64頁:メンタルケアも大事です③
『ナイフスキル』
ナイフで戦うスキル。
破壊力は低く、装甲などにも阻まれやすいが、その代わり装甲の隙間や急所を正確に攻撃すれば大ダメージを与えられる。
また、武器を構えたまま走ったり回避したりもし易く、スピード型のプレイヤーに人気。
やや高い技術を持ったプレイヤー向け。
七美姫七海が行幸正記に会う以前で憶えている中で一番怖かった記憶は中学三年の夏、プールで溺れかけた時の記憶だった。
夏休みに涼むために行ったプールで、足をつって溺れかけた。
本気で死ぬかと思った。
しかし、必死で腕を動かし、顔を水面から上に出し、プールサイドまでたどり着いた。
後々考えたらそこまでプールサイドから距離は離れてなかったし、周りに人がいなかったわけではないので自分で手に負えないほど溺れたら助けてもらえただろうから、実際はそこまで命の危機ではなかったかもしれない。
だが、七海自身にとっては恐ろしいことだった。
仮に、溺れかけたことで、あがいている途中に記憶が消えてしまっていたらと思うと背筋が凍る。
それから、肉体的な苦痛に対してのストレスには比較的強くなった。
しかし、精神的なストレスへの耐性は変わらなかった。
だからこそ、七海にとって……ナビキにとって、ライトのメンタルの強さは異様に写り、同時に羨望の対象となった。
特に、肉体より精神の強さが目立つデスゲームの世界において、ライトのその精神はまさしく『不死者』にふさわしいものに見えた。それに比べて、ナビキ自身の精神がどれだけ脆弱か、嫌というほど自分を振り返った。
だが、ナビキは本当はわかっていない。
ライトもナビキも、正記も七海も、元々はただの人間なのだ。
ライトにも弱い部分はあるし……ナビキにも、強さは眠っている。
≪?? ???≫
『ジギル博士とミスターハイド』
人間の善悪を入れ替える薬を発明した科学者が、自分自身に薬を投与して人格が激変し、『裏側』という人格が発現し悪事を働くようになる。
そして、次第に薬に依存するようになり、最終的にはハイドに主導権を奪われ、最後の力で毒薬を飲み自殺するという悲劇だ。
なぜ、こんな話をするかと言えば……
「私『ジギル博士』と『ミスターハイド』をやることになるなんて……」
「まあ、主人公が女性になるから少し台本に手直しを加えておいたが……普段の状態の七美姫さんはジギル博士、オレを殴った時と同じ感じでハイドをやってくれ。その二面性はこの役にぴったりだ」
演劇部の新入部員、七美姫七海は異例の大出世。
入部早々劇の主役を張るという異例の事態である。
正直、七海自身そんな意見は部活の先輩方には通らないと思っていた。
だが、驚くべき理由でその意見は承認された。
『元々の主役が指名したなら別にいいじゃね?』
『そいつがやらないって言ったら他の奴にできる役じゃねえからな』
『女の子のジギルハイド、リアリティーがありすぎる行幸よりギャップ萌えで面白いかも』
なんと、元々の主役は正記だったらしい。
七海を驚かせた『役作り』も、実は末期のハイドの役だったそうだ。
そして、七海のタキシード姿を見て『これは行ける』と思ったのだという。
大体予想はしていたが……部長、行幸正記に続き他の面子もなかなかに非常識な人間が揃っているらしい。おかげで、その配役が決まった翌日から早速練習開始だ。
しかも、この部活には毎月『お披露目会』というのがあるらしく、そこで演劇部に属していない生徒や教師、時には生徒の保護者が劇を見に来る。
とは言っても、さすがに新入生の勧誘などで忙しくなる五月は二年生だけの簡素な劇になり、本格的に新入生が活躍し始めるのは六月。『ジギル博士とミスターハイド』は六月の劇であるが……六月の劇は五月が簡素な分、本格的な劇をやることになる。その年の新入生と引退する三年生が一緒に登場するほぼ唯一の劇ということもあり、一年の活動の中でも目玉とされている。
失敗はできない……絶対に。
昔の演劇は舞台のセットからなにから物理的に製作していたらしいが、今では製作費のかかる背景は立体映像。時には、けがの危険もある武器の類もホログラムを使う。
実際に物理的に用意するもの……今回の演劇の練習段階で使うものは、衣装、簡単な小道具、机などの家具、そして役者そのものだ。
何より重要なものはもちろん役者の熟練度だ。
そのため、演劇部の部員は普段の練習から『体力』『身のこなし』『武器の扱い』『演技力』などの劇に必要な能力を鍛え上げる。
その一つが『声量』である。
「はい、もっと腹から声出して!! オレとコスプレ談義したときのこと思い出して!!」
「コスプレ談義なんてしてません!!!!」
「「「おー」」」
瞬間的に跳ね上がった七海の声量に舌を巻く演劇部の部員達。
だが、その一回で息切れした七海は咳き込む。
「声を出す下地はあるんだけど……腹に空気を蓄えるのが下手だから続かないんだよな。まあ、一度休憩しとこう。あっちの方で休んでてくれ」
「は、はい」
正記に促された七海は演劇部がいつも占領している『第三屋内運動場』の端に複数の机などとまとめて置いてある椅子の一つに座る。
そして、ため息を吐く。
まさか、ここまでの大役だとは思わなかった。
というか、正記は次期部長候補筆頭らしい。正直、あんな男が部長で大丈夫なのかと心配になる。
正記は疲れを知らないらしく、五月にやる短めの演劇(新入生に見本として見せる用でもあるらしい)の練習として『怪物フランケンシュタイン』の役になりきり、群がる警官隊の役の演劇部員を薙ぎ払っている。
素晴らしいリアリティーだ。
正記の『哲学的ゾンビ』としての特技を最大限に生かし、『架空』の人造人間ですら『本物』のように再現している。
存在しない銃で撃たれて苦しみ、叩きつけられる警棒を掴んで止め、取り押さえようと飛びかかってくる警官を怪力で振り払う。
対して自分はどうだろう。
自分自身の人格すら統合できていないのに、主役……よりにもよって二重人格の人物になりきることなんてできるのだろうか?
もう外は暗くなってきている。しかし、かなり時間をかけたのにも関わらず、進んだのは少し大きな声が出せるようになったくらい……
『のどかわいた』
多重人格の方も解決していない。
相変わらず自己主張の強い左手だ。
左手は机の上に置いてあったお茶のペットボトルを手に取り、右手に手渡す。『飲め』という意思表示だろう。お茶は部費で買った部員達への支給品なので遠慮なくいただく。
七海は声を出し続けて喉が渇いていたのでその通りにお茶を飲む。
自分の中の二つの別人格について、二日間の観察でわかったことがある。
口数の多い方の『ナビ』は基本的には七海の質問には答えてくれるし、荒っぽい性格だが七海のことを守ろうと思っている。それに、一度やったとおりに七海の体全体を乗っ取ることもできるようだが……七海の許しなしには左手以外動かす気はないらしい。
一方、口数の少ない『エリザ』については会話が少ない分わかっていることが少ない。しかし、もしかしたら元からそれほど引き出す情報のないのかもしれない。
基本的に夜か早朝しか出て来ない。そして、その主な発言・行動の目的は『おなかへった』『ねむい』『トイレ』のような生理的欲求がほとんどだ。実際、それは七海自身が感じていることではあるのだが、エリザは周りのものを強い力で掴んで『ストライキ』を起こすことがあるので注意が必要だ。
今回のように、食べ物を勝手に引き寄せたりして来る。買い物などで万引きされると困るので、店などに行くときには空腹はある程度満たしてから行くことにした。
基本的に彼女達は『ハイド』のように悪さはしない。
だがやはり、この『異常事態』を何とかしたいという欲求もある。自分の一部に対してこう言うもなんだが、どこか信用しきれていないのだ。
本当は体を乗っ取ろうとしているのではないかと少し思ってしまうのだが……おそらく彼女達には筒抜けなのだろう。おそらく本当に純粋に自分の心を守ろうとしてくれてる彼女達に申し訳ないが、考えてしまう。
「せめて、何が欲しいとかって言ってくれたら……」
「七海、そのお茶が欲しかったなら一言声かけてほしかったのはオレの方だ。」
七海が驚いて声の方を見ると、怪物の役を終えてタオルで汗を拭いながら立つ正記がいた。
「てか、蓋開けるときに気付くだろ普通」
「ふた……」
「それ、オレの飲みかけだ。発声練習で喉乾いてたのはわかるが、ふたの開いてないやつ選べよ」
「え……ぇぇええええええええええ!!!!!!」
この日一番の声が出た瞬間だった。
それからというもの、七海の学校生活は一転した。
部活という目的ができたことで、学校に行くのが楽しみになってきた。
部活では新入部員の中でも一番早く練習を始めていることで他の新入部員からも一目置かれるようになり、友達のようなものもできた。
別人格の二人とは、時々話をしながら心の距離を縮めようとしているが……これは正直あまり進展している気がしない。というより、二人からは『心の距離の前にあたしらはお前の心の一部だから元から零距離だろ』とか言われている。ちなみに、ハイドの役については文句を言いながらも満更でもない様子でナビが演じてくれている。そのあたり、ナビとの距離の方がエリザとの距離よりだいぶ近いだろう。
演劇部員の中でも正記は特によく話し合うことになり、七海は時に口論に負けて様々なコスプレを着せられたりした。
そんなある日の掃除の時間……七海のメモ帳がなくなった。
日記は前の失敗を生かして家に置いてきたが、最低限の情報はメモ帳にまとめてある。
情報にバックアップがあるとしても、他人に見せたい情報ではない。赤裸々な個人情報だ。
七海は、メモ帳の代わりに鞄に入っていた紙に書いてあった通りに焼却炉の前まで来る。
おそらく、前に日記とメモを燃やした連中だ。
七海は部活で自信がついていた……しっかりと自分の声で『やめてほしい』と言うつもりだった。
しかし、事態は予想より悪かった。
前のことで学習したのか、メモ帳を盗んだらしき者達は七海が反抗的な態度をとるや否や、すぐにメモ帳を燃やしにかかった。
七海にはそれが許せなかった。
記憶さえ消させればまたリセットできる、何度でもいじめを楽しめると思っているらしき者達に腹が立った。
だから、暴力に従うことに躊躇しなかった。
「舐めんじゃねえぞおら!!」
その日、七海は部活を休んだ。
次の日、七海の身体上の『特殊な事情』を知る学校側にいじめ問題が発覚してなんとか厳重注意だけで処罰を乗り越えた七海は凹んだ。部活はもちろん休んだ。
暴力を振るってしまったこともそうだが、何より自分の変化が怖かった。
自分自身でなくとも、その分身であるはずの『ナビ』に喧嘩を『やらせた』というのが自分の中でショックだった。自分自身で立ち向かうはずだったのに、よりによって手を汚させてしまった。
わかっていたはずだ『ナビ』が暴れたら正当防衛では済まないことを。
ある意味、自分自身で喧嘩するより悪い。
そして、自分自身が恐ろしい。
それこそ……ジギルとハイドのように、いつか手が付けられなくなってしまうのではないかと恐ろしくなる。自分が制御できない状態で取り返しのつかないことをしてしまうのではないかと思ってしまう。
どうすればよいのか……答えは、劇の台本の最後にあった。
『ジギル博士は最後の意志を振り絞り、自らの手で毒をあおった』
「毒……はないから、洗剤でいいかな」
七海はコップに並々注いだ液体の洗濯洗剤を見てしばし悩んだ。
致死量がどのくらいかは知らないが、簡単に手に入る中で一番毒性が強そうなのはこれだった。
「一応、『いじめに耐えかねて自殺』ってことになるの……かな? もう先生に伝わった後にってのも変な話だけど……」
とりあえず遺書は簡潔に書いておいた。
事情を知る行幸先輩には名指しの特別な遺書も書いておいた。
七海は、自分の部屋でコップに入った毒(洗剤)を飲むことにした。ガスや練炭なども考えたが、火事などになって他人に迷惑をかけるのも嫌だった。
見た目からして美味しくはなさそうな液体の大量に入ったコップを右手で持ち、口元に運ぶ。
……苦い。舌先に触れただけで洗剤を選んだを後悔し始めた。
美味しい毒とか売ってればいいのに。
「ええいもう! 死んじゃったら不味いも美味しいもないです!」
一気にコップを傾け……
急に体の自由が利かなくなり、コップを壁に投げつけた。
「……不味い……これ、おいしくない……いらない」
洗剤を一滴として飲まないうちに、自殺は失敗した。
理由は簡単だ。止められたのだ、『エリザ』に。
結局、七海は自殺をあっさりと諦めることにした。そいうより、そうせざるを得なかった。
いつだろうと、心の中から七海を見張っているエリザの出し抜いて死ぬことなどできない。
そして、さらにその翌日。
七海は部活に出て来た。そして、悩みぬいた末に正記に相談する。
「行幸先輩、もしジギル博士が自殺できなかったら……そのあとはどうしたらいいんでしょうか?」
「物語のIF展開の議論か? まあ、登場人物の行動パターンを見極めようとするのはいい心がけだが……オレとしては、ジギル博士は自殺する必要はなかったかもしれないと思ってるよ」
「え、でもそのままだとどんな悪事を働くかわからないのに……」
「まあ、確かに被害者の数人は出るかもしれないけど、たぶんハイドは悪事より薬の開発に専念して『善人になるための薬』を発明すると思う。まあ、それが成功するかはさておき、開発しようとすると思う。」
その答えは七海にとって意外だった。
ハイドはジギルの悪の部分。最後には肥大化し制御が利かなくなる。
そんな成長を遂げたハイドが、何故もとのジギルに戻ろうとするのだろうか?
「『ジギルとハイド』は二重人格の暗喩って言われてる。解離性同一性障害で現れる新しい人格っていうのは、時に主人格の苦手なものを肩代わりするために生まれてくる。たとえば、いじめられっこの中に喧嘩に強い人格が現れて代わりに喧嘩をしたり、怒られることに恐怖を感じる子供の中に耳の聞こえない人格が現れて代わりに聞こえない説教を聞き流したり……まあ、時には自殺を試みる人格なんかも現れることもあるらしいが、基本的にこのパターンの新しい人格は主人格を守るために生まれるんだ。ジギル博士とハイドの関係性については、ジギル博士が表に出せない敵意やストレスを表に出す役割をハイドが担っていた。だから、ハイドがどんなに強くなっても主人格のジギル博士は完全には消えないし、ハイドだってベースが善人のジギル博士なんだからそこまで大規模なテロとかはしないさ」
「なるほど……肩代わりですか……」
気弱で喧嘩もできない七海の代わりに闘争を肩代わりする闘争本能の人格『ナビ』。
自分を労わらない七海の代わりに生存のための欲求を満たす生存本能の人格『エリザ』。
二人は、見事にその役割を果たしている。
ナビは外敵から七海を守り、エリザは七海自身から七海を守っている。
もしかしたら、必要とあれば自分を守るために他人の命を奪う可能性も捨てきれないが、それは誰だって秘めている可能性だ。
「まあ、オレの場合、周りとの関係もあるから師匠の指定で人格は基本的には今の『オレ』だが、場合によっては躊躇なく別の人格に組み替える。あんまり深く入りすぎると戻るのに苦労するけどな」
「それって……怖くないですか? もしかしたら、別の人格が勝手に人を殺しちゃったりしたら……」
「その時には全力で償うよ。身内の不祥事だ」
『分身みたいなもんだ、当然だろ?』正記の顔はそう語っていた。
それからは、七海は自分の中にいる二人の人格の裏を読もうとはせず『そういうものだ』と考えることにした。
見本は正記だった。
彼は自分の人格に困惑せず、完全に受け入れて利用している。
演劇ではその能力を有効活用し、様々な役を見事に演じきっている。しかも、周りにそれを『演技力』として認めさせている。多少不自然なことも適当に誤魔化して、『他人と違う変なところ』ではなく『個性』として認めさせている。
七海は二人の別人格を隠して押し込めるのではなく、少しだけ『利用』するようにした。
クラスで馬鹿にされそうになった時には『ナビ』に代わってもらって軽く睨みを利かせて脅しをかけた。
『エリザ』は基本的には学校生活などには口出ししないが、七海の体調管理にはよく口出ししたし、注意力が高く、躓きそうになったり人にぶつかりそうになったりした時には教えてくれた。
そして、そうして正記を観察して見本にしているうちに、近くにいると心が安らぐのを感じ始めた。
そして、『ジギル博士とミスターハイド』を書き換えた『ジギル博士とミスハイド』の『お披露目会』の朝。小道具、衣装の整備とチェックのために演劇部があつまったが……七海は部室の隅で衣装を見つめながらブツブツ呟いていた。
「わたしはだいじょうぶやれるうまくできるしっぱいしないさいごまでやりきれるしんぱいないしんぱいないきっとやってみればできる……」
「おい大丈夫か? 緊張を解くには手に『人』って三回書いて呑みこむといいらしいぞ?」
「もう五十回くらいやってます!!」
「軽く観客数超えるよ。てか、緊張しすぎだ……やりすぎるともう逆効果になりそうだし、いっかい深呼吸しよう。ヒ、ヒ、フー」
「それ子供産むときのやつですよ!!」
「おめでとう、人間だ」
「『おめでとう、女の子だ』みたいなノリで言わないでください!! 私がいくらゾンビだと言っても、生まれるのは普通に人間ですよ!!」
「まあ、一生人間かどうかは保証できないがな」
「やめてくださいよ怖い可能性の示唆!!」
「ま、それ以前に子作りする相手がいるかは知らないけどな!」
「ほっといてください!! そしてそんな恥ずかしい話をその音量でしないでください!!」
緊張が吹っ飛ぶくらい恥ずかしい会話だった。
緊張と一緒に台詞が吹っ飛ばないか心配だ。
「てか純情すぎるだろ、顔真っ赤だぞ。冷たいお茶飲むか? それか、敢えて飲みかけにした方がいいか」
「マジやめてください!!」
このネタでは何度もいじられている。
元々はエリザのせいなのだが、毎回恥ずかしいのは七海だ。
おかげでお茶のペットボトルを見るたびに顔真っ赤だ。
そろそろ流石にわかっている。
七海は正記のことを意識している。しかも、異性として……
問題は、正記は七海のことを『同族』とは思っていても『異性』とは認識していないような人だというこだ。むしろ、実は今の正記の人格は女性なんじゃないかと思い始めているくらいだ。
「はあ……はあ……そういうの、行幸先輩は言ってて恥ずかしくないんですか?」
「そんなこと言っても……どんな台詞でも平然と言えるくらいじゃないと一人前の役者にはなれないぞ」
「演劇初めて二か月の私にそこまでのプロ根性を求めないでください!」
「オレは入部一か月で師匠のアドリブで斬り合いさせられたぞ? 本番で、しかも本気」
「部長もすごいけど行幸先輩もすごすぎますよ」
七海は深いため息を吐く。
正記は本当にメンタルが強い。舞台でも緊張など全く見せない。
それに比べて、今の七海は情けない。情けなさ過ぎて笑えてくる。
何故正記は七海にこんな大役を任せたのだろうか?
正記なら、そのまま女役の『ジギルとハイド』になることだって夢ではないだろう。
「やっぱり行幸先輩の方が主役に向いているんじゃないですか? 今から配役変えても出来そうに見えますけど」
「ま、できるだろうな。やらないが」
正記はあっさりと『出来る』と答えた。
「じゃあなんで私なんですか?」
元はと言えば、七海を主役に半ば無理やり据えたのは正記だ。
劇の完成度を考えるなら正記が主役を張った方がいいに決まっている。
疑問を呈す七海に対し、正記はニヤリと笑う。
「この役やれば、自分の中の別の人格との向き合い方の勉強になるだろうと思ってな」
「……へ? 知ってたんですか?」
七海は、少し遅れてようやく反応した。
「オレの人間観察スキルなめるなよ。行動パターンの違う人格……しかも複数いるな」
七海はドキリとする。
今まで、二つの別人格を少しだけ表に出すことは何度もあった。しかし、正記には劇以外で見せないように注意していた。観察力の高い正記に見破られるのを恐れていた。
ばれてしまえば、正記が七海を見る目が変わってしまうかもしれない。
『可哀そうな人を見る目』で見られるのは嫌だ。
七海は咄嗟に目を伏せて正記の目を見るのを拒む。
しかし、正記は素早く七海の顔を押さえ、七海の目を見つめる。
「怖がるな。オレはおまえも、『おまえ達』だろうとも、絶対に味方だ。何百人いようが気にしない」
全て最初からばれていた。
隠す必要はなかった……微妙な距離を作る必要はなかった。
その事実は、緊張なんて完全に忘れさせた。
「なんで今そんなことを……」
「悩んだまま決戦に臨むとか、あんまり気持ちよくないだろ? それに、真実を知った直後の決戦ってロマンチックじゃないか」
確かにドラマなどではよくある展開だが……ハードルがちょっと上がった。
まさか実際にやられるとは思わなかった。
「まあ、心置きなくやれ。失敗してもサポートしてやるよ。それに、悩みがあったらすぐ言え。相談相手にんなるからさ」
「……先輩、じゃあ劇が成功したらちょっとお話しする時間もらえますか?」
七海は心に決めた。
行幸先輩がどこまで知っているかは知らないが、劇が終わったら全て話そう。
そして、想いを伝えよう……その方が、ロマンチックだ。
『GM専用アカウント使用。「チートペナルティー警告」、警告音をマニュアルに変更』
劇は無事成功した。
その過程は日記には記さない。台本がそのまま残っているし、この感動を日記で表現するのは難しそうだから。
しかし、劇の片付けの後は精根尽き果てて解散。
慰労会はまた後日となり、七海と正記の『お話』も、その週の日曜日となった。
そして、その前日の土曜日。
七海は焦っていた。
「私、馬鹿だ……私服地味なのしかない……デートに着ていくような服がない……」
明日はファミレスで正記と落ち合って二人きりで話をするという手はずになっている。
七海としては、デートのつもりだ。
しかし、前日になって思わぬ問題が発覚した……オシャレな服がない。
今まで目立たないようにしてきたから、地味な服しかない。
「どうすれば……」
『買いに行けばいいんじゃねえか?』
「あ、そっか! ナイスナビ!!」
ナビの至極真っ当な指摘で七海はオシャレな服を買いに行く事にした。
七海は、家の近くの商店街を見て回る。
予算はそれなりに持って来てある。あとは服を選んで買うだけだ。
「行幸先輩どんな服が好きなんだろう……コスプレ以外の趣味知らないですし……」
さすがにファミレスデートにコスプレで行ける勇気はない。
そんな時、七海は見覚えのある『金色』を見かけた。
「……あ、あの占い師さん?」
七海はその『金色』を追いかけた。
お礼が言いたかった。
あのお呪いのおかげで演劇で主役になれた……変われた。
だから、一言だけお礼を……
「あ、おい!! こっちだぜマリー!!」
「あらあら、ちょっと待ってください。あなたは足が速すぎですよ、正記くん」
……え?
「足の長さが違うんだ。歩くスピードが違ってくるのはしょうがないだろ?」
「そういう時は遅い方に合わせるんです。何年私の恋人やってるんですか?」
「さあどうだろう? もう長すぎて忘れたかも」
「あらあら、そんな記憶力じゃ大人になってか大変ですよ」
……恋人? どういうこと?
「正記くん、今のあなたは幸せですか?」
「ん、幸せに決まってるだろ? マリーと一緒にいるんだしな」
七海はその場を逃げ出した。
「はあ……はあ……どういうこと……行幸先輩が、あの人と付き合ってて……しかも何年も……」
こんなのおかしい。
何かが変だ。この繋がりはおかしい。
電信柱にもたれかかって、七海は息を整えようとするが、精神が混乱してて呼吸が安定しない。
「彼が私の恋人ってことですよ。たったそれだけの事実です」
顔を上げると、そこには勝ち誇った笑みを浮かべる金髪の女性がいた。
「彼が想いを寄せるのはあなたではなく私……たとえ同族だとしても、やっぱりあなたより私がいいんですよ」
「そんな……」
「あなたみたいな精神異常者が、普通に恋なんてできるわけないでしょう?」
「……でも、先輩は……私が多重人格だからって……気にしないって……」
「彼は嘘のハイエンドですよ? どうしてそんな言葉が信じられますか?」
金髪の『おねえさん』は七海に顔を近づけていく。
七海は追い詰められて電柱と壁で囲われた場所に追いやられていき、しゃがみ込み、耳を塞ぐ。
しかし、声は関係なく響いてくる。
「いいですか、あなたは何をしてもうまくいきません。何をしようと無駄です。諦めてください」
「……ちがう」
「諦めて、折れて、挫けて、二度と立ち直らないでください……あなたがいると邪魔なんです」
「……違う」
いつしか『おねえさん』は小学生くらいの少女になり、七海の耳に語りかける。
「現実のことなんて忘れて、ずっとこの幻想の中を……」
ゲーム?
七海はその一単語に反応する。
何か……その単語は大事な気がする。
大切なことを忘れているような……思い出さなければならないような……
『ナビキ、頑張れ。もう少しだ』
『ナビキ……あとちょっと』
ナビキ……その名で呼ばれるようになったのは……なるのは、いつからだったか?
「…………違う……あなたはマリーさんじゃないし、さっきのも先輩じゃない……。ここは現実じゃないし、私はあなたを知らない。あなたの言葉なんて先輩の言葉に比べれば信じる価値もない。あなたは誰?」
「アップロード完了です。捕まえましたよ、『飛角妃』さん?」
『救世主』が現れた。
小さな少女の頭を『マリー=ゴールド』は優しく……しかし、愛を感じさせない手振りで撫でる。
そして、ナビキをこれ以上なく愛おしそうに、誇らしげに見つめている。
「ライトさんに聞いたとおりでした。きっとあなたはナビキちゃんをハッキングしている最中に邪魔しに来るだろうと予知してましたよ。まさか、こんなクライマックスで無粋に入って来るとは思いませんでしたが、ナビキちゃんが自力で乗り越えたのなら結果オーライです。ナビキちゃん、よく頑張りましたね」
マリー=ゴールドが指で首にぶら下がるメダルを指で弾くと、『七海』の認識する世界が壊れる。
そして思い出す。
ナビキはデスゲーム参加者。
そして、ナビキは完全に覚醒する。
気がつくと自分はベッドの上で上半身を起こし、『日記』を読んでいた。
そこには、今まで認識していた世界と最後以外はよく似たストーリーが綴られている。
そして、周りにはデスゲームの中で出会った人たちが……マリー=ゴールドが、スカイが、黒ずきんが……そして、ライトがいる。
「おかえり、良い夢見れたか?」
「…………はい、おはようございます」
簡潔に言えば……小説にすれば三話にもわたりそうなこの話のオチは『夢オチ』だったらしい。
(イザナ)「最近本編では出番少ないけど、こっちで出れるから嬉しいなー」
(キサキ)「…………」
(イザナ)「ん、あそこに倒れてるのは……キサキちゃん!? どうしたのそんなズタボロで」
(キサキ)「…………ぅぅ……」
(イザナ)「何ですか、言いたいことがあるならもっと大きな声で」
(キサキ)「折角……本編でたのに……ヒドい……ガクッ」
(イザナ)「本編で何されたんですか!?」
飛角妃………プログラム一部破損により全治未明の重体。




