57頁:強奪行為はやめましょう
『発酵スキル』
食品を発酵させるスキル。
『料理スキル』と違う部分は製作に数日単位で時間のかかる発酵食品などが作れるところであり、同時に倉庫などに収納した食品の防腐にも使える。
また、調合などに応用できる菌の培養などにも使える。
約二年前。中国にて。
「へー、ジャックって呼ばれてるんですか」
「お姉さんの国にはそういう名前の人多いんでしょ?」
金のメダルの欠片を首からぶら下げた金髪の少女は中国語で小柄な少年と談笑していた。
場所は小さな雑技団のテントの裏。
金髪の少女は寝床と食事を引き換えにビラ配りなどをして数日前から働いているのだ。
「どうでしょう? 生まれた国はここと同じアジアですし、そもそも親が何人かもよく知りませんし」
「ふーん、いろいろ事情があるんだね……っ」
「どうしたんですか? 辛そうですが……病気ですか?」
「え、うん。ちょっと時々胸が……でも大丈夫、しばらくすれば治るから」
「やせ我慢はやめてください、表情でわかります。それは放置して良いレベルじゃないでしょう。すぐ病院に行って……」
「そんなお金ないよ。前診てもらってわかってるから……治すには町の病院くらいじゃ全然設備も足りないし、お金なんてとても……」
「……諦めては駄目ですよ……私が何とかします。私にあなたを救わせてください」
この後、少年は彼女の工作により募金を募り、日本の十分な設備の揃った病院に入院することが決まった。
《現在 DBO》
「困ったな……」
「困ったわね……」
「困りましたね……」
「いや見てないで助けてくんない!? てか、今日ボクひどい目に遭いすぎじゃない!?」
殺人鬼ジャックはもう一人の殺人鬼『ナビキの第三人格』の少女に掴まれた腕をどうにか脱出させようと試みながら、それを傍観するライト、スカイ、マリー=ゴールドに助けを求めた。
そして、手を掴んでいる本人はスヤスヤと気持ちよさそうに寝ているが、ジャックが助けを求める声にも全く起きる様子はない。もっとも、抱きつかれた状態から慎重に抜け出してきたのだから、ここで目覚めてまたスタート地点に引きずり戻されても困るので好都合だ。
「いつまでも『この子』や『ナビキちゃんの第三人格』では呼びにくいですし、取りあえずは名前を決めましょうか」
「あれ? 困ってるのってそっちなの? ボクのこの状況は?」
「いや、正直その幸せそうな眠りを邪魔するのはなぁ……ナビキ、ナビと続いてビキなんてどうだ?」
「名前会議続行!? ボクこの子苦手なんだけど助けてくれない? スカイは? スルーしないよね?」
「ふ~ん、ジャックの天敵はナビキなんだ~。良いこと聞いたわ……ナビって名前は事故みたいなもんなんでしょ? だったらネーミングセンスを考慮してマリーが決めたら? 多分ライトより良い名前つけるでしょ」
「オレはファッションセンスだけじゃなくてネーミングセンスまで批判されるのか?」
「味方が全滅した……」
ジャックは援軍を呼ぶのを断念し、自力での脱出を試みる方向に意識を向けた。
ちなみに、ライト達としては取りあえず方針が決まるまでは寝ていてもらった方が好都合だという思惑もあり、また今回襲撃イベントとかぶるように厄介な問題を引き起こしたジャックへの『お仕置き』の意味もあり、ジャックは放置されているのだ。
見かけに合わない怪力で腕を掴む少女に苦戦するジャックを余所に、マリー=ゴールドはしばし考えた後、何かを閃いたような笑顔で手をたたいて言った。
「では、この子の名前はエリザにしましょう。『ゾンビ』と『殺人鬼』の混合種、『吸血鬼』のナビキ•バートリー•エリザベート。略してエリザです」
バートリー•エリザベートとは史上最も多くの殺人を犯した女性であり、何百という若い女性、少女を殺して生き血を飲んでいたという伝説級の殺人鬼だ。
確かに、『吸血鬼』と呼ばれてもおかしくない人物である。
「エリザか……まあ、良いんじゃないか? それに、歯とかもなんか吸血鬼っぽいし」
ナビキの第三人格『エリザ』は、他の人格と大きく違い、容姿が大幅に変化している。
その髪は踝まで伸び、犬歯は尖っている。
ライトがマリー=ゴールドとの秘密会議の帰路で聞いた話によると、それはナビキ自身が新しい自分を形成するとき、ジャックの『噛みつく』という行為を『好意』の表現だと受け入れ正当化するために、半ば意識的に人格に『吸血鬼』のイメージを加えたと推測されるらしい。
そのエリザがジャックにベッタリなのもそう考えれば納得できる。エリザは、ナビキが自分を殺そうとしたジャックを『大好き』になるために作った人格なのだから。
……まあ、ナビキに元からそういった性格が内包されていた可能性も否定できないが……
「エリザの問題も大事だけど、襲撃イベントの方も早く対処しないと……私はそろそろ防衛策を準備し始めないといけないし、こっちは任せて良い?」
スカイが『エリザ』を正式採用し、話題を切り替える。何せ、現在も着々と町を滅ぼそうとするモンスター軍団が迫っているのだ。街のまとめ役であるスカイは当然戦力を把握して防衛策を立てなければならない。
今日も、エリザの件に関しては会議の隙間を縫うようにライト達と集まって秘密会議をしているのだ。
「任せて良い? って言われてもな……オレも防衛に参加しないと戦力的にマズいだろ。敵勢力の偵察とか」
「それもそうね……敵勢力の偵察については丁度良い人がいたから行ってもらってるけど……そっちに合流してくれる? それで出来ればこの街に到達するまえに何とかできないか実際に見て対抗策練ってみて」
「了解した。じゃあエリザの事はマリーとジャックに……」
「すみません、私は襲撃イベントで街がパニックにならないように、皆さんを安心させなければなりません。だから、エリザちゃんはジャックちゃんに……」
「待って!! たらい回しは待って!! 偵察にはボクが行くからライトがこの子の相手してて!!」
なんとかエリザの拘束から抜け出したジャックの悲痛な声が響いた。
同刻、場所は変わり。
縄の国『胡桃の街』。
「しっかし良いのか? あっちは前線レベルのプレイヤーがほとんど居ねんだぜ? 陸路で助けに行くこともできるかもしれねえ」
「ライトからのメールに書いてあったでしょ? 県境……っていうか国境が通れるかどうかもわからないんだから、あっちはライト達に任せるの」
枝葉を伸ばす木々の生い茂るフィールド『紅葉の森』にて、枝の上の足場からモンスターによって地上にたたき落とされたプレイヤーを襲うフィールドボス〖トラップラクーン LV45〗を倒すための攻略会議。
TGWの赤兎と、同じくTGWのナビキの代理として攻略に加わっているアイコは会議の端の方でそんな話をしていた。本来はボス攻略の功績上二人も積極的に会議に参加すべきなのだが……生憎、二人はこのような戦略の類には疎い。そういうのは馬鹿な自分たちが下手に干渉せず得意な人間に任せることが会議への一番の協力だとすら思っている。
むしろ、実践担当の前線としては一刻も早く『時計の街』に駆けて行きライト達を手伝いたいところなのだ。あちらは前線の戦闘職がいなくて困っているはず……というより、前線と切り離されて困っているはずなのだ。
「あっちにはライト以外にもスカイとかナビキさんとか居るんでしょ? 仲間を信じてあげたらどうなの?」
「でもなー、なんか嫌な予感すんだよなー、むしろ状況が悪化してるような」
「それより今はあたし達の敵よ。ほら、またボス攻略の時の班分けをベースに組むみたいだから攻撃班行きましょ」
「あいよ……ん?」
赤兎は何やら違和感を感じてフィールドボスを攻略する仲間を見回した。
前線の街同士でのゲートは正常なのでここには前線の勢力が集結しているはずなのだが……
「ん? 『あいつ』、こっち来てないのか?」
生まれたての殺人鬼エリザから逃げ出し、ライトの偵察の仕事を奪うように、エリザの子守の仕事を押しつけるように、最小限の話だけ聞いてモンスター軍団が居るらしい西の街まで三時間以上かけて走ってきたジャックだったが……敵の軍勢を見て少々唖然とした。
「数は……500くらい? にしても行軍遅いね……この分だと、到達までには三日はかかる」
スキルに加えて双眼鏡で視力を補正するジャックには、大小強弱様々なバリエーションを揃えたモンスターの軍団が見えていた。
おそらく、レベルは一桁から三十代後半、ほとんどがフィールドやダンジョンで見たことのあるモンスター達だ。
しかし、中には何体か見たことのないモンスターもいた。その内一体は遠目でも明らかに初見だとわかる……巨大モンスターだ。
その姿はわかりやすく言えば20mを超える巨大な壺。土器のような壁面には縄文土器を意識したのか縄目……ではなく鎖の模様が刻まれ、口には壺本体と同じような素材の蓋が被さっている。手も足もなく、移動も車輪のついた台車のような物に乗せられて他のモンスターに引っ張られている。行軍が遅い一番の原因はこれを動かす速度に合わせているからだろう。
一目見てこの物体をモンスターだと判断するのは難しいだろう。しかし、モンスターだという証拠がある。
巨大過ぎるためか、遠目でも視認によってモンスターとしての名前が表示されたのだ。
〖封魔之壺 LV50〗
これまでのモンスターの中でも最高のレベル。おそらく、この襲撃イベントの肝となるモンスターなのだろう。
直接の戦闘力はわからないが、宝石型の完全支援ボス〖マスタージュエル LV40〗のこともあるので油断ならない。
むしろ、今の内に少しつついて能力のヒントくらい……
ポン
突如、肩を叩かれた。
ジャックは思わず飛び上がり、前に跳んで距離を取って振り返った。その最中ポケットからスカートの中のナイフに手をかけるのも忘れない。
「誰!? ……て、脅かさないでよ。勝手に後ろに立たないでくれない?」
「……………」
そこにいたのは緑の外套で顔までスッポリと全身を包んだ狙撃手、ボス攻略において遠距離攻撃の指揮を執った功労者の一人……闇雲無闇だった。
スカイから無口だとは聞いていたが、ジャックが『黒ずきん』として偵察の援軍に来てから本当に一言も喋っていない。よくこんなもので一つの班を指揮できたものだと逆に感心する。
ちなみに、ライトによるとメールではよく喋るらしいのでただの恥ずかしがり屋かもしれないらしいのだが……
「それにしても、あいつら村とか襲いながら動いてんだよね……この先の村とかは避難は済んでる?」
無闇は無言で首を振る。
これは『黒ずきん』にも予測できていたことなので理由は深く聞かずため息をつく。
実際のところ、『村』とは最低限の宿やショップがあるくらいで、『街』から遠いフィールドでの狩りの拠点、攻略の休憩所、物資補給、小規模クエストくらいの目的でしか使われず、プレイヤーは元々かなり少ない。
しかし、この襲撃イベントには普段はほとんどストーリーに関わらない『村人NPC』も巻き込まれているのだ。
なんでも、村自体が壊されても村人さえ生き残っていれば再建できるらしいが、村人は家財を惜しんでなかなか前もって避難はしてくれない。村が『完全消滅』すれば、狩りの拠点が減るだけでなく、クエストも減ってしまう。(ゲームクリアに不可欠なクエストはないらしいが、中にはそこそこ役に立つクエストもある。簡単に切り捨てられるものではない)
一応、逃げる村人を後ろから追うモンスターを倒すなりして村人は守っているらしいが、最前線レベルの無闇にも解決できない問題が発生しつつあった。
それが……
「あ、一時の方向の岩山の陰。数は十人前後、距離は1キロ……盗賊発見」
盗賊だ。
モンスターの軍団が安全エリアに入る前から、一定距離に入ると村の安全エリア、HP保護は無効化される。
そして、無効化からモンスター到着までの間を狙って『盗賊』が村を襲うのだ。
この『盗賊』の構成員は大抵人型NPCだ。しかし、問題はプレイヤーの中にもそれに混じって盗賊行為を働いているものが居るということだ。
NPCの盗賊しかいないのなら遠慮せずに迎撃できるが、万が一プレイヤーを誤って殺してしまうことを考えると手が出しにくくなってしまうらしい。最初は遠くから何本か矢を飛ばして脅すだけでも逃げていったが、段々本気で殺してこないというのがわかってきたのか効果がなくなってきている……という話を無闇の側に付いてきたらしい少女に聞いた。
「ということなんです、『ボクっこ』のおねえちゃん」
「わかったけどその呼び方やめてくれない? あと、ボス攻略にも来てたけど結構自由だよねイザナちゃん」
闇雲無闇をモンスター軍団のところまで『案内』したのは『道案内NPC』のイザナであった。ボス攻略でも黒ずきんらと一緒にボス部屋まで行って戦闘が始まるといつの間にか居なくなっていた脅威の行動範囲を持つNPCである。
「盗賊接近中……無闇、奇襲仕掛けるならそろそろ隠れない? そこの岩陰とか丁度良さそう」
黒ずきんの提案に無言で頷き、岩陰に隠れる無闇。それに続いて隠れる黒ずきん。
殺人鬼の『ジャック』としては別にプレイヤーだろうがNPCだろうが切り込んでいって無差別に殺してしまっても良いのだが、『黒ずきん』として奇襲で驚かして一時的に散ってもらって次の村を襲わないようにさせるしかない。歯がゆいが、立場を考えるとしょうがない。
いっそ、闇雲無闇を殺して目撃者を消してしまうという手も考えないでもないが、それをやるとライトが怒るだろう。それは避けたい。
ここは一つ、この岩のすぐ近く……足音が聞こえるくらいまで引きつけて………
「うわぁああ!! なんだこいつ!?」
「いだ、いだだだ!! 噛みやがったこいつ!!」
「お、俺の腕がぁああ!!」
「このアマ………うわごめんなさい、ほんとごめん、許して……ぎゃあああ!!」
……?
まだ奇襲を仕掛けてないのに奇襲を仕掛けられているような悲鳴が聞こえる。
『噛みやがった』? 『このアマ』?
「友達……どこ……ここ? ……それとも、ここ?」
黒ずきんは真上から聞こえた声にはっとして声の方を見た。
岩の上に乗って彼女を覗き込む少女の顔、そして垂れ下がる返り血まみれの長い髪。
「みーつけた」
「きゃあああああ!!」
「!!!!」
ホラー映画みたいな登場だった。
殺人鬼でも悲鳴を上げるレベルのホラーだ。
ただし『返り血』は殺人鬼のスキルを持たない無闇には見えないので無闇は悲鳴をあげるところまで驚いてはいないが、小さな筒のような物を向けて戦闘態勢をとっている。
「エ、エリザ……どうしてここに」
「探しに来た……無事?」
黒ずきんが名前を読んだことで無闇は武器を下げる。エリザは一瞬無闇に興味を示したようだが、筒が武器には見えなかったらしくすぐに興味をなくした。
「無事だけど、なんかあっちで悲鳴してたよね? 何があったの?」
「んー……狩り?」
「……」
岩の陰から悲鳴のしていた方を覗き込む。
何人分かの『死体』が転がっているが……大丈夫だ。NPCの盗賊だけだ。プレイヤーはいち早く危険を感じて逃げ出したらしい。
流石に別人格が知らない内に殺人を犯していたというのはナビキに申し訳なさ過ぎるので、敵の素早い判断に心から感謝……
「って、エリザがここにいるってことはライトはどうなってるの!? まさか死……」
「…………」
「勝手に殺すなよ。これから殺すときは許可を取れ」
後ろからライトの声がした。
振り返ると、馬に乗って手綱を握るライトがいた。装備にいくつも傷はついてるが、五体満足で生きている。
「無闇、手伝いに来たぞ。黒ずきん、やっぱオレ一人じゃエリザの子守は無理だ、手伝ってくれ」
エリザに優しく頭を撫でられ、がっくりと肩を落とす黒ずきんであった。
同刻。
運営モニタールームにて。
「ちょっと誰かこれ見てください!! ここのデータおかしい!!」
小学生低学年くらいのアバターを操る運営の少女が声を上げる。しかし、周囲の運営は慌ただしく動き回り、それどころではない。
「それどころじゃねえだろ!! こっちはイベントの調節で手一杯だ!!」
「こっちはもっと差し迫った状況です!! これは下手すると主任呼ばないと解決できないかも」
「は? 一体何だってんだよ? 俺らの権限で解決できない問題って相当だぞ」
スナックの袋を開けながら運営の男が少女に問いかける。この男は少々さぼり気味だ。
しかし、話を聞いてもらえた機を逃さないよう、少女はできる限り大きな声で叫んだ。
「チートを使ってるプレイヤーがいます!!」
その衝撃の情報に、モニタールームが凍りついた。
《眼鏡》
装飾品の一種。ゲーム中では視力はステータスやスキルによるため基本伊達だが、中には特殊な効果を持つものや個性的なデザインのものがある。
(スカイ)「今回はこちら、知性の象徴眼鏡です~」
(イザナ)「眼鏡をかけてるだけで知的にみえますよね」
(スカイ)「知的じゃないやつもあるわよ~。ほら、鼻眼鏡」
(イザナ)「あははは、おもしろいですね!」
(スカイ)「他にもサングラスとか、解読能力の上がる眼鏡とかいろいろあるし……あ、これかけてみる?」
(イザナ)「なんですかこれ?」
(スカイ)「一度かけると自分では外せない呪いの眼鏡」
(イザナ)「何してくれてるんですか!?」
(スカイ)「じゃあね~。知的でかっこいいわよ~」
(イザナ)「ちょっとこれ取って下さい!!」




