359頁:スタンスに気を付けましょう
前線では長い間議論が交わされている。
それは、最後のエリアについて。
北端のエリア。日本地図に重ねると北海道に当たる部分にある魔王国。
南端のエリア。日本地図に重ねると沖縄に当たる部分にある聖王国。
シナリオ上、この二つの国は同等の力を持つとされ、魔王と聖王と呼ばれる統治者もどちらかが大悪党というわけではない。
むしろ、どちらも『こちらが正義、あちらは悪だ』とシナリオ上で主張しているのだ。
飛び地でのクエストでも、イベントやクエストを受けた街と同じ側が正義の味方として振る舞い、敵対するときには敵軍の明らかな悪逆を討伐することが多い。
つまり、この仮想世界のマップは聖王国と魔王国の戦争が行われている範囲にある。そして、プレイヤーはどちらかの軍に戦力として召喚されたわけではなく、中立地帯に出現した中立の第三勢力という扱いなのだ。
そして、プレイヤーの立場としては各地で報酬をもらいクエストやイベントに臨むという流れも、二つの国から見れば中立戦力を傭兵のように雇って敵国を攻撃していることになる。
つまり、プレイヤーはどちらにとっても敵であり、どちらにとっても味方でもある。
そして、聖王と魔王がそれぞれのエリアのボスである以上、ゲームクリアのためには最後には倒さなければならない。
しかし、シナリオの構図を考えれば、真正面からそれぞれの国を攻めるのは得策ではない。もしかしたら、どちらかの国に取り入り、もう片方の国を攻め落としてから残りを落とせば被害を最小限に進められるのではないか……あるいは、そもそも残りとは戦う必要すらない可能性もあるのではないか。そういった議論だ。
しかし、そのシナリオがどういった筋書であれ、大前提は北端、南端のエリアに進入すること。
そして、ゲームクリアを妨げるにはどうしたらいいか……簡単だ。最後の二つのエリアに入れないようにしてしまえばいい。
二つの国の飛び地で既に判明している情報として、聖王国、魔王国へのゲートポイントは一つしかない。
本州北端と九州北端、青森と鹿児島に対応するエリアの最大の街からしか、それぞれのエリアに転移できない。これは、今までの隣接するエリアとの転移を考えれば何もおかしなことはない。
問題は、『海』があることだ。
これまでは、解放されたエリアは転移を使わずとも自力で陸路を移動すれば進入することができた。ゲートポイントを封鎖して転移を封じるという方法も何度も用いられてきたが、それも所詮時間稼ぎに過ぎなかった。
だが、最後の二つのエリアには地続きの道がない。
エリア間を横たわる海には、非常に強力なモンスターが大量に出現する。基本的にプレイヤーの戦闘能力は水中戦で万全に発揮できるものではなく、船に乗って海を渡ろうとすれば船ごと沈められてしまう。海に引きずり込まれれば高レベルプレイヤーでも実力を活かしきれずに袋叩きに遭い、HPを全損する。
つまり、最後の二つのエリアが解放された直後、そのゲートポイントを封鎖すれば、それは時間稼ぎではなく永続的な防衛線になる。しかも、最終エリア内で得られると推測される経験値やアイテムのリソースはこのゲーム中最大のもの。つまり、十分な人数を持って封鎖を維持しつつ、最終エリアでレベル上げや装備の更新を継続されれば、レベル上げをして突破という手段も使えない。
「これを知ってどうするか、それはお任せします……このゲームをクリアするもしないも、あなた次第です」
《現在 DBO》
今日、3月20日。また一つのエリアが開放された。
第41エリアボス。
これでゲームクリアまでは後6エリア。そして、最終封鎖作戦までは後4エリア。
ジャックは未だ、アベルから聞いた『冒険者協会』の企みについて誰にも相談していなかった。
このゲームをクリアすべきか、クリアさせないべきか、答えを出せないまま、ズルズルと引き延ばしてしまっていた。
その間に、一つの仕事があったというのも理由としてはある。
その仕事に集中するためにと、考えるのを後回しにしていた。
しかし、とうとうその仕事も終わってしまった。
「はい、これがリストの中の『成り代わり』の可能性の高いプレイヤーの名簿。戦闘職については多分確実、生産職の方は絶対とは言えないけど」
「はいはい、ありがとね……やっぱり多いわね。『冒険者協会』に正式加入してないプレイヤーにもこんなにいるのか~。面倒ね」
スカイは自身のギルドに入り込んだ『成り代わり』の名簿……つまり、人間としての本人は既に死んでいると思われるプレイヤーの名簿を見ても、大してショックを受けているようには見えない。だが、緩い口調の割にはそれなりに厳しい表情をしている。
「『攻略連合』の事件の頃からライトが見越してあなたを事件に絡ませてたのは知ってたけど、あっちもここまで準備してたとはね……通りで、最近妙に組織としての動きが遅いわけだわ」
『成り代わり』を見つけたのは、ジャックの『殺気センサー』だ。
ジャックは『攻略連合』の事件こと『革命』の檻、革命軍を名乗って『成り代わり』の騎士たちと幾度となく戦った。それも、本気で殺しに来ることも少なくない戦いだ。
そして、最後には『成り代わり』の集団をジェイソンと共に大量に駆逐した。
そうして、『成り代わり』の殺気を浴び続け、解析した。
『成り代わり』の殺気は人間のものと違う。
根本に『殺さなければ殺される』という心理、あるいは殺し合いというデスゲームにおける真理がある。
しかし、本質的に死を知らない『成り代わり』にはその心理がない。軽い言い方をすれば、殺気に必死さが足りない。
だから、殺気を見れば大方の見分けがつく。戦闘職以外は殺気を引き出すために細工や工夫が必要だったが、何も殺気を発するのは武器を手にした時ばかりではない。たとえば、座った椅子に密かにべたべたの薬品が塗ってあるなどの目的不明の悪戯で心底苛つくようなことが起きれば誰でも殺気を洩らすものだ。
そのために最近愉快犯の悪戯魔の噂が立ち始めているが、正体は特定されていないので問題はない。
「ま、このリストがあればなんとかなるけどね。生産職は間違いかもしれないとしても、妨害工作とかできないように配置換えさせるだけだし」
『革命軍』に参加し『成り代わり』の殺気を意識して解析するように言ったのはライト、そして『成り代わり』の疑いのあるプレイヤーの調査を行ったのはスカイだ。
この二人が本気で表立って協力体制を取っているのは、何気にゲーム開始直後以来の珍しい光景。それ以外は少々距離を取り、外部協力者としての振る舞いを取っていた。ギルドが設立し、ライトが無所属を貫いたこともあるが、ライトがグレーな汚れ仕事をすることが多いこともあり、スカイのお抱えとして振る舞うと弱みになりかねないということもあった。
しかし、もはやスカイがライトと同じ方針を取り水面下で『冒険者協会』とは違う方向性を持って行動していることは一般のプレイヤーにも薄々察することができるところまで来ている。それほどまでに、なりふり構わず動く必要があるということだ。
それだけ……ライトとスカイは、真剣に攻略を目指している。
「スカイ……一つ、聞いてもいい?」
「何? 配置換えの埋め合わせの計算で忙しいんだけど」
「このゲームがずっとクリアされなかったら……どうなるんだろうって思って。ボク、そういう未来は見えないから、よくわからなくてさ」
「未来なんて私だって見えないわよ。でもまあ、想像くらいなら簡単だけど。まず大前提として、このゲームは永遠には続かないわ。永遠どころか、プレイヤーの寿命まで、いえ、それ以前に数十年も続かない」
数十年。
確かに、一般的にはゲームで遊ぶような人間の年齢から寿命までの時間はそれくらいはあるのだろう。ジャックは心臓に病を抱えているために時間が特に短いだけで、他の人間はその程度の時間がある。
だからこそ、自分の寿命の尽きた先のこの世界が想像できないというのもあるが。
「まず、仮想現実は本物の現実じゃなくて、物質的な現実世界のどこかにあるサーバーのどれかが創り出して維持しているものだから、その維持ができなくなれば終わるでしょ。その時にプレイヤーが解放されるのか一斉処分されるのかは知らないけど」
それは確かに道理だ。
物理的に維持が不可能になればプレイヤーがどう思おうと、どう努力しようと、この世界は終わる。
「ま、サーバーの寿命以前に運営が打ち切るのが先でしょうけど。今はまだ、ゲーム攻略をしようとする側とそれを妨害する側って構図があるから、ゲームの実験的な意味がある。でも、それが完全にバランスが取れてしまって膠着すればどこかで見捨てられる。攻略推進側が勝ったならゲームはクリアまで突き進むだろうけど、妨害側が勝ったならゲームは一歩も進まなくなる。私だったらどこかで『タイムリミットがあった』ってことにしてプレイヤーを全滅させるわ」
「それなら、『冒険者協会』の元々の理念は……」
「現実世界に帰るくらいならこの世界で死んだ方がいい……あるいは、この世界が運営に見捨てられない可能性に賭けて永住を望んでいたのかしらね。ま、そういう結末もありえないわけではないわ」
スカイは頬杖を突き、退屈そうにもう一つの結末を語る。
「人間が望んだとおりの脱出不可能な理想的仮想世界でどんな風に腐っていくかの実験だったら、大分長いこと消されずに残してもらえるかもね。あるいは、消される前にプレイヤーが全員ゲームオーバーを選ぶか」
「全員ゲームオーバーって……全滅エンド?」
「まあ、そうなるかもね。仮想現実はよくできた現実の紛い物であって、現実そのものじゃない。どんなに快適でも、仮想世界には現実世界とは違う違和感があるのよ。今は攻略側との張り合いがあって、熱に浮かされて気付かないかもしれないけど、現実世界に帰るっていう目標も、それを妨害するっていう目的もなく何年もこの世界で生活すれば、いろんな違和感が目に留まって、蓄積して、精神的にじわじわと弱ってくるわ。物を食べるのも、日を浴びるのも、何をするにもその全てが『偽物』だって意識すれば、それだけでストレスになるものよ。そして、完全に勢いが死んだらゲームをクリアするだけの士気を取り戻すのはほぼ不可能。ま、クリアのためじゃなくて玉砕して死ぬためにフィールドに出るやつは多発するかもしれないけど」
「でも、今の『冒険者協会』は『成り代わり』がほとんどなんだよね。元々仮想世界の住人である『成り代わり』なら、それは当てはまらないんじゃない?」
「どうかしらね。『成り代わり』だって、そもそもベースは人間でしょ? 永遠には精神がもたないわよ。ま、もはや精神構造が人間じゃないライトとかマリーは例外とするけど、人間の脳の寿命は140年と言われてる。逆に言えば、人間の精神はそれ以上の年月を生きるように進化する必要がなかった。仮に完全にAI化していても、経験を蓄積して学習していくならどこかで限界を迎えるわ……もっとわかりやすく言えば、どんなに面白い世界だろうと、いつか飽きる。飽きないとしたら人間じゃない。だから、この世界への『永住』なんて原理的に無理なのよ」
退屈は死に至る病だとよく言われる。
生きることが進み変化することだとすれば、どこまでも生き続けた先にあるのは確かにそれだろう。
仮に肉体の死が許されないとしても、精神が死ぬのだ。
「何を悩んで何を思ったか知らないけど……黒ずきん、これだけは憶えておきなさい。あんたは何人も殺して、殺しつかれてるかもしれないけど、殺し飽きたわけじゃない。あんたに隠居は似合わないわ。それに……この世界では、子供が生まれない。本能的にも必要のない欲求は退化していくわ。本気の愛だの恋だのが経験したかったら、現実世界への早めの帰還は諦めないことね」




