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デスゲームの正しい攻略法  作者: エタナン
第7章:エンドルート編

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374頁:アイデンティティを大事にしましょう

 奇妙な話であるが、目の前でティーカップを傾けている自分より若い男は、間違いなく己の『父親』と呼ぶべき存在だった。


「それで、彼女は放り出したのかね? しかも貴方に関する記憶を消して?」


 彼は不自然なまでに美しく整った容姿をした西洋人の外見をしていた。

 しかし、それは『今現在の彼』に過ぎない。


「ああ、彼女は母胎としては適合していたが、人格としては特異ではない。私との関係は彼女の人生によくない歪みを生み出すだろう。『子供』についても、産んだらすぐに手放すように暗示をかけてある。もちろん、その後は彼女が苦労しないように手回し済みだ。産んでくれた報酬として、不幸を招かない範囲で十分なものだ」


「やれやれ、彼女は貴方に本気で恋をして愛していたのに、貴方ときたら……相変わらず、『次の身体』を産むための母胎としか見ていないのかね」


 『父親』は最初、自分が物心ついた頃には老人だった。この孤児院の創設者の一人であり、孤児達の教育者だった。

 しかし、ある日その老人が姿を消すと、若い少年が現れ、その役目を引き継いだ。少年は、知識も思い出も、まるで消えた老人そのもののように語った……まるで、老人が少年に若返ったようだった。

 そして、自分が大人になり少年もまた青年となると、再び彼は姿を消し、前よりもさらに若い少年となって現れた。


 この『父親』は、一個の肉体に収まる魂ではないのだ。

 肉体から肉体へ、己の子供へと乗り換えながら人の寿命を超えて生きる精神的な存在……記憶と人格を継承する『思想』そのものだ。


 そして、彼はこの孤児院を創った。

 この孤児院では、他の施設から匙を投げられる『普通でない』子供達が『幸福に生きる』という目標のために、『どうして人が幸福になれないのか』『どう生きれば人は幸福になれるのか』を研究している。そのために、特殊な教育法によって子供の価値観や趣向を固定するのだ。

 かく言う自身もその被験者の一人……それも最初期、『悪意』に幸福を求めるというテーマに沿った教育をされた人間だ。そして、その教育プログラムを設定したのが、人の精神そのものであり、それを操作することにも長けた『父親』だ。


 彼がそんな研究に協力している目的は、彼自身の能力を完成させるため。次の器に、より高い能力を継承させるための実験をかねている。

 彼が肉体を乗り換えるのも、その能力の器としてより相応しいものに近付けようと相手を選び、代を重ねて『黄金比』へと近付けて行くためだ。


 自分は一般的な人間とは大分かけ離れた価値観に育てられてしまった自覚はある。しかし、それを恨んではいない。元から、自分には悪意の才能があった。これを無理やり押さえ込んで普通に育てられていても、きっと本質と倫理の板挟みで今より充実した人生にはならなかっただろう。

 しかし、『父親』の都合で遺伝的に次の器の母胎に相応しいからという理由で心を弄られる女性……自身が卒業し、そしてその後も運営に携わってきたこの施設で働いていた彼女には、同情を禁じ得ない。


「そういえば、貴方は『次で完成する』と言っていたが……何千年かの悲願達成を目前にした感想はどうだい? 本来の能力を取り戻すというのは」


「悲願というのは少し違うな。能力が必要だから元に戻ろうとしているだけだ。このままでは遠くない内に人間は不和により滅ぶ……そうでなければ、わざわざ能力を取り戻すこともない。人間自身に自力で未来を創っていってもらえるならそれに越したことはない」


「そうかい。ま、実際に力を手に入れてみれば感想も変わるかもしれないがね。今度は何年後だい? ここに戻ってくるのは。それとも、最初からここで教育するかい?」


 姿を消すのは、『次の肉体』に能力や記憶を受け継がせるために必要な行程だと理解していた。

 だから、この若い男の姿で会えるのはこれが最後……今度は、『完成した』肉体でまたこの施設へ何食わぬ顔で帰ってくると思っていた。


 だが……


「いや、『次の私』は恐らくここへは来ない。能力の継承準備も他の施設で済ませてある。彼女には、産んだ子をそこへ運んでくれるようにしてある。それと、記憶の継承はしないことにした。だから、『次の私』はここのことを何も知らない私だ」


 ……その答えは、考えもしないものだった。


「な……何を、言っているのかね? 記憶の継承をしない? それでは……貴方は、我々をここで育てた貴方という人格は……」


「ああ、私で最後だ……本来は、もっと永く永くかかるはずのものを、この百年で間に合わせるために無理をした。代の短縮のためによくないこともしてきた。世界を救うため、世界の不安定化に追いつくためだ。そのために、私という人格は『能力を取り戻すこと』に固執しすぎた。この執着は『能力を完全に得た私』に不要なものだろう。少なくとも、能力を得た『次の私』が己の意思で人間を滅ぼすことはないのは確かだ……ならば、私という『古い考え』は害になる。桐壺、キミの教育をしたのも私だ。キミの罪、他の子らの罪、その全ては私の罪だろう……だが、それを『次の私』にまで引き継がせることはない」


 『十字架を背負うのは、私まででいい。』

 『自分の手で世界を救う』という『思想』そのものであり、世界の救済のために個としての存在を捨てられる男はそう言った。

 永遠だと思っていた、自分が死んでも生き続けると考えていた男はあっさりと、己の終点を決めていた。


「そんな……そんなことを、何故、今になって……」


「ああ……そうだな。桐壺、桐壺要。キミは私がこの施設で最初に育てた、私自身以外で初めての子供だった。キミの犠牲になる人々のことを考えるなら、キミは育てるべきではなかった。その性質を押さえ込んで、一生を苦悩してもらうべきだった……けれど、キミは本質的な『悪』を知るからこそ、『善』や『正義』を定義するのに必要な人間だ。いつか、何も知らない『次の私』がキミとぶつかるだろう。不相応な能力だけで、世界を救うのに必要なことが何かすら知らない無知な超能力者だ。負けてやれとは言わない。不出来なら終わらせてやってもいい。だが、受け止めてやってくれ。全能者が己のするべきことを知るためには、己を否定できる存在が必要だ」


 いつの間にか、『父親』は去っていた。

 『次の自分』を造るという一生涯を超えた目的を達した彼は、初めてその役目から解放され、その身一つで終わる一個の人間として、残りの年月を余暇として楽しむのだろうか。それとも、大義のためにと犠牲にしてきた人々への償いのために両手で救えるだけの人々を救いにでもいったのだろうか。


 わからない。

 しかし、もう二度と会えないと言うことだけは、確信できた。


「はは……悪意がない分、僕より性質が悪いよ、お父さん」










《現在 DBO》


「どういう……こと、なんですか?」


 老人が状況把握を把握するには数秒かかった。

 理解はできた、しかし受け入れ難かった。


 老人が切り札たる『少年兵(リトルボーイ)』を消費して殺した少女……それは、本来そうしようと思っていた対象者『凡百』ではなかった。

 何故誤認したか……それは、この少女が『変装』していたためだ。しかし、彼女は『変装』の達人などではない。ライトのような人外域の才能などではない。この少女は、ただの『普通』の域を出ない常人であり凡人だ。

 変装の対象である『凡百』が極端に平均的で、容姿を記憶されにくい性質を持っていたということもある。『変装』も、黒子を隠すなどの己の『特徴』を隠し、彼女の以前着たことのある装備を揃えていた。それによって、『特徴のない少女』を『凡百』と誤認した。


 だが……そう、改めて観察すれば、この少女を知っている。

 以前、自らの『悪意』のために悲劇に陥れた、臆病なプレイヤーの一人。安全な『本』の中に作り上げたコロニーで唯一、偶然にも生き残ってしまった少女。その絶望を、憶えていないわけもない。

 だが……気付けなかった。無意識に、可能性を否定した。

 その傍らに、悲劇の一旦となった『石猿』がいて、あまつさえ彼女はその『石猿』を信用して、目の前に立っていたのだから。


「ク……ククッ、思ったよりも、少し遅い到着だねえ……花火くんは、私の想定よりも頑張り過ぎてしまったらしい」


 もはや、身を守る武器がない。

 そこらから湧くモンスター程度ならまだしも、目の前に立つ少女の傍らのメモリという特化戦力を相手に、逃げる算段もない。

 つまり……この状況は『詰み』だ。


「しかし、まさかキミが安全のために影武者を用意するようなタイプだとは思わなかったよ。まったく、してやられたねえ……」


「いいえ……違います。彼女は、自分の意思でここに来ました。自分で考えて……自分の力で、あなたを追い込んだ」


 そうだ……そうだろう。

 それが『最適解』だったとしても、この少女は他人を盾にして安全を確保するというタイプではない。護衛を頼むことはあっても、死んでくれと言えるタイプではない。

 つまりは……


「彼女は……あなたが、悲劇の主役にして、そして勝手に役目を終えたと思って気にも留めていなかった彼女は……彼女自身の意思と力で、あなたに勝つために努力し続けていたんです。あなたは、些細なミスで負けるんじゃない。彼女の策に嵌って、今ここにいるんです」


 愛する男を殺した『石猿』と、どう和解したのかなどわからない。

 このタイミングで老人がこの場所にいることをどうやって探ったかも、その奥の手をどうやって推測したかも、その過程はわからない。

 しかし、可能なことだった。才能なんてなくても、特別なコネクションなんてなくても、『名もなき一般人』だろうと、この瞬間のために努力し続ければ、可能なことだった。


 名もなき『ダレカ』は、友人や勇者に頼ることなく、己の力で復讐を果たしたのだ。


「あなたは……きっと、今までたくさんの悲劇を生み出してきた。その才能でたくさんの人を不幸にして、踏みにじって、犠牲にしてきた。でも……あなたにとって『終わった話』でも、彼女にとっては『終わり』になんてならないんです。絶望しようが、心が折られようが……こうして、生きて、生き残ってあなたを倒すためにここに立った。彼女だけじゃない……あなたが道端に捨ててきた他人の人生は、必ずあなたを追い詰める」


 もしも、仮にこの場を凌いだとしてどうなるだろうか。策を尽くして、言葉を尽くして、目の前に立つ少女を説き伏せ絶望させればどうだろうか。

 それで逃げ切ったことになるか……いや、無意味だろう。ここにいるのは、怪物や人外ではない……ただの、悪に怒りを抱く『一般人』だ。それこそ、第二第三の『一般人』が、いつか目の前に現れる。


 『人間』は『悪』に屈しない。


「は……はは、つまりはここまでということか。それで、どうするつもりかね? この私を、ここで、その傍らの少女の魔法で消し飛ばし、仇を撃つというのかね。そうしたいのなら、そうすればいい。私は最期の悪意を持って、キミの手を血で染めよう。キミの『普通』というアイデンティティに拭いようのない汚点を残そう。それが、『悪』という存在意義を持つ私の最期の幸福だ……それもまた、いいだろう」


 『悪』は『改心』などしない。

 改めようが磨こうが、『桐壺要』という存在は本質から『悪』なのだ。

 もはや、生き残れるとは思っていない。だが、説得されようが痛めつけられようが、自らの行いを悔い改めることなどない。

 そう、それが自分……『桐壺要』であるのだから。


「……そうですか。もしかしたら、そう思ってましたけど……やっぱり、そうなんですね。メモリちゃん、撃たないでね」


 『凡百』は納得するように、呆れるように、そして憐れむように、深く嘆息する。

 そして……


「では、『桐壺要』さん……私と、簡単な勝負をしましょう。ルールは簡単です……私があなたに、これから一つ質問をします。それにあなたが答えて、その答えに私が納得してしまえば……私の負けでいい。でも、私の納得できる答えが出なかったら、私の勝ちです」


 不平等なルール……だが、これは賭けやペナルティのある勝負ではない。精神の勝負だ。

 少女が己の『負け』の条件を設定した以上、心の中で答えに納得しつつも口で『違う』と言ったところで、彼女の中でその『負け』は真実となる。

 つまり……彼女が『悪』に屈したことを認めることになる。

 それが、老人を見逃すことになるとは言っていない。ただ、ステータスやレベルによる理不尽な暴力で決着をつけるのではなく、はっきりと心の勝敗を決したいというだけの勝負だ。


 つまり、これは『桐壺要』が『凡百』を負かす最初で最後のチャンスとなる。


「……いいだろう。私の心を折れるというのなら、やってみるがいい。だが、私は負けんよ。私が『桐壺要』である限り」


 『悪』として。『父親』に、そう定義された己である限り。


「私が心で負けることはあり得んのだからね」


 確固たる自信があった。相手の思惑がどんなものであれ、心を操れるわけでも心を読めるわけでもないただの少女に負ける要素など一つも思い浮かべることはできなかった。

 そして、ただ『普通』なだけの少女は強く老人を見据えて、意を決して問いかける。



「このデスゲームの、本当の目的を……この世界の生まれた意味を教えてください」



 数秒の間。

 そして、続く言葉がないことを理解した老人の拍子抜けしたような嘲笑が響く。


「ハッハッ、最後の最後で、それが私を負かすための質問かい? もしや、私がゲームの運営者だと知っているぞと、そう言いたいのかい? 期待外れだよ。私はこのゲームの運営者などではない。まあ、昔の研究にこれと関係しそうなものはあるがね。今はただの参加者の一人だよ。残念だったね、キミの負け……」


「私は、『このデスゲームの目的』を答えて欲しいんです。あなたが運営者かどうかではなく……それを誤魔化さず、ちゃんと私が納得できるように説明できるかを、聞いているんです」


「なるほど……相手の知能で説明できない難問を出題するというのも、確かにこのルールなら有効だろう。そして、この世界の目的とは……それが理不尽で、一般的な感覚で『納得し得ない』ものであるのなら、確かにキミの勝ちかも知れないねえ。そして、キミは負けても私の知恵によってこの世界に巻き込まれた不幸についての納得のいく説明が得られるわけだ。なかなか賢い……」


「出題の意図なんて、関係ないんです。あなたが説明できるかどうか……それだけを聞いているんですよ、お爺ちゃん」


 強い催促。

 勝負とは口実で、本当はこのゲームの真実を知りたいだけか……そう、どこか落胆しながら、老人は口を開く。


 ならば、説明してやろう。

 嘘偽りだと撥ね除けてもいくらでも回り込んでくる『真実』という絶望を。悲劇の真相は、小説の黒幕などよりずっと残酷で吐き気を催すものだということを。


 懇切丁寧に……


「そんなに知りたければ答えてあげよう。このゲームは……こ、この、ゲー……ガッ、ぐっ……」


 何かがおかしい。

 舌が回らない。口が、喉が、思うように動かない。

 言葉が……出ない。


「な、何をした! 私の口を封じたところでキミの勝ちには……」


「…………私は、何もしていません。ただ、説明をしてほしいだけ……誤魔化しを取り除いただけです」


「何を……ガッ……くっ、どうして……」


 魔法や固有技で言葉を封じられているわけでも、暗示をかけられているわけでもない。

 自分自身が、口の動きを縛っている。発声を、情報の伝達を拒んでいる。

 どうして……


「お爺ちゃん……聡明なあなたなら、わからないわけはないはずです。その言葉は、どんなに誰かに伝えようとしても、システム的に絶対に伝わらない……だって、それは『NGワード』だから」


 そして、少女は自ら言葉を紡ぐ。


「『この世界は誰かさんの暇潰し』……違いますか?」


 少女はその言葉を難なく口にした。

 それは、老人が口にするはずだった言葉の核心部分。そして、老人はその言葉を繰り返そうとしても、口にできなかった。

 それが、『NGワード』だから。検閲されるべき言葉だから。

 だが、それは……


「何故だ、何故、私だけが……僕だけが……」


「……桐壺さん、桐壺要さん。あなたの、本当のプレイヤーネームは何ですか? どうして、この仮想世界で『桐壺要』を名乗り続けるんですか? 私も、ライトも、マリーさんも、知り合いがいてもこの世界ではプレイヤーネームで呼び合っているのに……あなたは、誰なんですか?」


「『誰』……だと? 私が、『桐壺要』でないというのなら……」


 『死体は確認したはずなんですけどね』

 『悲しいほどに何も変わらない』

 『予言します。あなたはいつか、あなたの作った世界に圧し潰される』


 記憶の中の、自身へ向けられたマリーの視線を思い出した。

 弱みを握り、嫌がらせのように結婚生活などというごっこ遊びを、家族らしい振る舞いなどという茶番をしていたはずだ……けれど、それくらいならマリー=ゴールドは拒絶できた。もっとそつない態度を取って、こちらを楽しませないように雑な対応ができたはずだ。

 なのに……あの憐憫の視線は……


「私は……『桐壺要』の……再現された人格AI、なのか?」


 世界が崩れる。

 己の中の、自我を支える土台が崩れる。

 これまで、この世界で自己を自覚してからの『穴』が見えて来る。

 これまで、この世界で積み重ねてきた行いが、『桐壺要』として構築してきた世界観が、崩壊して、たった今ここにいる『自分』の自己証明(アイデンティティ)を圧し潰して行く。


「……マリーさんは、現実世界の『桐壺要』という人物は確かに死んでいると言っていました。その少し前から、脳内のMBIチップは機能を停止してて……あなたは、その先の出来事を知らなかったと。この世界のあなたは……マリーさん自身が最後の最後であなたを『赦した』ことを憶えていなかった。マリーさんは……一度死なせてしまって、そして確かに赦したあなたに真実を突きつけて自己否定の苦しみを与えることはできないと」


 同じ『NGワード』でありながら、この世界の目的はプレイヤーである凡百には言葉にできて、老人には言葉にできなかった。

 『桐壺要』は死んでいて、その不完全な情報だけがネットワーク上に残っていた。

 そして……気付けば穴だらけな存在が、ここにいる。この世界の運営者にとって便利な、英雄譚を彩る『倒しても心が痛まない都合のいい悪役』として、ここに追い詰められている。


 少女の表情には、死を待つばかりの重傷者に刃を振り下ろすのと同じ悲痛さがあった。

 しかし、それ以上に、結果を受け止めるのに十分な覚悟があった。


「あなたは、現実世界の『桐壺要』という人物のMBIチップが停止するまでに取られた情報で再現された『成り代わり』……それも、完全ではなくゲームの停滞を防ぐ『悪役(ヴィラン)』としての側面が強い人格です。マリーさんの話によれば、現実世界の彼はマッドサイエンティスト気質でありながら、危険な研究員を部下として手元に集めて手綱を握りながら働かせるような、はみ出し者に優しくて良識的な部分もあったと」


 おそらく……目の前の少女は、自力で老人の正体に気付いたのだろう。でなければ、マリーもここまで詳しく事情を話しはしない。求められもせずマリーが自分で口にしたのなら、自ら手を下すのと変わらない。

 気付く材料は……いや、気付くタイミングはいくらでもありえたのだろう。マリーと共に過ごしていたあの時、マリーの向ける憐憫の視線は強いられた裏切りへのささやかな反抗、そうやって弱みを握ることでしか自分を味方に付けられないことへの皮肉だと思っていた。しかし、周りから見れば、目の前の少女の先入観のない目からみれば、違ったのだろう。後の証拠や確信など、この少女ならどうにでも揃えられる。この少女にはそれだけの観察眼と、人格AIとの接触経験、そして答えに辿り着く力があるのだから……本人は、その推理の過程などもう記憶に残していないかもしれないが。


「あなたは、与えられたプレイヤーネームをほとんど使わなかった。それは、あなたが『桐壺(きりつぼ)(かなめ)』であることが肝心だったから。あなたの『悪意』は、あなたが『桐壺要』でなかったら抱えきれないものだったから。あなたが自覚を持たなかったことも……完全な『桐壺要』ではないことに、耐えられなかったから」


 『名前』と『権能(チカラ)』は強く結びついている。

 ライトは他人に化ける時、その姿と同時に『名前』を模倣することで同じ能力を発揮する。

 マリー=ゴールドは『本当の名前』を心内に隠すことによって、多くの人間を『端末』に変えながら『本体』としての自身を維持し続けている。

 そして、目の前の少女も一度は『名前』を鍵として、普段の自分が絶対に使わない潜在能力を開花させていた。


「でも、それももう終わり。あなたが悪事を行う理由が、『桐壺要』だったからだというのなら……もう、あなたに悪事を行う理由はどこにもない。もう……あなたは、『桐壺要』という役から、解放されていい」


 この『悪意』の器足りうる『名前』は『桐壺要』だけだった。

 その器が今、少女の言の刃によって割れたのだ。


「私の勝ちです。あなたは、もう『桐壺要』じゃない……もう、『悪』である必要はない。だから、あなたが迷惑をかけた人たちに、伝わらなくてもいいから、謝ってあげてください」


 己が『桐壺要』だからと、その存在理由に従って犠牲にしたプレイヤーは数知れず、踏みにじった心も数え切れない。

 しかし、あくまで『普通』な少女は、その感覚に従って、膝から崩れ落ちもはや無力な老人に、厳しい言葉を投げかけた。


「もう、『桐壺要だから』なんて言い訳は、通じないんだから」


 それに対して、力尽きた老人が返せた言葉は、絞り出すような一言だけ。 


「いやはや……『脇役』に完敗とは、僕も『悪役』失格だねえ……」


 もはや、『桐壺要』ではなかった老人には引導を渡すまでもなかった。

 おまけ

 とある夫婦の日常の一幕。


(女性A)「マリーさん! 結婚だなんて私とは遊びだったんですか?」

(マリー)「いいえ、そんなことはありません。でも、それとこれとは別で……」

(老人)「クックッ、浮気なら見えないところでやってくれるかな?」


 数日後。


(老人)「そういえば、この前の彼女とはまだ仲良くやっているのかね?」

(マリー)「さすがにそんな不健全な関係は彼女の人生に悪影響です。なので、私のことを忘れてもらいました。もちろん、空虚さに苛まれないように代わりの趣味を入れておきましたよ。彼女の適性に合うものを」

(老人)「そ、そうかい……」



また、別のある日。


(マリー)「はあ、人肌恋しいですね」

(老人)「それはまさか誘っているのかね?」

(マリー)「いえ、あなたではなく教会に置いてきた子供達ですよ。あの抱き心地、あの体温、あの質感……ああ、もちろん添い寝の一番の目的は安心感を与えるためですよ? しかしそのくらいの役得は……どうしました? その変な顔は」

(老人)「い、いやなに、昔はよく添い寝してもらったような気がして……ね」

(マリー)「はあ……仕方ないので、今日も少年兵くんで我慢しますかね。ちょっと固いし微動だしないのが難点ですが。強めに抱き締めるとちょっと苦し気に抵抗してくれるくらいが好きなんですけどねえ」

(老人)「い、一応あの子は爆弾だからほどほどにね」


(老人)(父さん……性別が違ってもこういうところ変わらないなあ……)


※夫婦仲はそこそこ良好でした

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