372頁:勇者因子の扱いに気をつけましょう
『勇者因子』。
幾多のデスゲームの結果から集積されたデータを基にして『背の高い女』が生み出した『必勝法』……さらに厳密に表現するならば『状況を解析し攻略法を自動生成するプログラム』。詩的に表現するのなら『主人公らしく成功するための行動を導き出すアシストプログラム』だ。
誰でも主人公になれるわけではない。『勇者因子』との適性が噛み合わなければ、安定性を求める精神と生成される必勝法の矛盾、勝ち筋がわかっているのにもかかわらず恐怖や価値観によってその勝ち筋に従えないことから来るストレスなどで精神を病む。特定の人物にプログラムを埋め込んで成功させるというよりも、不特定多数の参加者の中の適性者にプログラムを与えることによって成功者を出すという目的のプログラム。
これもある種の救済措置。常に進化を続け、予知すらも覆し、『理論上不可能でなければ実質可能にする』という可能性の種。ネットワーク上の記録に残った行動パターン解析から適性者を選出し、たった一人に与えられるべき『主人公』の役割にして才能。
本来、それが同じ世界に二人いてはならない。
たった一人のための人造才能が、互いに争うことなどあってはならない。
『勇者』は……世界の中心はぶつかってはいけないのだ。
《現在 DBO》
赤兎がどうやってここまで来たか。
端的に言えば、『先駆者』の称号とライトの全力支援の結果だ。
まず第一に、赤兎は速力においてプレイヤー中でもほぼ最速に近い。それは、物理以外の攻撃手段の一切を捨てることによって通常のレベルアップ時に選択できる基本ステータス上昇に追加して基本ステータスを上昇させているためだ。容易に修得可能なスキル、使わない武器のスキルも必要最低限を残して『EXスキル』によりポイントとして還元し、基本ステータスの強化に回している。
ライトは逆に数多くのスキルを修得しそれぞれのレベルを上げることで、僅かずつのステータス補正を重ねて基本ステータスの長所の欠如を補っているが、それでもEPを消費して能動的に起動するスキルを総動員して短時間に出せる全力とほぼ同等の動きを赤兎は常時維持することができる。
本人の反射神経と戦闘センスに合わせ、不測の事態にあってもダメージを耐え抜く耐久力と敵の取り巻きの妨害を押しのけて防御を抜く攻撃力、そして万一の撤退の際に最も敵の懐深くへ踏み込んでいても生還せしめる速力。基本ステータスに依存したプレイスタイルはプレイヤー本人の運動神経や判断力によって実際の性能が大きく変わるが、赤兎についてはその点に不安はない。総合的に見て『戦線』の切り込み隊長、攻略の最前線としては最適な能力だ。
そして、その安定した性能は当然のものとして戦略的範囲での移動にも応用できる。
まず前提として、幸運だったかどうかはわからないが、赤兎はマリーから連絡を受けたライトと同じエリア。それも割と近い場所にいた。『殺人鬼ジャック』が人質を取り立てこもったという事件を聞きつけ、最悪の場合を想定し近くの街まで来ていたのだ。主に、本当に暴走した場合の殺人鬼を止めるために。
しかし、突入する『冒険者協会』はほぼ『成り代わり』の集団。如何に赤兎と言えども四面楚歌の状態でジャックの籠城しているトラップ満載の城に攻め入ることはなかった。考えられる可能性としてあり得るのは、なんらかのアクシデントで自制を失ったジャックが非戦闘員のいる街へと転移で向かうこと。そのため、赤兎はジャックが向かうであろう最寄りの街にいたのだ。
街に入ってからはゲートポイント前で待機していたため、ライトとは入れ違う形になってしまっていたが、連絡を取ることはできた。しかし、マリーが足止めをされている以上、物理的障害かトラップによってゲートポイント封鎖によって『雪像の街』への転移が不可能になっていることは予想されていた。実際、瓦礫によって封鎖されたゲートポイントの出現地点は通れる状態ではなく、力ずくでの突破には時間がかかるために、もしも強引に突破を試みれば『転移待ち』で迎撃される可能性もあった。故に、赤兎は隣接するエリアの北端の街から地上を走る必要があった。
マリーと花火の戦闘中にその超長距離の移動を可能にした方法……それはメモリの固有技『メモリアルディスク』の多重使用だ。
まず、ライトは『本』の中にいた二人を解放。
そして、状況を説明しメモリが『メモリアルディスク』を必要分生成。
そして、ライトが『トーチ・ドラゴン』により手乗り火竜の『トーチ』を召喚。二人を再収容した『本』を持たせた上でライトが全力で速力中心の支援をかけ、赤兎の元へと送り出した。
そして、赤兎はトーチから『本』を受け取り、メモリを解放。『メモリアルディスク』とその使い方を受け取り、最寄りのゲートポイントまで移動。召喚系の固有技を乗り継ぎ、『先駆者』の称号による突破力を付与しモンスターエンカウントや地形の障害を無視しての直進。普通は回り込むことになる崖などは『無敵』で落下を耐えればかなりショートカットができた。
消耗品の『メモリアルディスク』をなりふり構わず消費しての大移動。
しかし……
「まったくもう……なんでわざわざ私が花火さんの相手をしてたのかわかってますか?」
最重要なのはどうやってここまで来たかではなく、どうしてここに来たか、だ。
既にメモリから説明を受け、花火の正体は知っている。
現実世界にいた時からの身内……というのは、現実世界にて落命した彼女に関しての話。正体を知った上での対面は、むしろ苦痛ですらある。何しろ、その存在そのものが現実世界における彼女の死の証。死者の冒涜となるのだから。
そして、今の彼女を直視するということは……これから先、最強の戦闘職として彼が負うべき役割に、大きな意味が加わるということなのだから。
だが……
「悪いな……ああ、ライトは俺に自分で決めろって言いやがったよ。ま、ライトもライトでナビの時のこととか思うことはあるんだろうが……姉貴、俺としちゃこの世界であんたに再会できてかなり驚いたが、嬉しかったんだぜ? 長いこと便りがなくて、もしかしたら何かあったのかと思ってたんだ……で、実際無事じゃなかったみたいだが、それにしたってまた会えたってだけですげえ運がよかったんだ……なら、会えなかったはずなのに会えた喜びだけじゃなくて、できなかったお別れもちゃんとすませねえとダメだろ。悲しいことだからって……それを、他人任せにするべきじゃねえだろ」
この世界を終わらせること、このゲームをクリアすることが、花火にとって致命的な結果をもたらすことはわかっている。
誰かが花火を『退治』するにしろ、戦闘を避けてゲームを終わらせるにしろ、もはや物質世界において生きる場所のない彼女の世界を閉ざすことになる。赤兎はこのゲームを終わらせるべき役割を担う者として、最終決戦の先陣を切る者として、彼女の命脈をその手で断つことになる。
ここでの対面を避ければ、『そんな馬鹿な話は信じられない』と一蹴してしまえば、その刃の重みが変わる。
しかし、赤兎はここに来た。
「姉貴……確認だ。本当に、死んだのか?」
救うためではない。
花火の偽物を消し去るためでもない。
ただ、『本当は会えなかったはずの大切な人に会えた』という奇跡を確かめ、その物語に『めでたしめでたし』と幕を下ろすために。
「ああ、そうや。うっかり死んでまった。ついヤンチャし過ぎてもうたんや……けど、後悔はしとらんで。怨んで出たわけでも、心残りがあったわけでもない……ただの、偶然や。ただ運よく……椿に会えたし、赤仁の彼女も見れた。それだけや」
花火は後悔はないとした上で、静かに眠ることができなかったことへの怨み言も、運命への怒りも口にしなかった。
ただ……『運がよかった』。ここに至って向かい合うことになっても、全てをひっくるめてこの世界へ『再現』されたことが『いいこと』だったと断言する。
「赤仁……でっかくなったなあ。彼女も作って、ギルドのサブマスなんてできるようになって……あたしが死んどる内に、背まですっかり越えられてもうたやないかい。昔は泣き虫のちび助だったくせに……よくケンカして、赤仁ばっかり泣くもんであたしばっかり怒られてたなあ」
「いつも泣かされたのは、俺が泣き虫だったわけじゃねえよ。姉貴の拳が痛かったんだ……一度だって、大人とケンカしたって、姉貴の拳より痛いなんて思ったことはなかった……でも、急にケンカになりそうになると、譲ってくれるようになったっけな」
「……大人になったんや。大人の女はそんな簡単に拳握ったりしないやろ?」
「いや、姉貴はいつまでも大人になってなってなかっただろ……ただ、姉貴は力が強くなり過ぎたから、俺が怪我しないように退いてくれるようになっただけだろ。この世界に来て、最強なんて呼ばれるようになって実感したよ。強すぎるってのは、こんなに怖いんだって。強い力を持つには、それに見合う心を持たなきゃいけないって。妬まれたり、背中を狙われたり、邪魔されたり、デスゲームだってのにそういうのはたくさんあった。けど、笑って受け流せなくちゃ最強なんて名乗れない」
赤兎はいつも飄々として、気楽にゲームを楽しんでいるように見える。
そんな彼に、悪感情を持つ者もいた。才能を妬む者、功績を羨む者、人が死んでいく世界を笑って生きられる彼を不謹慎だと叫ぶ者。
しかし、赤兎はそれらの人々の言葉に剣を振るったことはない。飄々としたまま、受け流してきた。
「もしも笑えなくなったら……本気で怒りに呑まれたら、俺達は取り返しのつかないことができてしまうんだ。姉貴は昔から不器用で、綺麗に卵を割るのも苦手だったからな……姉貴が何も言わずに飛び出したのは、姉貴が本気で感情をぶちまけたら、誰かが怪我するからだろ……俺も、それを受け止められると思えなかったんだろ」
制御できない力はただの暴力だ。
だからこそ、武道というものには肉体や技術の修練に並んで精神の修養が重視され、『心技体』と並べられる。
しかし、花火には生まれ持った技と身体がありながら、それを支えるべき心は釣り合うだけの強さを持たなかった……いや、花火の心は人並み以上ではあったが、それ以上に肉体に恵まれすぎていた。
きっと、会ったこともない父親の犯した罪を知らなければ、いつかは同じ末路を辿っていただろう。もしも、もう少しだけ、肉体が弱さを知っていれば、柔道だろうがボクシングだろうが、どんな競技であれ大衆に誇れる才能になっただろう。
しかし、できなかった。一度激情を覚えれば加減を失うその気質は、情熱を注ぐべきスポーツという世界に向かなかった。もしも相手がその情熱を穢すようなことをすれば、その相手を殺してしまうだろうから。
父親が生きていれば、その心を鍛えることもできただろう。だが、それは叶わないことだった。
「結局……今も姉貴は変わってねえよ。自分が人間じゃねえってわかったなら、俺に言ってくれてもよかったんだ。俺がそれを抱えきれるかどうかなんて……そんなもん、やってみてから確かめてくれりゃよかった。まあ要は、だ……頼りない弟分で悪かった。その償いってわけじゃねえが……久しぶりに、ケンカしようぜ。死んでも暴れ足りないってんなら、俺が最後の相手になってやるよ」
いがみ合うわけでも、憎しみ合うわけでもない。ただ単に、言語の一種としての戦い。
そして、この世に出迷った親しき者に力を示し、『心配はいらない』と証明する儀式。
去り行く者の想いを引き出し、遺志を受け継ぐ原始的ながら神聖な引継ぎ儀式。
「悪いなマリー。来るなって言われたが……」
「はいはい、もう。止めても戦うんでしょ。邪魔しませんよ……全く、ライトくんも私の心配をわかっててこういうことするんだから……『一番確実な攻略ルート』が潰れたところでゲームが攻略不能になるわけではありませんし。もういっそのことすっきりするまで語らってください」
珍しく呆れたような怒り顔を見せた後、諦めたように近くの瓦礫に座るマリー。
その位置は丁度、やや離れた赤兎と花火を視界に収める位置。
「あーあ、やっぱり私は直接戦場に出るよりも、こうやって高みの見物してる方が性に合ってるんですねー……赤兎さん、花火さん。サービスです」
マリーが軽く指を鳴らすと、赤兎と花火の身体が光に包まれてHPとEPが回復する。
マリーとの戦闘で消耗した分、この街へ辿り着くまでの道程で消耗した分。それらを元に戻し、悔いの残らない決闘を見届けるため。
「語らうことも尽きぬでしょうが、人の世とは忙しなきもの。立会人として、私が保証人となりましょう。野蛮な争いでも、憎悪からの衝突でも、もちろん正義による制裁でもなく……両者の同意の上での戦闘、正当な弔いであることを見届けましょう。椿さんや『アマゾネス』の皆さんが後を追うことも、赤兎さんに恨みを抱くこともないように配慮することもさせないと約束しましょう」
「ああ……助かるわ、マリー。飲み比べ、いつも楽しかったで。好きなだけ一緒に飲んで潰れんかったのマリーだけやった」
「…………それは、私もですよ。さあ……いざ、尋常に」
マリーは瓦礫の上に乗っていた硝子のグラスを手にする。
壊れた建物の中にあったもの。それを、マリーは高く放り投げる。
赤兎と花火は共に武器を構え、互いを見据える。
そして、ガラスが割れる甲高い音と同時に緊張が最高潮に達し……その瞬間に、マリーがその引き絞られた弓のような空気を解き放つ。
「はじめ!」
轟く激突音。
花火は金属バット、赤兎は日本刀。
剣戟は一瞬にして十に届き、そしてアイテムとしての性能差によって花火の金属バットが砕け散る。しかし、花火はそれを意に介さず拳を握る。
「『スパルタガッツ』!」
花火の『無敵モード』。
その拳は赤兎の斬撃を真正面から捕え、受け止め、押し返す。金属バットではついていけなかった赤兎の連撃に、拳の連撃が余すことなく対応する。
「っ、やっぱり素手の方が強ええな姉貴……『ドラゴンズ・ブラッド』!」
赤兎も『無敵モード』となり、攻撃をさらに加速させる。
既に全力だった。そこから先の加速は、固有技のステータス上昇などよりももっと単純な戦法の変化によるもの。防御を捨てた全力攻撃。
互いに『無敵』で防御の動きを捨て、全てを攻撃に注ぎ込む。互いの攻撃を避けもせず全て受け止め、想いの丈を相手に撃ち込む。
HPが減っていくのは赤兎のみ。だが、花火の身体にはダメージを受けるはずだった場所に赤いエフェクトが刻まれ、身体が赤く変わっていく。
互いに引くことをしない。避けることをしない。怯むことをしない。
赤兎が一度斬りつけ、その間に花火がその二倍以上の拳を叩き込む。赤兎の『無敵』をもってしても、吹っ飛ばされそうな衝撃に足元の石畳がひび割れる。花火の『無敵』が蓄積した痛みがその目を見開かせる。
しかし、両者とも口元は笑みを浮かべていた。
今、この世界を最も楽しんでいるのは自分達だとでも言うように。
街を破壊しつくしたマリーとの戦闘と比べれば、あまりに小さな範囲で収まる戦い。
だが……拮抗する『最強』が互いの力を引き出し合うことで生まれる、正真正銘の『最強』は今この瞬間にあった。
そして……
「ああ……初めてやわ。こんだけ強くてよかった思ったんは……楽しかったで、赤仁」
赤兎のHPが尽きる前に、花火は糸が切れたように大の字に倒れる。
もはや、身体の正面に赤いエフェクトのない部分はなく、しかしその表情は苦痛を感じさせない晴れやかなものだった。
「たくっ……やっぱり、作られた人格ってのは脆いもんやで……生きとったころなら、こんくらい我慢してまだやれたんやろが……今のあたしじゃ、決められた限界でコロリや。自分の限界を超えることもできんってのは……ま、丁度満足したところやったしいっか。また赤兎より強くなっても困るで」
赤兎も、これまでの衝撃に耐え続けた反動か、足が震え、刀を杖のように地面につき立ててギリギリ倒れるのを防ぐ。
「もう……終わりなのか?」
それに答えるのは、立会人の位置取りから全てを見届けたマリー。
淡々と、『なるべくしてなった』現状を説明する。
「『成り代わり』は人間を模倣することが存在目的……人間にできることができて、人間にできないことはできない、そうデザインされています……赤兎さんの攻撃の蓄積で、『人間ならショック死するほどの痛覚信号が発生した』とシステム的に、数値的に判断されたんですよ。ま、花火さんはアドレナリン過剰というか、戦闘中は楽しすぎて痛みを意識しないタイプだったようですが。花火さんは肉体がゲーム外で死亡した人間と同じように『強制ログアウト』ということになるでしょう……『生前』なら、人間の枠を超え、その先の境地に届いていたかもしれませんがね」
マリーの語った『もしも』の話に、花火はクツクツと笑う。
「それじゃ、ここで終わりで丁度良かったわ……そんな、誰もいない場所より、ここで終わった方がいい……あたしを見下ろす赤仁が見える場所で眠れるなら、そっちの方がいいわ」
赤兎は崩れそうな身体を必死に支え、花火に笑って見せる。
どんなにボロボロでも、それが花火が最期に見ていたい自分の姿だと、誰に言われるまでもなくわかっている。
「ああ……そうだ。姉貴、俺の目標でいてくれて、ありがとな。急に村を出て行ったから、言えなかったんだ」
「はは、こっちもありがとな……それと、馬鹿でもなんでも、真っ直ぐで優しい赤仁のこと、大好きやったで。死んでまって、言い忘れとった」
『アマゾネス』ギルドマスター『花火』。
その顔に充足の笑みを浮かべたまま、デスゲームより……退場。
これより急展開につき(ストックが溜まったので)投稿ペースが加速します。
どうぞ、『最終局面』をお楽しみに。




