364頁:寝落ちに気をつけましょう
ごめんなさい、投稿少し遅くなりました。
さて、どうしたものか。
殺人鬼となって数年。
思えば、攻略への協力やイベントでパーティーメンバーと組むことはあったが、あくまで形式的、システム的なもので真に心を許した人間はいなかったし、過度な接触を許した相手もいなかった。
だから、どうしたらいいのかわからない。
「ライト……そろそろ……」
「断る。絶対に離さない」
ベッドの中、意識している男に後ろから抱き竦められる。そんな経験は今までにない。どうしたらいいのかわからない。
「力、強すぎるよ……」
どう抜け出したらいいのかわからないのだ。
《現在 DBO》
時は少しだけ遡る。
ジャックは辺境と言える過疎エリアの宿に忍び込んだ。そこに、ジャックが防腐加工して置いておいた死体を調べに来たライトが泊まったからだ。
本来、ライトは宿を使う必要はあまりない。それ以前に、休息自体がほぼ必要ないとすら言えるような人外だ。しかし、そんなライトでも難易度の高いクエストを受ける前には所持品の整理のためによく宿を使う。クエスト報酬が多かったりクエスト中で持ち物の重量超過で速力にマイナス補正がかかったりしてアイテムを捨てなければいけない可能性もあるから、すぐに必要にならないものは宿に置いていくというのはRPGゲームの常識だ。ライトもスキルで十分なアイテム許容量を持っているはずだが、それでも万が一のために宿は確保しておく。稀なケースではあるが、ストレージの中のアイテムを盗まれることもある。
だから、今回は高難易度と思われるクエストのポイントに近い所で死体を遺棄した。
殺人のついでにゲーム攻略のためのフラグ回収に協力していることくらいはライトには既にわかっているだろうと読んでの策だ。
実際、ライトは予想通りに死体を調べに来て、宿を取り、夜は宿部屋で過ごしていた。睡眠がほとんど必要ないにしても、ずっと動き続けていては他のプレイヤーからおかしく思われる。特に『成り代わり』のことがあってからあらぬ疑いをかけられかねないので、最近では夜に室内でできることをやっている場合が多い。
宿部屋にいる時なら、会っているところを誰かに見られる心配はない。過疎エリアだから、邪魔(ライトへの救助)が入ることはないはずだ。周辺は調べたし、転移魔法を使えるメモリにしても魔法陣がなければすぐには現れない。
つまり、ライトを襲うには絶好の機会というわけだ……もちろん、襲うというのは性的な意味でだが。
(お、落ち着けボク。ここまでは万事計画通り。後は部屋に押し入って、不意討ちでこの毒ナイフで動けなくして押し倒す……それから……)
殺人のベテランにして恐怖の殺人鬼ジャック。
なお、その恋愛経験は中学二年生の頃が最後にして、進展は一方的なファーストキスまで。
大人の女性としての実戦経験……皆無。
(こ、これでいいんだよね? ボク保健体育のテスト満点だったし、人間の身体の構造なら目をつぶってても綺麗に解体できるくらいわかってるし、入院中に見た昼ドラで旦那さんと愛人さんがベッドに入るシーンで本当は何やってるのかとか寂に教えてもらったし)
『日本人の子供はみんな学校に行ってるはずなのに、変なところで無知だね』と苦笑いされたのを憶えている。スラムの路上に暮らしている無学な少女でも常識的に知っているとすら言われた。
『かく言う僕も、さすがに実践経験はないけどね。一人っ子政策のおかげで練習相手になる人もいなかったし』
おかげで、ジャックは知識にない部分で大いに困っている。
(『大人のやり方』をするには、男側を興奮させないといけない……女側が誘惑したりして、男側はそれで我慢できなくなって後は流れで……女側が男側を興奮させる?)
ジャックの女子力は壊滅的である。
女子力の先生たるマリー=ゴールドの女子力が53万くらいだとすると、ジャックの女子力は精々が5くらいだ。しかもマリーは『本気』を出してしまえば相手の人生を狂わせかねないので意識して制限している状態での話だ。何よりも、まずジャックは『現役殺人鬼』というプロフィールが致命的すぎる。下手をすれば並み以下の女子力はマイナスに食い込む。
そして、それ以前に……
(そもそも、あれって……興奮する生き物なの?)
相手はあの『変人』だ。
針山に聞いた話では、メモリともう一人ゲームマスター側の幼女に取り合いされ、大岡裁き(物理的に真っ二つ)にされかねない勢いだったらしい。
それに満更でもなかったとしたら、ライトは噂通りのロリコンなのかもしれない。自分もこの世界の外見的には一応ロリコンに引っかかる年齢かもしれないが、実年齢は二つほど成長している。目覚めたらせめてそれなりのナイスバディに育っていると信じていたい。栄養状態とかがかなり心配ではあるけれども。
それはともかく、あのライトを誘惑でその気にさせることが可能か……それこそ、それができるのは本気のマリーくらいだろう。女子力皆無の自分は、正攻法ではないやり方に頼らなければいけない。
(ライトの精神力がどうであれ、ここはゲームの世界。システム的に効く毒や薬なら、きっとあいつにも効く……はず……かもしれない!)
一瞬、薬を盛られて倒れたライトを見て『やったか!』と口にしてしまう自分と、まるでラスボスの第二形態のごとく姿を変容させて真っ黒な怪物となりながら立ち上がるライトの姿を幻視した。わりとハッキリと。
はて、自分に予知能力などあっただろうか……いや、あった。自分はライトの言うところの危機回避に特化した予知能力者だった。
(……とりあえず、これで自由を奪ってそれから考えよう。物理的な態勢はわかってるわけだし、ライトなら『言うこと聞かなきゃ殺す』って言えば自力でなんとかしてくれそうだし)
女子としては情けない話ではあるが、誘惑のスキルがないのだからしょうがない。
ライトは案外、全力で頼めば相手をしてくれそうなイメージはあるし。善悪問わず願望を叶えてくれる的な意味合いで。こういってはなんだが、ナビと恋人だったのもそんな感じだったし。
(ライトなら『さすがに今自分が死ぬのは攻略が難しくなるから命をなくすよりは貞操くらいくれてやる』くらい言いそうだし……なんかお情けを期待してる自分に泣けてきた)
しかも、万が一にでもあの『あまりに普通な大家さん』が同じように迫ったとしても『大事だから』断るであろうことが想像できてなおのこと辛い。
けれど負けない。
(ええいもう! 知ったことか! 殺人に比べれば無理やり貞操奪うくらい大したことじゃない……たぶんだけど!)
仮に『死んだ方がマシだ』とか言われたら深く考えずにとりあえずライトを殺して自分も死のう。即座に。
(よし、とにかく襲撃! その後のことはその後で考えよう! 悪いことばっかり考えててもしょうがない!)
数分後。
「あのなジャック、さすがにオレも偶には普通に睡眠くらい取るし、部屋に泊まる時には襲撃対策のトラップくらい仕掛けておくぞ」
敗因。
初手の設置型ポーション(アルコール)ボムトラップ。
「うぐぐ……心の底では味方だと油断してくれてると思ったのに……この薄情者……」
「毒ナイフ片手に夜襲をかけてきたやつに言われたくないな。ていうか何しに来たんだこんなもん用意して」
よく考えればわかりそうなことだった。
そもそもライトは本気で戦っても殺せるかどうかわからない相手。生け捕りは普通に殺すより難しいのだから、本気で迎撃されれば攻撃力の低い武装で勝てる道理はなかった。
ジャックが冷静ではなかった部分もあるが、ライトがジャックの襲撃を想定して万全の状態で迎え撃たれた時点で負けるのは道理だった。
そして、反省として武装解除して正座をさせられているのも当然の流れだった。
「本気装備じゃないし、オレを殺そうとして襲ってきたわけじゃないのはわかるが、殺害目的じゃないにしてもドアを壊して押し入るのは非常識だぞ。誰が弁償すると思ってるんだ……一応もう直したが」
「殺人鬼に常識を解くのも非常識なんじゃ……」
「オレはジャックを割と常識的な殺人鬼だと思ってたぞ。少なくとも咲とかよりは」
「そこらへんと比較されると死刑囚でも常識人になりそう」
咲は今のところ直接の殺害数は0だが、行く行くは大量殺戮が可能な化学兵器くらいは造りかねない。というか既にVR技術で禁止されている新種の仮想麻薬というとんでもないものを作りだしているあたり常識というものとは程遠いだろう。
むしろ自分より先に運営にスカウトされてもおかしくないが……咲なら、逆に運営がお断り申し上げるかもしれない。
それはともかく……
「それでジャック、何しに来たんだ? 最初はシャークに唆されてオレを暗殺しに来たのかと思ってたんだが、それにしては殺意が足らなかったが」
「えっと……一緒に寝てもらおうと……」
さすがに性的に襲いに来たとは言えない。
ライトもシャークの思惑の可能性を考えているせいか読心があまり上手く行っていないらしい。
「……一緒に寝てほしくて、ナイフ片手にドアを蹴破った?」
「……人肌恋しかったから。どうしても断られたくなくて」
しばらくの沈黙。
その後、ライトは深くため息を吐いて頭を掻いた。
「マリーがあっちについた弊害か。そういえば前は定期的にマリーがカウンセリング兼ねてデートとかしてたんだったな。それに、最近はあんまり熟睡できてないみたいだし、護衛付きで睡眠したいって思うのも仕方ないか……他の人間だとうっかり殺しそうだし」
「まあ……そういうこと」
実際、常に殺気を感じ取ってしまうせいで眠っている間も頭のどこかが警戒したままになっている。確かに、ストレスが溜まっているのは事実だ。
ただの添い寝だとしても、僅かな動きでも反応して殺してしまいかねない。
「マリーなら精神操作での防御力も高いだろうし安全だったんだろうが、オレはさすがに完全に安全なんて言えないしな……しょうがない、こうするか」
途端、ジャックはベッドに投げ込まれていた。
アルコールのせいで弱っていたにしても、いきなり過ぎて反応できなかった。
「え?」
「アルコールで鎮静化させる手もあるが、酒で眠らせたら深く眠れないだろ。だからこうするのが一番安全だ」
ライトも素早くベッドに潜り込んで来て、後ろから抱き締められる……いや、そんな生易しいものではなく、がっちりと抱き固められる。
明らかに拘束系のスキルが発動している。まったく抜け出せる気がしない。
「十分熟睡するまでこうしておいてやる。なんなら姿形だけでもマリーに近くしてやろうか? それかさらに柔らかい姿にもなれるが……」
「え、いや、そのままの姿でいいけど……なにこれ、ほとんど動けないんだけど」
「寝ぼけて暴れられても困るからな。ジャックの筋力を止められるような拘束具を使ったり状態異常をかけたら不快感で睡眠に支障が出る。オレ自身なら不快感を与えないように調節しながら拘束できる。もちろん敵が来たら撃退してやるから安心して寝ろ」
「なんか想像してたのと違う! ていうか女の子と一緒に寝るのに妙に慣れてるんだけど!」
「メモリとの記憶共有でよくやってるからな」
「子供を寝かしつける感覚!」
結局、ライトは宣言通りに拘束を解除せず、武装解除されていたおかげで攻撃もできなかった。
格闘の技術はあるが、奇襲や立ち技が前提で、寝技での拘束からの脱出の経験はほぼない。多少もがいてみたが、ライトの拘束から自力で脱出するにはどうしたらいいのかは皆目見当がつかなかった。
しかし……
(動けないけど……そんなに、これはこれで悪くはない……かも……)
不思議と、あまり不快には感じなかった。




