもおかしくないでしょう。しかし、あなたも自分でそれを分かっているからこそ、自分がそのために私を殺してしまうのではないかと……『殺せてしまう』のではないかと思っている。だから、言いたくても言えないんです……こうでもされなければ」



 それは拳銃だった。

 ダブルアクションのリボルバー。

 それが、ローズの手に握られ、少年の額に突き付けられた。



「えっと……これは……」


 モデルガン……などというオチは無さそうだった。

 全身の刺青に拳銃……もはや非日常の塊。だが、それらは逆にマッチして現実味を帯びている。


「これなら、あなたは私を殺せません。むしろ、あなたは自分の命と隠している情報を守るためにも私に全てを話さなければいけません。そして、宣言しておきましょう『私は、あなたが秘密を話さなければ私はあなたを殺して、しかる後にその秘密を全て暴きます。私はあなたが抵抗しても必ずあなたを殺します』……どうです? 私は結構本気ですよ?」


 その目は、いつ引き金を引いてもおかしくないほど本気だった。




 結局、少年は今まで誰にも話したことのなかった自分の嘘を見抜く能力から、父親の不倫現場、腹違いの妹、吐き続けた嘘、そして現在まで全て話すこととなった。

 そこに嘘は混ぜなかったし、隠したことも何一つなかった。

 それは、銃を突き付けられたからではない。もちろんきっかけとしてそれもあることにはあるが、銃が怖くて全てを話したというわけではない。


 待っていたのだ。彼の嘘をあばいてくれる存在を。

 交通事故などという不条理な要因によって幕引きのタイミングを失ってしまった茶番を終わらせてくれる観客を。

 近しい誰にも相談できなかった重い秘密を、打ち明けられる赤の他人を。


 ローズは探偵ではなく、謎解きもせず、説得もする気がなく、拳銃を突きつけながらだったが……最後まで聞いてくれた。





 そして、全てを聞き終えた彼女は優しく言った。

「それはそれは……三年間もよくがんばりましたね。優しい嘘と言えば陳腐な響きかもしれませんが、あなたの行いはなかなかできることではありません。」


「あの……なら拳銃をどけてもらえると嬉しいのですが」


「でも、あなたが払った代償はあまりにも重いと言わざるを得ません。平和で普通で尋常な人生を謳歌するのだったら、父親の不倫を母親に告げるか、もしくは不倫相手の方にもうあなたの父親に近付かないように言うべきでした。その点、全てを自分一人で背負ってしまおうとした、間違ったものを間違ったままにしてしまった、そして『そんなこと』のために才能の全てをつぎ込んでしまったことはとても褒められることではありません。自業自得もいい所……とても、愚かな行為です。」


「あ、意外に評価が手厳しいですね」

 容赦のない評価だった。

 だが、ローズはそんな少年を言葉とは裏腹に慈しむように見つめ、拳銃を少年の額から離した。


「いえ、私はこれでも褒めているつもりですよ。私は自分の周りの小さな世界……それも歪で、間違ってて、嘘と背信に満ちてて、他人から見たら守る価値も見いだせないような『世界』を守るためだけにそこまでできる人間がいるなんて知りませんでした。人類のためでも地球のためでもなく、夢のためでも名声のためでもお金のためでも出世のためでも忠義のためでも友情のためでも生き残るためでもなく、自分がなくなるまで戦うことが出来るなんて……本当に、あなたは面白い」


 ローズは、拳銃を握っているのとは逆の手で少年の頬を再度触る。


「あなたの症状は自我境界の消滅、原因は自己に対して繰り返し使用した強力な自己暗示でしょう。深い暗示は危険なので本来素人がやってはいけないものです。まして、自分自身に記憶支配や感情支配をかけ続けるなど、自分の脳の外科手術を自分で行うようなものですよ。むしろ、廃人になっていないのが奇跡のようなものです……あるいは、今の形がもう既にどうしようもなく壊れた結果であり、それが奇跡的に客観的に見たら人間の振る舞いとして成立するようになっていると言えるかもしれません」


 ローズは普通は避けるような表現も全く遠回りに表現せず、単刀直入に言う。

 だが、少年にとってはそれはむしろありがたかった。


「壊れた結果……確かに、そうかもしれません。さっきだって、暗示ではできない『自殺』をしようとしたら、もしかしたら今までの自己暗示が全部解けて元に戻るかもしれないって思って……」


「残念ながら、自殺したら普通に死んでましたよ。あなたはそんな一般的なレベルの状態じゃありません。今のあなたは精神を改変しすぎてもはや自分の精神を自分のものとして認識できない。ロボットを操作するように自分を動かし、ロボットを破棄するように自殺できてしまう。自分の全てが『自分の端末』でありながら、全てが『自分』ではない。たとえて言うなら……『ブリキ人形』ですね」


「『ブリキ人形』……『オズの魔法使い』ですか。魔女の魔法で斧に呪いをかけられ、自分の手足や体を斬りつけてしまい、それらをブリキに挿げ替えた樵。だが、命はあっても心臓と共に心を失っていてもう恋人を愛することもできなくなってしまった……確かに、オレと似てるかもしれない」


「まあ、あなたは呪いではなくただの自傷ですが」


「台無し……で、あなたはそんなオレに木屑を詰めた心臓でもくれるんですか?」


「まさか、私は『救世主の偽物』ですよ? そういう役は私のような贋者(ペテン)ではなく心の底からあなたを思いやれる本物(オリジナル)がやらなければ意味はないでしょう。それに、技術的に考えても私ではあなたの精神を一般的な人間の構造に戻す事なんて出来ませんよ。私の本物(オリジナル)が完全な『聖遺物(メダル)』を使ってブーストした状態でやっと……私の『聖痕』ではあなたを治すことはできない。」


 そう言って、ローズは自分の腕の刺青を撫でる。

 おそらく、その刺青こそが彼女が『聖痕』と呼ぶものなのだろう。実際、少年はその刺青を見る度に心がざわめくような感覚を覚えるのだ。



「しかし、治すのでなければ出来ることはあります。」



 そう言って、ローズは少年の頬から手を離し、それを自分と少年の中間地点で止めた。


「私と一緒に旅をしませんか? その狭くて息苦しい世界を捨てて、私ともっと大きな世界へ行きましょう」


 少年はその握手を求めるような手を見つめる。

 そして、呟くように言葉を紡ぐ。


「何で、オレなんかにそんなことを?」


 ローズは楽しそうに微笑みながら迷いなく答えた。


「前々から、私の思い通りにならない人と旅をしたかったの。あなたとの旅は……きっと楽しい。あなたとなら、きっとどこまでも行ける。そんな気がするの」


 その表情は、本当に少年との旅を夢見ていた。

 まるで、無邪気に夢を見る少女のような目だった。

 そして、嘘偽りなく……寂しそうだった。


 その顔を見て、少年は言った。



「ごめんなさい、でもオレは今ここを離れるわけにはいかないんです。生きている限り、オレは自分の周りの世界を守りたい」



「……この状況でそんなことを躊躇なく言いますか。まあ、そういうところが気に入ったのですが……残念です」


「ごめんなさい」


 少年は頭を下げる。あるかなしかの心を精一杯に込めて謝る。

 オズは顔を手で覆い隠してその隙間から小さな声で言う。


「ちょっとだけ、向こうを向いててもらって良いですか? 泣き顔を他人に見られるのとかちょっと嫌ですから」


 少年は黙って背を向ける。

 そして、背後では抑えた呻き声と……衣擦れの音がする。


「……え?」






 上半身の服を脱ぎ捨てて体中の刺青を露わにしたオズが、少年の顔を両手で捕まえて自分に向かせた。

「じゃあ、ふられちゃった腹いせに、あなたを壊してしまいましょう。あなたに残った『人間』の欠片を、当初の志を、存在目的を消してしまいましょう。ブリキ人形に残った脳味噌を取り出して食べてしまいましょう。あなたは、もはや自己の喪失に悩む頭さえない、心臓も脳もないただの『人形(ニセモノ)』になればいいのです。」


 その目が、刺青が、言葉が、匂いが、感触が……全てが脳を掻き乱す。

 今までのざわつくような感覚が小手調べだったかのように、深く強く、容赦なく干渉される。


「な……なにを……」


 『壊される』のを感じる。

 元に戻すのが間に合わないほど、激しく乱される。


「あなたを『治す』ことは私には出来ません。しかし『壊す』だけならなんとか出来ます。もう元には戻らないでしょうが、もうどうやったら普通の人間に戻れるかなど悩む必要はありません。あなたの中の『原型(オリジナル)』を破壊しますから、これからは本来の自分などに縛られる必要はありません。どうかこれからは『本物』のこと違いなど気にせず、自由な偽物になってください。」


 少年は理解する。

 ローズは、ただ自分を壊そうとしているのではない。自己暗示で引き返せない所まできた彼が、最後まで消しきれなかった部分を消そうとしている。


 そこまで理解したところで、ローズは申し訳なさそうな、このようなやり方しかできない事を謝るような顔をする。


「ごめんなさいね。あなたが遭ったのが私の方ではなかったらもっとちゃんとした救い方ができたのでしょうが、私ではこんな醜い方法しかとれなくて……恨み言を言うなら今の内ですよ? 私は世界を追われる身ですから、あなたが一緒に来ない以上、どちらにしろ私は行程の最後にあなたの記憶を消さなければなりません。でも、今はあなたがどんなふうに私を糾弾しようとも甘んじて受け入れます。私はそれを忘れません。」


 そう言って、ローズは銃から玉を全て抜き弾切れ状態にしたそれを少年の目に突きつける。


 それが空だとわかっているのに、少年は命の危機を錯覚する。

 眼前の黒い銃口に意識を呑み込まれるような感覚を受ける。


 ローズマリー……その花言葉は『記憶』。


 おそらく、それが暗示の最終工程なのだろう。

 死を錯覚させることで、彼の人間の部分に止めを刺すのだろう。


 銃口を向け、ローズは冷徹を装って言った。


「さあ、言い残したいことは?」


 少年は……行幸正記は心から言った。



「ありがとう。この恩は一生忘れない」







《現在 DBO》


 デスゲーム開始から101日目。


「以上が、メインユーザーの証言、及びその周辺の記録から復元した現在の彼の人格形成の過程です。これ以降は他者の人格の模倣を開始しますので関連人物に関する情報がメインとなりますが……そちらの記録もご覧になりますか?」


 『時計の街』の教会の一室。

 プレイヤー達からは『カウンセリングルーム』と呼ばれる部屋で、赤茶色の髪の少女が平坦な口調で長い話を語り終えた。

 そして、この部屋の主はティーカップに二人分のココアを注ぎながら穏やかに答える。


「いえ、結構です。どうも詳しい話をありがとうございました。メモリちゃん」


 そう言いながら、この部屋の主マリーは席に座り、メモリにも席を勧める。


 メモリは無表情なまま頷き、やや高い大人用の椅子に上るように座る。


「お礼には及びません。メインユーザーから『マリーにも何か聞かれたら出来るだけ教えてやってくれ』と言われているので、わたしはその指示に従って情報を開示したに過ぎません」


「いえいえ、まさか本人の記憶からも消えているようなことまで教えてもらえるとは思いませんでした。」


「破損した記録の修復もわたしの機能に含まれていますので、当然のことです。それに、わたしの役目はメインユーザーのバックアップデータです。本人が憶えていないことを憶えていてこそ意味があります。」


 そう言い、メモリはココアをゆっくりと飲み始める。ココアはまだ熱めだが、メモリは表情を変えない。マリーがライトから受けた説明だと、普段のメモリは入力(インプット)状態で、周囲のあらゆる情報を集めるため好奇心旺盛な子供のような性格だが、現在のように出力(アウトプット)状態になると自己の感情や主観を交えない純粋な情報を提供するために機械的になってしまうらしい。

 その豹変ぶりにはさしものマリー=ゴールドも少々驚かされたものだ。


 ……まあ、ココアを味わっているあたり、出力状態と言っても能動的に情報を集めていないというだけで受動的には情報を集めているようなので、無表情でも味を楽しんでいるのかもしれない。


「それにしても……まさかあの子が関わっていたなんて、ちょっと驚きました。そうですか……元気でしたか」


「補正情報。この情報は一年以上前のものです。現在も現在であるとは限りません。また、その人物に関する情報は不確かな部分があります。ご了承ください」


 メモリが極めて機械的に注意事項を添えると、マリーはクスクスと笑う。


「そうですね。あの子は自分を見た人間全ての記憶から消えるようにしてるでしょうから、機械的な記録には残っても記憶には残りません。それをここまで調べたのですから、あなたは大したものですよ。」


「…………質問をしてもよろしいでしょうか? 良ければ『許可』と言ってください。そうでない場合は……」


「はい、許可します。質問の内容もわかりますよ。『ローズマリーが何者なのか』でしょう?」


「はい、その通りです」


「彼女は簡単に言ってしまえば私のクローン……偽物(コピー)です。前のゲームの後行方が分からなくなっていましたが、まあ元気でやってるようで安心しました。」


「……了解しました。情報を更新しておきます」


「そうですね……ところで、もう一つ聞いても良いですか?」


「どうぞ」


「ライトくんがそこまでして守ろうとした妹さんやライトくんのお母さん、それに妹さんの家族はその後どうなりました?」


 僅かな沈黙の後、メモリは平坦に答える。


「ロックが指定された情報なので本名(フルネーム)は明かせませんが、腹違いの妹はそもそも自分が母親との不倫相手との間にできた子供だとは知らず、両家の母親はメインユーザーの働きかけによって立ち直り、戸籍上の正妻の下へは十分な生命保険と遺産が入ったので数ヶ月で日常を取り戻しました。しかし、妹の方はメインユーザーの父親から秘密で生活支援を受けていたらしく、さらに仮に血縁関係がないと養父に発覚すると激しい家庭内暴力が発生する可能性があると考慮され、小学二年生になるタイミングで養子として家を離れました。相手は経済的にも安定しており、彼女の高い知能を買ったらしく、四月から会えてはいませんが、引き取られた先の家に馴染みつつあるそうです。」


「そうですか……彼は、ちゃんと世界を守ったみたいですね」


「……補足情報ですが、妹の以前の家族に関してはほとんど交流がなくなりました。メインユーザーからの情報では記録が不十分かと考え、わたしが個人的に調べたことですが……妹がいなくなった後の家庭は夫が失業してギャンブルにはまり込んでおり、家庭内暴力も再発しつつありました。しかし、メインユーザーは彼女達の家庭にはほとんど興味を持っていませんでした。」


 その情報にマリー=ゴールドはやや驚いたような顔をした後、首を振り、メモリに言った。


「……ありがとうございました、もう結構です」


「こちらこそ、ご利用、ありがとうございました」





 メモリが入力状態になって部屋を出て行ってから、マリーはしばし一人で紅茶を飲みながら考える。


 ライトの異常性の原因……『哲学的ゾンビ』としての彼の生みの親がわかった。


「まさか、『先生』と会う前に『あの子』に会ってるなんて……なかなか、私とあなたは深い因果で結ばれているのかもしれません」


 『先生』と出会い、デスゲーム『The Golden Treasure』に参加して自分のクローンと対決したマリー。

 マリーのクローンと出遭い、『先生』に目を付けられデスゲーム『Destiny Breaker Online』に参加してマリーと出会ったライト。


「世界は広いが世間は狭いってわけですか。それにしても、ライトくんはよくよく変な人と縁があるようですね」


 オズを始めとして、『先生』、スカイ、ナビキ、ジャック、メモリ……そして、自分。 

 ライトは自分の『世界』を守るためなら何だってするだろう。それこそ、死んでも守り抜くのだろう。何故なら、彼には『そこ』しかないから。その外は、妹の去った後の家庭のように大事に『できない』から。


 彼の『他人の望む未来を読む』という能力は、そこに由来するのだろう。自分の周りの『世界』を維持するために、みんなが満足して生きられる『世界』を作るためだろう。


 だが……


「でも、世界を守ってるからって、世界に守ってもらえるわけじゃないですからね。ライトくんがどんなに世界を大事にしても、世界の全てがライトくんの敵に回るかもしれません。だから……」


 これは独り言。

 自分以外の誰にも聞かれない独り言。

 だが、それゆえに今ここにいる自分への決意表明に……暗示になる。


「私は何があっても、ライトくんを嫌いになりません」


 もはや誰も知らない、存在しない、しかし確かに存在し、人知れず『世界』を守った少年に、マリー=ゴールドは人知れず宣言した。

 今回はライトの過去回想でした。

 時間軸的には、彼が『師匠』に会うのはこの少し後になります。


 今まで小出しにしていたライトの半生をまとめましたが、もし矛盾があったらごめんなさい。



 あと、ライトがカカシからドロップした帽子やスカイから受け取った羽織りを使い続けてるのは、父親が生前に言っていた『人からもらったものは大事にしろ』という言葉を律儀に守り続けているからという裏設定があります。

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